狐狩り・三柱たち
名取誠司、郁磨静、播磨陸は神社を持たず、三柱三神主とネット上で名づけられお祓いをして活動しているが、実のところはいわゆる新興宗教だった。
中部地方の小さな山間部の廃校を利用してひとつの集団をつくっている。
グラウンドを掘り返して畑にしたり、教室を改造して宿泊施設にしたりしていた。
教祖にあたる播磨陸は近所に自宅があり、そこから日々、通って信者と過ごすのが常だった。それはどこか宗教団体というよりは慈善団体にみえたのかもしれない。
神道と名乗っても神社を持たず、祝詞や祈祷なども信者に強要もしていない。周囲にはむしろ廃校を利用した慈善団体が経営している特殊な宿泊施設だと思われていたようで、話を聞きつけたマスメディアが限界集落の村興し事業の一環と勘違いし取材に来たことすらあった。
また播磨陸も理解のある老婆として廃校利用の事業説明をしていたので勘違いがさらに進んだ。
周囲の認識もそんなふうであったためか、信者の大半も廃校利用の宿泊施設くらいに思っていたのかもしれない。そのせいか宗教法人は取得していなかった。
教祖、播磨陸の片腕である四十代半ばの郁磨静も前職の小料理屋の腕を活かし信者に料理を指導もしていたので、ますます地域事業としての色が濃くなっていた。彼らなりの韜晦なのか、自然とそうなっていったのかは判断のわかれるところだ。
この三人をよく知るには名取誠司が入会したときのことを話すのが一番早いかもしれない。
名取誠司はFランの経済大学に通っていたが実家の祖母が大病を患ったとき(残念ながら年齢的に回復の見込みはなかった)にこの宗教団体へいくようにいわれた。彼は祖母がそんな宗教団体に所属しているとは知らなかった。だが彼以外の家族はなぜか知っており「これは家の責任だ」とすらいった。
当初、彼はFランとはいえ大学在学を理由に断ろうとしていた。どうして自分が宗教団体になんていかなくてはならないのか、と理解ができなかったからだ。しかし祖母は「歩き巫女として播磨さんをお支えせねば」と縋るように頼んできたのだ。
歩き巫女がなんなのかわからなかったし、彼は男性でもあった。それに三兄弟の末っ子だ。家柄云々なら長男がいけばいい、とも思った。
とりあえず、お婆ちゃん子だったし、勉強嫌いでもあった。やりたいこともまだみつかってない。大学に入ったのだって、社会人として生きるのが嫌だっただけだった。できることはFPSゲームのやられ役(もちろん当人にその意識はない)や友人がやってるバンドのライブを編集してYouTubeにアップロードすることくらいだ。
病気の祖母を落ち着かせるためと、なにかの話の種になるかもしれない、と軽い気持ちで休日を利用して播磨陸を訪ねた。
歩き巫女といわれていたので可愛い巫女さんに会えるかもしれないと、わずかな期待もあったが、播磨陸は祖母と同じくらいの背の曲がった老婆であったし、その片腕の郁磨静もふっくらとした中年女性で、着ているものといえばシンプルなトーンの普段着で宗教色はなかった。彼が想像する巫女とは大きくかけ離れていた。随分と面を食らったが、あちらも同様であったらしい。
「オナベとかじゃないよね?」
郁磨静が棘々しくいってきたが、彼はその言葉の意味が理解できなかったが、相手の語調でどうやら彼が女性でないのが不服らしいのがかろうじて理解できた。
しかも播磨陸はなぜか隣にいる郁磨静に耳打ちをして郁磨静がその内容を話すのだ。直に話すのが嫌なのか独自の宗教観からきているのかわからなかったが、不思議なことに嫌な感じがなく。ただそれが自然な行動と受け取ることができた。
郁磨静が彼に歩みより右手の二本指を唇につけてきた。反射的に避けるが、郁磨静は「違うでしょ」とまた二本指を唇につけてくる。
彼はなんの儀式かと戸惑ったが郁磨静は二本指で名取の唇を分け入って口内へと侵入してきた。
女性特有の柔らかな肌と中年女性のふっくらとした芋虫のような指が口内を弄る。柔らかな指の腹で舌を頬肉の裏を、または歯茎をもてあそばれた。彼はなぜだか避けることはせず受け入れた。弄られ続けるとぐちゃぐちゃと唾液が口端からこぼれ落ちる。喉奥まで侵入してくるのを舌で抵抗すると郁磨静は名取の後頭部を掴み、強引に指はおろか手全体をいれる勢いで突込み、また引出したりを繰り返した。彼はえづきながら、また目端から涙を零しながらもそれに耐えた。
その責め苦はゆっくり終わった。
