宵山の熱と、ボールの重み
七月に入ると、京都の街は祇園祭の熱気に包まれる。
四条通には巨大な鉾が建ち並び、コンチキチンという祇園囃子の音が、どこからともなく風に乗って運ばれてくる。
鳳凰学院の体育館もまた、熱気に満ちていた。外の気温と湿度が上昇するにつれ、体育館内の空気は、まるで濃縮されたスープのように肌にまとわりつく。
「清水、今の入り、あと一歩右! 相手のセッターがトスを上げる『瞬間のクセ』を見逃すな♡」
監督の指示は、湿気に負けないほど鋭い。
私たちは今、夏の合宿を前にしたハードな練習の渦中にいた。中学時代の仲間たちが、それぞれの高校でどう戦っているのか気になるけれど、今は自分の足元の床と、目の前のボールに全神経を集中させるしかない。
その日の夜、練習を終えた私は、家路の途中で少しだけ寄り道をした。
提灯の明かりが灯る宵山の風景は、どこか夢の中のように幻想的だ。浴衣を着た人々の笑い声を聞きながら、私はふと、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。森本くんが作ってくれた「相手アタッカーの攻撃パターン分析表」だ。
「……ここが、こうなるから……」
誰にも邪魔されない場所で、私はシミュレーションを繰り返す。
ふと、隣から「熱心だね」という声がした。
振り返ると、そこには男子バレー部で生徒会長の、九条玲司さんの姿があった。私服姿の彼は、制服の時とはまた違う、少しだけ柔らかい雰囲気を持っている。
「九条さん……! お疲れ様です」
「お疲れ様。清水さんだよね。女子部の練習、すごく評判がいいよ。特に、レシーブの安定感が一年生とは思えないって」
玲司さんの言葉に、胸が跳ねた。
ただの社交辞令かもしれない。けれど、鳳凰学院のエースにそう言ってもらえたことは、何よりの勲章だった。
「いえ、まだまだです。……ただ、ボールに触れていると、自分が自分らしくいられる気がして」
「わかるよ。バレーをしてると、悩みとか全部コートに置いてこられるような気がするよね」
彼と並んで歩く数分間。
祇園囃子の音色が、私の鼓動を少しだけ加速させる。
私は『恋なんて知らへん』と思っていたけれど、この瞬間、隣を歩く彼の気配と、夏の夜の湿度を帯びた空気の心地よさに、心が少しだけ甘く揺れた。
「全国、行こうね」
玲司さんが短い言葉を残して、雑踏の中へ消えていく。
その背中を見つめながら、私は握りしめていた分析表を鞄にしまった。
家に帰れば、母が冷たい麦茶を用意して待っている。
リビングには、ピアノの旋律こそ流れていないけれど、静かで温かい時間が流れている。
父が教えてくれた馬の血統のロマンを胸に、私は明日もまた、コートという名の舞台へ向かう。
祇園祭の風が、私の少しだけ上気した頬を冷やしていく。
普通の女の子である私の、普通じゃないほど熱い夏が、今、始まろうとしている。




