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四話-2 水の中




 水の流れは膝下五十センチ程の高さでも物凄く危ないというのは大人から子供でも知っていること。

 たったそれだけの高さの水嵩で容易に足が取られるし、下手をすればそのまま流されてしまいかねないくらいには危険だ。

 今回作り出されたのは通常の水害と違って一回限りの波だからか、どこまでも流されて続けてしまうということはない。

 しかし代わりと言えばいいのか、この波はとにかく高さがある。

 危険だからか乳幼児や小学生くらいのお子さんはいないみたいだけども、それでも中学校低学年程の子が肩まで水に浸かった状態で波に呑まれていくのが見えた。

 こうして地面に足を着いたまま、自分の背丈程度の波が押し寄せる様を見るのは中々に迫力がある。

 僕が水使いでなければきっと今頃恐怖すらしていたかもしれない。

 ——そんな光景だったからか、横にいたはずの景文さんが突然前に踊り出た。


「危ない! 清花さんっ!」


「ちょ」


 正直な話、この程度の水は夢で経験したあの激流に比べればどうということはない。周りの人たちだってきゃーと悲鳴をあげてはいるけれど、それは遊園地などの絶叫系の遊具に乗っているそれと同じ類のものだ。

 これが安全なものだと分かっているからこそ心から楽しんでいる。

 だから波に襲われたところで別に心配する必要なんて全くないんだけども、どうやらそうとは思わなかったらしい景文さんが僕を庇おうと前に割って入っていた。

 ちなみに咲夜は僕を盾に使おうと後ろに回っていて、そのせいで身動きが全く取れなかった。


「二人とも、どいて……っ」


 周りを見れば分かるけど、今回に限って言えばこの波の受け方は逆に悪手だった。何故ならこの波は継続した波ではなく一度きりの波だから。多少水の力によって後ろに流されるものの、この波は危ないものでも何でもない。ただ浮いてるだけで受け流せるような簡単なものだ。

 しかし今のように縦に並んでしまうと受け流すことが出来なくなってしまい、本来よりも強い力で受け止めることになってしまう。結果として景文さんはぶつかるように僕の方へと流されてきて、僕が体勢を崩さないように支える羽目になってしまった。

 一番後ろとなってしまった咲夜は溺れないようにと水を操って僕の上に乗るように調整しておいたので平気だろう。


「清花さん、大丈夫か?」


 水に少し流された状態で、僕を波から庇った景文さんが聞いてくる。

 その声は真剣そのものだけど、残念ながら状況にはそぐわなかった。


「僕は全然平気だよ。……だから早くどいて欲しいんだけど」


「いや、まだ波は来る……から……んん? 背中に……なに、か……がっ!」


 今頃気づいたのか、その事実に後ろから見える景文さんの耳が瞬く間に紅潮していくのが見えた。

 しかし狼狽えてばかりでどいてくれない。そんな様子に周りの人たちも少し生暖かい目でこちらを見ているのが分かる。

 そんなに強く意識をされると僕まで意識してしまって——


「いいから早くどきなさいよこのおバカ」

「ぐはっ」


 動揺してすぐに行動が出来ない景文さんの頭を僕越しに咲夜が手刀で叩いた。

 それで彼は前にのめり込むようにズレ、一連の様子を見ていた周りからはくすくすと抑えたような笑いが聞こえてくる。


「全くもう、他の人にも笑われてるじゃないか」


「め、面目ない」


「落ち込むよりまず鼻の下伸ばしてるのを何とかしなさいよね」


「えっ!? い、いや! そんなことは……っ!」


 実際に鼻が伸びていたかは別として、これ以上続けていると余計に周りから笑われてしまう。

 おそらく初めてのことだから周りから少し浮いて見えてしまっているのだろう。

 その要因となっているのは景文さんは勿論のことだけど、実はもう一人いる。


「咲夜もそろそろどいてくれない?」 

 

