↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/119

二話-8 前夜




 生放送の後も特に襲撃がある訳でもなく、次の日もそれまでと同じように霊具作りに奔走していた日々だった。

 変わったことがあるとすれば協会職員の人たちの態度が更に好意的になったことだろうか。

 何でも一般人の奇怪で突飛な行動には公務員としてずっと頭を悩ませていたことだったらしく、年下の女の子が最前線で命を張っているという立ち位置の僕から野次馬等の迷惑行為を止めるよう呼び掛けをしたことで、それに感化されたまともな周囲の人たちがその迷惑行動者たちを力尽くで制止させている一幕があったりしたという。

 これでも止まらない人は余程の人と言うことになる。流石にそんな人の責任まで持てと言う人はいないだろうし、それを許さない風潮が出来つつあることは良いことだ。

 

 迎える決戦前夜は思いの外に静かだった。この夜にでも襲撃がある可能性は考慮しつつも、ここまで来たら約束の時間までは何もないだろうという思いもある。

 不意打ちをすることで不規則な対応になるよりも正面から力押しで打ち負かす方を選んだという訳だ。

 つまりはそれだけ自分たちが勝つ自信があるということ。

 それは先行して来たあの鬼の強さからして推し量れる。

 その妖怪たちに勝つ為にやれることはやった。霊具も出来る限り量産したし、結界術師の見様見真似で新しい技術も身に付けた。

 あとは実戦でどれだけ力を引き出せるかが勝負の分かれ目。

 果たして本当に自分の力が趨勢を決定付ける力があるのか未だ疑問なところではあるものの、少なくとも決して無力ではないことは先の戦いを経て自信に繋がったと言える。

 明日の為に英気を養うべく今日は早くに寝る予定だったけど、そんな思考が浮かび続けたせいか寝付けなくて少し夜風に当たろうと部屋から続く露台に出た。

 そこで軽く息を吸って吐いたところで、後ろから声が聞こえてくる。


「不安なの?」


 ずっと頭脳労働をしていて疲れただろうからと起こさないように起きて出たつもりだけど、どうやら目が冴えているのは咲夜も同じだったらしい。肝心な時に風邪をひかないように纏っていた上着を彼女に掛けつつ、露台に備え付けてあった椅子に二人で座ることに。


「僕は不安というよりは、どちらかと言えば興奮かな。そういう咲夜こそ寝たんじゃなかったの?」


「私だって寝つきの悪い日はあるわ」


「僕相手に強がらなくたっていいのに」


「言葉にすると本当になるってことはあるでしょう」


「咲夜らしいね。……少し寒いし、何か飲む?」


「すぐに寝る予定だから遠慮しておくわ」


「そっか。じゃあ眠くなるまで少し話そうか」


 浮きかけた腰を再び沈めて、視線を外に向ける。雲間のない月明かりが眩しいくらいに照らしていた。

 静かな夜だ。風が吹くたびに木々が揺れて葉の揺れる音しか聞こえてこない。

 これを嵐の前の静けさというのかもしれない、などと考えていると。


「あれから色々してたようだけど」


「術のこと? それならそこそこって感じかな。何とか形にはなったと思う」


「貴方のそこそこって他の人と意味合いが違うのよね」


「そんなことは……ない、ような?」


「良い意味だから気にしないでいいわ」


 そう言われてしまえば言い返す必要もなくなる。

 咲夜は身を包む上着を更に深く着込みながら空を見る。


「貴方は後々気にするだろうから、いま言ってしまうことにするわ」


「うん」


「私たちの支援する場所は政府から伝えられる。それは私たちではなく向こうが助ける人を選ぶということ。私たちが手を出せる場所は限られているのだから、そこは人間側にとって勝たなければいけない場所になるわ」


「援護したからといって絶対に勝てるとは言えないけど、そういうことではあるよね」


「逆に援護の必要がない場所は手を出さずとも勝利するか、それとも手を出したところで敗北が決まっていると判断された場所になることは理解しておいて」


「……それで死人が出たとしても気にするなって言いたいのは分かってるつもりだよ」


「あの鬼の妖怪に対して数時間もの時間を掛けて倒したのは事実。それ自体は喜ばしいことよ。けれどそんな時間を十体以上来る大妖怪全てに費やす時間はないし、ついでにやって来るだろう有象無象も山ほどいるでしょう。親切に一体一体順繰りに出てくる訳もなく、全てが同時に進行する以上はどうしたって取り零しは発生する。現実問題としてそれら全てを救うことは不可能よ」


