一話-2 協会の内部事情
「……さて、すべき話は終わったことですし」
言いつつ胸の辺りを弄っている。そして短く息を吐いた。
何をしたか分からないけど、岩蔵さんへ向けられていた意識が一つ途絶えたのは間違いない。
「いやはや、非常事態下だというのに何ともお恥ずかしい限りです」
「それが人間というものでしょう。だから妖怪に勝てないのだと思いますが」
「ははは、あちら側からすればこのような身内争いは笑いの種でしょうね」
「私たちは後ろから足を引っ張られて転ぶのは御免です。いっそのこと、その方をこの子の前に連れて来てはいかが? それともこの子を送り込んで差し上げましょうか」
「お許し下さい。政をする者がいなくなってしまいます」
それはそれでどうなのだろうか。嘘を言っている訳ではないけれど、まぁ冗談の類だろう。そうであって欲しいものだ。
何だか少しばかり微妙な空気になってしまったからか岩蔵さんは軽く咳払いをして。
「そのことは脇に置いておくとして話を進めるとしましょう。お話をするに当たって最初の方に申しました場所の件については覚えていますか? 皆様にはそこに向かって欲しいのです。この場所が相当念入りに陣を形成されているのは見て分かりますが、流石に担当地域一帯全てとはいかないでしょう? 市民の安全を図るという意味でもご自身の身を守る意味でも今の内から移動をし、そこで万全な体勢で陣を整えておくのを推奨致します」
「確か場所は京都でしたね。少し遠いようですが、その間に襲われない保証は?」
「その為に特級退魔師一名と一級退魔師複数を護衛に呼んでおります。その他、道中常に周囲を囲むように護衛の退魔師が配置される手筈になっています」
「私たちがそちらの提案を断ったらどうする気だったんですか?」
「断ったとしても貴方方に対して無理やり何かする気はありませんよ。この地に留まることも選択肢の一つです。ただこの辺りの住民の皆さんには一定期間疎開をして頂くことになるかと。戦地となる場所に一般住民を居させる訳にはいきませんからね。しかしながらその場合における損失などの補填はそちらの管轄になることはご了承下さい。何ぶんそういった戦地になる土地は沢山あるので政府が全ての保証が出来るという訳ではないのです」
咲夜の氷点下の視線を受けても岩蔵さんはにこやかな表情を崩さない。
それは半ば脅しの言葉ではあるけれど、僕たちが少数精鋭である以上はどうしたって地域住民の保護が完璧とはいかないのは分かり切っていたことではある。そうならない為に僕たちより強い権限を持つ政府側が住民を移動させることは仕方ないとは言える。
問題なのはその責任は咲夜にあるとでもいうような口ぶりだ。
ただ今は対話については完全に任せているので頑張って言葉を飲み込んでいると不意に机の下で咲夜の手が僕の手に触れた。
「清花。心配は要らないわ。まさか協力を仰いでいるはず相手に自分たちが勝手にしたことの補償まで負担しろなどと国が言うはずがないのだから」
「えぇ、その通りです。ただ一斉避難となると市民の方々にはかなりの苦労を掛けることになりますのでそちらからの幾ばくかの補償は必要になるでしょう」
「分かっています。しかしこちらが即答出来ない理由はお分かりでしょう」
「信用、信頼ですね。いきなりやって来てこちらの指定した場所に赴けと言われれば誰だって疑いたくもなるものです。これは清花様が嘘を見抜ける力を持っているとしても私の言葉だけでは信ずるには値しないということでしょうか?」
確かに岩蔵さんの言葉には嘘はない。これまで真摯に話をしようとしているのは分かる。
だからこの人のことは信じてもいいのかなと思いつつあるものの、それでも完全に信じきることは難しい。
その理由が多くの纏わりつく邪悪な気配にあった。
二つの視線がこちらに向く。岩蔵さんは自身満々のようだけど、それは思い違いというものだ。
「僕の感じる気配の種類には、その人に取り巻く他人の悪意もあるんですよ。岩蔵さんのものではない、他の人が岩蔵さんを利用しようとしている気配が黒い靄のように纏わりついて見えます。これでは話を受ける受けない以前に、岩蔵さんに問題がなくとも信用は出来ません」
そう告げると、岩蔵さんの額から汗が滴り落ちた。
本当に本人はその自覚がないらしい。
「……不穏分子は出来る限り排除したつもりですが」