「私のことは忘れていていいからこのままでいいわよ」


「……分かっててやってるよね?」


「当たり前じゃない。これも訓練の一環だと思って耐えなさい」


「自分で泳ぐのが嫌なだけでしょ」


 僕の後ろに咲夜がいた状態で後ろに押されてしまった為、今の僕たちはさっきまでの僕と景文さんの状況とそのまま同じだった。

 ここまで女の子と肌を密着させた経験はあまりないので動揺があるのは僕も同じ。景文さんのように退きたいところではあるものの、今は彼が前にいるせいで身動きが難しい。

 無理に剥がすとなると泳げないらしい咲夜が水には入らないと言い出すかもなので暫くはこのままでいるとしよう。

 

「まぁ、それはいいや。景文さん、ああいう波は寧ろ正面から受けて楽しむものみたいだよ」


「そうみたいだな。俺のしたことは完全に余計なお世話だったみたいだ。っていうか、清花さんに限って言えば水難事故はないようなものだったのをすっかり忘れてた」


「思ったよりも高い波だったから仕方ないね。そうだ、冬香はどこに行ったの?」


 気付けば景文さんの隣にいたはずの冬香がいない。

 僕にばかり意識を傾けていた景文さんも今気付いたようで辺りを見渡しいるけどいない。


「冬香ならいつの間にか最前列で芹井さんと一緒になってはしゃいでいるみたいね」


「見つかったのは良かったけど、離れないようにって言ったのに。二人してそのことを忘れてるのかな」


「まぁまぁ。冬香さんも水の扱いには慣れてきているから溺れるようなことはないと思うよ」


 周囲に悪意はないから危険はないだろうけど、こうも早速約束を忘れるとなると前途多難ではある。

 冬香はともかく千郷はこういった施設は初めてのはずだけど、おそらく持ち前の身体能力で何とかしているのだろう。その笑い声が他のお客さんの声を押し退けて聞こえてくるかのようだ。

 それから弱い波が何回か来た後に機械が止まったようで静けさが感じられるようになってきた、その時に機械で増幅された音声が聞こえてきた。


『皆さん、次は大きいのを連続で行きますよぉー! 小さい子は溺れないように大人の方と一緒にいて下さいねぇー!』


 そう放送が掛かった後、客を観察している監視員が複数人が安全確認の合図らしきものを出す。

 直後に先程僕たちを飲み込んだ高波が十秒ほどの時間差で複数発生しているのが感じられた。


「機械って凄いんだね。あんなのを一日に何十回もやってたら霊力が足りなくなりそうだよ」


「清花さんなら出来そうじゃないか?」


「僕じゃなくて一般的な退魔師の場合だよ」


 それもそうかと景文さんが納得していると、前の方にいる人たちの笑いを含んだ悲鳴みたいな声が聞こえてきた。


「貴方たち何を呑気に会話してるのよ。さっさとあの波に対応しなぶ──」


 咲夜が後ろから文句を言い終わる前に波の第一波が到達した。立っていればせいぜい顔の半分くらいまでの波だけど、それでは面白くないので足を地面から離して水中に沈むことにした。そうすることで最前列と同程度の波を体験出来ることとなるからだ。

 そうして自分で操っていない水の圧力を、次は景文さんの壁なしで受けることになり直で体験することに。

 素直な感想で言えば水自体は大したことはなかった。事故が起こらないくらいの威力に抑えているのだから当然と言えばそうだけど、物足りないと感じる部分は確かにある。

 ただこういう施設で楽しむのはそういった部分ではないのだろうと思う。周りの楽しいという感情や反応、水の中で思い通りにならない不安感、初めての体験に対する戸惑いだったりを楽しむ心が大事なのだろう。

 連続でやって来る波を咲夜が溺れてしまわないように適度に顔を出してはまた潜って身に受ける。

 

