ララと晶
私は霊なんて信じてはいなかったし、神さまも信じてはいなかった。両親が習慣的に験を担いでいるのを横目に「まぁ、そういうこともないとはいい切れんよな」と薄っすら理解しているふりをしていた。けれどこうして目の前にははっきりと霊能者といえる人間がいる。いままで理解できないもの、理解しているふりをしていたものがはっきりと姿形を持ってそこにあるのだ。けれどどこか半信半疑な自分がいるのもまた不思議だった。うまくいえないが筋道のないものを理性が否定している感覚だ。
そんな思いを抱きながらも拝屋雫とともに図書館へ入った。
村の小さな図書館だ。二階建ての鉄筋の建物だが、全体的に古びていた。扉や本棚など所々新しいものと入れ替えられたり、また改装された箇所もある。いま登ろうとしている階段の壁の緑色の塗料も採光窓からの光に長年照らされ、少し褪せている。
そ雫ちゃんがスタスタと迷いなく歩いてゆく。私もそれに続くが階段を上がる手前で雫ちゃんの足が止まった。
「あれ? 行かないん?」
私が階段を上がろうとするとカーディガンの裾を掴んでなにもいうことなく、階段脇にあるエレベーターの扉の前に私を促した。
するとエレベーターのドアが開き不機嫌そうな女の子が出てきた。長身でツリ目、肩までかかった艷やかなストレートヘア。険のある表情で雫ちゃんに対して忌々しげにいった。
「する? そういうこと」
まるでここに私たちがいることをわかっていたようだ。なるほどこの子が神宮寺晶なのだろう。だが雫ちゃんが彼女になにをしたのかわからなかった。
「こういうのは神宮寺さんより得意だからさ」
対する雫ちゃんも含みのある言葉で返した。
なんとなく、ふたりとも棘々しい。
その声にどことなくお互いの掴めない距離感を感じられたし、この後の彼女らの言葉の応酬の結末がなんとなく読めてしまった。
「はいはい。くっそ地味な超能力バトルはそれくらいにしてさ。場所変えない?」
とりあえず喧嘩されても困るので間に入った。
それにしても神宮寺晶の雫ちゃんに対する視線は馴染みがあった。自身こそがこの場を支配していて、目の前のひとになんの配慮もいらないという自信に溢れた目だ。私も高校時代はこういう目でクラスを見渡していたのだろうか。そういうやつらと学生時代は裏でバチバチやっていたなぁ、と懐かしくもあった。だが社会人になった彼女らはもうこういう目をしてはいないだろう。
「というか、あなた誰?」
社会人の私に対して少しも口調を変えることなく晶はいった。
ああ、わかるわ。この世の中をナメきった態度。いつか社会という荒波に揉まれて角もとれてゆくのだろうが、この尖った若さが懐かしくもある。
「私は星野ララ。ちょっと雫さんと知り合いでね。知ってる? 彼女、SNSとかで有名な霊能者でさ……」
ちょっと、軽く自尊心でもくすぐってみますか。
霊能者として世間から隠れて生きているのだ。ひととは違う能力を持つ劣等感や同じような力を持つ人間に対しての感受性は人一倍だろう。
「……私はそういう霊能者から話を訊いて、ちょっと取材しているんだけど。それでね。雫さんから知り合いの霊能者がいるって訊いて」
雫ちゃんを少し持ち上げるようにいってみた。これで顔色が変わればそれに応じて対応しようと話したが、晶の顔色は変わらず、ましてや自尊心をくすぐられた感じもなく、ただ私をみているだけだ。
「嘘ですね」
ついさっきの雫ちゃんと変わらない返答に私のほうが焦った。霊能者にブラフは通じないのだろうか。
いや、さっきの雫ちゃんには驚かされたが、どこまでが嘘で、どこまでが真実なのか、までは知りようはないはずだ。ただ勘がいいともいえるはずだ。そもそも休日に(あまり接点のない)クラスメイトが知らない社会人を連れて会いに来た、というだけで学生なら異常事態だろう。そこから私を『怪しい社会人』と推理して出た言葉ともいえるのではないか。
「正直に▽町でのことを訊きに来た、といえばいいのに回りくどい」
私が独自の推察から小細工する前に晶はいった。
「私、雫と話したくないんです」
私は思わず後ろにいる雫ちゃんをみた。
