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匣の街  作者: Mr.Y
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ララと雫

 小説を書くにあたり拝屋雫のメールがかなり役に立った。△市と▽町の関係や拝天會のこと、UFOやUFOクラゲと称されるUAPの存在。断片的な情報の数々は、それだけでも十分に魅力的な小説の輪郭を形づくっていた。試しに『△▽の怪異』と仮題をつけ筆を走らせたこともある。だが、書き上がったものは霧のなかに浮かぶ風景画のようだった。あるいは決定的なピースがいくつも欠落し余白の目立つ風景画か。「これはそういうものだ」と割り切れば、一応の体裁は整っているかもしれない。しかし、私の小説にしては余白が多すぎた。これを完成形にまで持っていくには、どうしてもこの余白を埋める必要がある。それはひとえに情報量のなさが原因だ。

 これをすべて埋めたらきっと素晴らしい光景がみえてくる予感がした。けれどそれは息を呑むような絶景ではなく、複雑に絡み合った草木が陽光を遮る藪の中の光景かもしれないが。

 そんな思惑に耽りながら休日のドライブを楽しんでいた。

「こんなことはいいたくないんですけど! ちょっと、運転荒くありませんか!」

 助手席のアシストグリップを両手で掴み、フロントガラスを凝視している拝屋雫がいた。

「そんな大袈裟な。それにしても黒咲夜子さんも呼べばいいのに」

「あいつはN大行くんで、勉強しなきゃって」

「へぇ、それなら仕方ないか。雫ちゃんも大学受験じゃないの? 八ヶ谷峠見学につき合わせちゃってごめんね」

「それより、前、前みて運転しましょう! 私はもう受かっているようなものなので」

「どこ?」

「イタリアのバ、バチカンにある……」

 話によれば霊能者としてエクソシストになるための養成施設に行くことが決まってるらしい。にわかには信じられなかった。高校生で霊能力があるからといって他国から話がくるものなのだろうか。それもバチカンのエクソシストとか……この子は虚言癖があるとも思えないが、メールでの話が真実だとすればあり得なくもない。

 詳しく話を訊きたいが雫ちゃんは自身の大学の説明より私の運転のほうが切迫した状況らしい。だが休日の人気のない道をお気に入りのJ-ROCKを流し聴きしながら飛ばすのは気持ちのいいものだ。運転は視覚と反射神経に任せ、思考の翼は別の場所に広げる。そのうえ話をする相方がいるなんて素晴らしいじゃないか。もっとも話し相手は私の運転に怯えているようだが、速度はあげても安全には気をつけているつもりなのに心外だ。

 思えば似たような元彼もいたな。もはや顔も名前も思い出せない男の物思いに耽りながらアクセルを踏み込んだ。私の愛車・キャンパスではフルスロットルにしたところでたいした速度は出ない。ましてやこんな田舎の山道、車はおろか人影だってありはしない。

「ここから、道幅が狭くなりますんで! あと樹の根が出ていて、道も悪くなりますから!」

 なにか懇願にも似た指摘に、渋々といった体で私は速度を緩めると、雫ちゃんはほっとしたように肩の力を抜いた。

「いきなりバチカンとか信じられないかもしれませんが、私には霊能がありますから」

 それでイタリアに留学とか恐れ入る、と思ったがその口振りには確かな決意があった。確かに曾祖父さんは大事件を起こしたのだ。それは現実世界では裁くことができない事件だ。孫として、霊能者としての贖罪もあるのだろうか。

 そして拝屋雫はバチカンに呼ばれるほどの霊能者なのか。

 霊感のない私にはわからないが、最初、客間で怪異について語る彼女に老婆のような得体の知れない雰囲気を感じたことがあった。さっきまで車のスピードに怯えている様は十代後半に相応しい反応だが、真摯に霊感について話すとき、彼女の年齢がよくわからなくなるときがある。

 車をゆるゆると進ませると、道は整備されているようだった。やはり八ヶ谷峠の廃村整備は確実に行われているようだ。

「以前はこの辺は車で来れなかったんですが」

 舗装こそ剥がれてはいるがは地面は綺麗に整地され、大型トラックくらいは走行できるように道幅が確保されている。山道の随所では、離合のための待避所も設けられていた。

 私たちは整地されたかつての八ヶ谷峠の集落に着いた。あたりはもう建物もなく、田んぼ跡と思われる草藪があるばかりで、あとはホイールローダやユンボが数台物言わぬ巨獣のように佇み、最後の撤収のときを待っているようだった。

