二話-4 芹井千郷
落ち着かない。妙に心がそわそわしているというか、何かしていないといけない気持ちになっている。
これほどおかしな気持ちになるのはいつぶりだろうか。
そんなとりとめのないことを延々と考え続けては堂々巡りを繰り返している。
「清花……いえ、清光君。いい加減あちこちを走り回られるとそろそろ鬱陶しいのだけど?」
「うっ。……ごめん」
「気持ちは分かるけど、なるようにしかならないのだからビシッとしていなさい。ビシッと」
「分かっているつもりではいるんだけど……」
今日は会合の時に約束をしていた千郷と会う日だった。あの時は軽い気持ちで約束したけれど、まさかここまで緊張するとは思いもしなかった。ただ単に世間話をするだけなら「久しぶり」だけで済むのだけど、秘密を打ち明ける予定だからこそここまで緊張している自分がいて。
先ほどから咲夜の執務室内で同じところを行ったり来たりしていたので流石に怒られてしまった。
車椅子を動かす手を止めたはいいものの、それはそれで手持ち無沙汰になった気分になって落ち着かない。
そんな折、戸が叩かれる。
「清光様。芹井様がお見えになりました」
「うっ」
どうやら大門先輩が対応をしてくれたみたいで、千郷が来たことを知らせてくれた。
もう来てしまったということで、これから起きることは逃れられないのが決定した。あとは腹を括るだけ……それが難しいんだけども。
「い、今行きます……っ! 先に部屋に案内をして貰ってもいいですか?」
「畏まりました。その後はお茶菓子の用意をしてお待ち致します」
「すみません。よろしくお願いします」
出来る男である大門先輩に任せておけば恙無く千郷を案内してくれることだろう。
軽く息を吐いていると、どうやら咲夜がやって来ていたみたいで車椅子の取手を掴んでいた。
「そんな調子で大丈夫なの? とりあえず押すわよ」
「あ、ありがとう。調子に関しては大丈夫。ちょっと冷や汗と動悸が止まらないだけだから」
「重症ね。負い目がある相手だから仕方ないとはいえ、相手も貴方に対して負い目があるのだからそれで相殺する気持ちでいれば?」
「それはそれ、これはこれじゃないかな? 咲夜だったら簡単に割り切れる?」
「負い目の度合いが全然違うから私ならもっと堂々としているでしょうね」
「……咲夜ならそうだろうね」
「それがどういう意味かここで問いただしてもいいんだけど?」
「ごめんって」
あの回答は実に咲夜らしいと言える。しかしながら僕が同じ考えを持つことは難しそうだ。
足の件については自分の中では一応の解決をしていると思っているから余計にそう思うのかもしれない。
今は車椅子を押しているから頬を抓られることはないけれど、代わりに手刀が軽く降り下された。
「とりあえずは今の貴方のありのままの姿を見せればいいでしょう。友人が幸福か不幸かの判断くらい、目を見れば判るはずよ」
「そうだといいなぁ……」
車椅子でいる都合上、千郷のいる部屋とは同じ階層にいたので目的地へとはすぐに辿り着いてしまった。
内部に千郷のいる気配を感じながら咲夜に押されて中へ入る。
まず見えたのは私服姿の千郷だった。会合の時とは違って動き易い服装をしている。水着を買いに行った時の僕の服装に似ているだろうか。快活そうな印象を与える服装とは真逆に、千郷の表情はどこか暗い。今にも生気が口元から逃げていきそうな程にやつれている。
ここに来るまでに相当悩んで、悩み続けていたのが顔から容易に読み取れた。
何と言葉に出したらいいのか迷っていると不意に肩を叩かれる。
落ち着けと言いたいのは清花の状態でなくとも伝わってきた。そのお陰でどうにか平静を取り戻すことが出来たみたいだ。今ここで一番心を乱しているのは千郷なのだから、僕が心を乱してどうする。
