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湿った更衣室の溜息

夕闇が体育館を包み込み、練習がようやく終わった。

部員たちが引き上げた後の更衣室には、部活独特のむせ返るような汗の匂いと、制汗スプレーの甘い香りが入り混じっていた。


私はロッカーの前に座り込み、ユニフォームを脱ぐ気力もなく、ぼんやりと自分の指先を見つめていた。練習中、自分のサーブがネットすれすれで失速した瞬間の感覚が、どうしても頭から離れない。


「……また、深読みしてる」


隣のロッカーから声がした。加藤さんだ。彼女は着替えながら、鏡越しに私を見ていた。


「宗子、練習後のその時間は、自分を殺すための時間じゃないよ。ボールを触っていない時の自分が、一番大切なんだから」


彼女はそう言うと、持っていたタオルを私の頭にぽんと投げつけた。タオル越しに、彼女の少し湿った体温が伝わってくる。


「先輩、疲れませんか。……今の鳳凰学院は、誰もが『勝たなきゃいけない』って顔をしていて。コートに入った途端、息をするのも苦しくなるような……」


私の言葉は、驚くほど湿っぽく、そして弱々しかった。

加藤さんは手を止め、更衣室の蛍光灯を見上げた。古くなった照明が、ブーンという低い音を立てて明滅している。


「疲れるよ。私も、あと数ヶ月で引退だし、もっとバレーを楽しめばよかったって、正直思うことも多い」


彼女は苦笑し、静かに続けた。


「でもね、宗子。私たちは選んだの。楽な道じゃなくて、この熱くて、苦しくて、たまに最高に楽しい場所を選んだ。この『更衣室の溜息』も、卒業したら一生味わえないんだから、今は思いっきり味わっておきなさい」


加藤さんは私の肩を軽く叩くと、先に更衣室を出て行った。

バタン、と重いドアが閉まる音が響く。


私は彼女が去った後の空間で、深く深く息を吸い込んだ。

汗の匂い、古びたロッカーの錆の臭い、外から微かに聞こえる蝉の鳴き声。


「……そうか」


私は立ち上がり、ユニフォームを脱ぎ捨てて制服のシャツに袖を通した。

この息苦しさも、今の私にしか味わえないものなんだ。

優勝したからといって、すべてが光り輝いているわけじゃない。むしろ、光が強い分、影はどこまでも濃く、冷たい。


ふと、バッグの中にしまいっぱなしにしていたピアノの練習用ノートが目に入った。

姉の死後、ただの義務のように書き連ねていた音符たち。


私はそのノートをそっと鞄から取り出し、一番最後のページに、バレーの練習中に感じた「ボールがネットに触れた時の感覚」を、言葉として書き留めた。


『今日のサーブは、湿ったピアノの鍵盤みたいだった。指が重くて、思うような音が出なかった』


それは、誰にも見せない秘密の記録。

バレーの天才でも、王者のエースでもない。

ただ、自分の心と向き合う一人の女の子としての、小さな、小さな一歩。


更衣室の出口まで歩き、私は最後にもう一度、照明が明滅するこの場所を振り返った。

明日は、今日より少しだけマシな音が奏でられるだろうか。

そんなことを考えながら、私は夜の校舎へと足を踏み出した。

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