夏合宿と、窓越しの旋律
インターハイ予選を突破し、鳳凰学院バレー部は全国大会への切符をかけた最終予選を前に、京都の山間部にある合宿所へと移動した。
蝉時雨が容赦なく降り注ぐ山の中。体育館にはクーラーなどなく、四方の窓を全開にしても湿った空気が淀んでいる。
「いい? 全国を狙うなら、ただボールを追うだけじゃダメ。自分の呼吸とボールの回転を同期させるの。……それができるようになれば、この暑さだってあなたの味方になるわよ♡」
監督の言葉は相変わらず哲学的だ。私たちは朝から晩まで、何度も何度も同じパターンの攻撃を繰り返した。疲労で指先が震え、心拍数が耳の奥で鳴り響く。
合宿四日目の夜。
消灯時間を過ぎても、私は眠れずにいた。部屋の窓を開けると、ヒグラシの鳴き声が遠くで聞こえる。
私はふと、ピアノの鍵盤を叩く指の動きを空中でなぞった。姉が遺した『エリーゼのために』の、あの繊細な旋律を、自分の身体の中に染み込ませるように。
「……眠れないのか?」
廊下から聞こえた声に、私は弾かれたように振り返った。
消灯後の廊下に立っていたのは、九条玲司さんだった。彼もまた、昼間の練習で追い込みすぎて、身体を冷ましていたのだろうか。
「……はい。少し、頭の中がバレーボールでいっぱいで」
「同じだね。……僕も、トスの軌道のことばかり考えてた」
彼は窓枠に寄りかかり、星明かりの下、静かに微笑んだ。
昼間の体育館での威圧感とは違う、どこか頼りないような、年相応の少年の表情。
「清水さん、君のプレーを見てると不思議な気持ちになるんだ。すごく必死なのに、どこか優雅というか……。あんなふうに、自分の全部をかけてボールを愛せる人って、なかなかいないよ」
「そんなことないです。私、ただ、目の前のことに一生懸命なだけだから……」
「それが一番難しいんだよ」
彼がふいに私の方を向いた。
廊下の薄明かりの中、彼の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
心臓がうるさいくらいに鳴り出した。これが合宿の疲れのせいだなんて、もう嘘をつけない。
「……ねえ、清水さん。合宿が終わったら、京都に戻って、また予選が始まる。その時まで、この高揚感、忘れないでいてくれる?」
彼はそう言って、まるで約束を交わすように私の指先を――いや、それは私の空想かもしれない。彼はただ、窓の外を指さしただけだった。
「はい。……全国、行きたいです」
「ああ、必ず行こう」
二人の間で、夏の湿った空気が少しだけ甘い香りに変わったような気がした。
姉のピアノを弾くことはまだできない。けれど、今、目の前にあるこの緊張感と高揚感は、間違いなく私の新しい旋律だ。
翌朝、私はこれまでで一番、高く跳べた気がした。
チームの結束、全国への憧れ、そして、確実に見え始めた「誰か」への想い。
それらすべてを背負って、鳳凰学院の夏は、最高潮へ向かって走り出した。




