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匣の街  作者: Mr.Y
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游と夢路の失踪

 早朝、目を覚ますと雨は既に止んでおり、秋晴れの空を予感させる藍色の空が窓からみえた。

 眠い目を擦り、作業服に着替えると、秋晴れの朝にふさわしくない、なにかが欠けているような気配があった。

 辺りを見渡すといつものとおりの住み慣れ始めた部屋だったが、そこにいつもいるはずの夢路さんの姿がなかった。

 そういえば昨日、夕御飯までには帰るといって乙四の試験へ出かけたにも関わらず、夜は帰ってこなかった。僕はてっきり蛇渕さんや僕の知らない友人にでも会って飲みにでも出かけたのだろう、と思い「連絡でもして欲しいな。けどどうせ朝には帰ってくるだろう」と晩御飯を片付けた。

 しかし、いま夢路さんの姿はなく、僕より先に仕事に出た形跡もない。夢路さんの作業着はハンガーに吊るされたままになっているし、布団は寝る前と同じように畳まれており一度も開かれた形跡はなかった。

 僕は慌てて夢路さんに電話をかけたが「現在、電波の届かない所にいるか、電源が入っていないためかかりません」という無機質な定型メッセージが流れるばかりだった。

 おかしい、と感じ圭介さんやハルさんに話してみた。

 彼らは僕より夢路さんに詳しい。少なくとも僕の知る夢路さんは一晩どこかで過ごすなら連絡のひとつくらいはするひとだ。

「昨日から夢路さんが帰ってきていないんです」

 僕はきっと彼らは笑って「なに、すぐに帰ってくるよ」といってくれることを望んでいた。けれどその淡い期待は早々に裏切られることになる。

「それは本当?」ハルさんは血相を変えて圭介の顔をみた。圭介さんは眉に皺を寄せ、皺だらけの顔にさらに皺を増やしていた。

「夢路は鬱病で一年間家に引き篭もっていたから、まさか……」

 心配事を口に出してみたものの、なにをどうしたらいいのかわからない様子だった。

 僕はにわかに驚いた。

「夢路さんが鬱病?」

 僕からしたら夢路さんが鬱病など初耳だった。そういえば生真面目な几帳面さや時々、集中力を欠いてぼうっとしていることもあった。あれは性格だと思っていたが、もしかしたら鬱病からくる行動の一部だったのかもしれない、と疑った。

 白露老夫婦は僕の言葉に応えるより、夢路さんのほうが気掛かりのようで、心配そうな気持ちを顔に滲ませながら話し合っていた。

「そのうちひょっこり現れるかもしれませんが、一応、ご家族に連絡したほうが……」

 僕の方からいうのも差し出がましいとも思ったが、心配そうな老夫婦をみているとそういわなくてはならない気がした。

「そうだ。まずは連絡を……」

 白露老夫婦は心配事や堂々巡りの憶測の会話を止め、深刻な表情で頷くと電話をかけた。

 その後の夢路さんのご家族の対応は早かった。もしかしたら、夢路さんのご家族はそうなることをある程度心配していたのかもしれない。すぐに警察の方に連絡をしたようだ。

 僕らの方にも挨拶に来られ、夢路さんについて話していかれた。

「あいつはいい奴なんですが、いいひと過ぎて抱え込むというか……」

 落ち込んでいる夢路さんのご両親にかける言葉を僕は持ち合わせてはいない。ただ圭介さんが夢路さんのお父さんの肩を叩いてあげたとき、堰を切ったように涙をぽろぽろと流していた。

 皆、諦めているのだろう。

 僕は知る由もないが、夢路さんが鬱病で引き篭もっていたときに皆ある程度覚悟していたのではないだろうか。


 圭介さんとハルさん、僕は小松菜などの葉物野菜の収穫をしていたときだった。

「すみません」と、ふたりの警官が事情聴取に来た。

 その警官はどちらも同じような背格好で個性というものがなかった。もっとも個性的な警官なんて漫画かドラマにしかいないだろうが、それにしても個性がない。目を外した瞬間、顔を忘れてしまいそうなくらいだ。