「ちょっと、もぐらぷっ」


 ここへ来て立ったまま受け流せるような波を大して味合わないのは勿体ない。

 三度襲い来る波を乗り越えてやっと顔を出すと、後ろから腕が首元に絡みついてきた。


「清花、ちょっとそこに直りなさい」


「そんなに怒らないでよ。溺れたりしないように息継ぎが出来るくらい顔を出したでしょ?」


「それはそうだけど……。せめて一言くらい何か言ってからやりなさいよ」

 

「真後ろに隠れてるから波が来てるのが見えないんだよ。僕にしがみついてないで自分で立ってみる?」


「くっ……仕方、ないわね……」


 そんなに自分で泳ぎたくないのか。再び咲夜が僕の背中に収まった。今度は目を瞑って力を使って景色を見るらしい。

 今度は更に強く、抱きしめるようにしがみついているので密着度は景文さんの時の比ではないくらいになっていた。

 それはそれとして、連続する波で前にいた人たちは自然と後退させられていたみたいで道が開けている。

 これなら難なく前の方にいる二人に合流出来るだろう。


「次のが来るまで間があるみたいだからその間に前にいる二人の所に行こうか」


「前の方に行くつもり?」


「その方が楽しそうじゃない?」


 他人越しに見るのではなく、最前列で見る高波も楽しそうだと思っていると。


「そう……楽しんでいるのね」


「うん。一人じゃないっていうのもあるけどね。凄く楽しいよ」


 もしもここに自分一人で来たところで今の楽しさの半分も堪能出来ないだろうことは絶対に間違いない。

 友達と一緒にいるということに今更ながら特別な意味があることに気付いたような気がした。

 となればやるべきことは一つ。


「景文さんもほら、早く行かないとまた波が来ちゃうからさ!」


「あ、あぁ! 勿論行くよ!」


「時間がないから少し力を使って前に行くよ!」


 前方に人はほぼいない。距離も多少離れているのでバレない程度に力を使っても問題はない。

 水に干渉して前を掻き分けつつ後ろから水流で後押しすれば倍速以上の速度であっという間に最前列まで来ることが出来た。


「あっ、清花さん! 遅いですよ!」


 前回の波で前進まで浸かったらしく髪までずぶ濡れの冬香が晴れやかな笑顔でこちらに泳いで寄って来る。

 その下では潜水中の千郷が僕の目の前でやって来て浮上した。その顔はあまり楽しそうではない。

 

「全く、遅い! どうせ足手まといがいたせいでしょうけどね」


「貴方が考えなしに進んでいっただけでしょう。少しは協調性っていうものを学んで欲しいわね」


「そもそも水に浸かる気のなかったアンタには言われたくないんだけど」


 こればかりは千郷に若干の分があるとは思うけど、結局はこうして一緒に来ているのだから済んだことだ。


「二人とも前を見なよ。もう次のが来るみたいだよ」


 言った時には既に波は発生していて、最前列にいた僕たちは当たり前だけど最初に波に呑まれることになる。言い合いをしていて横を向いていた咲夜と千郷の二人は不意打ちを食らったような形で横合いから水流が直撃していた。

 咲夜は僕が支えているようなものだから心配ないとして、千郷は大丈夫だろうか。


(あっ、やっぱりちょっと溺れてる)


 妖怪と戦った経験のある千郷は冷静な状態なら水底を蹴って水面に顔を出すくらいのことは出来るだろうけれど、今回は不意を受けて体勢が崩れたことによって自分がどんな体勢になっているか分からなくなってしまっているみたいだ。

 混乱して水を飲んだりして溺れている訳ではないので少しすれば冷静になるとは思う。

 とは言っても危険があることには変わりがないので力を使って軽く持ち上げて水面から顔を出させた。


「千郷、大丈夫?」


「だ、だいじょばない……ちょっと水飲んだ……おぇ」


「私も……しょっぱいのが……」


「変な言い合いをして気を逸らすからだよ。これに懲りたら……」


 続けようとして気付く。背丈のある景文さんが浮き上がっているのは当然として、冬香の姿が見えないことに。


「冬香は?」


「彼女なら、あそこに」


「あばばばば」


「冬香ーーーっ!」


 一体何があったというのか。冬香は溺れてはいないものの波にそのままの意味で浚われていってしまっていた。

 まるで海に浮かぶクラゲのようにゆらゆらと浮かびながら綺麗に人を避けて。

 わざとやっているのかと思ったくらい面白い様で運ばれていくので助けるかどうか迷ったけれど、流石にこれでは離れ過ぎてしまうし辿り着くには人込みを避けて行かなければならなくなる。なので度々申し訳ない気持ちになりながら更に力を使って冬香の身柄を確保することにした。

