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匣の街  作者: Mr.Y
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白露と竹久

「映画やドラマ、アニメとかさ。ああいうものに共通するものって何だと思うよ」

 高校のとき、部活終わりによく蛇渕とくだらない話した。いや、話というよりあいつが一方的に話すのを俺はただ聞いていただけかもしれない。

「知らないね」

 質問に対してなんの思考もなくただ思いつくままいった言葉だったが、蛇渕は俺の無知さとみて得意そうに鼻を鳴らし「それはな、謎だ」といささか拍子抜けするくらいシンプルな答えをいった。

「最初に謎がある。それに対しての(かい)がストーリーだ」

 長々と映画やアニメの例えとともにその自らの答えを説明した。

「ふぅん。凄いな」と、そのとき俺は蛇渕の小発見をとってつけたように祝っただけだった。

 ただその小発見は俺の人生においていくらかの知見(筆箱に入っている小さな定規のような)を与えてくれた。

 物語のはじまりはすべて謎解きから始まるのだ。

 そして謎がなければ物語は始まりようもない。

 だから俺の人生は物語ではないし、また物語のような人生でもない。人生は俺自身の選択肢の連続に過ぎないし、そのささやかでありふれた結果がただそのままあるばかりだった。

 しかもその選択肢と結果には熱量もなければ方向性もなかった。勉強だってできるわけじゃないし、俺なりに熱心にやった柔道だって県大会より上へはいけなかった。

 ただ工業高校へ通い、よくわからない技術を身につけ、卒業後は小さな食器工場へ入った(それは鉄鋼業が盛んな△市の隙間産業のようなものだった。カトラリーがあれば自然に食器の需要があった)が、会社の望んでいた仕事は俺が工業高校で学んだことではなく、商品管理や梱包、運搬全般でフォークリフトやトラックの運転だった。そのなかでいくらか役に立ったのは柔道で鍛えた身体くらいだ。

 なにもかもが無為に流れる毎日だったが、それに対して別段気に病むこともなかった。俺の人生は「人間はどう生きるのか」という問いに対してなんの知見もなければ「こういうものだ」という達観したものでもない。ただ知らなかったし、知ろうともしなかった。

 そんなとき彼女に出会ったのだ。

 昼には休憩室にひとが集まり思い思いに弁当を開いて談笑しながらスマホをいじり、タバコをくゆらせ始める。喫煙室なんて気の利いたものはなかったし、むしろ喫煙者のほうが多い職場だった。一応、換気扇は回っていたが煙の匂いはあたりに漂っている。

 俺はタバコの煙が苦手だった。柔道を頑張っていた時期にタバコの有害性を知り、嫌悪感を抱いていたからだ。もう柔道もやらないし、副流煙くらい我慢して、周囲と円滑な関係を築くため、雑談に加わってもいいとは思ったが、なんとなく食事が終わると休憩室から出ていくのが日課になっていった。

 休憩室の外はひとまたぎできるくらいの排水溝があり、駐車場へ向かう裏口のような区間だった。排水溝は工場から出る排水ではなく、工場の周囲にある水田の排水溝が工場の脇を通っているものだ。その場所に自販機があった。俺はそこで缶コーヒーを食後に飲むのが習慣となっていた。

 排水溝の向かいにはうちの工場とは違うカトラリー工場があり、その工場の喫煙所となっていた。

 灰皿スタンドの周りに従業員数人がタバコを吸っていた。うちの工場とは喫煙者の割合が逆らしい。

 いつも軽く会釈し工場裏の田んぼや遠景に青く霞む伊夜日子山を眺めたりしながらスマホでニュースでもみながら昼休みをしていた。

 その隣の工場の喫煙者たちのなかに彼女がいた。歳は俺と同じくらいでタバコを吸いながら、雑談に加わるわけでもなく、俺と同じように田んぼや遠くの山を眺めながらスマホをなんともなしにみている。そればかりか周囲は遠巻きに彼女に接しているようだった。

「なぁ、仕事楽しいか?」

 なんとなく声をかけた。答えられなくても構わない。ただ暇潰しに同じく暇そうな女の子に話したかっただけだった。

「君は楽しい?」

「知らないね」

「返答になってないね。私からなにか訊きたいんだったら、君も私の興味を引くことをいってもらわないと」

 物言いが俺の知っている周囲の人間とは少し違った。それは理知的であり、気遣いがなかった。蛇渕に近いものを感じたが、少し違う。薄っぺらではなく厚みがあり、けれど同時に会話相手を楽しませようという気持ちがないように感じた。

「まぁ楽しいかどうかを訊くということは、私が楽しそうじゃないから訊いてきたのか、君が楽しくないから訊いてきたのかのどちらかしかないのだろうけど。いや、君はそれすら気づかずに、私から同意が欲しかっただけかもしれないな。そうだな。君はいつもひとりで缶コーヒー飲んでいても楽しそうにはみえないし、私もご覧の通り仕事に楽しさを感じたこともないよ」

