三話-1 脅威襲来
午前十時の少し前、訓練場に集まった僕たちは固唾を呑んでその時を待っていた。
妖怪たちが宣言した約束の時間。本当にその通りにやって来るのかは日本中の人たちが懐疑的ではあった。
本当はもっと早くに来るのでは。来ないと思って油断したところを狙ってくるのではないか。
もし来なかったとしても、その間だけ経済が止まっているというだけでも日本にとっては大打撃ではある。
結局答えが分からないからぐるぐるとそんな考えが頭を巡ってしまう。
だけど、その答えがもうすぐにそこにある。
この場にいる誰もが言葉を発しない。冬香や千郷でさえ今の空気を茶化すような真似はしない。
重苦しい空気の中で電子の時計が時を刻むのを見る。
あと数秒で約束の時刻だ。時計の針がピタリと重なる。
「来る」
時刻が丁度十時を示した時に感じたのは前に感じたことのある妖穴の発生を意味する空気の振動。
そして圧縮された空気のようなものが体を地面に押し付けるが如き圧力を押し付けてくる。
人間の世界に異物が混ざる。人とは決して相入れない妖気が空気の中に混ざっていく感覚。
これが示すのは日本中に同時多発的に訪れた規格外の存在の顕現の始まり。
たった一体でも自由にさせればその地域を滅茶苦茶に出来る存在が一体、二体。いやもっと同時に現れた。
そのことが情報としてではなく魂として直接感じられる。
「これは……っ」
人は肉体だけでは生きてはいけない。魂だけでも生きてはいけない。どちらも伴って人としての形を成している。
その二つの内、魂に対する明確な攻撃。
退魔師の使う威圧は言い換えれば威嚇であるけれど、これはもっと直接的なものだ。
即ち、殺意。
一級の妖怪なんて目では無い。比べること自体が烏滸がましい。
人間がそんな殺意を身に受ければどうなるか。
「みんな、大丈夫——」
全体を視界に収めてから気付く。この圧力に耐えられる人はそういないということを。
僕以外の全員が根源的な死への恐怖によって金縛りのような状況になっていた。
「浄界ッ!」
失敗した。予め張っておくべきだった。後悔してもし足りない。
結界で全ての妖気は遮断したし、浄化の力を結界内に満たしていくことでみんなの状態は少しずつ緩和していっている。
気絶した人がいなければ、体の方にも悪影響はない。あるとすれば心の方だろう。
全員の安否を確認したいところだけど、今だけは優先しなければいけないことがあった。
「咲夜、立てる?」
他の人たちは結界内にいればいずれは回復する。しかし、咲夜だけはすぐにでも動く必要がある。
立ち眩みを感じたように蹲っていた彼女は頭を押さえつつも自力で立ち上がった。
「……私は、大丈夫よ。霊具を通して、清花と繋がっていたお陰だと、思うわ」
「それなら少しだけ時間を貰おう。僕が岩蔵さんから状況を聞くよ」
答えは聞かずに咲夜から携帯端末を受け取って電話帳の中にあった目的の人に繋げる。
どの道、まずはどこに支援するか聞かなければいけない。その間にみんなには立て直してもらおう。
通話をかけると、数回の電子音の後に声が聞こえてきた。
「咲夜様ですか? 連絡が遅かったようですが」
「いえ、清花です。他の人たちは顕現直後の威圧によってまだ動けそうにないので僕が代わりで聞きます。状況を教えて貰えますか?」
「了解しました。同じく影響を受けて行動不能になった部隊も複数ありますが、影響を受けたのは向こうも同じようです。開きかけの下級から上級妖怪が出て来る予定だった妖穴が不安定になり一時的に行き来が出来ない状態みたいですね。その間にこちらも立て直す時間はあるでしょう。こちらの心配はなさらず、そちらのことを優先して下さい」
「それは良かったです。それで、僕たちはどこに支援すればいいんですか?」
「まずは指定する県の沿岸部にある場所をお願いします。詳しい座標に関してはそちらの端末に送ります。支援開始後、二十分きっかりで別の場所を指定するので次はそちらを支援して下さい」
「二十分……。分かりました。全力を尽くします」
お願いしますとだけ残して岩蔵さんとの通話が切れる。向こうでも色々あったみたいであの人からも余裕は無かったように感じる。
ここには僕の結界があるけれど他はそうはいかないということだろう。
結界の外では今なお色濃く残る妖気の残滓が残っている。これを今すぐに除去するには至難の業だ。