 私たちはタイヤ跡がたくさんある駐車場として使われているような空地に車を停めた。

 外に出ると冷たい山風が吹付け、秋空は鱗雲をたなびかせていた。

 ここで雫ちゃんのいう怪異の元凶が存在したとは到底信じられなかった。歪んだ寺院は? UFOクラゲは? 異貌の教祖に拝天會。すべては終わったことなのだろうか。その顛末を知りたい私の欲求はいったいなんなのだろうか。

「ねぇ、旧拝屋邸ってどこにあった?」

 私が訊ねるより早く「おい!」と男の声がした。振り返ると重機の間からひとりの男が出てきた。奥に仮設のプレハブがみえる。作業員なのだろうか。

「ここは立ち入り禁止だぞ」

 男はやや苛立ったようにいった。だがその格好は作業員にしては不自然だ。ライダースジャケットにジーンズ。歳は二十代半ばくらいか。顔は目鼻立ちがはっきりしており、どことなく野性味を帯びた眼光を放っている。ただ身長は一六五センチの私よりやや下だった。

「ああ、すみません。会報誌で廃村撤去の記事をみまして、興味が湧きまして。それで姉と一緒に暇を持て余して遊びに来たんです」

 雫ちゃんが私と男の間に入って、とっさにつくり話をした。

「それに立ち入り禁止という立札なんてありました?」

 私が彼女の言葉を繋ぐ。男はわずかに眉を寄せ、こちらを訝しげにみつめた。訝しいのは私も同様だ。なぜ工事現場でバイカーの格好をしているのか。本当に立札やテープはなかった。この男はただ単に注意をしているのではない。私たちにカマをかけているのだろう。

 男はため息をつきながら「俺はこういうモンだよ」といってポケットからネックストラップ型の名札を取り出した。

 それはいつもつけているものなのだろう。ストライプの端はほつれているし、プラスチックケースの角がいくらかよれていた。

 そこには『△市土木建設課・日高健(ヒダカ タケル)』という文字が並んでいた。

「立札があろうがなかろうが、一般市民に怪我されたら迷惑なんでね」

 一応、信じてやるとするか。名札なんていくらでも偽造できるだろうが、こんな山奥で詐欺をする理由もないだろう。

「まぁ、休日だからこんな格好だけどな。ちょっと野暮用があったからここに来てたんだ。まだ地盤も悪いところもあるから、あんま歩き回るなよ」

 確かに役人が休日にバイカーの格好をしちゃいけない理由はないだろう。ただなんとなく引っ掛かりがあった。そのとき雫ちゃんが肘で私を突っつき目配せをした。

 なるほど。この引っ掛かりのわけは〈組織〉だ。〈組織〉の構成員の実体は不明なところが多い。キキと同じように仕事の隙間時間に仕事を行なっている可能性だってある。市の役人が片手間で〈組織〉の仕事をしていることだってありえるのではないか。

「それなら早めに帰りますんで、ただちょっと見学したくて……」

 雫ちゃんは低姿勢でいった。

 私たちはただ八ヶ谷峠をみることができればいいのだ。余計な面倒事はごめんだった。

「ふん」

 日高は私たちをみると気に食わなそうに「じゃあ、早めに帰れよ」とプレハブの方に戻ってゆく。

 わざわざ私たちのように見学に来るひとに声がけのためにここに来ているなんてあり得ない。野暮用とはなんだ? 忘れ物でもあったのだろうか。それともひとがいないと行えない行為に及んでいる可能性だってある。真偽はわからないが〈組織〉の構成員の可能性も捨てきれない。

 彼を追うべきか? いや、構成員だとしたら暗い出来事に足を踏み入れる可能性だってある。見逃してくれたのなら、私たちは私たちのしたいことを、それこそ地盤に気をつけて静かにするべきなのだろう。

