狐狩り・阿田大輝 #2
阿田は例え〈組織〉がUFOに関連する超法規的結社だろうと、宇宙人であろうとやることにかわりはなかった。この世のものでないものを祓うまでだった。修行に出るときに立てた誓いもある。ことの善悪は自分で判別するが、基本、依頼を受ければやるのが修行だ。
しかし〈組織〉内部にいる連中が仮に宇宙人なら説明が早い。霊感がないのも頷けるし、情報と理論を優先するところも理解できる。彼らには文字どおり神も仏もないからだろう。
あの上人様の姿をみて何の感情も動かさない彼らとは仲良くはなれなさそうだが、意思疎通はできる。そう割り切ってつき合うしかない、とも考えていた。
話は変わるが、実は△▽の怪異を体験した霊能者ほぼすべてが阿田と似たような考えでもあった。
霊能者たちは多かれ少なかれ〈組織〉に対して疑念を抱き始めていた。
かねてより噂にあった宇宙人説、陰謀論、秘密結社説に拍車をかけた。そもそも△▽の怪異を裏で糸を引いていたのは〈組織〉なのではないか。△▽の怪異の際、△市から飛び去るUFOを霊的UFO(UFOクラゲ)が追い掛けていったのだ。様々な見方ができるが、怪異や呪いというものは首謀者に憑くものだというのが霊能者たちの共通認識だった。
そして霊能者たちが〈組織〉を見限り始めたのは〈組織〉が使っていたシステムの劣化も原因となっていた。
システムをつくった創設者が△▽の怪異の際、▽町へ迷い込み帰って来れなくなった。システムはバタフライ・エフェクトのような些細な出来事を操って社会を、あるいは人の共有認識、構造理解、人間関係をハックするものだが、創設者が行方不明になったことによりシステムに明るい者がいなくなった。明確な不具合は修正することはできてはいたが、小さな不備が改善されにくくなっていた。それに△▽の怪異の最中にわずかに怪異が侵入していた。
些細な不備も怪異も日常的に広がっている。まだ〈組織〉は認識していないが、システムの効力は静かに消えはじめ、徐々に違うシステムとなっていた。
そして、そのシステムの不具合を唯一完全にメンテナンスできたはずの創設者は亡くなっていた。迷い込んだ▽町の外れで異世界の大気にも食事にも馴染めずに衰弱死したのだ。それを看取ったのは拝屋雫の父親、拝屋礼だった。
これらはまた別の話だ。
話を戻そう。
阿田は目の前の発掘現場にはなにもない、という結論に達していた。
△市の封印の要は七つあったと〈組織〉から聞いていた。阿田はその詳細は知らなかったが、この遺跡は△市UFO事件後に発見されている。
つまりは七つの要ではない、ということだ。遺跡を発掘するまで年代や、なにが出てくるのかわからないが、霊的な気配や神聖さ、または邪悪さ、異質さは感じられない。つまりは封印や神事を司ったものではないのではないかと、ここ一週間の視察で楽観視するようになっていた。
ただあの上人様が壁の方を向いておられたのが気になった。あの場では壁の奥をみていたが、もしかしたらあの地下から伊夜日子山の方をみていたのではないか、という推論が頭から消えないのだ。
あそこは七つの要のひとつ。それもかなり重要な場所だったに違いない。それが意味するものは他とは違う。△駅から伊夜日子山の方向とこの場所は重なっている。
古代の地理を知りたくて隣市のT市産業歴史資料館に足を運んだ。この辺は湿地帯であり古くから民家のある場所は水害が起こっても水没しない高台だったようだ。つまり△駅の石室も高台にあったのだろう。そしてここも。△駅周辺は特に大きな遺跡だった。あの辺りには土器や遺物が出てくるらしいので(阿田は白露夢路が畦畔に埋め戻しているのを目撃していた)間違いはないだろう。高台の周辺に集落もあったとすれば理解できる。目の前の遺跡から出てくるものは集落跡に違いない、と阿田は一応、納得した。
