表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/28

夏合宿と、窓越しの旋律

インターハイ予選を突破し、鳳凰学院バレー部は全国大会への切符をかけた最終予選を前に、京都の山間部にある合宿所へと移動した。


蝉時雨が容赦なく降り注ぐ山の中。体育館にはクーラーなどなく、四方の窓を全開にしても湿った空気が淀んでいる。


「いい? 全国を狙うなら、ただボールを追うだけじゃダメ。自分の呼吸とボールの回転を同期させるの。……それができるようになれば、この暑さだってあなたの味方になるわよ♡」


監督の言葉は相変わらず哲学的だ。私たちは朝から晩まで、何度も何度も同じパターンの攻撃を繰り返した。疲労で指先が震え、心拍数が耳の奥で鳴り響く。


合宿四日目の夜。

消灯時間を過ぎても、私は眠れずにいた。部屋の窓を開けると、ヒグラシの鳴き声が遠くで聞こえる。

私はふと、ピアノの鍵盤を叩く指の動きを空中でなぞった。姉が遺した『エリーゼのために』の、あの繊細な旋律を、自分の身体の中に染み込ませるように。


「……眠れないのか?」


廊下から聞こえた声に、私は弾かれたように振り返った。

消灯後の廊下に立っていたのは、九条玲司さんだった。彼もまた、昼間の練習で追い込みすぎて、身体を冷ましていたのだろうか。


「……はい。少し、頭の中がバレーボールでいっぱいで」


「同じだね。……僕も、トスの軌道のことばかり考えてた」


彼は窓枠に寄りかかり、星明かりの下、静かに微笑んだ。

昼間の体育館での威圧感とは違う、どこか頼りないような、年相応の少年の表情。


「清水さん、君のプレーを見てると不思議な気持ちになるんだ。すごく必死なのに、どこか優雅というか……。あんなふうに、自分の全部をかけてボールを愛せる人って、なかなかいないよ」


「そんなことないです。私、ただ、目の前のことに一生懸命なだけだから……」


「それが一番難しいんだよ」


彼がふいに私の方を向いた。

廊下の薄明かりの中、彼の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。

心臓がうるさいくらいに鳴り出した。これが合宿の疲れのせいだなんて、もう嘘をつけない。


「……ねえ、清水さん。合宿が終わったら、京都に戻って、また予選が始まる。その時まで、この高揚感、忘れないでいてくれる?」


彼はそう言って、まるで約束を交わすように私の指先を――いや、それは私の空想かもしれない。彼はただ、窓の外を指さしただけだった。


「はい。……全国、行きたいです」


「ああ、必ず行こう」


二人の間で、夏の湿った空気が少しだけ甘い香りに変わったような気がした。

姉のピアノを弾くことはまだできない。けれど、今、目の前にあるこの緊張感と高揚感は、間違いなく私の新しい旋律だ。


翌朝、私はこれまでで一番、高く跳べた気がした。

チームの結束、全国への憧れ、そして、確実に見え始めた「誰か」への想い。

それらすべてを背負って、鳳凰学院の夏は、最高潮へ向かって走り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