とうとう
「とうとう、この時が来たのね……」
自室で腕を組みながら唸るセシリアの視線の先には、一枚の封筒が置かれていた。
見覚えのある封蝋を開け中を見ればそこには、『スーザル魔法学院入学願書』の文字が躍っていた。
この学院こそ彼女が大好きだった『瞳の中のドルチェ』の舞台であり、そして同時にセシリアが断罪を受けて全てを失う悲劇の舞台でもある。
「入学はする、つもりだけれど……」
既にセシリアが記憶を取り戻してから二年の月日が経過している。
彼女はこの二年間で、見事なほどに健康な肉体を手に入れた。
今や同年代の子と競っても負けないだけの肺活量と筋肉量があり、手に10キロのダンベルを持ちながらブルガリアンスクワットをしてもまったくブレないだけの体幹も手に入れることができている。
更には懸念事項の一つであった没落後の仕事の問題も解決しつつある。
国王陛下はパーソナルトレーニングを続けてもらうことで順調に痩せており、以前とは別人かと思えるほどの壮観なボディを手に入れた。
「健康がどれだけお金に換えがたいものなのかを教えてくれたセシリア嬢には感謝しかないよ」
そう言って彼がパーソナル代としてとてつもない金額をセシリア個人にくれたおかげで、ひとまず断罪されても家族とナターシャを路頭に迷わせずに済むくらいの額も入ってきた。
更には国王の体型を見事に引き締めたセシリアに王家のお墨付きがついたおかげで顧客も増え、現在は学業に支障を来さない範囲でダイエットをしたい貴族令嬢を顧客にして食事と運動の指導を行っている。
手に職はつけたと言えるだろう。
経験値も積まれてきたので今から家を放り出されても、同じことをして生きていけるだけの自信もついた。
となると残る問題はあと一つ。
――自分の婚約者であるアルフォンスとの関係だった。
「それで、どうしたんだい、急に大事な話って」
セシリアはアルフォンスを自室に呼び出していた。
いつものように散歩をしながらではないのが珍しいからか、アルフォンスは不思議そうな顔をしてこちらを見つめている。
健全な肉体によって嫉妬なんてものとは無縁に暮らしているおかげで、未だ婚約者であるアルフォンスとも比較的良い関係も築けている……とは思う。
けれどヒロインであるサーシャとアルフォンスが出会うまでの期間は、想像以上に短い。
断罪イベントが一年の終わりにあることを思えば、自分が婚約破棄をされ断罪されるのはあと二年を切っているのだ。
動き出すなら、早い方が傷口も小さくて済む。
そう思ったからこそ、セシリアは今まで切り出せなかった提案を、口にすることにした。
「はい、実は……私との婚約を、解消していただきたいのです」
「……えっ?」
アルフォンスの顔が驚きに染まる。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったらしく、明らかに動揺していた。
「ど、どうしたんだい急に。今までそんな話、一度もしたことなかったじゃないか」
「アルフォンス様にはもっといいお相手が現れます。ですので今のうちに婚約を解消した方が良いのではと思いまして」
サーシャの話は口にはできない。
だがそれでも、彼女の言葉は半分本心でもあった。
可憐な令嬢が好まれるこの世界で、毎日のように外に出て有酸素と筋トレをしている自分はアルフォンスの相手としては相応しくないだろう。
外に出るので肌もそこまで白くはないし、女性らしさも足りていない。
アルフォンスはジッとセシリアのことを見つめる。
どうやら彼女が冗談の類いを言っているわけではないことがわかったのだろう。
彼は毅然とした態度で立ち上がると、セシリアに一歩近付いた。
「僕は、セシリアとの婚約を解消するつもりはないよ」
「今はまだそう言っているだけです。アルフォンス様には私よりもっといい人が現れます」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
アルフォンスのことを拒絶するように。
セシリアのことを見た彼はとても、悲しそうな顔をする。
それはいつもにこにことしている彼が見せる、初めての泣き顔だった。
「……そんな人、世界中どこを探してもいないよ。僕は今こうして、セシリアと一緒に過ごす時間がとっても楽しいんだ。だから君との婚約を解消したくない」
「……」
断罪されるのは嫌だ。
……けれど、アルフォンスの悲しい顔は見たくはなかった。
今の時間を楽しいと思っているのは、アルフォンスだけではない。
それなら学院が始まり、彼の気持ちがそちらに向かうまでは……このままでもいいのではないだろうか。
無理矢理婚約解消をしたら、そちらの方が断罪に近付くに違いない。
そんな風に理論武装をして、彼女は推しの笑顔を守ることを決めた。
「そう……ですね。馬鹿なことを言いました、学院でアルフォンス様が私より素敵なお方を見つけるのだと思うと、つい先走ってしまって……」
「……珍しい、セシリアにもそんなことがあるんだね」
「お恥ずかしい限りです」
セシリアはすぐに気持ちを切り替えることにした。
入学までにやらなければいけないことは多い。
身体作りのために後回しにしていた魔法の勉強にも、そろそろ本腰を入れなければいけないだろう。
「そういえば、今度王宮にジムを造ろうと思ってるんだ。騎士達を育てるのにもいいって話になってね」
「ジムですか!?(ガバッ)」
どうやらセシリアによるトレーニングが王宮内の健康ブームの火付け役になったらしく、現在王宮勤めの騎士達の間では筋トレがブームになっているらしい。
彼らを効率良く鍛えることができるように、以前セシリアから聞いたトレーニングマシンの製作・導入を考えているのだとか。
「どういうマシンがいいかは僕にはよくわからないんだけど、アドバイスとかをもらってもいいかな?」
「もちろんです! ヒップアブダクターは絶対に欲しいですし、胸回りを鍛えるならペクトラル・フライなんかもあった方が嬉しいですよね。トレッドミルとか、魔法で再現できるのかなぁ」
先ほどまでの暗い気分など一瞬で吹き飛んでしまった。
もしジムが完成した暁には、王宮に行く機会は更に増えそうだ。
だがこの世界でもしっかりとしたトレーニングマシンができるのであれば、そんなに嬉しいことはない。
セシリアは期待に胸を弾ませながら、将来の展望をアルフォンスと語り合うのであった……。
(ほっ、良かった……)
目の前でキラキラと目を輝かせているセシリアを見ながら、アルフォンスは安堵の息をこぼす。
相変わらずトレーニングに関することは半分も理解ができないが、様々なアイデアを出して楽しそうにしているセシリアを見るとこちらまで気分が上がってくる。
先ほど婚約解消を申し出られた時は心臓が止まるかと思ったが……理由を聞いて彼は少しだけ嬉しくなった。
なんという取り越し苦労だろうか。
自分が他の人を選ぶだなんて、そんなことあるはずがないのに。
今回のジム建設の理由はもちろん、セシリアの興味を惹くためだ。
ここ最近は公務で忙しく来れない時期も増えてきているが、彼女が王宮に来てくれるようになれば、顔を合わせる機会をうんと増やすことができる。
(まあこの感じだと、本当に鍛えることしか頭にないみたいだけど……そんなところもセシリアらしいか)
セシリアはジム目当てで王宮に通うのだろうが、アルフォンスもそれを餌にしてセシリアとの距離を更に縮めるつもりだった。
いずれ婚約破棄されると疑わないセシリアと、婚約破棄などするわけがないと確信しているアルフォンス。
二人は互いにすれ違いながらも、今日も楽しく散歩をして同じ時間を過ごすのであった――。