 これが人の意思や妖怪の仕業によるものだったならばこの変な流れに納得するのだけど、残念ながらそれらしき気配は何一つない。本当に何があったんだろう。


「……はぁ、はぁ。た、助かりました。ありがとうございます」


「う、うん。でも何であんな所まで流されてたの?」


 何とか戻って来れた冬香は空を見上げて語り始める。


「千郷さんが波を受けた後に後頭部が私に直撃しまして。それで体がひっくり返ったまま沈んでしまったので慌てて何とか浮き上がろうとしたら本能……と言いますか、力を使ってしまったみたいで」


「上手く制御出来ずに流されたと」


「その通りです……」


 これに関しては何と言うか、気絶したりして溺れないで良かったねとしか言いようがない。その後は何とか水面から頭は出せたものの、混乱して水流操作を間違えたといったところだろう

 それはそれとして千郷に視線を向ける。事件になりかけた原因は彼女にあるのだから大いに反省してもらわないと困る。

 視線を複数受けた彼女は流石に悪いことをした自覚があるのか、すんなりと謝罪を口にした。


「ご、ごめんね?」


「いえ、私も避けられなかったので」


 そんな感じで謝ったところで冬香の頭の状態も見たいからこの場所から去ることにした。

 僕が見たところたんこぶにもなっていない程度の衝撃だったようなので、これなら特に心配は要らないだろう。

 痛みが引くように治療した後、次の流れるプールに向かう途中で気になる物を見かけた。


「あれって地図にはなかったよね?」


「飛び込み台ですか? 確かにありませんでしたね。やってみたいんですか、清花さん」


「気になると言えば気になるけど、流石にこの水着では出来ないかな」


「……あぁはい。なるほどですー」


 まだ使用機会はないものの、購入はしている学校用の水着ならば高台からの入水時の衝撃程度で脱げるということもないけれど、今着ている水着は泳ぎはいいとしても入水の衝撃に対してはあまりに頼りない。

 なので今回は見送ろうと言おうとしたものの、唐突に特定の部位に向けられる複数の視線。

 中でもこの水着を選んだ中の一人は早々に視線を逸らして知らんふりをしている。


「不毛なやり取りは嫌だから先に言うよ。行かないからね。さっ、早く次の所に行くよ」


 しかしその予想出来ている何かを期待しているらしい冬香はニヤけ顔で肩に手を置いてきた。


「えー。清花さんって身体能力高いからきっと映えると思いますよー?」

 

「全く気持ちの籠っていない意見をありがとう。それなら冬香が先に飛んでくれたら考えるよ。勿論一番高いところからね」


「次は流れるプールでしたね! さぁ皆さん、行きますよーっ!」


 これで乗ってきたら考えるだけでやるとは言っていないとするつもりだったのに。こういう時には勘のいい冬香はおそらくはそんなような未来が想像出来たのだろう。運のいい子だ。

 先を歩く冬香に付いて行っていると、先ほどから横からずっと僕の胸を見ていた千郷が尋ねてくる。


「別に脱げないように胸を押さえながら飛べばいいんじゃないの? 飛びたいなら飛べば?」


「千郷まで何を言うのさ。……それで事故なく飛べたとしてもあんまり面白そうじゃないよ。どうせ飛ぶなら大会の選手みたいに格好良く飛びたいじゃないか」


「あー、それはそっか。まぁ清花の場合はやろうと思えばいつでもどこでも出来るからいいんじゃない?」


「自分で用意した水に着水はなんだかなって感じがするなぁ。それに、それを肯定したらここにいる意味が薄れそうじゃない?」


 浄化の水に浸かる時と先程の波の発生するプールに浸かった時の感覚は同じ水ではあるものの全く感じ方は違うものだった。自分で操った水は自分の手足のようなものだからだろう。だからこそこの場所で皆で遊ぶことに新鮮さを覚えるのだと思う。


