二話-3 意識改革の時
「清花お嬢様の動きも大分様になってきましたね」
「この場合はありがとうございます、でいいんですかね?」
「はい。素直に褒め言葉として受け取って下さって構いません。やはりあの会合以来一皮剥けたと言いますか、心の奥底にあった僅かな抵抗のようなものが無くなったように感じます。そのお陰で言われたことをすんなりと受け入れる土壌が出来たのでしょう」
「抵抗、ですか。やっぱりあったんですね」
倉橋さんの礼儀作法で今までのように特に回数を重ねることもなく成功したことは自分でも少し意外には思っていた。
いつもいつも形ばかりを真似してきた僕だけど、やはりというか分かる人には分かるものらしく、倉橋さんには練習中に度々心が乗っていないと言われることはあった。
しかしそれは僕の元々の性別上仕方のないことだと僕が無意識に横に流してきたことであり、倉橋さんの言い様では今回に関してはそれが作用しなかったということなのだろう。
「今だからこそ言いますが、新しいことを学ぶときの清花お嬢様の表情は少しばかり硬いことが多かったのです。長く濃くご一緒している私や咲夜お嬢様だからこそ理解出来る、本当に些細な違いではありますが」
「それが今回はなかったということなんですか?」
僕の挙動については自分よりも詳しい倉橋さんの言うことなので間違いはないのだろうけど、自分では見えないものだからこそ聞かずにはいられなかった。
「そうですね。あくまで私から見た主観にはなりますが、清花お嬢様の何かの切っ掛けで心のつっかえが無くなったのではないかと感じました」
「つっかえ……。本音のところでは女の子になりたくないと思っていたということでしょうか」
「それは分かりません。まだ明確に未来の自分を思い描けていない、先行きが不透明故の恐怖心かもしれませんし、何なとくといった程度の些細な抵抗だったのかもしれません。或いは男としてまだやりたいことがあった未練ということも考えられます」
「未練ですか? けど、僕にはあまりそんなものは……」
何かあっただろうかと考えこむ僕にお茶を差し出されたので倉橋さんと席に着いて腰を落ち着ける。
お互いに喉を潤わせると倉橋さんは「いくつか予想はありますが」と前置きしてからゆっくりとした口調で語りだす。
「男の子ならば普通として扱われることも、女の子として生活していく上では普通として扱われないことは多くあるかと思います。例えば服装なんかもそうです。男装や女装という言葉あるように、一般的には男性と女性では着る衣服の種類は別だとして考えられていますから。他には趣味などもありますね。男性らしい趣味、女性らしい趣味と物事によって定義されていることは多々あり、その領域を踏み越えて行くと普通ではないと見做されるのが世間の考えではあります。勿論、そんなものは個人の自由だということの上ではありますが、それでも多くの人々の根底にはそのような意識があるのは紛れもない事実です。これは我々に性別というものがある以上は決して避けられない事柄なのでしょう」
「そのお話から男としての未練があるとなると、男らしい趣味か何かでやり残したことがあるかもということですよね。…………うーん」
僕は基本的には清花として生活をしていて、男である清光としている時間の方が短い。
特に最近はその傾向が強く、柳さんが来てからはその頻度は更に落ちたくらいだ。
そのことに自体に不満がある訳ではないので、男としてやりたいことはないように思える。
ならば男の時にあった出来事で何か今も引き摺っていることはないかと考える。
「……強いて言うなら、やっぱり千郷……芹井千郷のことでしょうか。趣味とかの話ではなくなりますし、未練というには呼び方に少し違和感がありますが」
「千郷様と言うと幼い頃のお知り合いですよね? 確か、近々お会いする予定があると聞いておりますが」
倉橋さんの確認に僕は頷いた。そう、近い日に僕は千郷と会う約束をしている。
向こうの予定と、こちらの心の準備でここまで引き伸ばされてしまったけれど。
過去に何かやり残したことや未練があるというのならこのことくらいしか思いつかない。
つっかえが無くなったというのは、彼女と会って事実を話す決心をしたからだろうと今なら思う。
景文さんの件も多く影響している可能性はあるけれど。
やはりこの二人の件は自分の中では大きいと感じている。