これを先に何とかするかという考えが逡巡する。しかしどこまで広がっているか分からないし、どれくらいの時間が必要かも分からない。
「周りのことについては一先ず置いておきなさい。私たちにしか出来ないことから片付けていくわよ」
「もう大丈夫なの?」
「貴方のお陰でもう全快したから安心しなさい。他の人たちも少しずつ良くはなっているから今は放っておくしかないわ」
「分かった。……じゃあ、やろう」
ここにいる人たちに影響を与えた存在は近くに現れた。必然的に景文さんが対応しているはず。
会ってはいないけど、特級退魔師の存在もその溢れる霊力からいることは分かっている。
二対二となる構図の中、双方は未だ戦っている気配はないもののその気配は依然として建物を覆う結界の近くにある。
本音を言えば倉橋さんも大門先輩も冬香も千郷も心配だ。
景文さんだって、この妖力を持つ相手では決して安心は出来ない。
出来るなら何とかしたい。
それでも、と今は未練を断ち切らなければならない。
「接続するわ」
「お願い」
視界を閉じると同時に未練も断ち切る。
少しすると感覚が繋がった。
練習した結果、命ちゃんなしでも意識のみでの会話が可能になったので、これで他の人の邪魔にはならないだろう。
『もういいわ。目的の座標まで最速で行くわよ』
『お願い。……結構現れてるみたいだね』
視界が高速で動く中、眼下の景色にはそこかしこで発生している戦いが目に映る。
例え弱くともただただ数が多い下級妖怪は、退魔師にとっては有象無象であっても一般人にとってはたった一体だけで命に危機になり得る。それらがあちこちで暴れていた。
対応する退魔師はそこまで多くない。溢れ出す妖怪の数が多すぎるし、退魔師側は固まって動いているせいだろう。それに被害の大きい中級から上級を相手にしなくてはいけないから最下級に拘っている暇はなさそうだ。
だから通りがけに軽く雨を降らす。この程度であれば霊力もすぐに回復するし負担もない。
下級の妖怪なら雨を疎らに降らしたとしても何とかなるはずだ。
『もうすぐ座標の地点に着くから心の準備だけは済ませておきなさい』
『分かった。いつでも平気だよ』
建物が並ぶ景色の先に青色が見えてくる。その奥の辺りから放たれる強烈な気配はすぐに感じ取れた。
辺り一帯にはその源となる存在と、それに対峙する人の存在以外の気配が全くなかった。両者の戦いには生半可の実力では割って入れはしないし、コッソリと近付こうものなら今も続く大規模な攻撃行動に巻き込まれて死ぬだけだと分かっているからだ。
視界が進む毎に薄らとしていた輪郭が見え始めてくる。
それは口元から破滅的な威力の光線のようなものを放ち続けていた。
その光線は触れた物体という物体を熱し、溶かし、爆発を引き起こし、辺りの建物を文字通り木っ端微塵に破壊していた。
それが、八つ。八岐に分かれた首からは絶えずその破滅的な熱線が放射されている。
それぞれが何かを追うように、或いは追い詰めるようにして動き続けていた。
つまり、周囲はその過程でついでに壊されたに過ぎない。それ自体は目的とする必要すらなかった。
その発生源となる存在は建物で言えばおよそ三十から四十階建てに相当するだろうか。それも建物自体が周りから吹き飛んでしまっているせいで目測で測ることは非常に難しいけど。
この目算で測ることの難しい図体の八つ首の生物。想像通りなら名称は八岐大蛇で間違いない。
果たして神話上の生物とされたそれと相対することの出来る人間が今の時代に一体何人いるというのか。
それでもやるしかない。やらなければこの破壊が一体どこへ向かうのか定かではないのだから。
『抑えるよ』
『出来るの?』
『出来なきゃあの人が攻撃に移れないから、ねっ!』
気取られないように、雨を放つと同時に結界を展開する。
八つの首に対して首輪のようにして発動をすることで光線を自由に放てないように。
八岐大蛇の動きが一瞬だけ止まる。
しかし、それも本当にすぐに破壊されてしまった。
同時八箇所の展開は流石に強度面で不安があったか。
それでも隙は出来た。それを見逃す特級ではない。
『あの鬼の人間版みたいな人だね』
『凄い動きね。もう代わりに鬼を名乗ればいいんじゃないかしら』
それは同感だ。何しろ、先のほんの一瞬の内に間合いを詰めた剣豪らしい人は首を端から切り落としに掛かっていたから。
易々とやってのけているように見えてその実は神業と言っていい。