 私たちは旧拝屋邸があった場所に向かって歩き始めた。

「ここって重要な場所だよね?」

「かつては」

 私の問いに雫ちゃんは簡潔に答えた。

 そして小説を書いているときふと私のなかに湧き上がった疑問を雫ちゃんに訊いてみた。

「もしかしてさ。〈組織〉って拝天會の後継組織じゃない?」

 霊能者との繋がり、人間社会をわずかな操作で動かしてゆく奇妙さ、顔のみえない人々、薄っすらと同じような不気味さを感じたからだ。

「それは……違うと思います」

 これは言葉を濁しながら答えた。その言葉は何度か疑ったことのあるような雰囲気でもあった。

「拝天會は霊能者を養成する教団だったらしいし、話によれば徐々に人数が減っていったはずだから……」

 お祖父さんの代に拝天會から逃れ、町の方に引っ越してきたのだから、拝天會の内情には詳しいはずだ。簡潔な説得力はある。

「ここです」

 雫ちゃんは辺りを見渡し、足を踏みしめた。旧拝屋邸は跡形もなく撤去されていた。こうやって拝屋邸をみると山林と村の境目にあることがわかる。朝日は当たるが、夕暮れには集落で一番先に暗くなっただろう。けれど見晴らしはよかった。村を一望でき、山の下にある△市の街がみえ、遠くには伊夜日子(イヤヒコ)山も青く、市街地の塵気越しにみえていた。

 一方で背後の山林のある斜面が、そこからはひとの世界ではないようにどこまでも暗く深く続いて、たまに冷たい風が吹き下ろしてきていた。

 ここに歪んだ寺院と拝屋家があったのだろうが、いまはなにもないただ平たい場所としてあるばかりだ。異様な雰囲気も沸き立つ邪悪さの名残りもない。

 だが存在したのだろう。歪んだ寺院と拝屋樹が暮らした家が、信者たちが、UFOクラゲが這い出て、雫と夜子が協力して封じた異界への道が。

 様々なことが思い浮かんでは消えてゆく。拝屋樹、その信者、そしてUFOクラゲ……すべて私がいまみている景色をそれぞれの目でみていたのだ。

 紡がれることのない言葉が浮かんでは消えてゆく。文章となり物語となるにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「確か夜子が写真を撮っていたから今度送りますね」

 私の物思いにそっと雫ちゃんの声が添えられた。

 空白は次第に埋めていけそうだった。

「ありがとう」

 そして眼下には草藪と家屋が取り壊され剥き出しになった地面がみえていた。そこに日高が歩いていた。取り壊された空地よりは草藪のほうを歩いている。その姿はなにか探しているようでもあった。しかしみつからないのだろう。半ば諦めたように△市街をみるとこちらをみた。目が合ったようだったが、彼は無反応にプレハブに戻り、そこに停めてあった黒いバイクに跨ると重いエンジン音を響かせ山を下っていった。

 彼も彼の空白があり、それを埋めようとしているような気がした。それは私の想像力がみせる余剰な共感かもしれないが。

「これからどうします?」

 雫ちゃんがいった。

「時間ある?」

「ええ、勉強はイタリア語だけですし、今日は占いもお祓いの仕事もないようにしてますから」

 高校生が拝み屋の仕事をしていることに違和感があるが、彼女のXを思い出す。名前だけ開示して、ポストはなくフォロワー数が数千のSNS。彼女の仕事を必要としているひとは数多くいるのだろう。

「じゃあ、もうちょっとつき合ってもらおっかな」

 私は遠くに青く霞む伊夜日子山をみた。

「確かいま菊祭りだよね」

「ええ、それくらいならつき合いますよ。私も久しぶりに行ってみたいし」

「もうひとり霊能者に会わなくちゃね」

「え? 霊能者に知り合いがいるんですか?」

「これから知り合うところ!」

 私は歩き始めた。

「誰ですか?」

 雫ちゃんも私のあとに続き歩き始めた。

神宮寺晶(ジングウジ アキラ)

 私の返答に雫ちゃんは驚いた声を上げた。


 神宮寺晶に会うのは拝屋雫と違った霊能者からの視点が欲しいからだ。あのメールをそのまま書いたらあまりに一方だけの視点で、それはもう私の小説ではなく拝屋雫の回顧録になるのではないか。

 それに雫ちゃんのメールによれば神宮寺晶は怪物(リヴァイアサン)とともに▽町を襲撃したはずだ。

 神宮寺晶はそのことの自覚はあるのか。あるいはただの雫ちゃんの妄想なのか。そんな神宮寺晶がいまは普通の高校生として受験勉強をしているとしたら面白い。

 色々、埋めなくてはならない空白は存在するが、いまは危険もなく、気軽に足を運べるとしたら神宮寺晶が、一番良いと思った。

 それから私たちは八ヶ谷峠をあとにし、伊夜日子山に向かった。

 道中、雫ちゃんは「いま、彼女は大学受験の勉強中で……」「そもそも、連絡先も知らないし、どうやって会うんですか?」「塾通いかもしれないですし……なるようになるって……」「そりゃ、図書館か自宅でしょうけど、あの辺は観光地でもありますから、喫茶店とかゆっくりできるところがありますから……」など不平不満の言葉を紡ぎ続けたが、どこか期待もあるような声色にも感じた。

