第十二話
十二話目です。よろしくお願いします。
目が覚めると、無機質な天井が広がっていた。
窓ガラスに打ちつける雨は、明らかに弱まっている。
イノはすぐに、ここが病院であること、そしてそのベッドに横たわっていることを理解した。
「ヤナギ」
あやふやな意識のまま、その名前を口にする。
すると白いカーテンの向こうから、色とりどりの花束を抱えた少女が顔を出した。
「イ、イノくん?」
「ミトトギ、か」
「あ……あぁ……」
ミトトギは花束を手から落とし、イノが横たわるベッドまで駆け寄る。そしてそのまま彼の胸元に頭をうずめた。
「なに、してるんだ?」
「泣きわめきたいけど病院だから我慢してるんだよ。ツキナちゃんなりにな」
彼女に続く形で、カーテンの向こうからゴドウが顔を覗かせる。
彼は少し安心したように微笑んだものの、その瞳には暗い影が差していた。
「ゴドウ、ミトトギ、お前たちが俺を?」
「あー、それがあちょっと違うんだよな」
ハッキリしない態度のゴドウに首を傾げていると、その横から見覚えのある坊主頭が割り込んでくる。
「そう! 雨のなかボロボロになってるテメェを見つけ! そして救急車を呼んでやったのはこの俺サマだ! 感謝しやがれ!」
「ありがとう。誰だお前は」
「クロガネ ジンだッ!!」
「うるさい! ここ病院だぞ! 少しはツキナちゃんを見習え!」
騒ぐ三人に、通りがかった看護師が咳ばらいを飛ばす。
そして、病室にはミトトギの控えめな泣き声だけが残った。
「……クロガネ。俺を見つけたのはどこだ?」
「あ? テメェの家の前だよ。ちょうど嵐の日に行われる楊ノ下高校伝統行事『暴風雨爆走選手権』の帰り道だったからな」
「なんだそのふざけた行事……」
イノの手がクロガネの湿気を帯びた学ランに伸びる。
「そこに車はなかったか! それか青い髪の女の子は!」
ちょうど不良が胸倉を掴むように、イノはクロガネに迫った。
今まで見たことない表情にクロガネは怯む。しかし、すぐにその手を振りほどく。
「知らねぇよ! 俺サマが見たのはテメェだけだ!」
「……そうか」
突き放されたイノの身体が、ベッドへ一層沈んでいく。
「アオシ、まさか」
ゴドウの問いかけに、イノは力なくうなずく。
「ヤナギが、あいつらと一緒に行ってしまった」
イノはその場にいる三人に説明した。
突如、家に襲撃してきたノトとフードの男。連日降り続ける災害級の大雨の原因。そしてヤナギの決断。
『今度は、わたしが守る、から』
彼は覚えている全てを話し、彼らは相槌一つも打たずにそれを聞いた。
「俺は約束を守れなかった」
イノの脳裏に焼き付いているのは、死を感じたときの光景だけではない。
自分の持つ力に苦しめられ、怯えているヤナギの表情。
「ヤナギを助けてやれる、守ってやれるなんて俺の勘違いだった。本当は何もしてやれていなかったんだ」
一番してほしくない表情を、一番してほしくない人にさせてしまった。
「どうしようもないくらい……俺は弱い」
イノが伸ばした手は小さく、指の隙間から冷たい照明の光が漏れている。
「……とにかく今は休め。軽いケガじゃないんだ。ヤナギちゃんのことは、オレらの方で調べてみるから」
ゴドウが促し、病室から出ていくミトトギとクロガネ。
胸元に残る湿った温度も、数分もすればすぐに消えてしまう。
雨雲は既に遠く離れ、病室には眩しい光が充満していく。イノはそれを目を細めて睨みつけていた。
どのくらいの時間そうしていたか、気づけば日は沈み、辺りは夜へと変わっていく。
街の灯りに照らされ、夜空に星などまるで見えない。それでも雨雲がないことくらいはイノにも分かる。
二か月の絶対安静。それが医者からの通達だった。
「ハァ……ハァ……」
奇跡的に攻撃は臓器を避けたものの、全身の傷は酷く、バケモノじみた体力のイノでも回復には時間がかかる。
かつてないほど重い身体。なかなか言うことを聞かないそれに鞭を打ち、イノは足を下へ下へと送っていく。
「なかなか……キツイな……」
病院の四階から、外壁とパイプを伝って降りていくイノ。
校舎の三階から飛び降りたときより時間をかけたものの、数分で地に足をつけたイノは、裸足のまま病院の外へと走りだした。
そんな彼を待ち構える二人の影。
「ほ、ほんとに来ちゃいましたぁ……」
「な? 言ったろ? ここで待ってれば絶対来るって」
