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第十六話

十六話目です。よろしくお願いします。

 四方が白い壁に囲まれた空間。

 天井は高く、部屋の広さも十分あるはずなのに、なぜか閉塞感が付きまとう。

 まるで何かの実験場のような部屋に、ヤナギはいた。


「イノ……」

「キミは懲りない奴だな。イノ アオシくん」


『猪鹿蝶』に掴まれないよう、イノはすぐに飛びのき、ヤナギの前へと着地する。


「おい、アオシ」

「あぁ。ありがとう」


 ゴドウはバイクに取りつけられていたビニール傘を、イノに向かって放り投げた。

 ごく普通のビニール傘。どこにでも売っていそうなそれを、イノはしっかりと受け取る。


「おいおい! まさか、そんな安物の傘でボクの『猪鹿蝶』に勝つ気かい?」

「お前、何を言ってるんだ。傘は人に向けるものじゃない」


 反転し、ノトに背を向けるイノ。


「傘は、こうやって使うものだ」


 力なく座り込む少女に、イノは広げた傘を差し出す。


「なんで、なんで……」

「ヤナギ、話がある」


 目線を同じくしたイノ。ヤナギのうるんだ瞳には紛れもないイノ自身が映っている。


「俺は、今まで俺を信じることができなかった。他人を信じるのが怖くて、自分勝手にヤナギを助けた気になって……俺は、俺が信じられなかった」


 あの日、イノは確かに、ヤナギの中にかつての自分を見た。

 けれど、イノとヤナギは違う。


「そんな俺が何を言っているんだと思うかもしれない。だが、そんな俺だから、言わせてくれ」


 違うからこそ、イノだからこそ言える言葉。


「信じろ。ヤナギ」


 信じる。


「今だけでいい。少しだけでいい。ゴドウでもミトトギでも俺でもない、自分を信じてくれ」


 自らを再び地獄へ突き落とすような決意を、イノは見た。

 そして、そんな決意はいらないと、彼は心の底から思ったのだ。


「もう怖い思いをすることはない。辛いことも痛いこともしなくていい。お前が信じたいと願う男は、必ずお前を助けてくれる。……そう、信じてほしい」


 今言える全てを言い切ったイノ。傘を握る手に込めていた力を、少しだけ緩める。


「……いいの?」


 そう尋ねるヤナギの目には涙が浮かんでいた。


「わたし、自分の力なのに、ぜんぜん使えないし……パパもママもわたしのせいで……」


 イノは何も言わず、ただ傘を傾ける。


「自分のこと、よく分かってないし、上手く喋れないし――」


 今にも溢れそうな涙を堪え、ヤナギは傘の柄を掴んだ。


「――それでも、信じていいの? わたし、わたしのこと好きになっていいの?」

「あぁ」


 いつもと同じぶっきらぼうな返事。それでもイノの手からヤナギの手へと確かな温度が伝わっていく。


「イノ……助けて……」

「そのために、俺はここにいる」


 傘をヤナギに預け、イノは立ち上がる。

 振り返ると、ノトはいつもの笑みでイノを見ていた。


「感動的な演説をどうもありがとう。おかげでヤナギが自己嫌悪から立ち直れそうだよ」

「お前に感謝される筋合いはない」

「ふゥむ……それもそうか。なら、さっさと消えてくれ。これから彼女の手術があるんだ」


 ノトが手を上げると、『猪鹿蝶』の背からイノに向かって、無数の角が伸びてきた。


「避けろ!」


 ヤナギを抱え、イノが号令をかける。それを合図に三人はバラバラの方向へと跳ぶ。

 枝分かれした無数の角は壁へと深く突き刺さった。


「やはり適応されたか」

「あれがアオシの言ってた能力だな」

「枝分かれする角……きょ、強力ですけど、分かっていれば避けられます!」

「キミら、本当にただの高校生かい?」


 バイクを端に寄せるゴドウ。細く削ったハサミを構えるミトトギ。

 イノはヤナギを下ろし、二人と同じくノトを囲むように立つ。


「アオシ見てたら戦い方なんて分かんだよ。あとは……友情パワーってやつ?」

「あなたはイノくんを傷つけたあなたはイノくんの大事なヤナギさんを傷つけたイノくんを傷つける人は全て敵だからあなたは私の敵私は敵を決して逃がさない許さない」

「ヤナギは連れていく。お前はもう、何もするな」


 ノトは三人を前にしても何も動じない。笑みを崩さず、白衣のポケットから出したタバコに火をつけた。


「ふゥむ……ならば、阻止させてもらおうか。『猪鹿蝶』」


 その一声で、三メートルある巨体が地面に深く沈みこむ。


「殺せ」


 命令と共に、男がイノの目の前から消えた。


(来る――)


