第十話
十話目です。よろしくお願いします。
ヤナギを助け出した翌日、ゴドウの忠告に従い病院へ行ったイノ。
「うーん、異常なし!」
「ありがとうございました」
しかし、特に何の治療もされず、午後には学校へと戻った。
「ア、アオシ……お前、大丈夫なのかよ」
「あぁ、それよりミトトギは大丈夫か?」
「ひゃ!? ひゃい!! 全然大丈夫です!! お気に入りのハサミは何本かダメになっちゃいましたけど……また作ればいいので!」
「そうか、よかった」
「イ、イノくんが……ぎゅふ、わ、私を心配……優しい……うへへ……」
「ツキナちゃん顔が溶けてるけど、もっかい病院行った方がいいんじゃね?」
戦いの後には不可解なものばかりが残った。
まず、あれだけ派手な戦いをしたにもかかわらず、ヤナギの存在どころか戦いそのものを目撃した人は誰もいなかった。
痕跡が残っているはずの廃墟は、近々の取り壊しが決まり、ノトの動向も不明。
それでも日常は案外、普通の顔をして戻ってきた。
「ん……」
ガラス戸から差し込む陽光が、イノの布団を照らす。
朝が来た。イノは布団の中で寝返りをうちながら、今日が週末であることに気づき、再び目を閉じる。
「えいや」
「んぐっ!?」
イノの下腹に突然の衝撃。
彼の夢うつつな気分を一瞬で現実に引き戻す、いたずらな一撃だった。
「なにが……」
イノはすぐに、その正体を知る。
夜空に似た青色の髪を後ろでまとめ、金色の瞳を宝石のように輝かせる少女。
フリルをあしらった子ども用のエプロンを羽織り、なぜか両手にフライ返しとおたまを持っている。
「ヤ、ヤナギ?」
「おはよう、イノ」
「おはよう……なにしてる?」
「起こしてる」
返ってくる返事は変わらず淡白なものだが、彼女の様子は鈍感なイノから見ても変化していた。
表情はスッキリとしており、イノへの接触がさらに増えている。
「イノ、起きて」
「あぁ……」
自分より一回りも幼い少女に連れられ、イノは布団から出る。
ふと覗いた窓の向こうでは、暖かな太陽光が雨と混ざっていた。
「朝ごはん、できてる」
「そうか……ん?」
普段、料理はイノの担当である。当然、ヤナギを台所に立たせたことはない。
その彼女が朝食を作ったと言う。
早歩きで台所へ向かうイノ。そこで彼が見たのは、予想通りの光景だった。
「……ヤナギ、これはなんだ?」
煙を上げるトースター、エラーを表示する電子レンジ、散乱した様々な食材たち。
そして、皿の上に乗った、この世の禍々しさを全て混ぜたような何か。
「朝ごはん」
「……そうか、その、なんだ、包丁とコンロを使わなかったことは、偉いな」
「んっ」
言葉を選んだイノに、ヤナギは胸を張って応える。
「とりあえず、片づけるか」
慣れた手つきで散乱した台所を片づけていく。
すると、イノは用意された真っ黒な朝食が一食分しかないことに気づいた。
「ヤナギ、パンケーキ食べるか?」
「ぱんけーき……」
不思議そうな顔でイノを見上げるヤナギ。
「ちょっと待ってろ」
材料が揃っていることを確認したイノは、すぐに調理を開始する。台所の異臭はすぐに甘い香りへと変わっていく。
フライパンに火をかけたタイミングで、イノはワクワクが抑えられていないヤナギの方を向いた。
「ヤナギ、その右手に持ってるフライ返しをくれないか」
「ん!」
ヤナギは元気よくフライ返しを差し出す。
電子レンジとオーブンしか使っていない彼女が、なぜフライ返しを持っているのか、イノは何も聞かない。
「できたぞ」
三十分もかからず出来上がったパンケーキと、ヤナギが作ったダークマターを持って、イノとヤナギは居間に行く。
「いただきます」
「いただき、ます」
たっぷりのバターとハチミツが生み出す魅惑的な光沢。それに魅了されたヤナギの手に、思わず力が入る。
ヤナギの小さな手に握られた小さなフォークが、パンケーキに深々と突き刺さり、彼女の口へと運ばれていく。
「ん!?」
かぶりついたのと同時に、ヤナギの口から声が漏れた。
口の周りがハチミツで汚れるのも気にせず、一口、また一口と、ヤナギは食べ進める。
「美味いか?」
勢いよくうなずく彼女を見て、思わずイノの頬が緩む。
最近、イノはヤナギの感情を読み取れるようになった。ハッキリとした喜怒哀楽。しかし、それは彼女が初めから持っていたものであると、イノは分かっている。
組織による実験、『花札』、理不尽な世界が、彼女の心を閉ざしたのだと。
「そうか、ならよかった」
今、目の前の少女が何の不安もなく口の周りを汚していることに、イノは心底安堵していた。
「なぁ、ヤナギ」
「んっ?」
「一応聞くが、これは……なんだ?」
口いっぱいにパンケーキを詰めたヤナギが首を傾げる。
そして、イノの前にあるそれを、食品と呼ぶにはおぞましすぎるそれの名を、なんでもないかのように告げた。
「食パン」
「…………なら、手でいいな」
丈夫な身体に優しい心のイノ。
その優しさが、彼のお腹を壊すこととなる。
◇
「なるほどな、ヤナギちゃんが朝ごはんを。へー?」
「とぼけるな。どうせゴドウの入れ知恵だろう」