「千郷の精神状態にもよりますが、僕のことは洗いざらい話すつもりではいます。……倉橋さんとしては、どういう反応が予想されると思いますか?」
「分かりません。私の身近には己の性について悩む人がおりませんでしたので。いたとしても大抵の人はそれを隠して生活するでしょうし。ですので、一般的な反応を予測することは難しいかと」
「……ですよね」
「ですが、友人が清花お嬢様のようになるという仮定の上でならば言えることはあります。その時の私は決して友人を傷つけはしないでしょう。その人が自ら選び、自ら進もうとしている道ならば背中を押して支えてやりたいと思うはずです。……実体験での助言には劣るので確実性には乏しいですけどね」
いくら倉橋さんが経験豊富な人生を送っていたとしても僕のような人を相手にする経験を積むことはそうはないと言っていいだろう。だから僕の教育をするのも手探り状態だっただろうし、それは目前で相手をしている僕にはよく分かっている。
その倉橋さんの口に出した言葉ならそのままの言葉として僕は受け取ることが出来た。
「ありがとうございます。ちなみに、この姿で出迎えると元の姿でするか迷っているのですが。どっちがいいんでしょう?」
「そうですね……。そのお姿で再会した際に微塵も疑われなかったのでしたら、最初は元の姿で接して後に話の流れで明かしていくのが宜しいかと。そもそも千郷様は清光様にお会いに来た訳ですし、清光様の言葉として話をした方が受け入れられるでしょう」
「実は僕が清光でしたって種明かしをして驚かせるっていうのも考えたんですが。やっぱりしない方がいいですよね?」
「親しい間柄でも年単位で会っていませんし、今の千郷様は精神的に不安定だと聞いています。その状態で変に揺さぶりをかけるのはどうかと」
「で、ですよね! 僕もそう思っていたので相談をしたんです! い、いやぁ! きちんと話をしておいて良かったです!」
昔を思い出して変に接してしまうと千郷を傷つける可能性があるということは考慮しておかないといけないか。
向こうからすれば清光と清花は同一の存在ではないのだから。確かに倉橋さんの言う通りだ。
「そういえばですが、私から聞きたいことが一つありました」
「聞きたいことですか?」
「これまで頑なに男性とのお付き合いのことは考えずにいた清花お嬢様が、もしかしたら今後は有り得るかもと意識を改めた訳ですが」
「あ、はい。その話ですか」
倉橋さんは左様ですと言って真剣な顔で頷く。
一応は咲夜と相談した形での決断ではあるものの、大人の意見も聞いておくのは大切だと帰宅後に説明をした訳だけど。
「清花お嬢様の男と女に対する意識や考えはここに来た当初の頃からお変わりないということで合っていますか?」
「それが生物学的なことということであれば、変わっていません。あれは僕の考えの根本にあるようなものですし、今後も変わることはないと思います。そこを変えるとなると今の化装術そのものが破綻しかねませんので」
「分かりました。その上で自らが決断されたのであれは私から言うことは何もありません。しかしながら、恋愛関係における男女の機微というものは非常に繊細で、その関係は脆く崩れ易いものです。後々になってみれば何でこんなことで、ということで破局する男女は星の数ほどいます。逆に何か一つでも噛み合えばそれ以外はどうでもいいと老後まで寄り添い続ける夫婦もいたりします」
倉橋さんの体験談は本当に豊富で、それが嘘ではないのが信じられないくらいに色々とある人生だった。
比べれば僕の人生なんてきっと単純なものなのだろうと思うほどに。
「私もそう場数が多い訳ではありませんでしたが、周りの人間模様を含めれば助言が出来る程度に大人ではあるつもりです。つまり何が言いたいかと言うと、何かあった時は必ず私に相談をするように。決して一人で突っ走るようなことをしてはいけませんよ。清花様の場合は、特にです」
僕一人だけの問題ではなく、彼も関わっていることなので即答しかねていると、倉橋さんは鋭い眼光をこちらに向けてきて。
「お相手は清花お嬢様にとても執着しているご様子と聞きました。その相手を無意識に誘っているような言動をしているとも」
僕が話した訳ではないので咲夜からの報告なのだろうけど、一体どんなことを言っているのか気になる。
「誘ってるなんて、そんなことは……」
「会話の内容を聞き私もその意見に賛同しました。もしも清花お嬢様とお相手が二人きりだった場合、突然襲われていても不思議ではなかったのですよ?」