 厳しい現実だけど、避けては通れない道でもある。

 あの鬼がやって来て戦いが発生した以上は最早誰も白面の宣戦布告を悪戯だとは思っていない。

 戦いは間違いなく起こる。犠牲者も間違いなく出るだろう。

 その覚悟をしてもしなくても、恐らく結果は変わらない。

 結果を変えられるのは自分自身の行動だけ。


「……それは——」


「あっ、ほらいた! なんか声が聞こえると思ったらこんなところに!」


「ちょっと! 雰囲気的に今はマズいですって! もう少し待ちましょうよ!」


 僕なりの答えを言おうとした時、隣の部屋の露台から声が聞こえてきた。

 仕切りの上から千郷が顔を出してはいるものの、冬香に引っ張られているのかその体は前後に揺れている。

 そしてあまりに強い力で引っ張られたのか遂には千郷は仕切り板の向こう側に消えていき、そして強かに体を打ちつけるような音がした。


「騒がしいのが来たわね」


「まぁまぁ。湿っぽいよりはいいんじゃない?」


「私としては今日くらいは静かにして欲しいものだけれど」


「それは……無理なんじゃないかな。っていうか、まさか怪我はしてないよね?」


「あの二人を同じ部屋にしたのは失敗だったかしら」


 何かあった時にそれぞれが担いで運べるようにだったので仕方がないとはいえ、言う通りに失敗だったかもしれない。

 そうこうしている間にも二人は仕切りの突破を諦めて廊下に出てから僕たちの部屋の入り口から入ってきた。


「お二人とも、お菓子持って来ましたよ! 何食べますか⁉︎」


「清花、お茶淹れて! 牛乳入りの紅茶がいい!」


 入ってきて早々の騒ぎように咲夜がこめかみを抑えていた。

 だけど、まぁいい。将来を悲観して気分が沈むよりは今の気持ちを持ち続けた方が何倍もいい。


「咲夜は何を飲む?」


「……はぁ。私はただの水でいいわ」


 分かったと返してそれぞれの飲み物を用意しに部屋に戻る。

 それを合図としてか、何やら後ろから色々と聞こえてきた。


「ノリが悪くない? こういう時は少しでも思い残しがないようにするものでしょ」


「普段から思い残しのないように生きていればいいだけでしょう」


「だから今こうして全力でやってるんでしょうが」


「ハッ。貴方が睡眠不足が原因で死んだら葬式で大笑いしてあげるわ」


「ふーん、言うじゃん! その時はアンタも仲良く棺桶入りだから蹴っ飛ばして外に出してあげる!」


「貴方と一緒に棺桶入りとか煩くて敵わないから遠慮しておくわ」


「ふ、二人とも! 喧嘩はダメですよ⁉︎」


 相変わらずというか、どうしてあの二人はあそこまで相性が悪いのか。

 いや、ある意味では良いとも言えるのか。喧嘩するほど仲が良いとも言うみたいだから。

 ただその騒ぎをこの時間帯にするのは頂けない。


「二人とも、静かにしないと倉橋さんが来ちゃうよ」


「「…………」」


 あの人のことだから僕たちが起きていることは察知しつつも静観してくれているはず。だけど明日のことに差し障りがあると判断すれば強制的に解散させてくると思う。その要因となるのは二人の口喧嘩に他ならない。