「千郷。久しぶり。元気にしてた?」
だから以前と同じように、あの事件が起きる以前の関係のように明るく振る舞う。
僕の方に彼女を恨む気持ちはない。そのことを分かって貰うようにしたつもりだけど、それはどうやら正確に伝わったみたいだ。
「清光……っ!」
彼女は持ち前の身体能力で僕に近寄ってくると、そのまま正面から僕のことを抱きしめた。
あれから年単位で時間が経っているからお互いに肉体的にも成長をしている。千郷も年相応にしっかり成長しているみたいで安心した。あの会合の時は知り合いとして千郷とは強く関わることが出来なかったから、こうして間近に感じることが出来て良かったと思う。
しかし現在進行形で問題がある。車椅子に座っている関係で彼女の胸に顔を埋める形になっていることだ。だけど千郷は感極まっていてそれどころではない様子ですぐには動けそうもない。
あの頃の僕達ならばまだまだ子供だった。今は高校一年生らしい体つきになって来きているのでこの体勢は色々と危ういところがある。……というか、そろそろ離してくれないと息が。
「その辺りにしておいて頂戴。……彼、息が出来なくて辛そうだから」
「あっ」
第三者である咲夜に言われて気づいた千郷が体を離してくれたお陰でようや空気が吸えるようになった。
が、その直後に景色がブレる。
「ちょっとみっくん! しっかりして! 死なないでーっ⁉︎」
「死んでないから体を揺らさないで……っ」
恐らく酸欠で顔色の悪い僕の状態を勘違いをしたのだろうけど、だからって揺さぶるのは止めて欲しい。
この体では千郷の腕力に対抗することが出来ず、そろそろ吐きそうと思っていたところで不意に動きが止まる。
「あ痛……っ」
「いい加減にしなさい。その馬鹿力だと逆に死んでしまいそうだから」
助かったと思いながら周りを見てみると額を押さえている千郷がいたので、咲夜が止めてくれたのだろう。
「何をするのよ! 貴方は関係ないでしょ!」
「関係あるからここにいるのよ。冷静になれないなら日を改めて貰う約束だったと思うけれど、それでもいいのかしら?」
「う、ぐぅ……っ」
あの会合に来るくらいだから千郷も相当に強くなったはずなのに、その眼光を受けて少しも引かない様子を見て逆に千郷が押されていた。千郷は何か言おうとして、それを言わずに飲み込んだ。
「ごめんなさい。約束は守ります」
「結構。その調子で冷静さを保っていれば追い出しはしないわ。それじゃ、私は暫く黙っているから後は二人で話しなさいな」
そう言って咲夜は少し離れた位置にある椅子に座って端末を取り出した。
千郷は一連の動きを目で追っていて、口を開けたままこちらに向いて咲夜を指さした。
「咲夜のことは今は忘れていいよ。千郷、改めて……久しぶり」
「うん。本当に。でも、なんでちーちゃんって呼んでくれないの?」
「え゛っ」
千郷は昔の呼び名を覚えているようで、責めるような目で見てくる。
別のところからは『そんな呼び方だったんだ』という視線が送られていた。
「久しぶりだからまだ本調子じゃないだけだよ。それにその呼び名は他の人の前ではしない約束だっただろ?」
「一人くらい別にいいじゃない。いいから、早くちゃんと呼んで」
「うっ、……ま、まだ本調子じゃないからまた今度で」
「仕方ないなあ。みっくんは恥ずかしがり屋だから許してあげる。でも、元気そうで良かった……………………良かったよ」
顔の強張りが解けて安堵をしたのも束の間、千郷の表情が再び陰る。
「みっくんは……その、アレからどうしていたの?」
「怪我の直後は病院に入れられてて、この足のこともあってあまり外には出られなかったんだ。だから入院期間中に勉強とか自分に出来ることをしていたよ。千郷は何をしてたの?」
「私は…………」