神宮寺晶に対する思いも、私は知っている。思っているひとに対してはっきりいわれるのは嫌なものだろう。だが彼女はすべてを察しているようにため息を漏らした。
「はいはい、そうですか。わかった。私は帰るよ」
私は雫ちゃんを引き留めようとした。
Y村から△市までかなりある。私が勝手なことをいってY村まで連れてきたのだ。帰らすわけにはいかない。けれどいまは菊祭りでバスと電車はかなりの頻度で動いていると雫ちゃんは譲らなかった。
「それにこの機を逃したら、ララさんは二度と神宮寺晶には会えません」と私に耳打ちをした。
それは密かな予言か、確かな暗号を伝えるかのようで、私はその言葉に従うしかなかった。
雫ちゃんは神宮寺晶に「その右目、よくなることはないよ」と、よくわからないことをいった。
なにかの意趣返しなのか、当てつけのようにも聞こえたが、雫ちゃんは短いつき合いだが、そういうことはいわないひとだ。なにか別の意味を持つ言葉かもしれない。
いままで顔色を変えなかった晶が悲しい顔をした。
「それ、わかるか。神様みえないくせに。はぁ、民間の拝み屋ならあるいは、とちょっと思ってたんだけどね」
「拝屋家の口伝では古代に神の名代になるために片目を潰す神職がいたらしい」
雫ちゃんの言葉に晶は目を見開いて息を呑んだ。
雫ちゃんは言葉を続ける。「その言葉の意味を初めて知った。重い役目だ。だがそのおかげであなたがあの町に堅牢な軛を繋げた。秘密裏に△市に集結していた強力な霊能者たちや放浪阿闍梨も三柱三神主も、私のお父さんの拝屋礼さえ、あれほどのことはできない。あの町は完全にこの世から接点を失った。もうただただ離れてゆくだけだ」
私にはなんのことかさっぱりわからない。ただ雫ちゃんから貰った長文メールで語られた物語の続きが目の前で起こっていることだけははっきりとわかった。
「拝屋家の因縁に終止符を打ってくれて、本当にありがとう」
そういうと雫ちゃんは図書館の出入口に向かって歩いて行った。
私は後を追おうとしたが、晶が嗚咽を漏らすと泣き崩れた。
私はどうしたらいいのかわからず、彼女の肩をさすりながらハンカチを差し出した。
ただ、ここは村の静かな図書館だ。しゃがみ泣き崩れる高校生をおろおろしながら介抱する社会人はどう周囲に映るのだろうか。彼らの怪訝な目が少し痛かった。
「ごめんなさい」
私たちはY村図書館に併設されている喫茶店に入った。しばらく晶は泣いていた。その涙は抑えていた感情が溢れたもののようだ。あの不機嫌そうな顔も棘々しい言葉もその裏返しだったのかもしれない。
「もう、全部諦めているつもりで。全部理解したつもりで。でもそれはそれで寂しいものなんです……こんなこといってもわかりませんよね」
「うん。わかんない」という言葉を飲み込み「そうなんだ」と共感しているふりをした。こんなことしてもこういう霊能者はわかるのだろうが、同時にわかられても、また私が気を使ったのもわかってくれてはいるのだろうから、大丈夫だろう。いや、なにがどう大丈夫のかわからないが、とりあえずコーヒーを注文して落ち着いた。
「でも、あんなに雫ちゃんに当たり強くなくても」
「わかっているんです。でもクラスで浮いたやつで、なんというか接点持ちたくないというか、私もついクラス内の目線でみてしまうというか。悪いやつではないということもわかります。裏表もないし。けど同時にいっていいのかわかりませんが、性癖というか、私をそういう目でみることがあるんじゃないかなぁ、と。勘違いだったらいいんですが。そういう勘がひとより働くので。そうなると、つい。あと……」
晶が雫ちゃんに対してのことをいうのを訊いていて、ちょっと共感が持てた。雫ちゃんに対しての話もそうだったが、思考が似ている。私も高校生のときはこんな思考をしていた。いまはそんな考えはくだらない、とも思える。なにが私を変えたのかといえば図書室の名前も忘れたクラスメイトやナナエさんだろう。もしかしたらいつか晶にとっても雫ちゃんが私にとっての彼女らになるのかもしれない。
私はそんな青春の甘酸っぱい人間模様も簡単にスマホでメモをとっていた。
こんな話にも好奇心を動かされる。この源泉は学生時代に小説をたくさん読んでいたせいか、あるいは△市UFO事件を目撃したときか。言い換えれば私の好奇心の源泉が暗渠を通ってUFO事件で合流したのだろうか。