 それぞれに飲み物を差し出しつつ注意すると、倉橋さんが関わることは避けたいのか二人とも口を閉ざす。


「飲み物は出すけど、あまり遅くならないようにね。寝れなそうなら僕が寝かしつけてあげるけど」


「えー? 清花が子守唄でも歌ってくれるのー?」


「ううん。こう、シュッとね」


 手刀の形で軽く腕を振るうと二人は気まずい顔をして頷いた。


「それで、どうして二人はまだ起きてたの?」


 寝付けなかったのは僕たちも同じだけど何となく二人の理由を聞いたところ、冬香と千郷は揃って僕の肩に手を置いた。


「それがですね、聞いて下さいよ清花さん」


「冬香がどうしても寝付けなーいって部屋の中をうろうろするから仕方なくね」


「ち、違いますー! 千郷さんが消灯時間なのにお腹が空いたからって食堂に行こうって言い出したのが発端じゃないですか!」


「そうだっけ? まぁそれはいいじゃん? 寝付けないって言ったのは嘘じゃないんだしさ」


「嘘じゃないとしても、それは千郷さんが真っ暗な廊下でいきなり怪談話を言い出すからですよ!」


 こんな時に腹が減って盗み食いに行く千郷に色々と巻き込まれたという形らしい。

 何とも昔からの千郷らしい出来事にただただ呆れるばかりだ。

 ある意味でいつも通りなのは凄いところだけど、空気が読めていないという点に関してはもう少し何とかならないものか。


「千郷? 冬香が寝付けないせいで明日に支障が出たらどうする気だったの?」


 悪いことだったとは認識しているのか、千郷は困惑気味に笑う。


「いやまさかあれくらいで怖がるとは思わないじゃん? だって退魔師だし、浄化使いだし?」


「……それもそうか」


 言われてみれば確かにそれくらいでは怖がる要素もないことに思い至る。

 浄化使いにとってそこらに漂うだけの怨霊は吹けば消えるような相手でしかないのだから。

 とはいえ、その件に関しては冬香にも言い分があるらしい。


「千郷さんみたいな脳筋には分からないかもしれませんが、元々一般人として暮らしていた私からしたら幽霊は恐怖そのものなんですよ! 脳筋さんたちには分からないと思いますけど、ねっ!」


 余程怖かったのか、冬香は半泣きになりながら煎餅を噛み砕いた。

 そのまま口の中でボリボリと更に噛み砕く音が静寂の中響き渡る。……なんとも風情のない音だった。

 そして脳筋という聞き馴染みのない言葉の意味に思い至ったらしい千郷が冬香を組み敷いてやろうと絡んでいて。


「二人とも、それくらいにしないと。いま誰かに見られてたよ」


「えっ? ……もう清花ってば嘘ばっかり」


「本当だよ?」


「えっ」


「ほら、今後ろに」

「ギャーーーーーッ⁉︎ ……あれ?」


 僕の言葉を受けて驚いた千郷だけど、すぐに誰の姿もないことに気付く。

 そしてその怒りの矛先は当然こちらに向いた。


「清花⁉︎ 何でそんな嘘吐くの⁉︎ 浄化使いとして、そういうのやっていいわけ⁉︎」


「プフっ、千郷さんってばさっき凄い悲鳴でしたね! ギャーって言ってましたよ?」


「くっ⁉︎ 清花のせいで恥ずかしい思いをしたじゃないの!」


「そう言われても。別に嘘は言ってないし」


 二人の動きが止まる。壊れ掛けの人形のようにぎこちない動きでこちらを見た。

 千郷の言う通り、浄化使いとして嘘はいけないことだ。例え些細な嘘だったとしても積み重なればいつか嘘を吐くことの抵抗感が薄れていくから。浄化の力のことを抜きにしてもするべきではないと僕は思っている。

 だから今回もそのようにしていたし、何らおかしなことはしていない。

 千郷は僕が嘘を言っていないと宣言したことに首を傾げ、そしてもう一度視線を後ろへ向ける。


「ほ、ほら、やっぱり何もいないじゃん。清花ってばそんな真顔で嘘を言うなんて——」


「いや……ほら、あそこに隠されてるやつがこっち見てるでしょ」


 ここは自然が豊かなだけあって、建物の近くにも樹木や草、茂みが沢山ある。

 その中でも僕が指したのは木の幹にある小さな窪み。そこには確かにこちらを向く機械の目があった。

 距離としては三十メートル。機械の大きさは女性の人差し指一本分くらいなので気を付けないと見つけられないけども。


「あら、本当。よく気付いたわね」


「自然の中の人工物だからすぐに見つかったよ。隠そうともしてないから簡単ではあったけどね」


 金属の光沢を消そうともしていないし、ここに視線が集中していないの含めて、別に隠し撮りをするつもりで設置した訳ではないだろう。おそらく要人警護の為か、他の機械の目の届いてないところを補う目的のはず。