千郷にとって最も気になっているのは僕のことだ。思考がそちらにばかりいって他のことが考えられなくなっている。なので先に僕のことについて知ってもらうことにした。
「入院生活では苦労はしたよ。幻肢痛に苦しんだし、足がまだあると錯覚してベッドから降りて自分で立とうとしてすっ転んだこともある。そんなのが数えきれないくらいあったかな」
初めの頃はまだ足を失くしたという意識がなくて転んでは何度も顔を打っていた。
その度に看護師さんに助け起こされてベッドに逆戻りだった記憶がある。
「その後に車椅子に乗って、操作方法に慣れるまでにはそんなに時間は掛からなかったよ。力が要るから簡単じゃなかったけどね。僕が細かい作業が得意なのは知ってるだろう?」
出来るだけ暗くならないように、明るく振る舞ってはいるつもりだ。
けれど、千郷の表情が晴れることは一向になくて。
「車椅子に慣れた頃には短時間だけど外に出る許可も降りてね。車椅子で草木の茂る林道を歩いてみたこともあるんだ」
だけど今は話し続けるしかない。きちんと理解をして貰わないといけないから。
「けど、やっぱり暇で仕方なかったからベッドにいる間は本を読み漁ってたんだ。僕が本好きなのは知ってるよね」
「……うん」
「それで空いた時間で色々と考えていたら、どうにかまた立てるようにならないかって考えるようになってさ。それで実家からも色々と文献とか資料とかを取り寄せて色々と読み込んだんだ。あの時間があったからこそ、今の僕がいるんだ」
「…………」
「決して、無駄なんかじゃなかったんだ。あの時間は僕には必要な時間だったんだ」
「…………」
清花の姿の時に彼女の悩みの一端は聞いている。
事件の時に自分が原因で足を失わせてしまったことを後悔している彼女は罰してもらいたがっていることを。
そんな千郷にどう接していくべきなのか、まだ自分の中で定まってはいなかった。
それでも言うべきことは決まっている。
「だから千郷、もしも僕のことで自分を責めているのなら、それはもうおしまいにしていいんだよ」
「そんなこと出来るはずない!」
「……千郷」
被せるように放たれた言葉が今の千郷の心境そのものなのだろう。
僕が吹っ切れていたとしても、彼女が同様とは限らない。千郷は千郷で、きちんと心の整理をつけるきっかけが必要だ。
時間が解決してくれるなんて、そんなことはあり得るはずがなかったんだ。
「千郷。よく聞いて欲しい。足は確かに失くなったけど、僕は今幸せだよ。全然不幸なんかじゃない。だから千郷が不必要に苦しむことはないんだよ。自分を責め続ける必要なんてないんだ」
「でも! それで苦しんだのも、痛がったのも事実でしょ⁉︎」
「それでも、だよ。まとめてひっくるめて、僕は今、不幸じゃない」
「そんな信じられないよ……。私の為に言ってくれているのは分かるけど、みっくんは優しすぎるから……」
「千郷……」
彼女を自責の念から解放しようとしているのは伝わったのだろうけど、今が不幸ではないということまでは伝わっていない。だって千郷の中の僕はあの時のままで止まってしまっているから。
視線は依然として僕の無くなった足に向けられている。
この状態ではどんなに言葉を尽くしたところで今の殻に籠っている状態で信じて貰うことは出来ない。
昔、喧嘩をして口を聞いてもらえなくなった時よりももっと酷い状態だから分かる。
もっと具体的な、言葉よりも確かなもので証明をするしか彼女に信じてもらう方法はない。
「咲夜、いいよね?」
「いいでしょう。その方が確実でしょうから」
許可も貰えたので、僕は千郷の側に寄り添って手を掴む。
「信じて貰えないのも無理はないと思う。だから、今から証拠を見せるよ」
「証拠って、何の……?」
