第十一話
十一話目です。終盤なので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
「はい。はい。分かりました。ありがとうございます」
画面に表示される通話終了の文字。
振り返ると、ヤナギが心配そうに見上げていた。
「イノ」
「大丈夫。ただの休校連絡だ」
「きゅうこう?」
「今日はずっと家にいるってことだ」
外はバケツをひっくり返したような大雨が降っている。
朝からついていたテレビの向こうで、アナウンサーが数年に一度の豪雨であることを告げていた。
「……なら、遊んで、ほしい」
控えめにイノの袖口を引っ張るヤナギ。彼は彼女の頭をなでてから、テレビを消した。
夏が近づくこの時期、大雨による休校は決して珍しくない。イノのような高校生は、突然生じた休息を満喫するだろう。
しかし、次の日も、その次の日も、雨は降り続いた。
それが一週間も続けば、身の危険を感じるようになる。
「雨、止まないな」
「ん……」
テレビでは連日豪雨を知らせるニュースが流れ、一部の地域では避難勧告まで出ていた。
引き続き休校を継続しているイノは、その日もヤナギと共に荒れている空を眺めている。
「ここもいつ勧告が出るか分からない。避難の準備だけはしておこう」
「ん、手伝う」
「ありがとう。じゃあヤナギはそこの部屋からカバンを持ってきてくれ。銀色のやつだ」
「んっ」
離れた祖父に無事を知らせるため、スマートフォンを操作しながら階段を上っていくイノ。
ヤナギは言われた通り、銀色の避難用カバンを引っ張ってきた。
「イノ、持ってきた」
「やぁ、ヤナギ。久しぶりだね」
あまりにも唐突。
部屋中を満たす湿った空気を、白い声が震わせる。
ざあざあという雨の音が、ゆっくりとヤナギの耳から消えていく。
「え……」
あるはずもない白が今、ヤナギの目の前にいる。
「なん……で……」
「変なことを聞くね。キミを迎えに来たに決まってるじゃないか」
明るく笑うノト。
その背後から、鬼神の蹴りが迫る。
「っ! イノっ!!」
しかし、その攻撃はノトにまで届かない。
「――ッ!?」
ガラス戸を破壊し、外から巨大な人影が走りこんでくる。
まるでトラックにひかれたような衝撃がイノの全身を襲う。
(なんだこの威力!?)
押入れのふすまごと壁にめり込んだイノは、ぶつかってきた相手を目視した。
「キミは少し大人しくしてなよ。イノ アオシくん」
「おと。おとなし。おとなしく」
ノトの言葉を反復する、複数の人間が混じったような声。その声の主は『梅に鶯』と同じフードをかぶり、あれよりもさらに大きい。
ゆうに三メートルを超える巨体は、背を丸めても天井についている。
「紹介しよう。彼の名は『猪鹿蝶』。キミのために連れてきたんだ」
「おと。おとととと。ななななししししし」
「この前のあれから学んでね。簡単な言葉だが喋らせてみた……っと、こんなことをしている場合ではなかったな」
ノトはもうイノに見向きもしない。後ずさるヤナギへと一直線に歩を進めた。
「やめ――」
「おとなしく。しろ」
フードの手がイノの頭を掴む。イノが全く振りほどけないほどの力。
呼吸まで止められそうな手の中で、彼は黄色の羽を持った蝶を見た。
(こいつは、なんだ!?)