 正面からの突進。まるでトラックのような、速く重い衝撃がイノの身体を壁まで吹き飛ばす。


「アオシ!」

「問題ない」


『猪鹿蝶』の身体が当たるのと同時に、イノは後ろに飛びのき衝撃を緩和した。

 それでも、防御のために交差した腕はしびれてまともに動かせない。


(来ると分かっていたのに、避けきれなかった……)


「こここここここここころころころころころころ」


 六つの目がイノを捉え、(いびつ)に肥大した腕が大きく振り上がった。


「イノくんに近づくなッ!!」


 ミトトギの投げたハサミが、『猪鹿蝶』の腕に刺さる。

 それに反応するように、男の身体はゆっくりとミトトギへ向いた。


「ミトトギ! 掴まれるな!!」

「はいっ!」


 頭上から振り下ろされる掌を、ひらりとかわす。

 床にヒビが入るくらい強烈な一撃を、ミトトギはすんでのところでかわし続ける。


「……まさか、本当に数回見ただけで『猪鹿蝶』の異能を見切ったのか?」


 今までのイノの動き、そして彼の出した指示を見て、ノトの顔から笑みが消えた。

 代わりに、イノの顔にぎこちない笑みが浮かぶ。


「三つだ」


 ノトに向かって三本の指を立てるイノ。


「なに?」

「『背中から枝分かれする角を出す』『触れた相手から力を吸い取る』『高速で突進する』……この男には三つの能力がある」


『萩に猪』『紅葉に鹿』『牡丹に蝶』。『猪鹿蝶』が三種の花札をかけ合わせたと言ったのは、紛れもないノト自身。

 それを、イノは一回の戦闘で見抜いた。


「俺はもう見た。そして負けた。お前が言ったんだ。俺の強さは適応する力だと」


 ばらけたイノたちを捕らえるため、『猪鹿蝶』は再び角を出す。

 しかし、その攻撃が三人に当たることはない。


「適応、したぞ」


 避けながらハサミを飛ばすミトトギ。うち一つが、『猪鹿蝶』の目に突き刺さった。


「かかかかっかかかっかかかっかかっかか」

「あと五つ……」

「ツキナちゃん怖っ! てかアイツも痛がってんのか?」


 奇怪なうめき声を上げる『猪鹿蝶』。その目からは赤い血が流れているものの、刺さったハサミを気にしている様子もない。


「……確かにキミは尋常でない適応力を持っている。だが、いくらキミが動きを見切ろうと勝てはしない。『猪鹿蝶』はボクの最高傑作。花札に生身の人間が勝つことなど、あり得はしない!」


 イノを目がけて深く身体を沈みこませる『猪鹿蝶』。彼が何度も見て、そして一度も完璧に対処できなかった、突進攻撃の合図。


「お前の御託はもう沢山だ」


 イノもまた、男に倣って身体を低く落とす。

 まるで円盤投げの選手のように、『猪鹿蝶』に背を向けた。


「何の真似だ……イノ アオシ!」


 ゴドウとミトトギは黙って男から離れる。イノから『猪鹿蝶』まで、まっすぐな線で繋がるように。


「来い。俺が終わらせてやる」


 もはや、イノは男を見てすらいない。

 しかし、そんな彼を前に『猪鹿蝶』は動くことをためらった。理性ではなく本能で危険を感じ取ったのだ。


「ンがあッ!!」


 恐怖をうち払うように吠え、『猪鹿蝶』は地面を蹴る。

 イノまでの一直線、到達まで一秒もかからない。紛れもない最高速度のタックル。


「――ッ!!」


 空気が切り裂かれるような轟音。

 刹那、『猪鹿蝶』の身体が壁まで吹き飛ぶ。

 イノとは真逆の方向に。


「何が、起こった」

「が……が……」


 極限まで振りかぶったイノが、回転を利用し、全体重を乗せて拳を放つ。

 その単純であり得ない事象が、ノトの目の前で起きていた。


「あのスピードで向かってくる物体を、拳で打ち返した? バカな……そんなことが……」

「オレらがこんなこと言うのもあれだけどよ、やっぱバケモノじみてやがるな」

「き……『鬼神』と呼ばれるのも、な、納得できます……」


 壁にめり込んで全く動かない『猪鹿蝶』。そんな男を眺めながらゴドウとミトトギはつぶやいた。


「ふぅ……」

「イノ!」


 駆け寄るヤナギ。イノはぎこちなく微笑み返したものの、その手足には強烈なしびれが残っていた。


(手も足も折れていない……奇跡だな)