「千郷の中の僕は足を失ったせいで日常生活で苦労もして化装術が使えなくなった。だから不幸に違いないって思ってるんだよね?」
事が事だけに肯定出来ないけど否定も出来ない千郷は複雑そうな顔をしている。
だからまずはその不幸だと思っているところから覆していこう。
「確かに動物への変身は出来なくなった。だから僕は他の生物への変身を模索したんだ」
「他の……? それはどういう……」
「今からそれを見せる。凄く驚きはするだろうけど……許してね?」
千郷の疑問はとりあえず置いておき、僕は術を起動するべく内にある霊力を活性化させる。
「"転身"」
体内を霊力が迸って全身を変質させていく。一秒と経たない内にもはやこちらの方が馴染みのある体と言っていいくらいに違和感がなくなった体に変身を完了させた。
顔立ちは変わって髪の毛も伸び、体つきは最初に変身をした頃よりも丸みを帯びて女性らしいものになっている。
ついこの前会ったばかりである今の姿の僕に対して、千郷はこちらの顔を見るなり目を限界まで見開いた。
そして跳ね上がるように飛んだ後に僕を思い切り指差して叫んだ。
「だ、だだだ、大蓮寺……せ、せい、せ、清花ぁぁぁーーーーーっ‼︎?? 何でぇぇぇえええええええーーーーーっ‼︎??」
全く予想していなかったらしい千郷はそれはもう気持ちがいいくらいに叫んだ。
念の為に防音機能のある部屋を選んでおいてよかった。咲夜が顔を顰めながら耳を押さえているくらいの声量だから。
ちなみに僕は急いで水で幕を張っていたので助かっている。全くもってとんでもない声量だ。
「うん。そうだよ。葛木清光であり、大蓮寺清花でもある。これが今の僕だよ」
「えっ? えぇ……っ⁉︎ みっくんが清花⁉︎ ちょ、まっ、えっ!? えっ、えええぇぇぇぇぇーーーーーっ⁉︎」
「予想以上に驚いてるみたいだね」
「そりゃそうでしょ! だって大蓮寺清花って言えば……っ! あっ⁉︎ あああぁぁぁーーーーー⁉︎」
更に声量を増した音が水の防御を越えて僕の鼓膜を震わせる。
そうだった。会合の時とここに来てからの千郷はかなり大人しかったから忘れていたけど、元々こういう子だった。
自他共に認める体育会系の元気っ子。それが本来の千郷を指す言葉なのだから。
想定以上の声量に僕達が耳を抑えていると、千郷は水壁を突き破って唐突に僕の胸の膨らみを鷲掴みにしてきた。
指が食い込むくらいに力を入れられているので結構痛いんだけども。
「……何をしているの?」
「いや、本物なのかなって思って」
「本物と言っていいのかは分からないけど、実物ではあるよ? だからそろそろ離そうか?」
「…………何で」
嫌な予感がする。すぐさま掴んでいる手を離そうとするけれど、その腕は頑なに離れようとしない。
つい最近もこうして掴まれたことがあったような。
そんな過去に想いを馳せている間にもどんどんと指は食い込み続けていて。
「何で私より大きいのよ⁉︎ おかしいでしょ‼︎」
「痛い痛い! 藍さんと違って力がある分普通に痛いから!」
彼女は見た目通りに腕力はさほどでもなかったけども、千郷は術式も近接戦特化型なので体をかなり鍛えている。そのせいで腕力も藍さん比べ物にならないくらい強い。つまり痛い。凄く痛かった。
「っ! いい加減にしろ!」
「いったぁぁぁっ⁉︎ 浄化の力は卑怯でしょ!」
「人の胸を握り潰すくらいに力を入れるからだろ! ……あぁ、跡が残っちゃってるし」
服の中を確認すると、バッチリと赤い跡があった。どれだけ強い力を入れたのだろう。
浄化の力を強めに流し込んだお陰でとりあえずは離れてくれたので痛いところは浄化の力で治しておく。
もしかしたら戦い以外での痛みでは足の痛み以上に痛かったかもしれない。
……今でもまだ痛みが残っているかのようだ。