しかしなにが起こるのかわからないのがこの世の中だ。上人様だってあれは江戸時代の御人だろう。条件の悪いところで朽ち果てなかったのは仏縁もあるだろう。しかし歴史資料にも石室の存在はないようだし、相当古いものだと考えられる。なにかしらの理由で江戸時代にあの石室に上人様は入ったのだ。なにかが起こったのだろう。いまでは知り得ないなにかが。この遺跡だっていまはなんの気配もないが、なにが出てくるのかわかったものではないのではないか、と阿田は思った。
発掘が終わるまで足繁く通うか、なんなら発掘のアルバイトがあるなら参加してみようか、と様々な考えをしているうちに、気楽に物事を楽しもうとする彼の善良さゆえののんびりさが出てきていた。
そんなのんびりとした気持ちは〈組織〉からの連絡で一変した。
『犬飼游という名の高校生くらいの少年を捕まえて欲しい。身長は一七五、痩身。着ているものは紺のドッカージャンパー、灰色のジョガーパンツ、黒のコンバース。格闘技術を保有。その力はセミプロと同レベル。おそらくあと十分くらいで△駅に着くと思われる』
『今回は必ずこちらに身柄を渡してもらいたい。彼は以前君が捕まえた戌井勇と同じく怪異であり人でもある。余談だが我々は彼らのような存在を狐と称することにした。連絡を待つ』
少し慌てて送ってきているのか、質問のときと違い整然とした文章でないことに違和感を覚えた。さきほどの質問は人工知能による調査みたいなものなのかもしれない、と阿田は〈組織〉に対してよくない感情が湧いてくる。もう少しなんというか、人間として扱ってもらいたい。まるで自身がサンプルかなにかになったような気分になったが、最後の怪異であり人を『狐』、と称したことには感心させられた。
確かにそんな存在は狐だ。
人と自然、怪異など理解できないものの中継ぎとして、賢く、狡猾でひとの世界にひょっこりと現れる。だが飼い慣らすのは困難だ。これほどぴったりな言葉はないだろう。
「さて、菊祭りからの狐を狩り、それが終わったら紅葉狩りして発掘のバイト。今回のN県旅行はイベントが目白押しだ」
阿田は呟くと△駅に向かって駆け出した。
阿田はアウトドアウェアにトレッキングシューズで軽快に走る。
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん、と真言を唱えながら走り、やがて般若心経に変わる。分別智から無分別智へ至り、すべては境い目のない混沌とした世界にみえるようになる。存在も因果も無い。空の境地へと入っていった。
その走りは常に身体を鍛えている者の俊敏さ以上のものを感じた。
△駅に着いたとき周りは疎らにひとがいたが、阿田が駆けて入っても誰も注意を払わなかった。
阿田は△駅にただならぬ雰囲気を感じていた。
行き交うひとは事もなげに歩いているが、阿田の目には霞掛かってみえていた。境地に達した阿田の目には現世より一枚下のレイヤーの存在がみえていたからだ。
認識は主観を超えたが、阿田の肉体はそのままであるから頭脳は無分別智を認識しつつ、主観は失わず分別智として機能し行動ができていた。
(無分別智を広げ現世と一体となるには即身仏になるしかない。だから阿田は石室の木乃伊に第三者からみれば過剰ともいえるくらい尊崇するのかもしれない)
そして阿田自身は現世の元にある存在位置まで来ていた。だからこそ他人には彼の存在は感じることができないのかもしれない。
「到着は十分くらいだったはず」
すでに犬飼游と思われる少年が△駅にいたのだ。
〈組織〉の情報力は凄まじく的確だ。その予測を大きく離れた犬飼游は〈組織〉の想定を超える存在なのかもしれない。
以前、〈組織〉に依頼された石室があった場所の上に犬飼はいた。涙声でそこだけ新しくなっている床に膝をつき、まるで下にいる上人様に向かって「御坊、御坊!」と話しているようだった。
しかしなにも応えがない。それもそのはずだ。上人様は阿田が手ずから運び上げ、N県の西生寺というところに預けた。そこはN県最古の即身仏と最後の即身仏が存在する寺だった。上人様は多数の上人に囲まれ、いまも衆生済度のために読経しているはずである。
