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匣の街  作者: Mr.Y
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狐狩り・〈組織〉

 そこは小さな事務所だった。

 ふたりの男が互いのパーソナルコンピューター越しにモニターを注視しながら時折、キーボードを叩いていた。

 事務所には他にはなにもなく、観葉植物もホワイトボードも資料棚もソファもない。そしてデスクのうえにもパーソナルコンピュータとそのモニターの他は一切置かれていなかった。

 その男たちは一方は中年のようで、もう一方は若かった。目は大きくもなく小さくもない。また鼻は高くもなければ低くもなかった。髪は短くもなければ長くもない。どの部位も平均的で目を逸らしたら記憶にとどめておくのが難しいくらいだ。

 壁には窓がなく、天井につけられた空気循環孔からかすかなファンの駆動音とキーボードを叩く音が聞こえるばかりで他にはなにも聞こえない。

 その静かな部屋で互いの顔がくもり、中年が声を上げた。

「いったいなにがどうなっている?」

 若い方がキーボードを走らせるように叩いた。

犬飼游(イヌカイ ユウ)がスマートフォンを用水路に投げ捨て、どこかへ行きました。スマートフォンを捨てる前、犬飼は白露夢路(ハクロ ユメジ)を探す消防団の手助けをしようと、集合場所にいっていました」

 若い方の報告に中年は腕を組んでいった。

「なぜスマートフォンを捨てたと思う?」

 その声は疑問というより確認という意味合いが含まれていた。若い方はそれに答える。

「目覚めたのでは?」

 冗談めかした若い方の言葉に中年は真剣に頷いた。そしてモニターをみながら、なにかを確認していた。

「だが戌井勇(イヌイ イサミ)は目覚めなかった」

 なにかしら多角的な調査による裏付けがあったような確かな口調だった。

「そうです。いまも孤児として▽町の記憶を持たず東京にいるはずです。それに以前、我々は白露夢路の行方不明の調査として警察を装い、犬飼游に近づきましたが、なんの反応もありませんでした。戌井勇と同じくアレの影響外となり人類として生きるはずです」

「確かに阿田大輝(アダ タイキ)を白露家に調査に行かせたときもなんの報告もなかった」

「アレに目覚めた可能性は低いのでは?」

 若い方の口調には楽観的なものを感じたのか、中年は少し厳しめな口調でいった。それはわずかな歪みを許さない精密工の技師を思わせる。

「万が一ということもある。マイナンバーカードから場所は割り出せないか?」

「それもスマートフォンのケースに挟まっていたらしく用水路から動いていません」

「犬飼游がアレになってしまったら我々には観測不能だ」

 中年はあらゆる可能性を考えているらしかった。あるいは最悪の事態を想定しているようだ。しばし中年は腕を組み沈黙し策を練っているように目を瞑った。

 若い方はその沈黙に切り込むように「〈組織〉を使いますか?」と提案した。

 中年は首を振った。

「一度、逆につかわれた。〈組織〉の構造は強固なようでいて繊細な部分もある。人類行動網間にアレがわずかでも介入したら思わぬ結果になる。以前、△市UFO事件の折、それで仲間をひとり失っている。用心が必要だ」

 若い方はモニターをみながらキーボードを叩いて、やがてひとつの画像をみて止まった。そこには公園のベンチと近くに自転車が置いてあった。

 その自転車は犬飼游のものだった。だが誰も存在せず、自転車は置き忘れられたように寂しげに街灯に照らされていた。

 若い方はその映像の時間を巻き戻すと確かに自転車に乗ってきた犬飼游がいた。まだ夕日に照らされている場面だったが、ベンチに座ると犬飼游は物思いに耽っているようだった。次第に日が暮れてゆく。そして街灯が照らされると、その姿が消えていったのだ。そしてそこにはただ街灯に照らされるベンチと自転車だけがあった。