「え、えっとその……ごめん」
「驚くことは最初から想定していたから別にいいけどさ。……でも、最初に反応するのが胸なのは何でなの?」
「だって私より大きいんだもん」
「だもんって……。はぁ。もっと色々と言うべきことはあるだろうに」
確かにこの場にいる中では一番大きいのだろうけど、元々の性別を考えたらそこまで気にすることではないはず。
それでもこれだけの反応をされるということは、僕ってそんなに胸に対して強い印象を持たれているのだろうか。
ネットに上げた写真でもそういった反応は多かったけれど、咲夜からはネット上ではよく見る反応だと言われていたので特には気にしていなかったのだけども。
千郷は胸の痕を気にしつつも僕の顔を観察している様子で。
「本当に、みっくんなの?」
「目の前で変身して見せた通り、大蓮寺清花は葛木清光が変身をした姿だよ」
「自分の目で見たけど信じられない気持ちで一杯だよ。でも……確かに、それなら清花の過去の経歴がどこにもないことの説明にもなるか。変身出来るようになったのは私と一緒にいた頃じゃないもんね? まさか私には隠れて……」
「隠れてなんてしてないから。この姿を選んだのは人としての足が欲しかったからだよ」
「……そう、だよね。私のせいで無くなったんだもんね……」
清花の姿の僕が自らの足で動いていたことは千郷もよく知っている。だからそこに疑いの感情はない。
それでも困惑しているのはまだ現実を受け止めきれていないから。
今も複雑そうな顔をしたままぎこちない笑みを浮かべていた。
「大蓮寺清花の活躍はよく聞いてたよ。女性退魔師にとって無視出来ない存在だったから」
「無視出来ないって?」
「だって女性対魔師の中では一番有名かつ力のある退魔師だよ? 望めば誰だって伴侶として迎えられるんだから、そりゃ女の子からしたら動向が気になるってものでしょ。まぁ、それは全くの的外れだった訳だけどさ」
伴侶を自由に選べるということは、他の女性退魔師にとっては意中の相手を横から奪われるかもしれないということだとは倉橋さんから聞かされている。だから一部の女性退魔師には疎まれているだろうとも。
頭に浮かぶのは会合から去る前に話をした愛さんだった。彼女含めて景文さんを狙っていた人は多いだろうから、決して他人事ではない話だ。
いや、まだ付き合うと決まった訳ではないのだけども。
「そういうところは第三者からしか聞けない話だから貴重ではあるね。名雪さんからも僕の価値については色々言われたけど、大袈裟に言ってるかもしれなかったからさ」
「だからせ……み……せ……あぁもう! 結局どっちで呼んだらいいの⁉︎」
「好きな方と言いたい所だけど、この姿の時は清花でお願いしたいかな。それで慣れちゃってるから」
「……分かった。私もその姿にみっくんは何か違うなって思ったし。……で、だから私は清花の事情を聞いて安心をした訳なんだけど」
「うん」
「化装術って、いつだったかどこまで理解が及んでいるかで強くなるってみっくんに聞いたけど、ぶっちゃけどこまで進んでるの?」
それは以前、柳さんにも同じ質問をされたことがある。
本来の使用目的である化装術には研究の結果として危険域とされている領域が確認されている。まず犬や猫などの一般的な動物の場合、同一種族同士で会話を行えることが第一段階。第二段階として人としての羞恥心や尊厳を捨てたような行いをすること。変身時の路上での排便などがそれに該当する。
第三段階では対象動物に対して愛情表現を見せ始める。発情期と言い換えてもいい。これが見つかった時は暫く変身させないなどの対応措置が必要となる場合があるという。術者の精神状態によっては拘束具を付けることもやむなしだとも本に記述があった。
