真夜中の調律
キィ、と重い扉を押し開け、私は夜の体育館に足を踏み入れた。
月明かりだけが差し込む静まり返ったコートは、昼間の圧倒的な敗北の記憶を冷ややかに湛えている。
私は一人、誰もいないコートの真ん中でボールを抱きしめ、怜の言葉を反芻していた。
『君たちのそれは、ただ「自分たちから崩れている」だけよ』
核心を突かれていた。白鳳学園に勝ったことで、私はどこか奢っていたのだ。私たちの「カオス・アンサンブル」は、いつの間にか型に嵌まった、計算通りの「綺麗なお手製のノイズ」に成り下がっていた。怜のような、圧倒的な規律とフィジカルを持つ本物の怪物には、そんなすました奇策など、ただの「予測しやすいエラー」に過ぎない。
「……私の指揮が、甘かったんだ」
唇を噛み締めたその時、背後からギシッと床が鳴る音がした。
「やっぱりここにいた。指揮者が一人で落ち込んでちゃ、楽団は解散だよ?」
振り返ると、そこには結衣と美咲が立っていた。
昼間の激戦で膝や肘には何重にもテーピングが巻かれ、体はボロボロのはずだった。だけど、二人の瞳の奥にある炎は、微塵も消えていなかった。
「結衣、美咲……どうして」
「どうしてって、決まってるじゃん」
結衣が不敵に笑い、ボールカゴからボールを掴み取る。
「あんな澄ました顔のロボットたちに、このまま負けて帰れるわけないでしょ。悔しくて寝られるかっての!」
美咲も、いつものおっとりした雰囲気を消し、鋭い目で私を見つめた。
「宗子さん。私たちの不協和音が安っぽい雑音だなんて、あんな綺麗なだけの演奏しか知らない人に言われたままでいいんですか?」
仲間の言葉が、冷え切りかけていた私の胸にドクドクと熱い血を送り込んでいく。
私は、自分の過ちに完全に気がついた。
完璧なメトロノームを狂わせるには、小綺麗なミスを混ぜるだけじゃ足りない。相手の規律そのものを力ずくで巻き込み、狂わせるほどの、「泥臭い執念と、予測不能な熱量のうねり(グルーヴ)」が必要だったのだ。
「……綺麗に崩れようとするのを、やめよう」
私は二人に向き直り、きっぱりと言った。
「次の試合、私はもっと無茶苦茶なトスを上げる。タイミングも、高さも、全部その瞬間の本能で決める。美咲、どんなに無様な格好になっても、床に這いつくばってでも繋いで。結衣、ブロックが三枚いようが、身体ごと突っ込んでボールを叩き割って」
「望むところだよ!」と結衣が叫ぶ。
「演奏のクオリティなんて知るか、です。私たちの魂の音を、ただ力任せにぶつけましょう」美咲が応える。
月明かりの下、私たちの「真夜中の調律」が始まった。
パン! パシッ! と、静寂を切り裂くような激しい音が響き渡る。
それは洗練された音楽では決してない。息を乱し、汗を飛び散らせ、お互いの限界を何度も踏み越えていく、泥臭い咆哮のようなセッション。
しかし、ボールを繋ぐたびに、チームの血流が一つになっていくのが分かった。
ただのノイズじゃない。これは相手を恐怖させる、私たちの「生命のグルーヴ」だ。
怜、待っていなさい。
次の演奏会では、あなたの完璧な楽譜を、私たちの血と汗でめちゃくちゃに塗りつぶしてあげる。