 僕らは仕事の手を止め、納屋でコンテナ箱をひっくり返して簡易的なテーブルにすると、ハルさんはお茶を淹れてふたりに振る舞った。

 圭介さんは世間話を少し話したあとに夢路さんのことを話した。

「その日はいつもと同じような感じだった。あいつは危険物取扱の乙四とか免許を取るって勉強してて、ほら、いま、農閑期だからな。仕事も少ない。だからアルバイトするって。あの日。試験の日だ。俺は朝、挨拶した。試験、頑張れって声かけたんだ。あいつは、はい、頑張りますって、自信なさそうに笑ってたけど……そのせいではないだろうが。ほかに理由といった理由もわからない」

「あまり気を落とさないで下さい。いま、我々の方でも調べているところです。試験についてはこちらでも調べました。試験会場に行って試験は受けたとのことです。つまり、夢路さんが行方不明になったのは、その後になるんです。確か軽トラックで出かけたとのことですが、その車種とナンバーはわかりますか?」

 警察も親身になって話を訊いてくれた。

 いくぶん中年の域に差し掛かりそうな警官が話を訊き、歳若い方がしきりにメモを取るという形だ。

 圭介さんとハルさんは自分たちの憶測(自信はなさそうだった)と夢路さんの安否を心配し、自分たちが親戚だということと、住み込みで仕事の手伝いをしてもらっていたことを話した。

「君は白露さんたちとどういう関係で?」

 一通り話したところで中年警官が僕の方をみていった。その視線には疑念を感じない。もしかしたら僕が何者か知っているのではないか、と思われるくらい中立な視線だった。

「アルバイトでこちらに雇われています」

 なんとなく詳細な話は避けたかった。

 記憶が曖昧で、高校中退、住所不定なんて事件性がなくても疑われる要素が多いじゃないか。けれど警官の訊きたかったことは僕についてではなかった。

「夢路さんは君になにかいってなかった?」

 単純な会話で少しほっとした。

「最近は仕事と試験勉強の話ばかりでした。空手の道場に通っているんですが、ちょっと足が遠のいてまして……」

「その空手道場というのは?」

 おそらく夢路さんの交友関係を調べたいのだろう。

 僕も蛇渕さんに誘われてやっていたようなものなので詳しくはわからない。けれど夢路さんに一番近い関係だったのは蛇渕さんだ。僕は蛇渕さんの連絡先を警官に教えた。

「ご協力ありがとうございました」

 それだけ訊くと警察は帰っていった。


 僕はなんだか不思議な気分だった。思い返してみれば独り暮らしというものをしたことがないせいか、とも思ったがどうやら違う心持ちのようでもある。

 これは既視感(デジャヴ)だ。

 いつかどこかで体験したことをまた追体験しているような感覚があった。それがいつどこであったことなのか思い出せないでいた。

 その記憶を辿ろうとすると霧のなかを彷徨うような感覚になる。辺り一面真っ白で自分の手がみえるくらいで足元すらみえないような頼りない感覚だ。それを無理に辿ろうとしても、今度はいま自分がいる場所がわからなくなるような気がした。

 晩御飯もひとりともなるとインスタント食品ですましてもいいかな、とおざなりな気分にもなってくる。とりあえずはハルさんの差し入れの銀鱈の煮物をおかずにご飯を食べようとしたときのことだ。