口内から引き抜かれる熱を帯びた指が名残り惜しくすらあった。
「よしよし、名取家は良い世継ぎをくれたわ」
播磨陸が彼に直接話した。
それが彼にはなぜだか嬉しかった。いきなり乱暴されて怒るどころか、苦しいながらもそうされることが嬉しい自分に驚いた。
そして服の上からわかるくらい激しく勃起している自分に気づいた。目の前の女性ふたりもそれに気づいているらしい。顔だって涙と唾液で酷いものだ。羞恥と混乱でどうにかなりそうだった。
「本日より私の口になれ」
なにも理解できず、自らの感情や肉体反応に混乱している名取誠司に播磨陸は厳かにいった。
郁磨静は無表情でハンカチを取り出し、唾液にまみれた指を拭いていた。
「誠司さ。いまどこにいるん? 大学にも出てないし、バンドの動画も上げてもらいたいんだけど」
「悪い。もう辞めたんだ」
「はぁ? なに突然、困るんよ。そういうの!」
友人からの電話を手短に切り、ためらうことなく着信を拒否した。スマホのFPSゲームも止めていた、というか存在自体を忘れてしまったようでもあった。大学へ登校しないことへの注意のお知らせも届いていたが、まるでなにも起きていないかのように無視した。このままでは自然と中退処分ということになるだろう。そしてそんな事態にも関わらず、不思議なことに親兄弟からはなんの連絡もなかった。
名取誠司は変わった。
いままで無気力で、ままならない日常はどこかへいき、充実した日常が始まった。それは欠けたピースがかちりとはまったように、目に映るすべてに意味と色彩豊かな景色を見いだしていたようだった。そのようにして播磨陸の片腕としての活動を始めた。
表向きは廃校再利用事業の事務をしていた。会計や動画づくり、役所への手続き、校内改築のための建設業者への発注などだ。
それとは別に歩き巫女として活動もはじまった。
播磨陸の話では古くは放浪しながらお祓いをして全国を回っていたが、いまは依頼があれば赴くといった具合らしい。
その仕事のなかでなぜ郁磨静が名取の口に乱暴に指をいれたのかも理解した。
ただ播磨陸と郁磨静のふたりと違い、名取は霊感がない、と思っていた。
あくまでサポートに回るのだ、と依頼や仕事、移動方法を入念に調べ、ふたりのやりやすい形を提供できるようにした。
そこで依頼要請についておかしなものがあるのを発見した。それはメールやSNSで依頼され、そのたびに名前が違う。けれどなにかが臭った。それらは漠然と一個人ではないか、と名取は思ったのだ。
報酬は他人の倍は入金されていた。それが月に何回もある。通常はひとり一件が精々で、一個人が頼む場合、数年に一回が多いくらいだった。
お祓いや怪異に対して、播磨陸は絶大な力があったからだ。お祓いをすればその大抵が解決していた。それが一個人だと思われる依頼者から何度も依頼があるのが不思議だった。
播磨陸に訊いたことがあるが「ああ、それは〈組織〉だよ。宇宙人はどこにでもいるからね。こっちは金さえ払ってくれれば詮索無用さ」といわれ名取誠司ははぐらかされた、と思った。そしてそのときは変わった組織がある、というくらいの認識だった。
その組織のおかげで仕事は多い。名取はそこに目をつけ、お祓いや除霊動画を撮り、ネット上にアップロードした。廃校改造にさらに資金が欲しかったからだ。
本当の除霊は地味なものだ。名取自身、なにが起こっているのかわからない。
ただみえるひとにはみえるらしい。コメント欄にはそういったコメントも散見できた。そのコメントに名取は少し苛立ちと羨望を覚えていた。名取はそんな自身の心の揺らぎを無視し、動画のクオリティをあげた。その働きにより知名度はさらに上がった。
播磨は昔からお祓いの仕事をしていたので、密かにネット上では『播磨のお婆』と呼ばれていたのが、三人で活動していたためか、いつの間にか『三柱三神主』と呼ばれるようになっていた。
みえるひとには背後に神様がみえるらしい。誰かが勝手に三人の背後にいる神様に名前をつけていた。名取は自分に霊感がないので遺憾ではあったが、播磨は「いただき物だ。大事にしなさい」といって受け入れるようにいった。
確かに視聴者のコメントの塊のなかから湧き出てきた信心や神様の名前は不気味なほどしっくりくるもののように感じ、名取はネット上の視聴者がつくった設定を自分のことと受け止め、また動画でもそれを演じた。いや、途中からは演じるというより、そのものとなった感覚すらあった。