「とは言いつつちょいちょい水を操ることはいいんだ?」


「気づいてたの?」


「まぁね。伊達に何年も退魔師業やってないし?」


「それならさっきの波もしっかり避けてくれないと。そのせいで冬香が流されちゃったんだから」


「あ、あれはたまたまよ! 何ならアレで私の身体能力の良さを見せつけてもいいけど?」


「アレ?」


 自信満々に指をさしている方を見る。そこは先程通り過ぎた高台で。


「一人で行くの?」


「何でよ! 一緒に付いて来てくれてもいいでしょ⁉︎」


「冗談だよ。千郷がやってみたいなら行ってみようか。冬香も飛ばせてみたいしね」


「清花さん!? どうしてそこで私が関係するんですか!?」


「遊び尽くしたいって言ったのは冬香だからだよ。大丈夫、何かあっても僕が助けてあげるから」


「嫌ですよ! 命の保証があるからってあんな所から飛び降りるなんて!」


「まぁまぁ、とりあえず飛んでから話は聞くよ」


「だから飛びたくないんですって! あっ、ちょっ、力強い!? もしかしてこれが仕返しのつもりですか!?」


「正解。よく分かったね。じゃあ飛ぼうか。これ以降は仕返しはしないって約束するからさ」


「……や、約束ですよ? 絶対ですよ? 約束破ったら売店で売ってる際どい水着着せますからね?」


「こういう場所でそんな物は売ってないでしょ。分かったから、千郷は先に行ってらっしゃい」


「直前でその子が嫌がると面倒だから一緒に連れて行ってあげる。感謝していいよ?」


 元々飛び込みはしないつもりだったので適当に冬香を送り出してから観覧できる場所に行くつもりが僕まで腕を掴まれてしまった。

 こうなったら全員で行く方がいいかと思いついて振り返る。


「咲夜と景文さんも」

 

 言いかけて気付いた。最初から飛び込みをするつもりのなかったらしい咲夜は景文さんを連れてさっさと観覧席のような場所にいたことを。人数が分かれてしまった形にはなったけど、彼がいるのなら心配はないか。

 二人に手を振って見送られつつ飛び込み台行列の場所まで行ってみると、どうやら一般向けに開放されているのは二番目に高いところまでだったみたいだった。素人が変な飛び込み方をして怪我をしたら大変だから納得して待った。

 後ろでは体が小さい子や一定の年齢以下の子は事前に弾かれるようだし、何かあった時の為の救護要員もしっかりと個々人の着水の様子を見ている。大きい施設だけあってきちんとした危険管理意識があるようで安心だ。

 そして二番目とは言ってもそれなりの高さのせいか、あまり人は並んでいないのですんなりと僕たちの番がやってきた。


「それじゃお先に!」


 日々の妖怪退治で度胸が培われている千郷は飛び込み台の先頭に立つやすぐに勢いよく飛んだ。空中で膝を抱えながら器用に回転し、着水の少し前に体を伸ばして体と水面とを垂直にして接触する。こうした遊泳施設に来るのが初めてなのだから高所から水に飛び込むのも初めてのはずだけど、中々どうしてか大会の選手並みの腕前を披露してみせていた。