阿田は犬飼游の声から上人様と縁があるに違いないと思った。だからしばらく境地に達したまま犬飼游を見守った。怪異というにはあまりに人間と同じようにもみえたせいもある。
犬飼游はやがて苛立ってきたのか「なんでだよ! なんで道が塞がっているんだ!」と叫んだ。
そのとき、駅中央の鳥居のモニュメントから真言が唱えられ、犬飼游に向かって印を切る少女が現れた。
黒のアディダスのジャージにウィンドブレーカー、その黒に映えるかのような美しい白髪。黒い瞳が犬飼游を睨めつけ、祓おうと真言から呪文を唱え、指は自身の本尊と思しき形をとる。阿田にはみたこともない形だった。真言を操るが密教とは違う。そして口にするのは和語、方言、古語の入り交じった呪文だった。密教の真言とは違い論理的なものはない。ただ必要なものをあちらこちらから寄せ集め、力を持つように網直した言葉だった。
「民間の拝み屋か。相当旧いな。それにしても若年ながらなかなかの使い手」
阿田は関心していた。少女ながらに流れる挙動、朗々と歌い上げるような呪文もなかなか良い。しかも髪ばかりかおそらく体毛すべてが白いという、身体にはっきりと巫病の痕がみられた。これだけ肉体変化のある霊能者は珍しい。あの△市UFO事件で唱えあげられた手練れの名も知らぬ霊能者たちのひとりだったに違いない、と思った。
しかし、後ろに下りながら唱え、印を切る少女に犬飼游が印を切らせまいと腕を掴んだ。おそらく少女はその捕縛から逃れようと、なにか技をかけようとした。よほど運動神経が良いのだろう。機も反応も位置取りも良かった。だが霊能ほど柔術は鍛えてないらしい。逆に技に移行するところ犬飼游に察しられて技を外され、お互い転んでしまった。
「ごめん。でも印や呪文は止めてくれ。お願いだから見逃してくれ。僕は犬飼游。君は……拝屋雫、か?」
犬飼は拝屋の上になり手首を掴んでいった。
「知り合いか?」阿田は思ったが、拝屋雫と呼ばれた少女は犬飼を知らないらしい。どうやらふたりの間には深い因縁があるようだった。
「離せ!」
「お願いだ。僕の話を訊いてくれ」
ふたりを交互にみていて阿田は不思議な思いにかられた。
「どちらが怪異だ?」という思いだ。
阿田の目には無分別智として冷静に物事の判別ができた。その目にはどちらも〈組織〉のいうところの狐にみえているのだ。
人と怪異の混じり合った不可思議な人物同士が絡み合い口づけを交わしていた。
「跳ね除けなさい、お嬢さん」
阿田は逃げようとする拝屋をみながらどこかで同じような者に出会ったような気がした。
ああ、と思い出し、ぽん、と右手握りこぶしを左手の掌の上に叩いた。
石室から上人様を抱き上げて、まさにいまこの△駅にいたときだ。防音壁や機材やライト、石室に繋がる大穴などがあったがまさにこの場所だった。
石室から上がって来ると三人の男女がその場にいた。播磨陸、郁磨静、名取誠司だ。
皆、これから穴の中に入るというのにフォーマルな格好をしていた。みた目には冠婚葬祭帰りの親族といったところだろうか。
この三人が三柱三神主ということはすぐに気がついた。だが神主というわりには清浄さよりも異質さを漂わせていた。
「あとは私たちが引き継ぎます」
老婆の播磨陸が名取誠司に耳打ちして名取がその言葉を話すのだ。
播磨陸が〈組織〉の構成員と思われる人物を宇宙人と罵ったのはよほどのことで、通常はこのやり方が彼らの意思伝達方法なのだろう。
霊能者は変わり者が多い。世俗とは離れたものがみえるから仕方ないことだと阿田は割り切っていた。
だが名取が言葉を発するときに口臭が気になった。
それは臭いには違いないが、嗅いだことのあるようなないような妙な匂いなのだ。
そして郁磨静はまるで意思のないアンドロイドのように傍に立っているだけだし、播磨陸は老婆なのだろうが、どこか俊敏な獣を思わせた。俊敏な獣が老婆に擬態しているような獰猛さが滲み出ていた。
