第2話「振り向かない方法」
やはり、夜は歪んでいる。
そう思うのは、気のせいじゃない。
「……来てるな」
有栖朔は、足を止めなかった。
昼間の仕事での出来事が、ふと頭をよぎる。
工場。ライン作業。
誰も喋らないのに、視線だけは常に感じる。
「遅い」「ミス多いな」
直接、そう言われた訳じゃない。
でも、確実に"そう思われている"。
振り向けば、何か言われる気がする。
振り向かなくても、背中に残る。
--あぁ、似ている。
コツ。
夜道に残る。もう一つの足音。
「……はぁ」
息を吐く。逃げ場は無い。
「じゃあ、やるしかねぇか」
振り向かない。それだけだ。
コツ。--一歩後ろ。
コツ。--また一歩。
距離が縮まっている。わかる。
見なくても分かるぐらいに。
「見んな」
自分に言い聞かせる。視線を前に固定する。
街灯。道路。白線。
どうでもいいものに、意識を向ける。
コツ。
近い。さっきより確実に。
(来てる)
わかってしまうのが、一番キツい。
「いい感じ」
横から声がした。振り向かない。
でもわかる。月城いろはだ。
「まだ、二回目入ってない」
「……入ってない?」
「"振り向いてない"からね」
少しだけ安心する。でも……
コツ。--音は消えない。
「無視できてないよ」
追い討ちみたいに言われる。
「意識してる時点で、"見てる"のと同じ」
「じゃあ、どうしろってんだよ」
「気にしない」
無茶だ。
「訂正」
今度は別の声。前方、電柱の影。
御影識が、いつの間にか立っていた。
「気にしないじゃなくて、"関係ない"と思い込む」
「違いがあんのかよ」
「大アリ」
識は、淡々と続ける。
「怖いと思うと、相手を強化する。でも"関係ない存在"だと認識すれば、向こうも干渉しづらくなる」
理屈は分かる。分かるけど……
コツ。--もう、すぐ後ろだ。
(無理だろ)
そう思った瞬間……
コツ。
肩のすぐ後ろで、音がした。息がかかりそうな距離。
「……っ」
心臓が跳ねる。振り向きそうになる。でも
(振り向いたら終わる)それだけはわかっている。
「ねぇ」
いろはの声が、少しだけ低くなる。
「それ、本来はもっと遅いんだよ」
「……は?」
「ここまで早くない」
つまり--
「条件、満たしすぎてる」
識が言う。
「朔君さ、昼間も"後ろ"気にしてたでしょ?」
言葉が詰まる。
工場での視線。人間関係。
常に感じてた"後ろ"。
「それが蓄積されてる、満たしすぎなんだよ」
最悪だ。
「じゃあ何か、俺のせいってことかよ」
「そうだね」
いろはが、あっさりと答える。
「相性、最悪」
コツ。--もう、ほとんど触れる距離。
(来る)
分かる。終わりが、すぐそこまで迫っている。
「……一個だけ方法がある」
識が口を開く。
「なんだよ、あるなら言ってくれ」
「成功率、かなり低い」
「いいから言え」
一瞬の間。そして、
「"後ろに誰もいない"って、本気で思え」
無茶にも、程がある。
「でも」
いろはが続ける。
「それ、嘘じゃないかもよ」
「……は?」
「それ、"最初から存在してない"」
意味が分からない。
「見てもらえなかったものって、存在として曖昧だから、認識しなければ"いない"のと同じ」
--つまり、見なければいいじゃない。
"存在しないものとして扱え"ってことか
コツ。
もう、音が近すぎて曖昧になる。
(いない)
そう思う。
(いない、いない、いない)
繰り返す。でも、怖い。
確実に"何か"がいると、本能が叫んでいる。
「……ねぇ」
いろはの声。
「選びなよ」
静かに言う。
「振り向いて終わるか、信じて無視するか」
そして有栖朔は、そっと目を閉じた。




