狐狩り・阿田大輝 #1
雫と游の対峙から少し時間を遡る。
秋の日は傾きつつあるが、まだ明るく辺りを照らしていた。行楽日和ともいえる日に阿田大輝はひとり、白露家の近くにある遺跡発掘現場にいた。
そこは重機で辺りを表土が掘られ、土層が露わとなっていた。その田園はまるで巨大生物の皮を剥いで剥き出しになった筋肉層にもみえる。
阿田はそこを歩き、時に止まり念仏を唱え、また歩く。いつの間にかウィンドブレーカーを脱ぎ、腰に巻きつけていた。そして額に汗が光っていた。
時折、スマートフォンから着信音が鳴るが、阿田は念仏に集中し気にする様子もない。
彼の歩いている場所は広くはなく、霊験あらたかな場所でもなさそうで、ただの剥き出しになり草も生えてない粘土層だったが、彼にしかみえないなにかがあるらしかった。それに真摯に向き合い、些事を気にすることがないようでもあった。
阿田は一巡すると農道脇に設置されたプレハブに向かった。その近くに腰くらいの高さの灰皿がおかれるばかりの喫煙所があり、そこにあるプラスチックのコンテナに腰を掛け、背筋を伸ばし、発掘現場を眺める。伊夜日子山と△駅とこの発掘現場の位置に疑問があるらしく交互に見比べてからひとり頷き目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をした。
それからリラックスをした表情に戻り、スマートフォンを覗き込んだ。
『もし仮に神という存在をみることができるというひとがいるとしたら、その真偽はどうやったら見抜けるか?』
『そのひとの知覚外の質問をすればいいと思います。そのひとの知覚を越えた解答が得られれば神を知り語りあっていることになります』
阿田はLINEに送られてきていた質問に返信をした。
返信先は〈組織〉だ。
たまにこういった初歩的な質問をしてくる。霊能者ならば誰に教えられずとも自然に知り得る知識だった。
最初〈組織〉から依頼があったとき、阿田は高額な報酬額や多数の霊能者への情報網から、この〈組織〉は霊能集団を取りまとめる秘密結社かと思っていた。しかしこんな質問を未だにしてくるということは〈組織〉内部には霊能を持つ者がひとりもいないということだ。
それに何度か系統の違う霊能者同士で仕事にあたらせたこともある。系統が違えば衝突する場合もあるというのにだ。ただ有名無名だけを基準で組ませる手際は悪手といわざるを得ない。これも霊能というものを知らず単純な情報で分類しているだけに過ぎないからだろう。
『▽町は完全に封印されたといえますか?』
『それについては間違いない。完全に封印されました』
霊能者なら誰の目からもあきらかなことを〈組織〉はまだ確証がもてないらしい。
しかし答えることも修行の内だとも阿田は思っていた。自ら会得していることを言語化し伝えねば、と自分にいい聞かせながら解答しているが、逆にいえばいい聞かせながら解答しなければ退屈な時間ともいえる。あくびを噛み殺しながら返信を続けていた。
そのとき近くに紺色の軽トラックが停まって灰色のパーカーにジーンズ姿の中年の男が降りてきた。
「こんちは」気さくに阿田に声をかけ「お疲れ様です。今日もお祓いですか?」と慣れた感じでいった。
「はい。本当は夕暮れを狙って来たのですが、幾分早く着きすぎまして。もうなにもないと思います。あとは事故に気をつけてください」
「そうですか。こんな熱心なら地鎮祭は阿田さんに任せたほうがよかったなぁ」
「はい。ありがとうございます。ですが私は坊主なので地鎮祭ではなく起工式になります」
「へぇ、ああ、神主と坊主は違うのか……」
「まぁ、あまり変わりませんが。そうそうキリスト教でも日本の地鎮祭に対応したことができます。私は詳しくはありませんが、塩や御神酒の代わりにオリーブオイルやワインを使うと聞きます」