「あの、思い当たる節がないので具体的にどの部分がいけなかったのか教えてくれると……」
「……そこからですか。清花お嬢様は水着を披露なされた際、土御門のご子息に近寄って感想を求めたそうですね」
「確かに言いましたが、それがどうかしましたか?」
彼があまりにも恥ずかしがって遠くから品評をするものだから、近くで見ないとしっかりとした審査が出来ないと思ったからなのだけど。
しかし倉橋さんが溜め息を吐いているところを見るに何かおかしいことらしい。
「清花お嬢様は純粋な意味でそう言ったのだと思われますが、世間一般ではその行動と言葉は恋人か意中の相手に向けての発言になります。まだ恋人になるかも分からないような相手にはしません。ましてや自分に好意を見せている相手には。その発言を一般人の言葉に意訳をしますと『もっと私を意識して欲しい』になります。どう考えても異性を誘っていますよね?」
どうやら本当に無意識の内にやってしまっていたみたいだった。
「そのようなことを意中の相手から言われた男性が狼になってしまうのは無理もないことです。寧ろお相手の方がよく理性を保ったと言っていいでしょう。他の二人がいてくれて良かったですね」
「次からは気をつけま……」
「清花お嬢様は今、過渡期にあるのだと思います」
僕の言葉を遮るように、倉橋さんが言う。
過渡期とは移り変わっていく物事の途中で、その時が不安定な状態を指す言葉だったはず。
それは確かに今の僕のことを的確に表している言葉だと思えた。
「私たちが教えている女性らしさとは別に、内面に少しずつ女性としての意識も芽生え始めてきているのはモデルを引き受けたことや男性との交流を受け入れたことからも分かります。しかし、まだ完全に男性としての意識が抜け切れてはいないのです。故に女性としての貴方様は、男性との正しい距離感を掴めずにいるのだと思います」
「……なるほど。何となく理解出来る気がしています」
「土御門のご子息に対して早々に名前呼びに発展したこともその一例と言えるでしょう。清花お嬢様から感じて、咲夜お嬢様と土御門のご子息とでは名前呼びに対してどちらが簡単でしたか?」
「景文さん……ですね。間違いありません」
咲夜のことは最初から名前呼びをしていた訳ではない。彼女が苗字で呼ぶなと言うので早々に名前呼びにはなったけれど、抵抗感を感じずにいたのは男性の方だったのは確かにその通りだ。
「元が男性故に、心が女性には近づきつつもどうしても男性に近しい位置に立ってしまうのでしょう。清花お嬢様の事情を知らない人から見れば、それは心の距離が近いということなのです。そして男女間での心の距離感が近いというのはかなりの親密具合を意味します」
「つまり、男の人とは少し距離を取った方がいいのでしょうか」
「そうではありません。清花お嬢様が知る必要があるのは関係性ごとの適切な距離感です」
「関係性ごとの、適切な距離感……」
「男と女というものは出会ってから、知り合い、友達、片思い、両思い、恋人、婚約者、そして夫婦。大体の人はこれらの手順、或いはお見合いなどで一部の飛ばしながら過程を踏んでいくことになります。何事にも例外はありますが大体の人の人生はこの手順を踏んでいくことになるでしょう。初めて出会って知り合いからいきなり恋人になるなんてことはそうあることではありません」
「それは何となく想像は出来ます。それで言うと僕と景文さんはまだ友達の段階にある訳ですが、僕の行動は少し行き過ぎたところがあるということでしょうか」
「その理解で大丈夫です。その観点から申しますと、異性に自分の水着姿を間近で見せる行為は友達の関係からは逸脱していると言っていいでしょう。清花様が男性の頃、女性の薄着姿に対してどのような感情を持っていたかを参考にすれば宜しいかと思います」
「何となく分かりましたけど、距離感ですか……結構難しいですね」
あの時の僕は咲夜や冬香と同じくらいの距離間に彼を置いていた気がする。
倉橋さんの話で言うと僕が友達感覚なのに対し彼は片思いの状態なのだから、確かに距離感を図り間違えている状態なのだろう。とはいえ、正しい距離感と言われてもすぐには思いつかないのも確かで。
「清花お嬢様の行動のみにズレがある分には問題は特にはないのです。問題があるとすればお互いの認識に齟齬がある場合になります」
