第八話
八話目です。よろしくお願いします。
『アオシ……アオシ……』
太陽のように暖かな声色が、凍り付いた身体の芯をゆっくり溶かしていく。
(だれだ……)
イノはその声に身をゆだねる。
分厚い雲がかかった記憶に、イノは必死に手を伸ばした。
(だれだ……あんたは……)
それでも届かない。
手を伸ばせば伸ばすほど、それはかすみ、遠のいていく。
『アオシ……』
「アオシッ!! 起きろ!!」
「ッ!?」
金属が擦れ合うような不快な音。
意識がハッキリとしていくのと共に、全身へと痛みが回る。目の前には見知った顔があった。
「ゴドウ、どうしてここに」
「いつまで経っても連絡が来ねぇからだよ! 心配になって探してみたら……何なんだよアレは!?」
重い身体を起こして状況を確認する。
そこでは、ミトトギがフードを被った大男と戦っていた。細身の彼女は、男の攻撃をくらわないよう、身を捻りながら舞っている。
「ゴドウ、俺はどれくらい眠ってた」
「二、三分ってとこだ。動けるならツキナちゃん回収してさっさと逃げるぞ!」
「ヤナギを、置いていけない」
「大丈夫だ! ここにいる!」
ゴドウに抱えられたヤナギを見たイノは安心したように息を吐いた。そしてふらつきながらも立ち上がる。
「おや、起きたか」
無言のまま飛ばされた圧に、ノトが反応する。手負いでありながらも、イノの瞳の奥はまだ燃えていた。
「お、おい、アオシ?」
「さっき分かった。あいつは……ダメだ」
「ダメって、何がだよ?」
イノは意識が途切れる前の、最後の光景を思い出す。
自分へ向けられた視線。そこには彼への殺意どころか、何の感情もこもってはいなかった。
命令への絶対的な服従。自我の存在しない、暗闇のような心。
もし、ヤナギがあの白と共に行ってしまったら。行きつく未来は、イノにも容易に想像できる。
「アレは、ヤナギに近づけちゃダメだ」
なぜ男がノトの命令に従うのか、イノには分からない。
イノは自分の内にある危険信号が、怪力と特殊な力を操る大柄な男ではなく、楽しそうに微笑んでいる白髪の男へ向けられていることに気づく。
「おい待て! アオシ!!」
ゴドウの静止を振り切り、イノは深い前傾姿勢からロケットのように飛び出した。
「ふゥむ……まだ動くか」
「イノくんっ!」
スタートから数歩進んだ時点で、彼は既に自らの射程までたどり着いている。
「ミトトギ、どけ」
「はいっ!」
ミトトギは満面の笑顔を浮かべたまま、言われた通りにイノの進路を確保した。
「――ッ!」
男の腰を抱え込むような形でタックルを放つ。
勢いをそのままに、ダンプカーのような力で男の身体を押していく。
「おっと」
進行方向にいたノトがひらりと身をかわす。イノはそのままハイエースに男を叩きつけた。
「マ、マジかよ……」
「さ、流石……イ、イノくんです!」
しかし、イノは止まらない。
ひしゃげたアルミのようなハイエースの車体。そこに押しつけられた男に、イノは追撃の拳を入れていく。
防御の構えを取る間もなく、彼の拳が男の顔面に食い込んだ。
目にも止まらぬ連撃。衝撃でクッション代わりになっていたハイエースが、どんどん原型を保てなくなっていく。
そして、男は動かなくなった。
「と、止まりました……」
「やった……のか?」
男の姿を見て、拳の嵐は吹き止む。
しかし、その隙を突くかのように男は大きく息を吸った。
「それはもう見た」
喉を目がけて放たれる突き。その槍のように鋭い一撃は男の呼吸を乱し叫びを止める。
そしてそのまま、首を掴んで男の身体を放り投げた。
二メートルを超える男の身体は廃墟の床を転がっていき、今度こそ倒れて動かなくなる。
「ふゥむ……」
それをノトはつまらなさそうに眺めていた。
「再生力も低下。被験者捕獲のため、非殺傷能力を持ってきたのが間違いだったか」
「ノト……マヒル……」
「無理するなよ、イノ アオシくん。立ってるだけで精一杯だろう?」
「くっ……」
「イ、イノくん!」
男が放り投げられた先で、ミトトギがイノを呼ぶ。
彼女は震える指で、男の肩の辺りを指した。