「えっ? 結構多いみたいですけど。見たところ両手の指の数どころじゃないですよ。ドス黒い欲望の靄が足元にずっと絡み付いているように見えます。これまで色々と見てきた所感ですと、足元の悪意は本人に気付かれないように仕組まれたものの可能性が高い気がしますね」
本人が自覚している場合は藤原さんのように纏わり付いたような感じがするし、それが命に関わるものなら心臓の辺りに集中することになる。
足元というのは目に見えない場所、だから意図してない場所で巻き込まれているという意味になり得るか。
僕の言葉を聞いて岩蔵さんは深刻そうに思案して、短く息を吐いた。
「念の為に聞いてみますが、その靄というのはある程度の人物の追跡は出来たりしますか?」
「追跡ですか? 少しだけ考えたことはありますが……」
前回はただ糸を追っただけでその先にいる人物までは特定はしていなかった。咲夜を助ける為に敵対する相手を全て倒す意思でやっていたから誰であろうと構わなかった部分も大きい。
解決するにはただ力を送り込むだけでいいから試したことはないけれど、これを追い続ければ悪意の根本まで特定まで出来るかどうかは結局のところやってみなければ分からない。
分からないけれど、ふと頭に過ることがある。
「天王寺家の力を借りて咲夜の眼で視ることが出来れば可能性はあるかもしれません」
「私の眼を使って貴方に見えているモノを追跡するのね?」
「うん。あの霊具だと想定外の使用方法だし、命ちゃん本人の力が必要になると思うけど」
「それなら確かに可能性はあるかもしれないわね。……あら。少しばかり顔色が悪いようですが、どうかされましたか?」
先程からずっと眉間を揉んでいる岩倉さんに咲夜の少し楽し気な声がかかる。
目敏く気付かれてしまった岩蔵さんは額の汗を拭いつつにこやかに微笑んだ。
「いえ、お気になさらず。清花様。私に纏わり付いている問題を清花様が解決するとなるとどれくらい時間が掛かる見込みになりますでしょうか」
「解決だけならすぐにでも。ただし、その人たちの無事は保証出来ません。強い悪意にはそれより強い浄化の力を当てることになってしまいますので。ついでに申しますと、その悪意は無視出来る類のモノではないので、いくら咲夜を脅して頷かせようとそれらが無くならない限りは僕は決して協力はしません」
「脅すなどと、そのようなことをするつもりはありませんよ。先ほどの金銭の話も法令の適用内での話ですので悪しからず」
語気を強めて言ったからか、岩蔵さんはすぐにそう断言して返してきた。
「その言葉が軽いものではないことを願うばかりです。それでは、僕がその悪意を何とかするということでいいですか? 追跡して人物を特定するとなるとかなりの時間を要することになると思いますので、その方がお勧めですが」
「ではその方向でお願いしても宜しいでしょうか。諸々の責任においては清花様たちが負うことにはならないとお約束致します。必要ならば先に誓約書を認めましょう。我々には時間がないというのに。このようなことで時間も信用も失いたくはありません」
隣からコソッと「つまり自分たちはその悪意を持つ存在とは無関係だと言いたいのよ」と補足される。
この悪意に関しては時間を掛ければ一人ずつ対処は出来るかもしれないけれど、どれだけ時間が掛かるか分からないし本当に解決出来るか分からない。ならばここで即断即決をして僕たちの信用を勝ち取るのと時間を無駄にしないことを選択したみたいだ。
この人を利用しようとする人がただの木っ端程度の存在である訳もないというのに、それを切って捨てるとは何とも大胆な決断だろう。
まだこの人のことを僕たちはよく知らないけれど、それを出来るほどの権限を持っているのがこの岩蔵さんだということなのかもしれない。
「分かりました。悪意の度合にもよりますが術を行使すると暫く再起不能になります。ある程度は制御出来るかと思いますが、期間としては大体二週間ほど寝込むくらいでいいですか? 逆恨みで妖怪との戦いに手を出されても困りますし」
そう宣言した途端、岩蔵さんの懐にある携帯端末の振動音らしきものが聞こえてきた。
それを岩蔵さんは何も言わずにそっと消して何かの操作をしてからまた仕舞った。
「……これも自業自得というものでしょう。死なない程度ならば一か月でも二か月でも構いませんよ」