 やはり神宮寺晶のことが好きなのだろうか。好き嫌いは別にしても意識していることには間違いないだろう。それを証拠に来るときよりも車の速度を上げていることに彼女は気づいていない。

「雫ちゃん、神宮寺晶のこと好き?」

 気づいたら思ったことをそのままいっていた。

 雫ちゃんはいい淀んで顔に片手を当てた。

「あのメールは深夜テンションで書いちゃって、もう少し読み直してから書くんでした。誤解される内容もたくさんあったかも……」

 物書きによくある自意識の暴走だ。彼女もいいたいことを好きなように書けて随分と楽しかったのだろう。あのメールの文章からみてとれた。

 彼女の手の甲に隠れた顔は読み取れないが、頬は風呂でのぼせた子供みたいに赤みがさしていた。

「私さ。雫ちゃんの気持ちわかんのよ」

 道が混んできた。前のミニバンのナンバーは他県のものだ。菊祭りなんて年寄りの趣味かと思っていたが、他県からわざわざ足を運ぶひとの多さに驚く。

「私にもあった。高校の頃、同性の女の子が好きになってさ」

 もちろんブラフだ。相手を安心させるための私の処世術(テクニック)でもある。とりあえず相手の懐に入るための安っぽい共感ではあるが。

 昔読んだ夏目漱石の『こころ』の私とKの関係を思い出しながら、それになぞらえて話そうとしたとき、雫ちゃんが「あの、嘘はやめてもらえます?」と口を挟んできた。

「え? ガチもガチ。キキもいってた、えっぐい恋愛経験を……」

「ああ、図書室で文学作品を無言で勧めあった仲の子ぐらいじゃないですか。同性でのいい関係は」

 私は背筋が凍るのを感じた。初めて拝屋雫に会い、その霊感の一端を感じたときと同じ感覚があった。

図書室でのことはいままで誰にも話したことはなかったはずだ。なぜ拝屋雫は知っているのか。

「これが霊感というものです。その子の名前もいえ、といったらいえますよ。ただララさん、聞きたくなさそうだし。そもそもその子の名前、完全に忘れているでしょ? いっても確証にはならないでしょうね」

 伊夜日子山に近づくにつれ、車の流れは完全に停まった。青信号だというのに数センチしか動かない。

「右折してください。裏道にいけますから」

 私は得体の知れない知覚を持つ彼女のいうがまま、対向車線を縫うように強引にハンドルを切った。そして村役場の駐車場に逃げ込むように車を停めた。

「雫ちゃん、マジなん? なんでわかったの? 嘘までならまだしも図書室でのクラスメイトのことなんてなんでわかんの?」

 車を停めると私のなかにあったわだかまりを吐き出した。

「霊感です。私にしたら、逆になんでバレバレの嘘をつくのかわかりません。もっともララさんが私に気を使ってくれたのはわかりますけど」

 拝屋雫が霊能者として私の理解に及ばない領域にいることが理解できた。恐ろしさ、不気味さ、不思議さ、よくわからない感情が湧き上がってくる。そのなかで一番大きな感情は好奇心だった。

 スマホを取り出し、いま起こったことを箇条書きにするが、いまいち臨場感が薄い。頭の片隅にはうまく伝わるような文章をつくり始めていた。

「ちょっとクールダウン」

 好奇心の熱に当てられてた私は自分自身にいいきかせた。

「じゃあ、ちょっと休みましょう。役場の裏が図書館ですし」

 雫ちゃんは諦めたように笑った。その笑みはなにか知り得た確信めいたものがあった。それはさきほど私の嘘を見抜いた霊感かもしれない。

 なるほど神宮寺晶はそこにいるのか。

「ねぇ、じゃあ黒咲夜子さんはどう思っているの?」

「それは……神宮寺さんは憧れで、夜子は友達というか。……でも、いや……ホント、こういうのって、よくわかんないや」

 霊感とやらは自分自身には向かないらしい。


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