「俺、けっこう土木やってるけど神主さんばかりに頼ってますから、色々あるんだなぁ。こっちでは神主さんが主流だから……」
「地域によってですが、やはり日本では神主さまが主流ですね。ただそればかりではない、とでもいいますか。まぁ多様性ですかね」
「深いなぁ」
阿田にとっては隙間時間にくる〈組織〉の質問よりはこういった目の前の人間に対して話すほうが有意義に思えた。〈組織〉からの質問は無機的であり、ただ情報として阿田の知識を取りまとめているだけに感じていた。
中年は関心しながらプレハブに入っていき、すぐにノートパソコンを持って出てきた。
「週明けに発掘隊が来るらしいので詳しい地図が欲しいらしく。プリントアウトしなきゃで。まったく早くいって欲しいですわ」
「お疲れ様です」
中年男性が去ると阿田はスマートフォンに新しい質問が来ていたことに気づいた。
『▽町にいた主と思われる人物と接触した人物がいます』
阿田は信じられなかった。そこまで深くあちら側に潜って、さらにその主のところまでいける霊能者がいるとは。自分ならいける気もするが、なにを足掛かりにして現世に帰って来ればいいのか理解が及ばない。しかし〈組織〉に情報があるということは簡単に帰って来たのだろう。情報を伝えられるということは一切の霊障もないに違いない。阿田にはその者に本当に神の加護があったとしか思えなかった。
彼は知らなかったが、この情報は〈組織〉が神宮寺晶から間接的に知り得た情報だ。阿田といえどもまさか居候している家の娘(色々と因縁はあった)がそこまで深淵近くまで潜って帰ってきていることは考えにも及ばなかった。
『仮にその存在の名を博士とします。博士は完全に呼吸、心臓が停止しており恐ろしい笑顔を浮かべていたそうです。今後、▽町はどうなると予想しますか?』
『本当に死んだのでしょうか?』
阿田は珍しく焦っていた。
深淵近くまで潜って帰って来た者にしては霊的知識が乏しすぎると歯痒い気持ちだったが、これはある意味仕方ないことだった。神宮寺晶は仏門の阿田には知り得ない神道の粋に達していたからだ。それも生まれながら。しかし幼少期の劣等感によって同じ力を持つ者同士の意見交換の場もてず、ただ自らの力に翻弄されるまま無知だったためだ。
『なぜ焼かなかったのか。せめて埋めて祀らなかったのか』
そんなことを阿田は知る由もない。ただ思いのまま文字を打ち込み送信していた。
『死は終わりではありません。相手が現世の人間でないとしたらなおさらです。人類は古くから自らより上位に位置する者は死から復活するとされてきました。死は乗り超えられる現象だと。人類はそれに倣い木乃伊など遺体を腐乱させないよう保存しました。いつか復活する術があるものだと信じるひともいました。復活をみた原始の記憶に従ってのことでしょう。それとは逆に蘇らないようにする方法も数多く取られてきました。生から死へ。不可逆な現象だと人類は思いこそしましたが、直感はそうは思わなかった証左です。死は現世と来世、異界とのあやふやな状態であり、また新たな始まりです。なぜそのひとは完全に終止符を打たなかったのでしょうか?』
さきほどまでと違い不気味な沈黙が続いた。
秋の日はつるべ落としのように暮れ始めていた。
さきほどまで条件反射的に返信してきた〈組織〉の沈黙に動揺があるように感じてた。彼らは知らないのだ。阿田は思った。
現に彼はみていた。高野山奥の院でいまだ健在の弘法大師・空海の御姿を。読経をし、食事や着替えをするのを。五十六億七千万年後の弥勒菩薩が現れるのを待ち、いまだ修行を続けている御姿を。彼の叡智と悟りと志は死を乗り越えていた。
『博士はこの地に現れますか?』