それら元の人間的精神状態ならばしないはずの行動を見せた場合、下手をすれば動物の状態から戻って来れなくなる領域を危険域と呼び、葛木家ではその深度を最大で五段階まで設定している。
しかしながら、僕の場合は変身対象が同じ人間なせいで今までの研究があまり当てにならずその危険域が凄く曖昧なまま今まで来てしまっている。
どこまで進んだら戻れなくなるのか、現時点で清光に戻れているということはまだ手遅れではないものの、どこに限界域があるのかも分からないのが実情だ。
千郷は深く知っている訳ではないけれど、化装術について僕自身が解説していた時期があるので一応の知識は持ち合わせている。
その千郷からの質問に僕はどう答えるかを迷っていた。
「自己分析ではもうかなりの所まで進んでいると思う。進行度で言えば六割くらいまでで、深度は第三段階の手前くらいまでは達しているんじゃないかな」
言うまでもないけど、十割は戻れなくなるという意味になる。第四段階は殆ど手遅れで、第五段階は堕ちた後だ。
本家本元の葛木家でさえも数値にして測れてはいないので、こればかりは本人の自覚の度合いでしか判断は出来ないけれど。
景文さんとの関係を拒絶しないで受け入れ始めたことを考えるともっと進行している可能性はあった。
もしかしたら第四ももう目前にまで迫っている可能性だってあるかもしれない。
「だったら、もう変身は止めないと……」
「それは出来ないよ」
「なんでっ⁉︎ 戻れなくなるんだよ! みっくんがみっくんじゃなくなるんだよ⁉︎」
「それを承知の上で、僕は戻れなくなることを受け入れてるんだ」
「…………っ⁉︎」
別に男の時の経験や生活の全てを捨て去ろうだなんて思っていない。
そんなことをしたら千郷との関係も無くなってしまうから、それだけはしないと決めている。
「元の姿の方をよく知ってる千郷からしたら違和感とか凄いかもしれないけど」
「そうじゃない! そうじゃないよ! その姿のままってことは女の子になっちゃうんだよ⁉︎ もう男の子には戻れないんだよ⁉︎ 本当にそれを分かってるの⁉︎」
「十分に分かってて選んだ道だよ」
「分かってない! 全然分かってないよ……!」
「千郷……」
この話に衝撃を受けてしまったらしい千郷は覚束ない足取りで後ろ歩きをし、椅子に足が当たったところでそのまま座り込んで頭を抱え込んでしまう。
今は少し考えて自分の中で整理する時間が必要だと思い、僕も車椅子から離れて自らの足で普通の椅子に腰を下ろすことにした。
咲夜は今の所は介入してくる様子はない。まだ千郷は暴走する危険性はないと見ているみたいだ。
このことがすぐには受け入れられないってことは分かっていたことなので今は黙って待つことにしよう。
「…………清花は、いやみっくんは」
「うん」
「みっくんは、今は幸せなの?」
「幸せだよ。この姿じゃないと使えない浄化の力は強力で有用だし、転身の影響で霊力も多いから出来ることも沢山ある。そのお陰で救えた人が沢山いたし、それはこれからもそうだと思う。それは男の僕では決して出来ないことで……。だから僕はこの姿でしか出来ないことを最大限頑張ろうと思ってる。その結果として男に戻れなくなったとしても、そのせいで救えない人がいる方が僕は嫌だから」
千郷には僕が戦う退魔師を目指している理由を語ったことがある。だからこの言葉に変に疑うようなことはしない。
こちらの返事を聞いた彼女は目の端に涙を浮かべながら笑った。
「みっくんらしいや。うん。それなら私も……」
あっ。
「いや納得出来るかぁぁぁあああああーーーーーっ‼︎‼︎」
渾身の拳を目の前にある机に叩きつけ、ものの見事に木っ端微塵にしたのだった。読んで字の如く粉微塵だ。
その姿を見て、僕は在りし日の癇癪で玩具を壊す千郷を思い出した。