「明確に殺意を持っていない限りは死ぬことはありませんよ。纏っている悪意にもそれ程のものはないみたいですし、死人が出ることはないかと思います」
「それを聞いて安心しました。何か特別な儀式やそれら使う道具などは必要ですか? もしご用意する物があればこちらですぐに調達しますよ。勿論、諸経費はこちらで持ちますのでご安心下さい」
「いえ、岩蔵さんに纏わりついている悪意を辿って浄化の力を流すだけなので方法自体は簡単ですよ。儀式も道具も必要はありません」
程度の差はあるものの以前の時とは違って悪意の濃さはそれほどでもないように感じてはいる。
僕の感じる世界では悪意の強さがそのまま繋がりの強さとなり、その強さが互いを繋ぐ管となる。悪意が強ければ管はより太くなり、その分だけこちらから通せる浄化の力も強くなる。だから悪意がそれほどでもないのならこちらから与える損害もそう大きなものにはならないはずだ。
簡単にそう説明をすると岩蔵さんは腕を組んで唸った。
「私も退魔師の端くれではあるので疑問なのですが、遠隔に飛ばすとなると霊力量がとてもでは……いえ、何でもありません。以前に成功しているのでしたね。いやはや、やはり長らく現場から退くとすぐに頭が凝り固まってしまって困ります」
「では手をお借りしてもいいですか? あと、纏っている悪意のせいで少し痛みを感じるかもしれませんがそれは大丈夫でしょうか」
「完全に排除しきれなかったこちらの落ち度なので多少の痛み程度は我慢しますよ。これでも昔は前線で戦っていた身なので痛みにも耐性はあるつもりです。どうぞお気になさらず、後顧の憂いがないようにして下さい」
「……。分かりました。では胸を借りるつもりでやりますね」
咲夜からもやって良しと目線で許可を貰ったので差し出された大人の手のひらを上下から包むように掴む。
「いきます」
「いつでもどうぞ。……っ!?」
手を掴んだ瞬間から岩蔵さんの体を介して悪意に浄化の力を注ぎこんでいく。
やはりというか、細い管である為に注ぎ込める量は大したことはない。悪意の強さと管の太さは等号であり、細い管に無理やり力を注げば破裂してしまうかもしれない。なのでここは量より質、そして可能な限り高速で送り続けることを想像しながら力を行使する。
それを一分か二分ほど掛けて送ることでようやく全員に力が行き渡り、そしてそれぞれに少なくない影響が出ているのは感じている。
先程まではあった岩蔵さんに纏わりついていた気配も綺麗に消え失せて部屋を念入りに掃除をした後のように気分がいい。
「終わりました。痛みの方はそこまでではなかったはずですが大丈夫でしたか?」
「えぇ、この程度は日常茶飯事でしたからお気になさる程ではありませんよ」
明らかに痛みに耐えている様子だったけれど、ここは大人としての意地ということで踏み込まないことにしよう。
「それで……どうですか? 清花様から見てまだ悪意というものは残っていますか?」
「綺麗に消せましたよ。大本の人たちにも死んでしまった人はいないはずです。寧ろ体の良くないところが治って元気になられることかと。暫くは身動きは出来ないと思いますが」
「ははっ、それはかえって感謝をしなくてはいけなくなったね──おっと、少し失礼」
この時になって彼に通話が来ることから無関係ということはない。
先ほどとは別の携帯端末を操作し、聞こえた第一声は端末越しにこちらにも聞こえるくらいの大きな罵声だった。
何をやっている、馬鹿なことを、何故止めないなどと、それはもう盛大に大音量で反論を許さずに捲し立てて。
岩蔵さんは何も言わずにじっと話を聞き続け、向こうの気勢が落ちたところで柔らかな物腰で話しかける。
「落ち着いて下さい。彼女は自身に向けられた悪意に対して力を行使したまでです。その行き先がどこの誰かは私も知らなかったのですよ。ですが今この時、この場面で彼女に対して悪意を抱くような方は人類の敵だと言って差し支えないでしょう。そのような輩は……。もしやとは思いますが、貴方もそのお仲間だったり? だからこそそのような剣幕でいらっしゃる?」
『い、いや! 違う! だが……っ』
「えぇ、えぇ、分かっています。倒れたご友人のことが心配なのですよね。ですが彼女のお言葉では命の別状はないとのことです。何せあの浄化の力ですからね。そもそもの話ですが彼女に対しての悪意がなければ何も起きなかった、というのはご理解頂けますか? 間違っても逆恨みなど、ましてや報復など考えすらしないようお願いしますよ」