雨を降らせた時に感じた感触では、八岐大蛇の全身を覆う鱗はただそれだけで強固な結界のように堅牢だ。
先日の鬼のように不意の一撃で水を貫通させることは難しいだろう。
だから切ったところから大量の雨をぶつけて内部へ侵入させる。
『清花、防御してあげて』
『っ! もう、世話の掛かる……っ!』
言われてすぐに退魔師の方に意識を戻す。首を五つ切ったところで拘束から解放された残った首が今まさに光線を放とうとしていた。
自らの無事な首諸共に無慈悲な破壊が齎される。
それから守るために退魔師の目の前に対して局所的に何重もの盾となる結界を展開。
一枚では破壊されるのであれば、一枚に力を集約し、破壊されたそばからそのすぐ後ろに再展開し続ければいい。
全力で一秒は耐えられるのなら、単純計算で十枚張れば十秒は持ち堪えられる。
『特級が離脱したわ』
『凄い逃げ足だね。全然分からなかった』
こちらが防御している間にいつの間にか抜け出していたらしい。それに気付けるのは戦域全体を見渡している咲夜だからだろう。
ともあれ、これで仕切り直しだ——と思っていたら。
『このまま突撃する気ね』
『首が再生する前なのは分かるけどさ!』
刀で斬られて高熱の光線で焼かれても八岐大蛇の首はすぐに再生を始めていた。
このままでは一分と経たずに全ての首が生え揃うだろう。その前に、というのは戦術として理解はする。
するけれど、完全に防御を捨てて特攻するのはどうなのか。
おそらくは先ほどのように結界による防御を当てにしているのだろうけれど、それにしたって潔いに過ぎる。
まるで合わせて見せろと無茶振りを要求されているかのようだ。
『もう少し意思疎通をしてくれないかなぁ⁉︎』
先程のように距離を取るのと縮めるのではその間にある空間の隙間の大きさが全く違う。
空いた空間に何度も結界を差し込めた先ほどと違い、今度は少ない枚数で確実に耐え切らなければならない。
つまり一枚の強度を増すか、それぞれの隙間を出来る限り少なくする必要がある。
それか攻撃そのものを逸らすしかないか。
『咲夜、近寄って!』
何にせよ遠くからでは状況を把握するのは非常に難しい。ならばと退魔師から残った首を横から一望出来る場所に視覚を置いて盾を敷き続ける。
これは内側から押せば移動するようになっているので退魔師の目の前にある結界が最後の砦となるだろう。
最後に八岐大蛇が光線の出力を最大まで上げようとするのと同時に、掻き集めた水で顎を下から突き上げる。
ほんの少しの空白だけど、それを理解してからの動きはまさに一瞬だった。
残った光線で一枚また一枚と盾が剥がれていく中で特級は刀を鞘に収めたまま愚直に進み続けた。
そうしてあの人の間合いに入ると光線ごと大木のように太い首を三つ纏めて叩き斬る。
『やっぱり鬼じゃない』
内心で同意しつつも八岐大蛇を注意深く観察する。
胴体が暴れていてまだ死んでいないということは決着は着いていないということ。
全ての首を同時に斬ることで攻撃手段を失った相手がどうするのか、どうすれば殺すことが出来るのかを見極める。
『伝承では酔ったところを切り刻んだそうだけど』
『単純に斬っていれば死んでくれるってことでいいのかしらね』
『心臓を潰せば死ぬってことなら』
こちらの思考よりも反射的に動いているのか、特級退魔師はすでに胴体部を切り刻み始めている。
しかし胴体がとてつもなく巨大なこと、再生が早いこと、そしてその巨体が暴れていることで奥深くまで踏み込めない。
もたついていると首が再生しきってしまい仕切り直すことになる。
ここで勝負を決め切るには特級退魔師の攻撃を奥深くまで通す必要がある。
『どこが弱点になりそう?』
『背面の防御が薄いかもしれないわ』
『やってみよう』
やると言っても今までの攻撃では効き目は薄く、刀や槍として扱うにはただの浄界では強度が足りないことはもう試している。
雨で削るには八岐大蛇の生命力は膨大が過ぎる。ちまちまと削っていては何ヶ月掛かるか分からない。
結界は拘束は出来るものの攻撃には不向きだ。特にこの相手には鈍器として振るうにも力が足りない。
この使用する霊力が限られる中で、使える術や技の中で最大の威力を発揮する為にはどうすればいいか。
策はある。問題は出来るかどうか。試したことはあっても成功したことはあまりない。
それをこの場でやるのは博打に近い。失敗すれば却ってこちらが不利になる可能性だってある。