 こちらを見ているのが誰かは知らないけれど、大門先輩だったら一言くらい声を掛けてもおかしくはない。

 変な視線こそ感じないものの、ここには寝る前の薄着姿の女の子たちしかいないので水を使ってこちらを見えないようにしておいた。


「あと、もう見えないようにしておいたから気にしないでいいよ」


「ご苦労様。……貴方たちは何をやっているの」


「アンタは眼があるからいいけど、私たちには見えないの!」


「そうですよ! っていうか清花さんはどうやって気付いたんですか⁉︎」


 咲夜は当然のように力を使って見たけど、どうやら二人にはあの機械が見えない様子。

 二人して柵を乗り出して目を凝らすもののどうやっても見えないらしい。


「仕方ないなぁ。ほら、これで見えるでしょ」


 水を使って光の屈折を作り出して擬似的な虫眼鏡のようなものを作り出す。

 この技術は遠くの妖怪の情報を得る為に編み出したものだけど、まさかこんな用途で使うことになるとは。

 目の前に広がった視界の奥の景色、そこにある機械らしきものを見つけた二人はようやく納得をした様子で席に着いた。


「つまり、あれで今までのことを見られていたってこと?」


「多分そうだけど、多分監視していたのは女性の人じゃないかな。それと邪な視線はなかったから安心して。あとで録画は消して貰うようにも頼んでおくからさ」


「清花がそう言うなら……。あーあ、緊張したらお腹が減ってきちゃった」


 そう言いながらお菓子を摘んで口の中に放り投げる千郷だけど、その油断が命取りだった。


「こんな時間に間食とは関心しませんね。千郷さん?」


「ひっ、ひぃぃぃいっ⁉︎ いつの間にいたの⁉︎」


「たった今ですよ。お邪魔にならない程度に去ろうと思っていましたが、見逃せない行為があったので来てしまいました」


 倉橋さんの視線は千郷たちが持ってきたお菓子に注がれる。

 僕と咲夜は手を付けていないのでその圧の対象外だったけど、主犯の二人は泣きそうな顔で体を抱き合っていた。


「夜食はお肌によくありませんし、明日に必要な栄養分とは程遠いのであまり褒められたものではないでしょう」


「で、でも……っ!」


「これが最後の晩餐だと思うのならそれも結構ですが、そうでないのなら体調に気遣った物を食べるべきですね」


 二人は倉橋さんの言葉にぐうの音も出ない様子で頷く。

 それからお菓子を持って「遅くならないように」とだけ言って部屋から出て行った。


「僕たちが起きていたらあの人まで寝られなくなっちゃうからそろそろお開きにしようか」


 倉橋さんももう年だし、僕たちに付き合わせていたら疲れが明日まで残ってしまいそうだ。

 明日がどうなるか予想出来ないのだから出来るだけ体力を回復させた状態が望ましい。

 しかしまだまだ騒ぎたいお年頃の約二名は口には出さないものの不満を隠しきれない様子。


「二人とも、倉橋さんが言ったようにこれが最後って訳じゃないんだから」


「そんなの分からないじゃん。もしかしたらこれが……」


 千郷にしてはやけに後ろ向きな様子だ。いつもだったら我先にやってやると言って憚らない彼女が。


「何だか様子が変だね。もしかして何か変な物でも食べた?」


「違うからっ! 流石にそれは酷くない⁉︎」


「だからあれほどお菓子の賞味期限は気にするように言ったのに」


「だから違うってば! いつもなら分かってくれるのにどうして分かってくれないの⁉︎」


 どうやら本当に気持ちが否定的な方向に傾いてしまっているようだ。

 そうなる気持ちは分からないでもない。何せ相手は退魔師協会の本部を襲撃して大勢の一級退魔師を返り討ちにしたほどの大物だからだ。そんな怪物が十何体も同時にやってくるという。これで恐怖を感じない人はいないだろう。