「僕が友達関係の相手にするつもりの行動が、相手にはそれ以上の関係性を望んだ上での行為だと誤認されてしまうんですね」
告白の断り文句に変に期待を持たせないようにと文言を指定してきたことにも今更ながらに納得した。
「認識の違いは色々な弊害を生むことになります。友達だと思っている人に突然キスをせがまれたら気持ちが悪いでしょう? だから大抵の人は片思いをしている側が好きだから付き合って欲しいと告白をし、その後にお互いに両思いであることを認識した上で次の段階へと進んでいくのです」
「告白っていう行為にも意味があったんですね」
「その行為自体が目的になっている場合もありますが。まぁそれはいいでしょう。この距離感というのは幼い頃から多くの人間関係を見てきた上で培っていくもので、一朝一夕で身に付くものではありません」
現在身に付いていない僕はどうしたらいいのだろうか。
本で読むことで何とか出来るのならいいんだけども、どうやらそうではないらしい。
「なので、清花お嬢様はそのままで行きましょう」
提示されたのは予想外の答えだった。
「……それでいいんですか? さっきの話だと問題が出てしまいそうでしたが」
「幸いにも相手の方は勢いで手を出してくるようなお方ではないみたいですし、清花お嬢様も無闇矢鱈と愛想を振り撒いて勘違いを量産しない程度の良識はお持ちです。なので勘違いで襲われるという危険性は低いはずです。変に意識しておかしな距離感になるよりはその方がいいでしょう」
「だったらこの話をしたのはどういった理由なんですか? 特に変えないのなら話す必要はなかったように思えますが」
「知っているといないとでは今後の対応が変わるでしょう? 他の異性に対しては勘違いをさせるような行為をする危険性は減るはずです」
それは確かにと納得した。初めからそのつもりではあったけど、具体的に何をしてはいけないのかを考えてはいなかったから。
「その点で言えば武原家でのことは最善だったと言えるでしょう。下手な期待を持たせず、土御門のご子息に要らぬ思いを抱かせずに済みました。相手が勘違いをしてしまう線引きは人によって違う部分があるので難しいところでもありますが、特定の相手に配慮する方法はあります」
「分かります。相手の気持ちに立ってみることですよね」
「皆まで言う必要はありませんでしたね。正解です」
倉橋さんは満足げに頷いた。しかし、次の瞬間には唇を引き締めて。
「清花お嬢様は女性側に立ちながらも私共よりも男性側の気持ちが強くお分かりになるかと思います。だからこそよくよく注意しなければならないことがあります」
「はい。何でしょうか」
「これだけは確実に頭に入れておいて欲しいのです。それは相手の要望は的確に応え過ぎてはいけないということ、です」
「……あぁ、なるほど。それは清花としてはおかしいこと、なんですね」
あえて言葉を止められたのは自分で思考をしろということだ。だから考えた末に出した結論に倉橋さんは肯定の頷きを返してくれた。
男の気持ちが分かるというのは元々の僕の性別が男だからで、それは生まれた時から女として生活をしているということになっている大蓮寺清花としては持っていることがあり得ないはずの知識ということ。
的確に相手の要望に応えていくのは別に悪いことではないけれど、的確過ぎるとかえってそこに違和感を感じる可能性はあるということを指摘しているのだろうと考えた。
「これからは今までよりもっと性差を感じる出来事が多くなると思います。男性と関わっていけば必然的に女の子扱いをされますし、今の清花様ならばより丁重に……そうですね、お姫様扱いをされることもあるかと思います。その際に小さな隙も作らないようにもっとお勉強をしていきましょうね」
「け、結局はそういう話になるんですね」
「そういうことになります。今後はもっと上流階級の方々と直に接する場面も多くなるでしょうから、その為のお勉強も欠かせません。会合で疑われなかったからといって安心していてはいけませんよ」
「はい。頑張ります……」
咲夜や景文さんの予想では僕は五家に呼ばれるだろうとのことで倉橋さんの身にも以前より熱が入っている。
一度行けば終わるはずだったから会合の為に身に付けた作法は急造の間に合わせのようなものだったし、礼儀作法に関しては一家言のあるらしい倉橋さんからすればまだまだ納得はしていなかったということらしい。
そんな訳で倉橋さんの女の子教育はまだまだ終わりが見えないのだった。