病院の門の前、街灯に照らされたゴドウとミトトギが立っている。
「ゴドウ、ミトトギ、なんでここに?」
「『なんで』も何も、お前を待ってたんだよ」
ゴドウはいつもと同じ、人懐っこい笑顔で困惑するイノに近づいてくる。
「絶対安静って言われてたのに病院抜け出して、そんなボロボロの身体でもヤナギちゃん助けに行くんだろ?」
「……分からない。ただ、あそこで寝てるだけなんて、俺にはできない」
「死ぬぞ、アオシ」
「……あぁ、そうかもな」
揺れる視界と、遅れてやってくる衝撃。
そう言ったイノの左頬に、ゴドウの拳が炸裂する。
傍で見ていたミトトギも、殴られたイノ本人でさえ、何が起きたのか分からなかった。
「自分で死ぬって分かってんならよ……それでもヤナギちゃん助けたいんならよ!」
入院着の襟首を掴み、ゴドウが叫ぶ。
「なんで! 誰かに『助けてくれ』って言えないんだよッ!!」
ゴドウの顔にいつもの笑顔はない。大きく開かれた目の奥に、困惑するイノの顔が映っている。
「いつもそうだ! 全部一人で抱え込んで! 一人で傷ついて! お前を助けたいと思ってるオレやツキナちゃんがここにいるのに! どうしてお前は一人で戦おうとするんだよ!?」
「ゴドウ、俺は――」
「オレらのことが信用できないか?」
息を呑むイノ。それは肯定の合図として十分だった。
「分かってるよ。アオシがオレらと距離を取ろうとしてたことくらい」
ゴドウはイノから手を離す。今まで溜め込んでいたものを吐き出すように、言葉を続ける。
「オレは力を貸してやれる! 一緒に戦ってやれる! 死にそうになったら引きずってでも逃げてやれる! 一言『信じてくれ』って言われればな!!」
「……違うんだ、ゴドウ」
寂しさ、悲しさ、恐ろしさ、幼いイノを支配していた感情が、記憶と共に蘇ってくる。
イノは信じていなかった。
しかし、それはゴドウたちをではない。
「俺は、俺が信用できない」
星一つ見えない夜空は、どうしようもなく寂しい。
消えてしまいそうな言葉を、イノは紡ぎ始める。
「俺の両親は、俺が中一のときに失踪した。何の前触れもなく、いきなり消えたんだ。残ったのは両親がどこかで作った多額の借金だけ……信じられなかった」
イノはその日の感情を思い出すように、一つ一つ丁寧に言葉を紡いでいった。
「優しい両親だったのに、誇りに思っていたのに、俺は裏切られた。じいちゃんが拾ってくれなかったら、死んでいたかもしれない。俺は……そう、知らなかったんだ。信じていた人に裏切られるのがこんなに怖いことだったなんて、知らなかった」
誰かを恐れていたのはヤナギだけではない。イノもまた、人を恐れていた。だからこそ、彼にはヤナギの気持ちが理解できた。
「また誰かに裏切られるくらいなら、最初から一人でいればいい。誰にも踏み込ませなければいい。俺は人を信じない。実の親すら信じられない俺が、まだ誰かを信じられるなんて……俺は信じられない」
「……なら、なんでオレに話したんだよ。アオシの両親のこと」
どれだけ突き離そうと、どれだけ言葉を伝えようと、ゴドウもミトトギも逃げない。
ゴドウはイノの頭を掴み、無理やり目線を合わせる。
「信じたいんだろ? オレらを。自分を。信じてみたいんだろ?」
イノはゴドウの瞳に自分を見た。
情けなく、弱々しい、とても『鬼神』とは呼べない少年。それでも彼はまっすぐに自分を見ている。
「……当たり前、だ」
こぼれていく言葉を、イノは止められない。
止めることを、拒否している。
「信じたいに決まってる! いつまでもこんな弱いままでいられるかよ!」
ゴドウの拳が、イノの肩に優しくぶつかる。
「なら、勇気出してこうぜ!」
歯を見せ笑うゴドウ。
イノから手を離し、いつもの明るい彼に戻った。
「なーに、裏切りそうな奴はぶっ飛ばしてやればいいって姉ちゃんも言ってたし」
「ぶ、ぶっ飛ばすのか」
「ゴドウくん、そ、それはちょっと……それに、わ、私はイノくんを裏切ったりなんか!」
「確かにそうだ。けど、そういうのは言葉じゃなくて行動で示すもんだぜ、ツキナちゃん?」
言葉よりも行動で示す。まさにそんな言葉を行動で示すように、ゴドウは高々と腕を掲げた。
「手始めに! ヤナギちゃんを助けに行く!」
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