「こ、この人にヤ、ヤナギさんと同じあざが!!」
「なんだと……」
ボロボロになった男の右肩辺りには、確かに彼女の言うようなあざが見える。
「ふゥむ……あざのことは知っているのか」
「ま、待て……」
動けないイノには一瞥もせず、ノトはヤナギの方へと歩きだす。
「んっ……」
「ヤナギちゃん! 目が覚めたんだね!」
「ここは……っ!?」
眠たげに辺りを見渡していた小さな目が、それを見た瞬間に見開かれる。
「やぁ! おはようヤナギ。よく眠れたかな?」
人当たりのよい柔和な笑顔。
目覚めたヤナギはその微笑みを見た途端、青い顔をして震えだした。
「お、おい! ヤナギちゃんに近づくんじゃねぇ!!」
「安心しなよ。ボク一人じゃヤナギは取り返せない。それどころかキミらの誰一人にも勝てないよ」
ノトは予定通り、ヤナギの遥か手前、フードの男の前で足を止めた。
「っ! だめっ!」
「ヤナギ?」
「ヤナギちゃん!?」
必死の形相でヤナギは手を伸ばす。ノトは何も聞こえないかのように、男の前で膝をついた。
「今日のところはコレを持って帰るだけにするよ。だけど、忘れないことだ。ボクの言ったことに嘘はない。その子はキミらの手に余る」
「何を――」
ノトは素早い手つきで耳に何かを入れると、取り出したナイフを男の肩に突き刺した。
「なっ!?」
「だめぇっ!!」
「ヤナギちゃん暴れないで!」
血液と肉の擦れる音が辺りに響く。ある程度男の肩を切り裂くと、ノトはその傷口に右手を入れた。
血にまみれながら男の肩をまさぐる。その光景に、ヤナギ以外の人間が動けなくなる。
「お、あった」
くじ引きでもするかのように、ノトはゆっくりと男の肩からそれを引っ張り上げた。
それは彼らもよく知るもの。
「花札……」
男の血で真っ赤に濡れた白い手袋、その手の中には確かに『花札』があった。
その札には深紅の梅の木と、薄緑色の鳥が描かれている。
「『梅に鶯』……」
「あ……あぁ……」
「それじゃあ、またねヤナギ」
ノトが指を鳴らすと、瓦礫の中からフードの男が這い出てくる。男はイノから与えられたダメージを感じさせない動きで、四足歩行でノトのもとへと駆けていく。
そして二人は廃墟の出口へと走り去っていった。
「待て!」
「イノくん! ま、待ってくださいっ!」
追いかけるべく足を動かそうとしたイノを、ミトトギが止める。
今度は、彼女の指摘がなくとも分かった。
「身体が……」
肩から花札を抜かれた男の身体が、内側から波打っている。
全身に広がる梅の花が光り輝き、ついには身体中から梅の花が咲いた。
「花ぁ!?」
「ほ、本物……なんでしょうか?」
「それよりアイツを――」
男の目と口が大きく開かれたのを、イノは見逃さなかった。
「ッ!! 全員耳を塞げ!!」
イノの合図で全員が耳を塞いだのとほぼ同時、男の衝撃波が廃墟中に響いた。
「み、耳がっ!?」
「なんだぁ!?」
耳を塞いでも脳を揺らすほどの絶叫。空気を丸ごと振動させ続ける。
永遠に続くかと思われたその断末魔は、唐突に終わりを告げた。
「花が……」
叫んでいる間にも増殖し続けていた梅の花。それはやがて、男の全身を覆い隠した。
そして散る。男の身体ごと。
「き、消えちゃいましたぁ……」
「マジでどうなってんだよ……」
灰色の廃墟に舞う、真っ赤な梅の花。
「……ごめんなさい」
その幻想的にも見える光景に、ヤナギは涙を流していた。
その謝罪が誰に向けてなのか、それはヤナギにしか分からない。
イノはそれを聞こうと、ヤナギに手を伸ばす。
しかし、目の前にそびえる壁が、それを阻んだ。
「あ、れ」
遅れてそれが地面であることに気づく。
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてくるが、それに何かを返せる余裕は彼にはなかった。
『アオシ……』
懐かしい声と共にまどろみがやって来る。
イノの意識は、再び暖かな暗闇へと沈んでいった。
読了、ありがとうございました。
またよろしくお願いします。