この流れは私の生きがいになりつつある。
「それで、さっきなんで泣いちゃったの?」
「それは、話せば長くなるんですが」
晶が言い淀んだ。本当に長い話になるのだろう。
「ならさ。メールで送ってくんない? こうやって話すのもいいけど、文章って理論的でかつ直感的なんだよ。心情を表すには一番いいツールだと思うんだ。それにどんなことも文章にすると物語になるわけで。受験勉強で大変だろうけど息抜きにでもさ」
「ええっと、そもそも、なんで取材してるんですか?」
私はいま書いている小説について話した。もちろん、仕事ではなく趣味で書いていることや、いままでの作品、アクセス数の少なさや、楽しさ。
晶は「これ、まるっきりの趣味ですよね?」とネット上にある私の作品群をみて信じられない様子だった。確かに労力としてはかなりのものだろうが、楽しいから仕方ない。
「△市UFO事件は私はみていないんですが、私の体験なら少しは。雫のとは接点ないかもしれませんけど」
「それでも構わないよ」
「よかったら、雫のメール読ませてくれませんか?」
「いや、かなりプライベートなこともあるから」
「いやいや、あいつなら大丈夫っしょ!」
「そっか。まぁ、大丈夫か!」
すまん、雫。気づいたら懐かしいノリについ、晶に雫ちゃんの長文メールを送っていた。
「それはそうと▽町が離れていく、ていってたけど。封印とかとなにが違うん?」
「封印は線を引いてあげることです。それであちら側とこちら側にわかれる」
「それだけ?」
「それだけです」
「じゃあ、無視してこっちに来れるんじゃないの?」
「例えば男性トイレ入れます? 入場料払わずに動物園入るとか、あるいはここでいきなり大声で叫べますか?」
ここは図書館に併設された静かな喫茶店だ。ここでいきなり叫べといわれても叫べないだろう。
「もし叫んでも注意される。入場料払わなければ追い出される。男性トイレに入ったら変態じゃないですか? できなくはない。けれどやれない。そしてやってしまったら、手痛い思いをする。言い換えれば『きまり』を破れば世界そのものに押し潰される」
つまり封印は『きまり』をつくることなのだろうか。
幽霊や悪霊、妖怪とやらはやたらと意味不明ともとれるきまりが、あるがあれはそういうことなのだろうか。
「たまにネット上で異世界に行くひとがいますが、よほどぼんやりしてたか、この世に未練がなかった。もしくはこの世に嫌気が差して、引いてある線をついついまたいでしまったんでしょう」
なかなか含蓄があるような、驚くほど単純な話のようにも思えた。
そんな私の思いが顔に出ていたのだろうか。
「まぁ、そんな単純なものでもないんですが、理解するにはこの例えが簡単なので。そして私のやったことは……」
晶は右目に手をやった。彼女の右目は艷やかな黒目で健康そうに輝いていた。さして不自由にもみえないし、眼鏡もかけていない。雫ちゃんがいった右目はおそらく霊的なものなのだろう、ということは想像できた。言葉の意味的にも晶は右目を犠牲にして△市と▽町に対して『きまり』をつくったのかもしれない。
「私のやったことは、神様と一体になったのです。失いつつある右目の霊能はもしかしたら神様のものとなり、神様がみえなくなりつつあるのは、右目が神様自身になりつつある現れなのかもしれません。だから霊視を失わず神様自体がみえないのです。ひとの目が鏡がなければ顔をみれないように……」
思いもかけない言葉に私は耳を疑った。
「そして▽町と呼ばれた異界の一端は異界そのものに沈むでしょう。ゆっくりと確実に」
まだまだ話を訊きたかったが、図書館の閉館を告げる蛍の光が静かに流れはじめていた。
後日、神宮寺晶からメールが送られてきた。
それは神様をどう受け入れたか、という晶自身の話。そして▽町での話だった。夢とも異世界ともつかない場所、病院の手術台のうえでメスを手に右目を捧げる場面は、なかなか読ませる文章力で、もしかしたら私より文章力はあるかもしれない。
ただ性格なのだろうか。文字数は拝屋雫から送られてきたメールの五分の一にも満たなかった。