それでもこの相手に対して有効打を与えるには、勝つためにはもう”水で切る”しかない。
ただ刀剣を模倣するだけでは駄目だ。
目指すのは鉄の塊でさえ両断する機械工業製品並みでなければならない。
やることは単純、水を圧縮し圧縮し圧縮し続けるだけ。
内側に閉じ込める際に発生した反発する圧力を、結界で作った外殻で補強することで無理やりに抑え込む。
何重にも結界を重ねて、結界で結界を押し込んで。
雨に割いた霊力を結界に注ぎ込んで全てをこれに集約させる。
水を一点へ向けて圧縮させる。ただそれだけに意識の全てを集中する。
『これが……限界!』
限界まで至った圧縮を止め、逃げ場を求めて外へ逃げようとする水に逃げ場を与える為に直径として一ミリもない穴を結界にわざと空ける。それと同時に球体の結界を上方に向けて半回転させた。
八岐大蛇の光線を上回る速度で発射された水は刃としても機能した。
練習では成功率は五分といったところだったけど、今回は手応えはあったはず。
『どう⁉︎』
『成功よ。次を用意して』
見れば八岐大蛇の胴体部分が背骨をなぞったように中心から上に向けて包丁を入れた魚のように開かれていた。
声にならない悲鳴が八岐大蛇から発せられるけど、それは更に大きくかつ切実なものになっていく。
『まるで野生の獣のような人ね』
ポツリと溢した感想には失礼だけど同意だった。
体をまるで魚を解体する時のように捌かれた八岐大蛇に対し、これを勝機と見たらしい特級退魔師は開かれた胴体が再生力によって閉じていく前にその胴体の内部へと飛び込んで、勢いのままにその剣捌きでもって内部を全力でズタズタに切り裂いていく。
それは切断された胴体が元通りになっても変わらず、そこから脱出するように伝える術を持たない僕たちはそれを見ているしかない。
救出しようにも内部で動き続けているせいで水で切断することも難しい。
出来ることと言えば首が再生しないように役割を交代して切断し続けること。
それだって一度でも攻撃に失敗してはすぐに再生されてしまうから決して気を抜くことは出来ない。
『大丈夫なのか、なっ!』
『あの様子なら肉を食い破って出て来るんじゃない?』
『そんな野蛮人みたいに……。ん?』
念の為に圧縮水刀を使って首を切り落として再生力を胴体のみに使わせないようにしてはいるけれど、特級が閉じ込められてから数十秒が経とうとしている。まだ暴れてはいるみたいだから死んではいないはず。
こちらで胴体を輪切りにして救出しようと悩んでいると、唐突にその時は訪れた。
何やら雄叫びを上げたみたいな形で、特級退魔師が鬼気迫る顔でもって八岐大蛇の体内から飛び出てきた。
内部にいないならと準備していた水で胴体まで広範囲に切り付ける。
特級退魔師も外部に出ては刀を振るって既に死に体となった妖怪を斬る。
妖怪は声帯がないからか悲鳴のように体を震わせるものの、可哀想とは思わない。ここで手を緩めれば瞬く間に体を再生し元通りとなって襲い掛かってくることは間違いないからだ。
だから絶え間なく再生を上回る規模で攻撃をし続ける。
同時に二つまで圧縮可能にして再生する首を切り落とし、特級が付けた傷に雨を落として追い打ちをかける。
徐々に弱ってきてはいる。しかしそれが演技である可能性は高いし、瀕死の状態からであっても元通りになる回復力をこの妖怪は持っている。確実に絶命するまでは決して攻撃を止められない。
『しぶといわね』
『本当に、そろそろ死んで欲しいところだよ』
全力で攻撃をし続けるのは流石に負担が大きい。一番の負担なのはいつ終わるのか分からないということ。
今の僕たちは全力で拳を握り全身でそれを振るっているようなもの。
いくら霊力量に自信があると言っても、これでは霊力よりも先に気力が尽きることになる。
だから、これはもうどちらが根を上げるかの根比べだ。
『落ち着いて聞いて。どうやら気付かれないように内部で力を蓄えているみたい』
『……っ! 爆発でも起こして回復する隙を作るつもりなのかな』
おそらく特級退魔師が体外へ出たことで気付かれずに出来ると思ったのだろう。
推測だけど、これは自棄になっての自爆攻撃なんかではない。自分ならその後に再生して生き残ることが出来るであろうことを目論んでの抵抗だ。これによって吹き飛ばされてしまえば今までの攻撃の意味が無くなってしまう。
『やらせないよ』
僕や特級退魔師でさえ気付くのが遅れた攻撃だけど、残念ながらこちらには咲夜という眼があったことが向こうの敗因だ。