 インターホンが鳴った。

 この家のインターホンが鳴ることは稀だ。白露老夫婦は携帯電話に一報入れてから来る。夢路さんは訪ねてくる友人はいないし、僕だって同様だ。

 それに以前来た阿田大輝(アダ タイキ)のことも頭をよぎった。僕は慎重に玄関に行くと「警察です」という声がしたのでいくらか安心してドアを開けた。

 そこには背の低くがっしりとした体型の警官がいた。丸顔に眼鏡をかけており、眼鏡の奥の目は細く微笑んでいるようにみえ、どことなくエビスさまを思わせた。

「ここは白露さん宅でお間違えないでしょうか? えーっと」手に持っていたグリップボードをみながら「家主の白露圭介さん?」といった。

「ああ、それは裏手です。ここはバイトと作業員の部屋でして。二世帯住宅を利用しているんです」

 僕は自分のことを詮索されないようにいった。

 警官はそんなことより圭介さんに用があったらしい。

「そうですか。では失礼します」と笑顔でいった。

「朝方、警察が来られましたが、なにか夢路さんについて進展があったんでしょうか?」

 警官は不思議そうな顔をして「いえ、これから伺うところですよ」と応えた。

 僕はよほど怪訝そうな顔をしていたのだろう。

「このとおりです」

 警官は警察手帳をみせてくれた。

 僕にその警察手帳の真贋は見抜けないが、そういえば朝方来たふたり組は警察手帳をみせてはいない。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 警官は笑顔で自転車に跨ると家の裏に回っていった。


 なにか差し迫ったような気分が沸き立ってきた。

 このままではいけない、という強迫観念に押し潰されそうになる。

 あのふたり組は警官ではなかったのではないか、という考えが浮かんでは消えてゆく。あの顔にも声にも覚えがない。

 朝方来たふたり組の警官の顔を思い出そうとすると、顔のパーツが歪んで、パズルのピースが噛み合わない。歯痒くも歪なフラッシュバックが起きる。

 このままではいけない、という観念だけを持て余して朝を迎えた。

「これから地域の消防団が夢路の捜索をするっけ、游も手伝いにいってくれねぇろっか」

 圭介さんに頼まれた。

 夢路さんと僕は近い関係でもあったからだろう。けれど圭介さんによれば少し違っていた。

「游、あんま自分を責めんな」

 僕の顔はいまそういう顔をしているのだろうか。

 夢路さんが心配なのは確かだが、それより違和感と既視感に押し潰されそうなのだ。

 それに地域の消防団が動くとなれば事件性があったのだろうか。夢路さんはなにかに巻き込まれたのか。

「病人だったからな。心の病は一回は死にたくなるもんらしい」

 まさか、と思う。危険物取扱の免許を取ろうとしていたひとが自殺なんてするだろうか。いや、けれど無理をしていたのかもしれない。なにか必死なひとだった。なにをするにも一生懸命で、行きずりに僕の面倒までみていてくれた。よくよく考えたら僕は夢路さんを利用していただけで彼のことを知ろうともしていなかったのではないか。

 よく話をしたが、仕事、格闘技や食べ物、試験の話など世間話くらいだ。僕は彼自身をもっと知るべきだったのかもしれない。

「昨日、夕方来た警官によれば新幹線の高架橋の下で夢路の軽トラがみつかった。鍵はつけたままで缶コーヒーが蓋も空けずにあったらしい。あとはなにもなかったそうだ。財布も免許証もスマホも。だから……△市、周囲の河川を消防団が捜索するんだ」

 皆、自殺だと思っているのだろう。

 死体がみつからないから川に入水自殺したのだろう、と。確かにあの日の雨は凄かった。川も激流だっただろう。軽トラのみつかった高架橋の下の近くの川の下流は△市を流れていた。

 僕は公民館へ自転車で行くと青色にオレンジ色のユニフォームを着た何人もの消防団員が集まり、各人、思い思いに話をしていた。そのなかで数人の中年男性たちが地図を広げて相談していた。