 人が高い位置から落ちれば当然起こる得るはずの水飛沫があまりなく、これには周囲も驚きを隠せなかったようで感嘆の声と共に拍手が鳴り響いている。

 水の中に深く沈んでいった千郷はすぐに水面に顔を出すと岸辺まで泳いでいってからこちらに向かって手を振っていた。


「次は冬香が行く?」


「私にはあんなの無理ですよ? っていうかあの人のせいで私たちまで注目を集めちゃってるじやないですか。何てことをしてくれてやがるんですか……」


「んー。それはギリギリ丁寧語なのかな? それじゃあ僕が先に飛ぶけどそれでいい?」


「そうしたら私が最後になるじゃないですか!?」


 一体何をどうしろというのだろうか。最後に残るのはそれはそれで怖いという意味なのかもしれないけど、次には飛び込みたくないという。


「じゃあ間を取って一緒に」

「それでお願いします!」

 

 安全面的に許可が出るかどうか係員の人を見ると「大丈夫ですよ」と返してくれた。

 次の人も控えている訳だし、一番高い所でもないのでさっさと飛ぶ方がいいだろう。

 係員さんの指示の下で離れないようしっかりと肩を組みながら台の先まで歩いていく。先に向かうにつれてだんだんと地面が揺れていく。二人分の体重が乗っているから余計に揺れ幅が大きいのだろう。

 

「結構しなるんだね。反動で飛ぶのがいいのかな」


「よよよよくそんなに冷静でいられますねっ」


 言いながら足を震わせている冬香はきっと僕という支え棒がなければこの場で崩れ落ちていたことだろう。

 これはさっさと飛ばないとこの恐怖感が尾を引いてしまうかもしれない。

 

「個人的には怖いより面白そうが勝ってるからかな。それじゃあ飛ぼうか」

「あっ」


 こういうのは恐怖心がどんどんと減らず蓄積されていっていつしか飛ぼうとする勇気を黒く塗りつぶしてしまう。それは妖怪退治においても同じで、一度怖い目を見た後はすぐにでも妖怪を倒す経験をさせないと何もしないでいる内に恐怖が蓄積されてしまい、いざ本番となった時にそれまでの蓄積が爆発してしまうのだそうだ。

 恐怖とは目の前にあるものではなく、自分の心の内にあるものだと本で見たこともある。

 これの解消法としては、ただただ慣れるという精神論的な解決法があるのだとか。


「ぃぃぃぁぁぁあああああ」


 言葉にならない悲鳴を聞きながら激しい風の抵抗を身に受けながら落下していく。

 水場に飛び込むという経験は幼少期にお風呂場でした程度の記憶しかないけど、今回のそれは比較するのも馬鹿らしいほどの高さと水量の多さだ。水面とほぼ垂直に降りた為に衝撃は然程ではないものの、深さが段違いだった。

 ある程度の高さからの落下による勢いと二人分の重量が相まって結構深いところまで潜ってしまったみたいだ。

 本で見知った鳥類の中には空中からの落下の勢いを利用して水中まで餌となる魚を捕りに行く種もいるという。

 その鳥類の気持ちを味わったような気持ちでいると、なにやら隣が騒がしいことに気付いた。

 大蓮寺家の血筋としての恩恵か、水の中でも視界を損なうことなくバッチリ目をあけられている冬香はこちらに向かって色々と身振り手振りをしていて。

 

(息、続かない、上へ?)


 口元、喉、水面を指していることから推測した。

 おそらく着水の前に息を吸うのを忘れていたのだろう。それか入水時に驚きで吐き出してしまったか。

 上へ行こうにも肩を組んでいたままでいるせいで浮力が十分に得られなかったのでこちらに語り掛けてきたという訳だ。

 二人で一緒に戻るよりも片方を押し上げた方が早そうなので肩から手を放して少し冬香より沈んだ状態で彼女を下から押し出すことにした。一人分の浮力と下から押す力によって冬香はすぐに水面に上がることが出来た。


(うん?)


 ぴったりとくっついていた冬香が離れたからか、胸元に少し違和感を感じた。

 見れば首元の紐が解けたせいで胸が露出しかけていたようだった。落下中に冬香が暴れていた時に解けていたのだろう。気付いたのが水中なのは不幸中の幸いだった。

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