昔からの噂を訊いてやってきたひと、〈組織〉からの依頼、加えて動画の視聴者からの依頼も増え、忙しくなったが、播磨陸は自分の年齢を忘れているかのように曲がった腰を物ともせず動いていた。
名取誠司が霊感に目覚めたのはそれからしばらく経ってのことだ。
それは〈組織〉からの依頼だった。N県△市の△駅の地下に石室がみつかったのでお祓いをして欲しいということだった。
その石室は古墳時代に造られたもののようだが、様々な時代の遺物があり、また僧のミイラすらあった。そして石室の奥の壁にはいまさっき飛び散った血のようなものが付着しているらしい。
名取はその依頼を訊いても些事にしか思えない。
当初は怯えることもあったが、怪異なんぞどこでも転がっているもののように捉えるようになっていた。それよりは廃校改造と信者、集客について考えを巡らせることのほうが思考の大半を占めるようになっていた。
だからいつもの仕事だと高を括って臨んだが、いきなり面を食らった。
それは駅構内の床に穴が空けられていたのだ。
防音、防塵壁が周囲をぐるりと囲み、周りからはみえないようにされていた。その真ん中に黒々と穴があり、穴の周囲は崩れないように補強され、電気の配線が何本も穴のなか入っていた。
どうして地下に石室がみつかったのか、なぜ駅構内の地面を掘る必要があったのか、と名取は質問したい気持ちを抑えた。
余計なことは口にせず行動する。
なぜなら彼は播磨陸の口なのだから。
とりあえず、作業員の案内で梯子をつたって穴のなかに入った。
そこは数本の作業用ライトに照らされた石室があった。ミイラや遺物の多くは別の霊能者によってすでに取り出された、と説明を受けた。そして奥の石壁には確かにべったりと血のようなものが付着していた。
それは禍々しく臭気を放っており、奥から徐々に滲み出しているようにもみえた。
「これには方々も対処できないものでしたし、我々も近づくことに躊躇いがあります」
彼はあまりに作業員が霊的なものに慣れていることに疑問を持ったが、それよりは(郁磨静はともかく)高齢の播磨陸には梯子は難しいだろう、と思いどうしたものか、と長く上へと伸びている梯子をみた。そのとき彼はぎょっとした。
播磨陸が降りてきていたのだ。
顔を下に向け、手を下に、足を器用に梯子に引っ掛けて。それはまるで四足歩行の獣を思わせた。それが器用に梯子を降り、最後は飛び降りた。
その動きは高齢者の不自由を感じさせなかった。
名取はどういう顔をしていいのかわからない。隣の作業員も普通にしているし、遅れて普通に降りてきた郁磨静も別になんともなさそうだったので彼もそれに合わせることにした。
いちいち驚いていたらこの仕事は成り立たない。
「あなたは上へ戻って下さい」
播磨陸の口となり名取は作業員に言伝をつたえる。
「なに、ものの三分で終わります」
本当だろうか、と名取は思った。
あきらかにいままでしてきたお祓いより難易度は高そうだった。そう思っても名取は仕事をするだけだ。
カメラを設置して自らの頭にもGoProを取り付けスイッチを入れた。
そして播磨陸の脇に郁磨静が特殊な祝詞を上げ始める。この言葉は名取には理解できなかった。文字にも起こせず、カメラのマイクも拾わないときがあった。
そして、播磨陸もゆっくりと朗々と唱える。
「ゆるぐともよもやぬけじのかなめいし■■の神のあらんかぎりは」
それに合わせ、名取もさらに大声で唱える。
なぜなら彼は播磨陸の口なのだから。ただ神の名前はわからなかった。播磨陸に続いて耳から得た音を拾って唱えているだけだ。その場では発声することができる。音として唱えることができる。しかし、次の瞬間捉えることも記憶することもできなくなるのだ。
いつもそうだった。
そのとき、幻視をみた。
目の前に壊れた駅構内があった。戦場跡のようでミサイルが撃ち込まれたのか、所々崩れていた。激しい銃撃戦のせいか壁にはいくつもの穴が穿かれており、やがて弾が尽き、肉弾戦も行われたのか、床には飛び散った血や引き摺られたような血痕すらあった。
そのなかでは播磨陸は四足歩行だった。
腰が曲がりすぎて二足歩行ができないようにもみえた。しかしがっちりとしなやかで逞しく本来の姿にすらみえる。深い皺は幾重にも刻まれ、それは深い知性の証のようだった。
名取はふと覚醒にも似た気づきを得た。