首への攻撃を止めて、今の出せる全力でもって教えて貰った箇所を圧縮した水で凝縮された妖力を撃ち抜く。
その時に発生した爆発が妖怪の中で発生し、逃げ場のない破壊の力は自らの肉体をも破壊した。
分かっているのなら防御することも容易く、結界で爆風を抑え込み、直後に特級退魔師が刀を上段に構える。
振り下ろされた刀は抵抗力を失った妖怪の体を見事に真っ二つに分けた。
すぐに再生をしようとするものの、その速度は先ほどより明らかに遅い。
やがて特級が前へと歩み、八岐大蛇の中心部分である心臓部らしき場所を斬った。
それがトドメとなったのか、八岐大蛇の動きから力が無くなっていく。
勿論、そこで攻撃を止めた訳ではない。少しの油断が敗北に繋がることを考えれば徹底し過ぎて損になることはない。
雨を降らし続け、合体しようとする体を結界で押さえ込んでいると唐突に抵抗する力が感じられなくなった。
『死んだわ』
咲夜にはこの妖怪の妖力の流れが視えているのだろう。
攻撃を止めたところ、もう再生は始まらなかった。
生物としての死を迎えた八岐大蛇は時折痙攣したように見えるけれど、もう立ち上がることはなかった。
念の為に雨を降らせて妖力を散らせているので死後に蘇るようなこともないはず。
大妖怪ともなればこれでも安心は出来ないものの、一応の区切りはついた。
特級退魔師はお疲れ様とでもいうようにその場に座り込んで空へ向けて手を振った。
それを見てこちらもやっと張り詰めていた空気も解けていく。
『……疲れた』
あの圧縮はとにかく集中力が要る。それを短時間に全力で連続行使していたせいで霊力はかなり持っていかれてしまったし、精神的にも疲弊していると言える。全く同じ戦いをすぐに出来るかと言われればかなり難しい。
『お疲れ様、と言いたいところだけど』
『分かってる。次に行こう』
幸いなのは短期決戦に徹したことで前回のような重い疲労ではないことか。
今の状態なら少しすればまた戦えるようになるはず。このことを見越して最初にここが選ばれたのかもしれない。
『その前に次の座標を確認するから接続を一旦切るわよ』
『……分かった。その間に一息入れようかな』
咲夜ならこのままでも座標の確認くらいは出来る。それでも接続を切るのは僕の疲労を案じてのことだろう。
こうして意識だけを飛ばす行為は知らず知らずの間に肉体の方で疲労が蓄積するから一定時間毎にそれを吐き出した方がいい。そう命ちゃんからも言われてはいたことを思い出す。
前回はそんな暇がなかっただけで。
経っていた時間は大体二十分くらい。つまり岩蔵さんの言葉通りという訳だ。
「清花お嬢様、水分は要りますか?」
「お願いします。次に摂れるのがいつか分からないので。咲夜にも同じのをお願いします」
大門先輩に手渡された飲料水を口に入れつつ、咲夜が座標確認や情報交換を行なっている間に言っておかなければならないことがある。
「さっきの威圧で分かったと思うけど、敵は本気だよ。ここに来るとすれば僕が疲弊した頃だから、多分もうすぐだと思う」
だからいつでも発動出来るように結界の準備はしておいて、と冬香に視線を向ける。
先ほどの威圧の影響が抜けきっていないのか、彼女は身震いさせて自身の体を抱きしめていた。
「あんなのがここに来るんですかね?」
「それは景文さんと特級退魔師の人が止めてくれるよ。来るのは下っ端だけ」
気配の種類からして、ここに来ているのは白面で間違いない。
それと負けず劣らずのもう一体の大妖怪が気になるところではある。
対してこちらは景文さんと援軍となる特級退魔師、両者の戦いは既に向こうで始まっている。凄まじい戦いの余波が建物を覆う結界を叩き続けていた。
僕が彼らに直接支援をすることはない。
結界の近くで戦うことで妖怪に多少の影響はあるとしても、それは無いよりマシ程度だろう。
「清花。次に行くわ」
「分かった」
咲夜には辛い役目をさせてしまっている。こうして悩んでいる僕を引っ張るのは自身の心も痛む行為だろうに。
ここから先は更に負担を掛けてしまうかもしれない。
「それじゃあ、みんなよろしくね」
僕への精神的負担も考えると妖怪側が仕掛けてくるのはこの後になるだろう。
迷えば対応が遅れる。
対応が遅れれば救える命が減る。
その中にはここにいるみんなや景文さん達も含まれる。
自分のすべき事をする為に、再び目を閉じた。