 一級の妖怪を相手に出来るようになった僕と千郷では見えている世界が違うと言っても過言ではない。

 三級や四級の退魔師からしたら一級の妖怪は決して太刀打ち出来ない遥か高みの化け物なのだから。

 いつの間にやら広がってしまったこの感覚の差はすぐには埋め難いものなのだと思う。

 その僕の立場から千郷や冬香、咲夜までを安心させてあげる言葉は何かあるかと考えるけど残念ながら思いつかない。

 この恐怖感を和らげるのに単なる言葉だけでは不十分だ。ならば————


「千郷、こっちにおいで」


「えっ? うん……って、ちょ」


 言われるがまま近くに寄って来た千郷を引き寄せて抱擁を交わす。

 退魔師の五感で言えばお互いに心臓の音まで聞こえるような行為に千郷の心臓の音は激しく鳴り響いていた。


「せ、清花⁉︎」


「大丈夫。千郷は僕が不安がったり怖がったりしているように感じる?」


「そ、それは……しない、けど」


「多くの言葉は言わないよ。だからよく聞いて。妖怪だとか戦争だとか、勝ちとか負けるとか、そんなことは考えないで千郷は僕だけを見て考えていればいい。僕は必ず勝つ。ただそれだけを信じていてくれないかな?」


「信じる。……もう大丈夫。ごめん。らしくなかった」


「いいよ。千郷だって女の子なんだから怖いものだってあるよ」


「それを言ったら清花はどうなのよ? 特級退魔師が護衛なんて、大妖怪が絶対にこっちに来るって言われてるようなもんじゃない」


「僕にとって怖いのは他の誰かが傷つく光景を見ることだからね。妖怪はその次だからあまり大したことはないのかも? 千郷だって一番嫌いな食べ物と二番目に嫌いな食べ物のどっちかを絶対に食べなきゃいけないってなったら二番目の方は食べられるでしょ?」


 言葉が返ってこない。例えを間違ったか。千郷や他の二人からは呆れるような視線が突き刺さる。

 感覚としては似たようなもののはずだけど、これはあくまでも自分にとっての感覚でしかないらしい。

 千郷が離れると、次は自分の番だとばかりに思い切り腕を広げている子が一人。


「冬香は……なんか疾しいことを考えてるからいいか」


「良くないですよ⁉︎ ズルいですっ、私にもハグやって下さいよ! 平等の権利を主張します!」


「仕方ないなぁ。ほら、おいで」


 抱きついてきた冬香は案の定というか、抱擁した傍から思い切り匂いを嗅いできたので早々に引き離しておいた。

 残る一人はおそらくはしないだろうけど、仲間ハズレもどうかと思って手を広げる。冬香も千郷も冷やかしの準備をするように手で拡声器の真似事をしようとしていた。

 しかし、予想とは正反対に咲夜はすんなりと腕の中に収まった。


「びっくりした。咲夜は来ないものだと思ってたよ」


「これでやらなかったら私が避けてるみたいじゃない。芹井さんみたいに長い時間する必要はないわ。だからこれで終わり」


 自主的に離れた咲夜だけど、もしかしたら鉄のように硬い意志の奥では少しの恐怖があったのかもしれない。

 そんな感情は頑として表に出さないから気づきにくいけど、咲夜も一人の女の子なんだと再認識する。

 だからこそ、守らなければいけない。命を賭してではある。だけどそれは投げ捨てるという意味ではない。絶対に生き延びてやるという誓いを改めて己に刻み込む。


「それじゃあ、今度こそおやすみだね。二人とも、歯磨きはちゃんとしておくんだよ?」


 精神的に落ち着きを取り戻した二人を返したことで静寂が訪れた部屋。

 空になった湯呑みを片付けて寝る準備をしてから寝室へと戻ると、そこでは咲夜が布団の上で座っていた。


「どうしたの? まだ眠れない?」


「いいえ。あの馬鹿騒ぎに付き合っていたら眠気が襲ってきたくらいよ」


「じゃあ、どうして?」


「仕方ないから……」


 文脈としては正しくはない気もするけどとりあえず聴くと、咲夜は至極当たり前のような顔をして言った。


「一緒に寝てあげるわ」


「……じゃあ、一緒に寝ようか」


 色々と説明を端折っているせいで何が仕方ないのか分からないものの、それを追求すると咲夜は拗ねてしまいそうだ。なのでここは大人しく言うことを聞く。ただそれだけでいい。どうせ後は寝るだけなのだから。

 こんなことをするのが恐怖か怯えからか、それとも別の理由からなのかはまた今度じっくり考えればいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。