『それはないでしょう』
論点が変えられた。〈組織〉が明確な解答がないということだろう。つまり博士の死をみた霊能者はただ単に知識が乏しい可能性もあるし、同時に博士と繋がりがあり、博士を次の段階に推し進めた(あるいは弱体化させた)可能性もある。だが△市には完全な封印をしたことには間違いはない。それはあちら側とこちら側を分け隔てる明確な境界線だ。
『そして博士は我々の調べでは深淵に帰りたがっていました。生きていたとして害はないのでは?』
『そうですね』
博士の生死は問題ではない、ということだろう。この現世の境界線が守られればそれでいいということだ。
確かにそうだが、最初から色々、出来過ぎているような違和感があった。
この△▽の怪異の規模からしておかしい。宗教団体が、地域が、あるいは国が動くほどの巨大な規模でもなければ一個人が対応できる規模でもない。封印は発生当初からある程度機能しており、漏れ出る可能性も低かった。暗躍していたと思われる組織(拝天會のことを阿田は知らない)も小規模でおそらく驚異となりうる怪異は極少数だったのではないか。
〈組織〉ほどの力があれば未然に防げた可能性は高い。現に△▽の怪異での死者行方不明者は一人ずつだと〈組織〉はいっていた。真に受けるわけではないが、それを信じれば防ぎきったといっても過言ではない。現に最後にみたあの空を覆ったUFOの数をみればあきらかだ。あの数の怪異が封印を破ってあちら側から出現したのならば天変地異が起こっても不思議ではないだろう。
しかし不可解なのはその怪異に混じって怪異ではない輝きもまた同数以上存在していたことだ。
その存在は阿田の目には巷でいわれているUFOそのものにみえた。
『宇宙人、その御方を大切に扱いな!』
阿田はどこかで聞いた言葉を思い出した。
あのときはあの老婆の言葉をなにかの言い回しだと思っていた。
△▽の怪異の少し前のことだ。
阿田は戌井勇という怪異と人の中間の存在を〈組織〉から捕まえるよう依頼されたが、結局、公安に手渡した事件の後のことだ。
あの阿田は矢継ぎ早に〈組織〉から依頼されていた。
さすがにおかしいことに気づいていたが、そのおかしさを解消するためには、仕事をしなければならないこともまた承知していた。
依頼は『△駅の地下に石室がみつかった。除霊と調査を頼みます。三柱三神主とともに仕事して下さい』とのことだった。
阿田は以前〈組織〉からの依頼で別系統の霊能者とともに仕事をし、手こずったことを思い出して気が滅入っていた。矢継ぎ早での依頼ということもある。正直疲れて断ろう、と心に過ったが修行の前に立てた誓い。菩薩行の十地、不退転を思い出し、ことに臨んだ。
しかし現地に行くとその疲れも吹っ飛んだ。
あきらかにおかしかった。
△駅構内床が掘られているのだ。地盤調査のため、と説明を受けたが、嘘だろう。別の霊能者がここになにかある、と嗅ぎつけたに違いなかった。
周囲には防音壁が備えられていたが、防音目的というよりこの場を隠すためにみえた。
穴も掘削機で掘られたというより、手作業と簡単な電動機等で掘られた穴のようだった。周囲からの圧で崩れないように補強はされていた。その穴のなかに調査に入ってもらいたい、という。
なんでも木乃伊がみつかったのと、壁に神代文字でなにか彫られていること、遺物が散乱しているということだった。
三柱三神主たちは遅れているらしく阿田がまず入った。
阿田は遺跡関係は素人であったが、北陸地方の古墳というものを聞いたことがなかった。しかも地下の石室だ。しかも△市の水田は明治の治水事業が完成してから広がった、と聞いていた。
古くから湿地帯に近いこの地でなぜこんな地下は石室が水や泥に沈むことなく存在しているのか?