『ぐっ、だが本当に悪意を抱いていたかどうかなんてことは本人しか分からないだろう。本人が嘘を吐いているとは思わないのか!』
「それを論じるにはまず清花様の力が本当に浄化の力かどうかというところからになってしまいます。そんな時間は我々には……あぁ、すみませんが時間みたいですね。部下がそちらに着いた頃合いみたいなので私はこれで失礼します」
『はっ? 何を言って……き、貴様ら! 何をす────』
そこで岩蔵さんが通話を打ち切って端末を胸にしまう。
何と言うか、通話の先の人はいかにも娯楽小説に出てきそうなくらいの悪人っぽい人だった。
あまりにも状況が飲み込めていないというか、少なくとも岩蔵さんが少しも躊躇をしていなかったところからすると下っ端の立ち位置の人なのかもしれない。自分だったらわざわざこの疑われるような状況下で連絡をしたりはしないし、本当に何も知らされていなかった可能性もある。
部下の人たちがすぐに駆けつけたみたいなのはおそらく分かり易い場所にいたからだろう。
「すみません。お待たせしました」
「一応聞いておきますが、大丈夫なんですか?」
「これしきのことでどうにかなる我々ではありませんよ。寧ろ叩く材料が出来て今頃"上"は満足していることでしょう」
彼らにとっては不利であるどころかこの件を武器にして何とかするみたいで岩蔵さんも笑みの奥底に怪しいものを隠している。
そういえば以前に咲夜が退魔師協会も一枚岩ではないとか何とか言っていたような。
あまり自分には関係のない話だと頭から飛んでいたけれど、これから関わっていくのなら改めて覚えておく必要があるか。
話がひと段落し、これで僕たちが移動をしたくないと頑なに断る理由はなくなった。
ここからは咲夜に任せるべきだろうということで目線を送る。岩蔵さんも彼女に視線を向けて話を聞く体勢だ。
「何はともあれ目下の課題は解消されたと言っていいでしょう。しかしながら、こちらもすぐに動けと言われてはい分かりましたと言えないことは理解して下さるかと思います。まずは我々で話を受けるかどうか話し合いを設けないといけませんから」
「重々承知しております。早い内が良いとは言いましたが、何も今すぐにという訳ではありません」
「恐れ入ります。では話し合い次第ではありますが、受けると決まったら明日の……そうですね、お昼頃に来て下さい。場合によっては少しお待たせしてしまうかもしれませんがそこはご承知おき下さい」
「畏まりました。明日のご昼食はどうされますか? 感謝の意味も込めて宜しければこちらで御もてなしさせて頂きたく考えておりますが」
「まだ未定ですが、その時は有難くお受けしようと思います。それとこの後のことで聞きたいことがあるのですが、私たちとの連絡係は引き続き貴方で宜しいのかしら?」
「はい。下手に他の者に任せて不都合が生じることが一番の懸念点で御座いますれば。最初の方にも申し上げた通り、私以外の者の言葉は聞く耳を持つ必要はありません。私を通さないで話をしようとする者は全て敵だと思って下さって結構です」
「では、その時は名前を聞いた後に貴方に投げることにするとしましょう。それでは、私たちは諸々の準備の取り掛かるので話し合いはこれで終わりでいいかしら?」
「はい。では私もこれでお暇させて頂きましょう。良い返事を期待して待たせて頂きます」
岩蔵さんは腰を上げてから「あぁ、そうだ」と続ける。
「どうもご馳走様でした。またの機会があれば飲みたいくらい美味しかったです」
僕たちにお辞儀をした後に倉橋さんに感謝を述べて早々に立ち去って行く。
恐らくはこの後も色々とやることがあるのだろう、速足で歩きながらどこかに通話をしているようだった。
それでようやくあの人が来てから重苦しいままだった場の空気が霧散していくのを感じる。
直接戦えば僕が勝つだろうけれど、岩蔵さんから感じる威圧感はこれまで経験したことのない独特のものだったように思う。おそらくはこれが大人としての駆け引きの空気感なのだろう。
これが咲夜が日夜相手しているものなんだろうなと思うと代わってあげるのは難しいかもしれない。
とりあえず、一先ずの話し合いは終わったことで千郷と、それから冬香も呼んでさっきまでの話を聞かせることにした。