 僕はそのなかの団員長だと思われるひとに声をかけた。

「すみません。僕は白露夢路さんにお世話になった者です。もしよければ手伝わせてもらえないでしょうか?」

 その団員長だと思われるひとは秋だというのに日に焼けたように浅黒い肌に皺を刻まれた顔をしていた。険しそうな顔だったが、僕の言葉に笑顔で応えてくれた。

「それは有り難い」

 集合の号令がかけられ、消防団員が整列する。

 団員長は今日の捜索の説明をした。ここの消防団の持ち場、捜索の手順、遺体がみつかった場合の連絡先、注意事項……それが終わると皆、川に向かっていった。それと数人が僕の周りに集まってきた。

 夢路さんのことに興味があるらしい。

 彼がどういった人物であったか、病気はどのようなものだったか、また夢路さんを知るひともいて「自殺なんてする人間じゃないと思うんだが」と訝しげに僕に同意を求めてきた。

 そのとき、僕はこの状況を知っている、と同時に霧がかった記憶が晴れていくような気持ちになった。

 それと同時に額に汗が滲み、脚に力が入らなくなった。太陽の光が強く周囲を照らし、なにかに覚醒したような、強い衝撃を受けたような気分になり、立ってはいられず、その場に座り込んでしまった。

 そうだ。あのときも死体はみつからなかった。彼らは世界を跨いで別の世界へ行っていたからだ。もしかしたら今回だってそうかもしれない。どう考えても夢路さんが自殺する理由がみつからない。

「大丈夫か?」

「熱中症かも……」

 皆が気遣ってくれる声が遠くから聞こえる。

 それがまるで僕を責めるように詰問し、あのとき萎縮しきってしまったことを思い出す。その群衆の後ろに痩せた背の高い老人の幻をみた。

『私はね。東京から来たんだ』

 僕に向かって、けれど独り言のようにいう老人だった。

 僕はうずくまりながら、この世界が理解でなくなってきていた。また世界が僕を理解できなくなり排除するかのような敵意を感じた。僕は場違いで取り残された異物のようだと。皆の気遣いすら、場違い甚だしい。そんな孤独のなかで他人が求めないものを、僕は求めるのだ。

『いいか、日常を疑え、当たり前を憎め。真実はひっそりと忍び寄るようにしてやってくる。聞き耳をたてるんだ。そうでなければ真実は君の横をそっと通り抜け、日常は君を騙し続ける。いまある日常こそ真実だと騙し続けるんだ』

 あの日、小学生のときの友人を失ったとき、あの老人・久方さんがいった言葉を思い出していた。

 独り言のようにいう老人が僕の目をみて、僕に語った言葉を。忍び足のように儚げな足音。けれどいまはわかる。彼のいう足音はいまは聞こえていた。無視できないくらいに。はっきりと。

「大丈夫です」

「今日は帰りなさい」

 団員長が優しく声をかけてくれた。

 その声も湿った泥のような音に聞こえた。この土地に住まう未知の生物の鳴く音だ。

 僕はその声に応えることなく立ち上がって、重い身体を引きずるようにして自転車に乗った。

 僕は▽町から来た。どうやって来たのか理解を超えるが、△市はどこかで▽町と繋がっているのだ。そしてあの警官の格好をしたふたり組は僕を監禁して洗いざらい話させたガスマスクの男と関係があるに違いない。

 あのふたり組の視線を思い出す。彼らは調べに来たのだ。夢路さんのことを。ついでに僕のことを。

 スマホが鳴った。

 蛇渕さんからだ。いや、もう、いいだろう。

 彼には感謝しているが、感謝するように仕向けられたとも思えていた。彼は〈組織〉の構成員だ。そしてこのスマホはその〈組織〉からもらったものだ。

 ふいに侵入思考のように、誰かがこれを通して僕のことを監視している、という思いが湧いてきた。

 急に使い慣れたスマホが見知らぬ異物に思え、用水路に投げ捨てた。

 着信音を奏でながら、放物線を描き、コンクリートにぶつかり、アクリル板がヒビを入れた嫌な音を立て、水没し着信音が消えた。

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