第3話「触れられなかったもの」
気づいた時、朝だった。
「……生きてる」
有栖朔は、天井を見ながら呟いた。
昨日の夜、あのあとどうなったのか。
記憶が曖昧だ。確か……
(振り向かなかった、よな?)
でも、途中から何も覚えてない。
「夢…か?」
そう思った瞬間、ズキ、と胸の奥が痛んだ。
恐怖の"残りカス"みたいな感覚。
夢で片付けるには、リアルすぎる。
スマホを見る。通知はない。時間も普通。
全部、いつも通り。
「……はぁ」
ため息をつく。結局、何も分からないまま。
ただ一つだけ確かなのは--
「もう、戻れねぇな」
"普通"には。
その日は、休みだった。特にやることもなく、外に出る。家にいると、余計なことを考えるから。
「……人が多いな」
駅前。昼間の街は、ちゃんと"現実"だった。
笑ってる人、話してる人、急いでる人。
夜とは違う世界。でも--
(本当にそうか?)
「見えてる?」
急に横から声。驚いて振り返ると、月城いろはと御影識が並んで立っていた。
「急に出てくんなよ」
「普通に来ただけだけど」
いろはが言う。識は特に何も言わず、周囲を見ている。
「で、どうだった?」
いろはが続ける。
「なにが?」
「後追い様」
サラッと言う。
「覚えてねぇ」
正直に答える。
「途中から記憶飛んでるしな」
いろはは、少しだけ考えて
「じゃあ、成功だね」
「成功……なのか?」
「連れていかれてないでしょ」
確かに。それはそうだ。
「ただ、」
いろはは少しだけ視線をずらす。
「完全に切れてはないかもね」
「は?」
「まだ"気にしてる"」
図星だった。無意識に後ろを意識している。
「それ、癖になるよ」
「……やめてくれ」
全く、笑えない。
「……で、次」
いろはが、なんでもないかのように話を変える。
「次?」
「もう、始まってるから」
意味が分からない。
「何がだよ」
答えは、すぐに来た。
ドンッ。--強い衝撃音。
近くの横断歩道。誰かがぶつかったようだ。
「……ぁ?」
見ると、男が一人倒れている。でも……
誰も助けようとしない。
「おい、大丈夫か?」
近づこうとした瞬間、
「やめて」
いろはが腕を掴む。
「……なんで」
「見て」
小さく言う。倒れている男。
その周りを、"人が避けている"。
不自然なぐらい、綺麗に。まるで、そこに穴が空いていて、避けるのが当然かのように。
でも、誰もそれを認識していない。
「……なんだよ、あれ」
小さく呟く。すると、
「見えてるなら、近づかない方がいい」
識が静かに言った。忠告よりも、警告に近い気がした。
「それ、"ヒト"じゃないから」
「は?」
「正確には」
少しだけ間を置いて、
「"ヒトだったもの"の残りカス」
意味が分からない。でも、
「昨日のとは違う」
それだけはわかる。後追い様みたいに"追ってくる感じ"じゃない。これは……
「そこにあるだけ」
「名前は?」
朔が聞く。識は軽く首を振る。
「特にない、かな。こういうのって意外と多いんだよねぇ。分類としては"残留型"なんて、よばれてるけど」
「なにか、条件みたいなのはあるのか?」
「簡単」
識は淡々と続ける。
「"気づかれなかったもの"」
胸の奥が、少しだけザワつく。
「それ、触れるとどうなるんだ?」
「巻き込まれる」
即答だった。
「"同じ扱い"になる」
誰にも気づかれなくなる。存在してないみたいに。
ゾッとする。さっきまで普通に歩いてた場所に、そんなものがあるなんて。
「……助けられないのか」
思わず口に出る。
すると、いろはと識が同時にこちらを見る。
「「無理」」
重なった。
「だってそれ、もう"助けられなかった結果"だから」
いろはが静かに言う。やけに言葉が重く感じる。
信号が変わる。人が動く。
そして--
倒れていた男の上を、誰かが"普通に踏み抜いた"。
「……っ」
声が出ない。でも、その人は気付かない。
何事も無かったかのように、歩みを止めない。
「これが、現実」
識が言う。
「夜だけじゃない、昼間にもある」
朔は、言葉を失ったまま立ち尽くす。