強力な霊能者はそうみえるのかもしれない、とその時は思った。それよりかは上人様をどうするか悩み、丁度、西生寺のことを思い出し、連絡し始めた。
三柱たちは若い名取が穴に入っていって、播磨陸と郁磨静が残ったがふたりはなにも語らず暗い穴を覗き込んでいた。
西生寺の住職と相談して上人様をお連れしてもいいことになってほっとしてスマートフォンをポケットにしまった時だった。
播磨陸が四つん這い、いや、四つ足の獣のようにして穴の周りをぐるりと回ると梯子を降りていったのだ。
阿田はみてはいけないものをみた気がした。
あれは人類に擬態したなにかだった。
残った郁磨静が静かに阿田をみていた。
その目は全てを見透かし、阿田の抱いた疑念すら鷲掴みにした。
「他言無用」
彼女の目がそういっていた。
あれらは人類ではなかった。いや、人類だったものが怪異と交わるうちに怪異側に取り込まれたのか、逆に怪異が人類と交わるうちに人類に取り込まれたのか、そのどちらともいえるのではないか、と阿田はそのとき思った。
ひるがえって、いまこの犬飼游と拝屋雫のふたりにも同じ事がいえる。
彼らは人か怪異か、怪異か人か?
無分別智の境地のいまなら阿田は答えられた。
どちらともである、と。また阿田自身もどちらともであるのだ。この矛盾を分別する境界線が封印であり結界なのだ、と認識した。
どちらでもいいのだ。ただまだ悟れてない阿田は事の善悪で判別するしかない。
犬飼はおそらく善良なのだろう。
だから上人様は現世に引き上げて下さったのだろう。
どこからか来たのか……▽町からだろうか。
阿田は思惑に耽っていたが、拝屋の艶めいた声が食いしばった口から漏れ、阿田は我に返った。
いつの間にか犬飼は口づけを外し、拝屋の首筋にキスをしているのだ。それに対して拝屋も真言や呪文で対抗すればいいのに、それを忘れ犬飼に与えられる刺激に身悶えするばかりで、完全に飲み込まれつつあった。
「頑張れるか?」
しゃがみ、拝屋の顔を覗きみるが、その顔は戦う様相は消え去り、犬飼から与えられる刺激に拒否しているようで飲み込まれつつあった。
このままだとどうなるか阿田にはわかってた。
おそらく彼女は三柱たちのようになるのだろう、と。それは強力ななにかだろうが、同時に人類から逸脱したなにかに変貌するのだ。
阿田はまだ修行の身で境地へ至ったまま居続けることは難しかった。ましてや暴力を行使するときは境地から完全に抜け出すことを意味する。
犬飼の脇腹をサッカーボールを蹴るように思い切り蹴った。
犬飼はいきなり現れた阿田に蹴られて鈍い音を立て飛び上がって、悲鳴をあげたくても激痛で声をあげることも許されないまま床に叩きつけられた。
「……生まれ生まれ生まれ、生まれて生の始めに暗く。死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」
阿田は弘法大師・空海の言葉を思わず口ずさんでいた。
「修行が足りないな。巫病持ちのお嬢さん」
「放浪阿闍梨・阿田大輝!」
阿田は拝屋の顔をみて安心した。
同時に自分は少しのんびりすぎる、とも反省した。
さすがに犬飼は動けないだろうと思っていたが、すでにその姿はなかった。
「怪我はないか? お嬢さん。あとこの件は私に任せてください」
阿田はそういうと目を瞑り、再び真言を唱えるとまた視野が変わった。なにか線のような赤い管のようなものが空中にあり、それは拝屋の首筋から△駅の外に続いていた。
阿田の目には運命の赤い糸にしては生々しい。微細な生物の臓器のようにうつった。それが拝屋の首から生え、脈打ち、蠢動しているのだ。
「こっちか……では」と拝屋に軽く会釈し駆け出した。
拝屋になにか悪影響はあるだろうが、△駅から逃げた犬飼がどこに行ったのかわからない。いまはその生々しい赤い糸だけが手がかりだった。