「……ふ、ふふふ、ははははは」


 ブツブツと独り言を繰り返していたノトは、やがて腹を抱えて笑いだした。

 口からタバコが落ちたのにも気づかず、ひたすらに笑い続けている。


「な、なんだ? ぶっ壊れたか?」

「ノト マヒル……」


『猪鹿蝶』が一瞬にして倒され、再びヤナギが連れていかれてしまう。

 そんな状況で、涙が出るまでノトは子どものように笑っていた。


「素晴らしい! 今日はなんて素晴らしい日なんだ!!」

「は?」


 笑い終えたノトは、両手を広げ、神に感謝するように天を仰ぐ。


「ボクは! この花札から生み出されるバケモノたちこそボクを天才へ押し上げてくれるピースだと信じていた! だが! それすら越えようとする力が! 今ボクの目の前にある!! 完成形などとは程遠い! 上には上がいるということは、挑戦できるということは! なんて素晴らしいんだ!!」


 大きく見開かれた目、引きつったように笑う口、指の先まで力が入った両手。

 喜んでいる。

 誰がどう見ても、ノトはこの状況を楽しみ、そして感謝すらしていた。


「気持ち悪い……」


 誰が言った言葉なのか、誰にも分からない。

 しかし、それがノトが持つ特性であることに、疑う余地はない。


「お前は、一体何なんだ。なんで、こんなことしているんだ?」


 イノの質問に、ノトは首を傾げる。


「んあ? ボクが研究をする理由かい? 似たようなことを聞かれた気がするけど、そうだな……」


 ノトの顔から笑みが消え、取り繕ったような悲しげな瞳でイノとヤナギを見た。


「ボクには大切な人がいるんだ。だが彼女は大きな病を患っていてね。医者も(さじ)を投げ、いつ息を引き取ってもおかしくない状況で今も病室で眠っているよ。ボクは彼女を救うため研究を重ねた。そしてたどり着いた、花札に。キミらも見ただろう? 花札を取り込んだ人間の回復力を。だからボクは花札を研究している」


 用意されたセリフを読み上げるように、彼は淡々と答える。


「どうだろうか。我ながらあり得そうな理屈を並べてみたが、こんな理由があればキミたちは満足かい?」

「なんなんだ……本当に、なんなんだ、お前は」


 全く動じることなく、口から出まかせを吐いたノト。

 イノは初めて、ノトという男に恐怖した。


「なに、少しからかっただけさ。ただ、イノ アオシくん。キミも覚えておくといい」


 ノトは白衣のポケットをまさぐる。


「この世界には理屈の通じないものが存在する。キミがこれまで培ってきた常識やルールに当てはまらないもの、そんなものを前にし『なぜ?』と問うのは意味がない」


 そして、ノトはポケットから真っ黒な拳銃を取り出した。


「悪役に『なぜ?』があるのは、物語の中だけさ」

「イノっ!」

「アオシ避けろ!」


 凶暴な怪物のような銃口。しかし、イノはそれを見た瞬間、ノトに向かって走り出した。


「イノくん!?」

「ミトトギッ!! 撃たせるなッ!!」

「はいっ!」


 イノの言葉にいち早く反応し、ミトトギが走りだす。


「そう、ボクがキミたちに勝つことはできない。銃なんて、キミたちに当たるはずもない」


 彼の狙いはイノではない。

 狙いを定めるため、自分のこめかみに銃口をあてがう。


「さぁ! さらなる挑戦といこうか!!」


 真っ白な空間に響く一発の銃声。

 ノトの真っ白な眼帯が、白衣が、髪が、肌が、一瞬のうちに赤く染まった。


「撃ちやがった!」

「じ、自殺……」

「違う!!」


 立ち止まったミトトギを置いて、イノが前に出る。

 彼の中には確信めいたものがあった。

 先ほどまで狂気じみた喜びを表現していた男が、自殺などするはずがない。


(あれは、『挑戦』だ! あいつは自分を撃つリスクを背負ってまで、何かに挑戦した!!)