彼女にとって老化は成長なのではないかということだ。曲がる脊椎は二足歩行から四足歩行へとなるための段階で、皺はより複雑な運動への表皮の耐性、頭髪が薄くなるのはより強度な思考による脳の発熱を冷却しやすくするため。
人類は誰しも老化する。それは生命の終わりに向けた劣化だ。しかし彼女は人類の老化の果てに、その向こう側へいけた存在なのではないだろうか、と。
その彼女の足元には子狐がいた。
致命的な傷はないが、所々、毛に血がついて弱っている。その子狐を彼女は猫がネズミを嬲るように引っ掻いたり、蹴飛ばしたりしていた。
子狐は抵抗を試みるもその身体に力はない。
彼女は咥えて、名取に手渡した。
幻視のなかでの播磨陸は見上げるほど巨躯だった。名取が感じている存在感そのままに。
「それを捕獲しろ」
彼女の言葉のまま、子狐を手で捕まえた。もう息も絶え絶えで呼吸も早く浅く弱い。けれど最後の力を振り絞って子狐は逃げようと足掻いた。名取は逃がすまいと必死に子狐を抱きすくめるように胸に押し抱いて捕まえた。
「よし」
播磨陸の声に名取は我に返った。
そこは石室で名取はなにかを必死に抱きかかえていた。
郁磨静が名取に手を差し伸べなにか渡すように指図した。名取はわけがわからなかったが、手にしっかりとひとつアロマボトルのようなものを握りしめていた。
その小瓶にはマスキングテープのようなものがぐるぐる巻きにされている。名取には見覚えがあった。
播磨陸にこれを書写するように、と事務仕事の合間に書かされた神代文字の札だった。米粒のような文字を書くので大変だったが、一応、宗教団体だったので修行の一環かと思っていた。
「はやく」と物思いに耽ってしまった名取に郁磨静がせっついた。
郁磨静が小瓶を受け取るとため息をついた。
次いで播磨陸がそれを受け取り目を細め観察したのち、同じくため息をつく。
「混じりもんだ」
石室の壁にはもはや血のようなものはなく、ただ石壁がライトに照らされていた。
上へとあがると播磨陸は作業員に小瓶を無造作に投げて渡した。
作業員は落とさないように慌てて受け取った。
「人間で巡らせれば除霊できる」
名取は播磨陸の言葉を伝えた。名取はなんのことか理解できなかったが、作業員は慣れたようにその言葉に頷く。
名取は作業員の慣れた様子が不思議だった。はじめてみた顔だったが、どこかで会ったような気もした。
「みえただろ?」
廃校に帰ると名取は播磨陸にいわれた。
「はい」名取誠司は素直に答えた。
確かに彼はみた。いままでの人生では決して出会えなかった様々なものを。
「あちら側は確かに存在します」
来なさい、と昔理科準備室として使用されていた部屋に案内された。そこは遮光カーテンにより昼でも暗く、閉め切った部屋であったため、じっとりとした澱んだ空気に支配されていた。
その薬品保管棚にびっしりと小さな御札に巻かれた小瓶が詰められていた。それらひとつひとつから音にならない声が聞こえてくるようで名取誠司は鳥肌が立った。
そして理解した。
これら全てはあちら側からやってきたものだ。
石室で捕まえた子狐と違い、混じり気なしのあちら側の存在だった。こんなものを集めて播磨陸はなにをしようとしているのか理解できなかった。
そんな名取の顔をみて、播磨陸は笑った。
名取誠司は理解や恐怖を超え、その笑みに底知れぬ悦びを感じた。
そして決意したのだ。それは理解も道理も因果も超えた決意だった。この廃校をひとつの集団にしなければならない。それも純粋な、あの動画からいただいた名前のように集団のなかから現れた言葉を受け取ったように。この小瓶群から沸き立つかすかな言葉を我がことにするのだ。
言葉なく決意する名取の瞳に播磨陸は頷いた。
名取誠司はその晩、夢をみた。
廃校以外の世界が終わる夢だ。もしかしたら廃校だけがあちら側に行った夢かもしれない。
人類無きあと開け放たれた小瓶から出た者たちとともに語らい、歌い、愛し合い、生活する夢。
そのなかにあって彼は四足歩行をする禿頭のしわくちゃの獣だった。醜くはない。彼はそれを進化の果てにある目指すべき人類の極相の姿に思えていた。
その集団のなか完全に成長した播磨陸が説法をしている。
「神は死んだ。仏は解脱し現世を去った。聖人君子は過去の者だ。ますます衆生のなかから出てくることはないだろう。見放された我々は此処に生きるのだ」
名取は播磨陸の声に意味に聞き惚れていた。
夢のなか、まさに夢見心地で。




