静かなるプレリュード
合宿所の体育館の重い扉を開けた瞬間、私たちは異様な静寂に包まれた。
普通、強豪校の練習といえば、割れんばかりの声出しや、床を叩く激しい足音が響くものだ。しかし、聖華女子のコートから聞こえるのは、極めて統制された「音」だけだった。
キュッ、キュッ、と完全にシンクロしたシューズの摩擦音。
パン、パン、と等間隔で刻まれるレシーブの音。
選手たちの呼吸さえも一つの生き物のように連動しており、まるで巨大なメトロノームが体育館の空気を刻んでいるかのようだった。
「……何、これ。ロボットみたい」
結衣が思わず声を漏らす。いつもなら「よし、負けないぞ!」と息巻く彼女の身体が、その異質な空気にわずかに強張っていた。
「いらっしゃい、宗子。待っていたよ」
コートの奥から、一人の少女がこちらに歩いてきた。
長身を包む聖華女子のユニフォームを完璧に着こなし、乱れのない黒髪を揺らす。彼女こそが、聖華女子のキャプテンであり、私の過去を知る少女――佐倉怜だった。
怜は、かつてピアノのコンクール会場で見せていたのと同じ、優雅で気品のある微笑みを浮かべていた。一見すると、懐かしい友人を温かく迎え入れるような、穏やかな空気。
「遠いところわざわざありがとう。元気そうで安心したわ」
「怜……」
私がその名前を呼ぶと、怜の視線は私の顔から、私の足元の泥だらけのバレーシューズ、そして背後にいる結衣や美咲へと移動した。その切れ長の瞳の奥に、冷徹な光が宿る。
「本当にバレーをやっているのね。最初は冗談かと思ったけれど……でも、随分と楽しそうな『おままごと』を見つけたじゃない」
「おままごと……?」
美咲の眉がピクリと跳ねる。
怜はクスクスと小さく上品に笑ったが、その言葉には鋭利な刃が仕込まれていた。
「ええ。あなたたちがやってきた試合のビデオ、見せてもらったわ。何だか『カオス・アンサンブル』なんて大層な名前で呼ばれているみたいね。意図的にミスを混ぜて、相手の計算を狂わせる……。確かに、泥泥した地方の有象無象を騙すには、ちょうどいい奇策だわ」
怜は一歩、私に近づく。彼女から漂う高級な石鹸のような香りが、かえって現実感を狂わせる。
「でも、あんなのは音楽でもバレーでもない。ただの、泥臭くて安っぽい不協和音。私たちが何年もかけて磨き上げてきた『完全な楽譜』を、そんな雑音で書き換えられると思わないことよ」
「……!」
結衣が憤然と一歩前に出ようとしたが、私はそれを手で制した。
怜の言葉は、私の胸の奥に深く突き刺さる。彼女の言う通り、私たちのバレーは洗練からは程遠い。泥にまみれ、傷つきながら、ようやく形にした歪な叫びだ。
だけど――。
「ありがとう、怜。相変わらず、綺麗な言葉で人を刺すのが上手ね」
私は真っ直ぐに怜の瞳を見返した。
「でも、その完璧なメトロノームが、私たちの『雑音』を聴いたときに、最後まで狂わずにいられるかしら。演奏会を楽しみにしているわ」
私の言葉に、怜の微笑みが一瞬だけ凍りついた。しかし、彼女はすぐにまた優雅な笑みを浮かべ、背を向けてコートへ戻っていく。
「ええ、楽しみにしているわ。あなたがピアノを捨てて選んだものが、どれほど価値のないものか、その身体に教えてあげる」
静まり返った体育館に、再び正確なメトロノームの音が響き始める。
私たちの合宿は、かつてない冷徹な支配者の洗礼とともに、幕を開けた。




