表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/32

宵山の熱と、ボールの重み

七月に入ると、京都の街は祇園祭の熱気に包まれる。

四条通には巨大な鉾が建ち並び、コンチキチンという祇園囃子の音が、どこからともなく風に乗って運ばれてくる。


鳳凰学院の体育館もまた、熱気に満ちていた。外の気温と湿度が上昇するにつれ、体育館内の空気は、まるで濃縮されたスープのように肌にまとわりつく。


「清水、今の入り、あと一歩右! 相手のセッターがトスを上げる『瞬間のクセ』を見逃すな♡」


監督の指示は、湿気に負けないほど鋭い。

私たちは今、夏の合宿を前にしたハードな練習の渦中にいた。中学時代の仲間たちが、それぞれの高校でどう戦っているのか気になるけれど、今は自分の足元の床と、目の前のボールに全神経を集中させるしかない。


その日の夜、練習を終えた私は、家路の途中で少しだけ寄り道をした。

提灯の明かりが灯る宵山の風景は、どこか夢の中のように幻想的だ。浴衣を着た人々の笑い声を聞きながら、私はふと、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。森本くんが作ってくれた「相手アタッカーの攻撃パターン分析表」だ。


「……ここが、こうなるから……」


誰にも邪魔されない場所で、私はシミュレーションを繰り返す。

ふと、隣から「熱心だね」という声がした。

振り返ると、そこには男子バレー部で生徒会長の、九条玲司さんの姿があった。私服姿の彼は、制服の時とはまた違う、少しだけ柔らかい雰囲気を持っている。


「九条さん……! お疲れ様です」


「お疲れ様。清水さんだよね。女子部の練習、すごく評判がいいよ。特に、レシーブの安定感が一年生とは思えないって」


玲司さんの言葉に、胸が跳ねた。

ただの社交辞令かもしれない。けれど、鳳凰学院のエースにそう言ってもらえたことは、何よりの勲章だった。


「いえ、まだまだです。……ただ、ボールに触れていると、自分が自分らしくいられる気がして」


「わかるよ。バレーをしてると、悩みとか全部コートに置いてこられるような気がするよね」


彼と並んで歩く数分間。

祇園囃子の音色が、私の鼓動を少しだけ加速させる。

私は『恋なんて知らへん』と思っていたけれど、この瞬間、隣を歩く彼の気配と、夏の夜の湿度を帯びた空気の心地よさに、心が少しだけ甘く揺れた。


「全国、行こうね」


玲司さんが短い言葉を残して、雑踏の中へ消えていく。

その背中を見つめながら、私は握りしめていた分析表を鞄にしまった。


家に帰れば、母が冷たい麦茶を用意して待っている。

リビングには、ピアノの旋律こそ流れていないけれど、静かで温かい時間が流れている。

父が教えてくれた馬の血統のロマンを胸に、私は明日もまた、コートという名の舞台へ向かう。


祇園祭の風が、私の少しだけ上気した頬を冷やしていく。

普通の女の子である私の、普通じゃないほど熱い夏が、今、始まろうとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