「そんな言い方するなよ。あの子はアオシのことを思ってやってくれたんだからさ」
休日に乗じてイノの家へとやってきたゴドウは、にやけた顔でイノの肩をこづく。
彼らの前ではヤナギとミトトギが戯れていた。
「ミトトギ、その手に持ってるビニール袋、なに」
「うぇ!? いや、これはですね、あの、その……」
「没収」
「だ! ダメです!! やめ……はなしてくださいぃ!!」
子ども相手に号泣して懇願する女子高生。そんな光景も、今のイノには微笑ましく見える。
「なぁ、アオシ。じいちゃんには連絡着いたのか?」
二人に聞こえないような声量で、ゴドウが声をかける。
「あぁ、事情を話したら帰ってきてくれるらしい。海外だから時間はかかるが」
「そっか、とりあえず安心だな」
微笑むゴドウ。しかし、その目にはどこか暗さがあった。
「アオシ、この前オレらを襲った白髪の男、またいつ来るか分からない。ヤナギちゃんの力のこともあるし……こんな暮らし、いつまでも続けられるもんじゃないってのを、忘れるなよ」
「……あぁ」
イノの拳に力が入る。
その目には、今でもあの日の戦いが焼き付いていた。
「それまでは、ちゃんと守ってやれよ」
「あぁ、分かってる」
雨音が強くなっていく。部屋の中ではしゃぎまわるヤナギを、ようやく取り戻しつつある彼女の笑顔を、イノは必ず守ると誓った。
「イノ、ミトトギには気をつけた方がいい」
「ヴェアアアアアアアアアアァアアアアアッ!!」
ひざ元にじゃれつき、イノを見上げるヤナギ。
そんな彼女の頭に、彼は手を伸ばした。
「ん、イノ?」
自然ではあり得ない青い髪。けれど普通の髪のように柔らかいそれを、優しくなでる。
「イノ、くすぐったい」
困ったように微笑む彼女を、イノは黙ってなで続けた。
かつて、祖父が自分にしてくれたように。
◇
夜になっても雨は止まなかった。
朝から降り続けるそれに耳を傾けながら、イノとヤナギは食べ終わった食器を運ぶ。
「イノ、『おじいちゃん』ってどんな人?」
小さな台の上で、少し近くなったヤナギの目線が、イノに向けられた。
「気になるのか?」
「ん」
イノは差し出された食器を受け取りながら、頭の中で祖父の姿を思い浮かべる。
「なんというか、強い人だったよ」
「イノよりも強い?」
「あぁ、俺に戦い方を教えたのはじいちゃんだからな」
「むきむき?」
「確かに信じられないくらい強いが、別にムキムキというわけじゃない。それに、強いと言っても力だけのことじゃないんだ。こう、精神的なものもあるというか……」
上手く言葉が出てこないイノと、不思議そうに首を傾げるヤナギ。
食器についた白い泡が、水に流されていく。
「ヤナギのじいちゃんは、どんな人なんだ?」
「……分からない」
その返事に彼の手が止まる。
ヤナギは食器を持ったまま、じっと一点を見つめていた。
「上手く言えない、けど、だんだん思い出せなくなってきてるの。おじいちゃんだけじゃなくて、パパのことも、ママのことも……」
蛇口から流れ続ける水。
イノは彼女の手から食器を取り上げた。
「じゃあ、探しに行くか。一緒に」
「え?」
ヤナギは驚いたように彼を見つめる。
「ヤナギの両親のことも、おじいちゃんのことも、きっと覚えてる人はいる。そうじゃなくても、写真くらいはどこかに残っててもおかしくない」
イノは何でもないかのように続けた。
「で、でも……わたし」
「別にいいだろ」
全ての食器を洗い終え、イノはタオルで手を拭きながら応える。
「家族のことを知りたいのは、悪いことじゃない。ヤナギがどんなになっても、彼らの子どもであることに変わりはないから」
目の前に差し出されたタオルを、ヤナギはおずおずと握り返す。
イノは不器用に口の端を上げてみせた。
「少なくとも、俺はそう思う」
「……ん」
「手伝ってくれて助かった」
居間に戻ろうとした彼は、ヤナギが台の上で止まっていることに気づく。
首を傾げていると、彼女はイノに向かってぎこちない笑みを浮かべた。
それはまるで、イノそっくりの笑顔だった。
「イノ、ありがとう」
◇
夜になっても雨は止まなかった。
朝から降り続けるそれに耳を傾けながら、イノは寝る準備を始める。
「明日も全国的に雨の模様です」
陽気な音楽と共に流れる女性の声。ヤナギは畳に座り込み、食い入るようにテレビを見ている。
(天気予報……面白いのか?)
そんなことを考えつつ、イノは居間に布団を敷き終えた。
「ヤナギ、寝るぞ」
「……ん」
イノの声に、ヤナギはテレビを消して立ち上がる。
しかし、彼女は敷かれた布団を飛び越え、彼のパジャマの裾を引っ張った。
「ヤナギ?」
返事はない。ただ、何かをねだる子どものように、イノを掴んで離さない。
「ヤナギ、どうかしたか?」
「行かないで」
「え?」
「一緒に、寝て」
幼い少女の切なる願い。
優しく、寂しがりで、子どものような、子ども。
それが本来のヤナギだった。
少し骨ばったぬくもりに包まれながら、その日のヤナギは眠りについた。
読了、ありがとうございました。
またよろしくお願いします。