「なるほど」

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか、ということかな」

「なんか哲学者の名言か?」

「絵画の画題。ゴーギャンのやつ」

「知らないね」

「ゴーギャンを知らない人間がいるなんてね」

 心底驚いたように(それこそ珍獣が目の前にいるように)彼女は俺をみた。

「つまりはどうしていまの境遇にいるか、私たちは知らない。これからどうなっていくのかもね」

 その言葉は秘密の暗号のように、大事なものを再確認するように聞こえた。そして彼女はタバコの箱を俺の方に差し出した。まるでそれらの同意を得るかのように。

 俺は排水溝を軽く飛び越え、タバコを一本受け取ると自分でも驚くくらいすんなりと咥えた。その先端に彼女がジッポで火をつける。俺は初めてタバコの煙を肺に入れ、吐き出す。その香りは思いのほか香しく気持ちを落ち着かせた。

 俺は自分のことも知らないし、流れに任せて生きてきただけだった。そして俺はなにを望んでいたのかも知らなかった。つまり俺はまるっきりの無知で、なにも知らないことを。そしてそのことについて無欲で無関心だったことを、そのとき知ったのだ。

 これが俺たちのはじまりだった。 そして蛇渕の小発見でいえばここから俺の物語が始まった。


 俺は隣に彼女がいることが信じられなかった。

 着ているものは黒のパーカーにインナーは白地に青い 横縞が入ったカットソー、グレイのジョガーパンツ。よく部屋着として好んで着ていたものだったが、心にチクリと針刺すような悲しみが感じられた。

 けれどこの竹久夢二と名乗った女性が本当に彼女であるかどうか確かめようもない。頭から茶色の紙袋を被っており顔を確認することができないからだ。しかし声も仕草もまるっきり彼女のものだ。

「なぁ」と俺は声を出したが、それに続く言葉は飲み込んだ。単純な言葉だ。「その紙袋をとってくれないか」という一言だった。しかし俺はその言葉を口には出せない。出したらすべてが台無しになるようなおぼつかない恐れがあったからだ。

「どうした? ああ、夢路くん。色々不安だろうけど、とりあえず▽町の集合住宅へ行こう。私たちはこれから一緒に暮らそう。もちろん、君が嫌じゃなきゃだけど」

 俺は彼女の名前を呼ぼうとしたが「竹久さん。それは構わないんだが、俺は……」名前を呼べないばかりか、いま自分がどこにいるのかよくわからないことに気づいた。

「ここはどこだ?」

「▽町の町堺さ。もうすっかり夜になってしまった」

 俺は軽トラのエンジンをかけ、車を走らせた。

「道がよくわからないから、案内頼む」

 運転をしながら頭のなかを整理していたが、どうにもうまく整理できないでいた。その混乱の原因はなにか理外の範疇を超えて認知できない気味悪さと、どうにも止まらない嬉しさのような気がした。

「まったくまた泣いているのか、まったく君は」

「当たり前じゃないか! やっと会えたんだ。どこに行っていたんだよ。ずっと探していたんだ。本当に、ずっと……」

 彼女の言葉を遮るように俺は声を上げた。狭い車内に俺の声が響く。しばしの沈黙のあと彼女は消え入りそうな声で「ごめん」とつぶやいた。

 そして沈黙があった。その沈黙は気不味さを含み、いくらか居心地が悪く、俺のなかにある嬉しさに水をさした。

 俺は気を紛らわせようとラジオをつけた。

「……周年となりまして、あのふたつの勢力争いから学び得たことは数あります。けれどまた夜がやってきます。もはや怪物(リヴァイアサン)の襲撃はこの▽町への決定打となりました。今度の夜は〇月×日から七十二時間、およそ三日間です。その日は電気や電灯、機器による明かりを使わず火を用いた明かりを使用すること。ろうそくは町の方から自治会を通して一世帯三ダース支給されます。どうかくれぐれも鍵を閉め、外には出ないこと。また外から声をかけられても出ないで下さい。それはご家族、親戚、友人、御近所、故人であってもです。その声の主はそのひとではありませんので……」

 ラジオドラマかと思ったが、チャンネルを変えるのも面倒なので、そのままにしておいた。竹久さんはどう思っているのか、横目でみたが紙袋で覆われた顔に表情を読み取ることはできない。

「一週間後か。この時間でもまだ空いている店があるだろうから、ちょっと寄っていこう。買い置きしなきゃいけないものもあるし、遅くなったから晩御飯もそこで買おう」

 竹久さんの案内でまだ明かりのついたスーパーへ入った。それは田舎のスーパーの商品のように少し時代を遡った物が陳列されていた。

 俺たちはなにげない会話をしながら食品や生活雑貨を買った。

「5/8チップって、まだあるんだ」

「製造中止になったことあったっけ?」

「ヤマザキのカステラパン、好きだっはたよな?」

「飲み物はジョルトコーラでいい?」

 いつかどこかでした懐かしい会話にささやかな幸せを感じていた。俺はこのためにいままで酷く辛い思いをしていた気がする。

 そんな少しの幸せに満たされていたが、こじんまりとした本棚の一角に思わず目がいって、立ち止まってしまった。

『祝・昭和百年』

 そう印刷された新聞があったからだ。

「いまって何年だっけ?」

 俺はなにか決定的に間違っている気がしてきた。その新聞から目を離し、竹久さんの目があるだろう紙袋をみた。

「なにいってるの」

 竹久さんは落ち着いた声でいった。そこには俺を落ち着かせようとか、慰めようとかいう気持ちのない。ひどく当たり前のことをいうように「いまは昭和百年じゃない」といった。

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