 イノはノトを信用していた。

 彼の脅威、彼の狂気、彼の恐怖。

 その全てが、今までの自分の想像を超越するものだと。


「……あ」


 ノトの身体がゆっくりと、自分で作った血だまりに落ちていく。

 その倒れていく最中に、イノは目が合った。

 さながら夜空に浮かぶ満月のような、美しい瞳。

 ノトの眼帯、衝撃ではじけ飛んだ包帯のその向こうにある、彼の充血しきった真っ赤な目とは似ても似つかない目と。


「月」


 次にイノが見たのは、真っ白な天井だった。

 遅れて全身に激痛が走る。トラックに引かれたような衝撃が、彼の困惑ごと身体中を揺さぶった。

 そして、すぐに視界は暗転する。


「イ、イノくん……」

「何も、見えなかった……」


 ノトが自分の頭を撃ちぬいた瞬間、イノが倒されていた。それ以外の情報を、この場にいる三人は持ち合わせていなかった。


「ふゥむ」


 地面にめり込むイノから手を離し、ノトはいつものように溜息を吐く。

 そして、呆然とする三人を、両目で見据えた。


「『(すすき)(つき)』。ボクでは少々、力不足だがね」


 真っ黒な白目に囲まれた、月のように白い瞳。

 三人の視線は、自ずとその右目に吸い寄せられる。


「なっ!?」

「こ、これは……」


 気づくと、ゴドウとミトトギはどこか違う場所にいた。

 目の前に広がるのは一面の夜空。星一つないその空間に、丸く大きな月が浮かんでいる。

 満月。白く輝いている。

 一点の曇りもなく。

 白く。

 ただそれだけの、白。


「ミトトギ! ゴドウ!」


 しかし、ヤナギの目には違うものが映っていた。

 イノが倒されたあと、なぜか二人の動きは止まり、ヤナギの声にも反応しない。


「無駄だよ。彼らの意識はここにはない」


 そう言うと、ノトは無防備な二人の身体に拳を入れた。

 イノ以上のパワーで繰り出される攻撃で、二人は壁の方へ吹き飛んでいく。


「ふゥむ、やはり制御は難しいか」


 攻撃により割れたノトの拳。それが修復していく様を眺めながら、彼はつぶやいた。


「イノ……みんな……」

「安定とは程遠い状態。そのはずだが……なぜだ? ボクの精神状態は未だかつてないほど平穏。安定している」


 ノトはヤナギには目もくれず、自分の手を見つめ話し続けている。


「ヤナギとは違い、安定した適合者が見つからなかった『芒に月』。だが、その認識は誤っていたのか? この札がボクの手元にやってきた時点で、既にこの札はワタシを選んでいたのか? いや、そうではない。問題なのは今まさにボクの精神面に起こっている変化だ。この札を取り込んだとき、ワタシは間違いなく高揚していた。なのに今のボクはどうだ? 何も感じない。まるでボクがワタシでなくなっていくような……ワタシがボクであるようなボクが白くボクは白でワタシはきっとどこにもいなくてどこにもいないのはワタシでボクは月で光は白くてどこまでも白くてワタシはきっと白に染まってどこまでもどこまでも白は白くて白い白に白く白――」

「うるさい」


 強烈な右フックがノトの頭部を襲う。

 血に染まった鬼神が、ノトの完璧な白に終わりを告げた。


「黙って聞いてたらベラベラと……俺の周りはそんな奴らばっかりだ」


 今にも倒れそうなイノは、それでも立っている。

 それを見たノトは、また笑っていた。


「キミは! 本当にキミはボクを驚かせてくれる! イノ アオシ!!」

「そうか。お前が楽しそうで、不快だ」

「それじゃあもっと不快になってもらおう!!」


 ノトからの突進を、イノは正面から受け止める。しかしその勢いを殺しきれず、壁まで押し込まれた。


「ここでは狭すぎるな!」


 壁にめり込んだイノの身体が、ゆっくりと持ち上がる。

 そしてそのまま壁を削りながら、彼の身体ごと天井を突き破っていった。


「イノっ!」


 二人の姿はあっという間に見えなくなる。

 一人取り残されたヤナギは、ただ大きく開いた天井の穴を見つめることしかできなかった。


「……い、行かなきゃ」


 しかし、ヤナギの足は言うことを聞かない。

 目の前で起こった不可解な出来事、そして積み重なった恐怖が彼女の身体をすくませた。


「これじゃ、わたしはまた」

「大丈夫、です」


 弱々しい声が壁の方向から聞こえる。

 ヤナギが見ると、フラフラとした足取りで歩いてくるミトトギがいた。


「ミトトギ……」

「大丈夫。私たちは、イノくんとヤナギさんを……会わせるために来たんです」

「そういう……こと!」


 何もない空間に、バイクのエンジン音が響き渡る。


「行こうぜ、ヤナギちゃん」


 ビニール傘をしっかりに握りしめる。

 気づけばヤナギの身体から震えはなくなっていた。


「……うん。行こう」

読了、ありがとうございました。

またよろしくお願いします。

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