そんな問いを案内人の男にする前に梯子側にあるライトが石室を照らした。
「よろしくお願いします」と案内人がいった。
阿田の目の前に石室が広がっていた。
大きくもなくまた小さくもない。ひとか三人並べるくらいの幅に、二メートルくらいの高さ、奥は徐々に狭くなっていた。
その壁に赤黒く粘り気のある血のようなものがみえ、右手側の石壁に神代文字が掘られていた。掘削したひとが墨かペンキで文字がわかりやすくしてある。そして辺りには木片、紙、割れたお椀などが置かれ、その中央には奥の方に向かって鎮座している木乃伊がいた。
身長は一四〇くらいだろうか。木乃伊になって縮んでいるので推し量ることはできないが、小柄な身体だったのだろう。座してその痩躯をくの字に折り曲げ、いまだ眼前の石室の奥に向かってお経を唱えているようだった。
阿田は跪き、正座をし深々と礼をした。
彼の様相は阿田にそうさせるだけの気迫を、枯れて生命の枯渇した身体から漲らせていた。
「お勤めお疲れ様です。あとは私たちが引き継ぎます」
礼をしたまま動かなくなった。
まるで木乃伊の返答を待っているかのような仕草に案内人は戸惑った。しかも上が少し騒がしい。
きっと三柱三神主たちが到着したのだろう。
この場はふたりいるのが精一杯な場所だ。
阿田を呼んだのは坊主の木乃伊があったので霊的な除霊、調査の依頼なのだ。むしろこの場は壁の神代文字が示す通り、神道の領分に違いなかった。
「すみません。早くしてもらえませんか? これは呪物ですか? それともただのミイラ?」
なんの気なしに訊いたことを案内人は後悔した。
「黙れ!」
阿田は裂帛の気合とともに叫んでいた。
彼にとって、目の前の御方は木乃伊でもなければ呪物でもない。上人様だった。
生命を失ってなお救世済民の経を唱える魂に他ならなかった。足元に散らばった紙も木片も経典や仏具の一部だろう。物質が尽く滅びてもなお滅びず現世に有り続けている御方だった。
案内人は驚き戸惑った。
相変わらず阿田は木乃伊に土下座をし続けている。
そんなことをやってもどうしようもないではないか。無意味だと思った。それより早く仕事を進めねば、と考えた。
まずは木乃伊は呪物ではないらしい。ではこれを上へ運んで、三柱三神主たちを早くこちらに来てもらおう、と用意していたロープを取り出した。
とりあえず、縛って上から引っ張ろう、と考えた。
「やめろ」
阿田は静かにいった。
「ですが、早く次の仕事に……」
線香らしき焼けた匂いがした。続いて地下なのに風が頬を撫でた。
案内人は驚愕の声を上げ「大丈夫でしょうか?」と阿田にいってきた。
「承諾されました。ありがとうございます」
再び一礼すると阿田は木乃伊を大事そうに抱きかかえた。
「ああ、ロープで縛って上から引っ張ったほうが……」
「宇宙人、その御方を大切に扱いな!」
上から年老いた老婆の声がした。
阿田はできるだけ優しく小脇に上人様を抱きかかえ、ゆっくりと梯子を登った。
三柱三神主の播磨陸とは道は違えども同じものをみている同志のような連帯感を感じていた。
思い返してみて、あのときの播磨陸の言葉。
あれが真実だとしたらどうだろう?
おそらくあの案内人は〈組織〉の人間だ。確かに人類そのものだったが、映画や漫画などでは人間に化ける様子が描かれているし、人類よりも遥かに進んだ科学力なら騙すことも可能だろう。
阿田はLINEに『貴方がたは宇宙人ですか?』と書いた。
しばらくそれを送るか送るまいか悩んだ。
結局、その言葉を消したが、あの△市UFO事件に人類でも異界の住人でもない。第三者(それは人類ではない何者か)がいて裏で糸を引いていたように思うようになっていた。