「このままではすべてを失います」

 若い方の口調に楽観的な雰囲気は微塵もなくなった。

「……少し引っかかる。なぜ犬飼游はなぜ急にアレに目覚めた? なにかきっかけがあったか? 誰かアレに関する人物がいたか? それとも時限爆弾的にアレになるものか?」

「犬飼游はあのとき、ただ消防団員に囲まれて白露夢路について訊かれただけです」

 若い方はあきらかに焦っていた。

 原因究明を真剣に考えている中年にわずかな苛立ちを覚えているらしかった。

「幼少期の友人が行方不明になって捜索に加わった話をしていたな。そのときの状況が、それと符合する。些細だが、犬飼游にとって印象深い出来事だ。それがきっかけ(トリガー)になった、と推測できないか。もしかしたらアレはすでに我々がつくりだした〈組織〉システムを模倣、運用して、あの状況をつくり出しているのではないか?」

 中年の言葉に若い方はなにか気づきがあったようだった。自身の見落としと焦りを恥じたようだった。

「早計です、といいたいですが、アレはいつの間にか我々の船を模倣しました。いわゆるUAP。犬飼游の言葉によれば『UFOクラゲ』を生み出しました。用心に越したことはないと思います」

 若い方の言葉に中年は頷いた。

「〈組織〉をつかえないとすれば、現在、直に繋がっているアレ対策の専門家は?」

「三柱三神主の名取誠司(ナトリ セイジ)郁磨静(イクマ セイ)播磨陸(ハリマ リク)、放浪阿闍梨の阿田大輝の四人です。三柱三神主たちは一度、△駅の地下にあった石室から滲み出たアレを封印し、瓶詰めにしました。〈組織〉をつかえばアレ対策の専門家は十一人呼び出せます。ですが一人ひとりの力量は前の四人には遠く及びません」

「なるほど〈組織〉をつかうまではないな。それとあの瓶は確か……」

 中年はなにかに気づいたようにいった。最悪の事態を想定してみたものの、それよりさらに最悪の事態が存在したような口調だった。

「〈組織〉の構成員を偽った日高(ヒダカ)という者の手に渡り、次いで南魚文(ナンギョ ブン)というフリーライター、そして拝屋家に預けられ……」

「……拝屋雫、黒咲夜子の手によって開けられた」

 最悪の事態は確信に変わったらしい。

「我々も瓶のなかになにが入っていたのか気になりましたので、拝屋雫を利用しました。万が一のため〈組織〉が学校の屋上という場所を提供して。学校全体が瓶詰めのアレに落ちてしまわないように、という配慮でしたが、アレは消えました。私は船から観測していましたが、拝屋雫と黒咲夜子が映るばかりで、やはりアレは観測不能でした。映像にはただ拝屋雫と黒咲夜子が言い争い、急に拝屋雫が倒れようとしたところを、黒咲夜子が支えました。あとは拝屋雫に肩を貸して屋上を去る黒咲夜子の姿があるばかりでした。〈組織〉の情報網からすると、拝屋雫はアレは一時的に自分のなかに入り、その後黒咲夜子のなかに消えたということです」