イノの周囲を蝶が舞う度、イノの身体から力が抜けていく。
「イノ!」
フードの男が手を離すと、イノはその場に倒れこんだ。
指一本動かせない。まるで、身体の力すっぽりと抜け落ちたように。
「さぁ、ヤナギ。一緒に帰ろう」
ノトが手を差し出す。後ずさったヤナギの背中が壁についた。
「……いや」
「なに?」
「わたしは、行かない」
ヤナギの答えを聞いたノトは、困ったように手を口元に持っていく。
「ふゥむ……ヤナギ。ワガママを言っている場合じゃないんだ。このままだと、キミの大好きなイノ アオシくんやその友人たちが危ないんだよ?」
「え……」
(ヤナギ……耳を貸すな……)
イノの言葉は声にならない。
ノトやヤナギの姿も、今のイノにはかすんで見えていた。
「ここ一週間ほど降り続いている雨、これは普通の雨じゃない。花札……『柳に人』の能力が降らせているのさ!」
『柳に人』。柳の葉の下で、赤い着物の人間が傘をさしているが描かれたそれは、今でもヤナギの身体に眠っている。
「つまりこの災害級の暴風雨は、キミが降らせているんだよ」
窓の外では風が鳴いている。彼女を責め立てるように。
「う、うそ……」
「嘘じゃない。研究所を逃げ出したときも、キミはその異能で壁を破壊したじゃないか」
割れ物を触るように、ノトは自分の右目にある包帯をなぞった。
「忘れたとは言わせないよ。キミはその力で研究所を逃げ出し、ボクの右目を潰し、大好きなお父さんとお母さんを殺したんだ」
「ちがう……」
「そして今度は、その力でイノ アオシくんや彼が住む街を沈めようとしている。キミだって薄々分かっていただろう? キミの力を」
「やめて、ちがう」
「そしてキミはまた、大切な人を殺すんだ」
「ちがうっ!!」
涙ながらに叫ぶヤナギ。
ノトはそれを、微笑みながら見つめている。全ては自分の掌の上であるとでも言うように。
「そうだ! キミはそんなことを望んではいない! だが今のキミでは『柳に人』の力をコントロールできない。ならどうすればいいか……」
そして実際、全ては彼の予定通りだった。
「ボクと来るんだ」
まさに悪魔のささやき。
踏み込めば間違いなく地獄が待っている。
「多少苦しい実験が待っているかもしれないが、大丈夫。大切な人を殺してしまうよりかはマシさ」
分かっていても、ヤナギは踏み込むしかない。
彼女は知っている。大切な人を失くす悲しみを。
「……分かった」
「いい子だ。ヤナギ」
差し出された手を取ったヤナギ。満足そうなノトは、フードの男を連れ部屋を出ていく。
「待て……」
そんな二人を追いかけるべく、歯を食いしばり、イノは立ち上がった。
「キミも困った人だ、イノ アオシくん。彼女に固執する理由は見つかったのかい?」
「みみみみみみ」
今のイノに答える気力はない。ただ拳を握り、目の前の男を睨みつけることしかできない。
「キミの強さは前回のでよく分かったよ。確かに驚異的な身体能力と精神力を有しているようだが、重要なのはそこじゃない」
腰を落として戦闘態勢に入る男に、イノもかろうじて拳を繰り出す構えに入った。
「キミの本当の強さ。それは……適応力さ」
ノトの言葉が終わるのと同時に、男のフードの中から幾重にも枝分かれした何かが飛んでくる。
(角!?)
まるで鹿の角のようなそれは、イノにとって全く予想外の攻撃だった。
「どんな攻撃でも一度くらえばその仕組みを理解し、二・三回目には完全に対処できる。ならばその『一度』が致命的になればいい」
無数の攻撃に対応しきれず、イノの脇腹に致命的な一撃が入る。
吹き出す血。イノが傷に熱を感じたときには、既に身体は投げ出されていた。
「さぁ、『猪鹿蝶』。とどめを」
「だめっ!!」
割れたガラスの向こうで、雨と風がさらに強くなる。
「わたしは一緒に行く! それでいいでしょ!? イノには何もしないで!!」
フードの男の前に立ちふさがるヤナギ。まるでイノを守るような彼女と、風が吹き荒れる音に、ノトは男を引かせた。
「そうだね。これ以上キミの感情を刺激することはよそう」
「や、なぎ……」
「大丈夫、だから」
イノのうめき声に、ヤナギは振り向かず答える。
「今度は、わたしが守る、から」
決意に満ちた言葉。しかし、その声には少しの震えが混じっていた。
(だめだ……行くなヤナギ……)
遠ざかっていく白と青。
どれだけ力を入れようとも、イノの身体は動かない。
いくら手を伸ばしても、ヤナギには届かない。
「さぁ、乗るんだ」
「…………」
家の傍に止められた車に、ヤナギは自らの足で乗り込んでいく。
雨も彼女の行く手を阻むように、車を打ちつけていた。
「ふゥむ、雨が強いね……ん?」
豪雨に打たれながら、血を流す鬼が立っている。
「キミは本当に、しつこいね」
もはや、どうやって立っているのか、イノ本人ですら分かっていない。
「ヤナギは自分の足でボクの下へ帰るんだ。キミたちのためにね。キミはそんな彼女の思いを踏みにじるのかい?」
イノの耳には何も届かない。
ただ、彼の目には立ちふさがる黒い塊しか見えなかった。
「ここここころろろろろろ」
「あの子の力は感情に左右される。殺さない程度にしろ」
一歩、二歩、歩みを進めた鬼は、正面からの黒い塊に吹き飛ばされ、雨で濡れたアスファルトを転がっていく。
(ヤナギ……俺は……)
車が走り去る音も、次第に雨で塗りつぶされてしまった。
読了、ありがとうございました。
またよろしくお願いします。