 若い方はモニターに映し出されたいくつもの資料から、そのときの状況をまとめあげ報告した。

「犬飼游の証言とも一致するな」

「△駅の石室から滲み出たとされる血のようなもの。アレは……犬飼游自身?」

 どちらもいってはみたものの、理解の範疇を超える事態に馬鹿馬鹿しいと感じているようだった。

「理解できない。我々が知る犬飼游は肉体を持ち、拘束でき、様々な薬品も効いた。食事も排便も睡眠も必要だった」

 まるで昔飼っていた手間のかかる犬でも懐かしむように中年はいった。

「短期間で格闘技、職業技能を習得していますが」

 可能性を捨てきれない若い方はいった。馬鹿馬鹿しいがそうとしか思えないのだろう。

「だが要領の良さで説明できるレベルだ。我々の目からみて犬飼游は人類だった」

「犬飼游は▽町で博士と呼ばれる存在に自身を『狐』だといわれています。アレと人類、あちら側とこちら側の中継ぎできる存在だと」

 モニターにはガスマスクをかぶる中年と犬飼游との会話が倍速で流れていた。会話がキュルキュルと音を立てて流れる。若い方はその会話をすべて聞き取れているようだった。

「だとすると戌井勇もそうなるが」

 一方、中年も頷き、聞き取れているようだ。頷きながらモニターに戌井勇のデータが出て、その資料を調べている。

「おそらく戌井勇と犬飼游の差は博士に会っているか会ってないかです。博士という存在は特別なものだと犬飼游はいっています」

「なるほど」

「まずは犬飼游の確保が先決です」

「犬飼游はどこに行くと思う?」

「最初、我々は八ヶ谷峠の道で確保しましたが」

「信じられないが、犬飼游の言葉によると、あれは黒咲夜子から排出された後らしい。市営住宅三号棟は?」

「あそこは真っ先に拝屋礼(オガミヤ レイ)によって塞がれました。しかも数年前です。一応の処置として耐震性問題ということで三号棟まるごと撤去しました。そうなると、考えられるのは△駅の地下でみつかった石室です。古墳時代に造られたもののようでしたが、様々な時代の遺物がありました。江戸時代後期の巻物、神代文字が書かれた岩などがあり、過去に何度も封印された跡がありました」

 中年はその言葉に「△駅が▽町への道となっている可能性は高いな。石室は封印したのだろう?」と△駅に焦点を絞ったようだった。

「はい。△駅の地下にあった石室は三柱三神主が封印を行ったあと、コンクリートで完全に塞ぎました」

 お互いのモニターには△市全体図が出てきていた。そしてそこに七ヶ所チェックがしてあった。それは△市公共施設等改築計画と書かれ、改築されたところを指し示していた。そしておそらくこの図をみたある一定数の人間はこのチェックが北斗七星と同じであることに気づくだろう。しかし、この男たちにはその気づきはなかった。様々な場所の資料を調べるばかりだ。

「犬飼游の証言でも▽駅からこちらに来たといっている。犬飼游にとって▽町に繋がる場所は△駅だ。犬飼游は十中八九、△駅に向かう」

 中年は様々な資料から犬飼游の向かう場所を断定した。

「近くにはいま阿田大輝がいます。白露家の借田から出てきた遺跡の霊的調査のためです」

「白露夢路は行方不明となっていたな。それは▽町に関するものか?」

 中年は阿田大輝という言葉から白露夢路について思い出したようだった。その声には焦りが滲み出していた。

「わかりません。ただ周りは自殺ではないだろうか、と疑っています。白露夢路の軽トラックがみつかり、そのなかに財布もスマートフォンもありました。そもそも白露夢路は精神的な疾病を抱えており、最近は小康状態でした。かかりつけ医にも通わず、薬も一切飲んでいなかったようです。そのため病状が悪化していたのではないか、と周囲から思われているようです」

 中年の憶測した事態ではないらしい。少し落ち着いたようだった。目を瞑り息を整えると目を開けた。作戦の方向性が完全に決まったようだった。

「ではまずは近くにいる阿田大輝に連絡しよう。次いで三柱三神主だが」

「三柱たちは県外で仕事中です」

 中年の顔に落胆の色があった。

「近くに霊能者はいるか? 阿田大輝の助っ人としてつかう。あの界隈は狭いから見知った仲ならなお良い」

「拝屋礼の娘、拝屋雫がY村線で△駅に向かっています。阿田大輝とは残念ながら面識はありません。〈組織〉は秘密裏に次世代のアレ対策の専門家としてバチカンのレジーナ使徒大学への入学を斡旋しました。しかし拝屋雫は強力だと評判ですが、年齢的、経験的に実力は乏しいと思われます」

 中年は悩んでいるようだった。

「確かに個人的な戦力としては犬飼游に負けているな。しかも犬飼游は拝屋雫にえらくご執心だ。盛りのついた犬のように」

「ただ〈組織〉システムをつかえば偶然を装って阿田大輝と共に犬飼游に対峙できますが」

「今回は〈組織〉をつかうのはやめておこう。阿田大輝の力量はどのくらいだ?」

 できれば一度実績があった方をつかいたいのだろうが、それがいま遠くにいるなら仕方ない。ただやるからには確実に成果を出したいのだろう。中年は阿田大輝に賭けようとしていたが、もう一押し欲しいようだった。

「我々には測りようはないですが、阿田大輝がアレ関係の事件を取り逃がしたことはありません」

 若い方の言葉に中年は決心したようにいった。

「よし! 至急、阿田大輝に要請しろ。狐狩りだ!」

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