家
寝台の傍らに立っていたのは、村の猟師だった。
赤ずきんの全身から血の気が引いていく。
なら――私と一緒にここまで来たのは誰?
背後で、ギシッ、と床板が鳴った。
「赤ずきん、伏せろ!」
本物の猟師が猟銃を構える。
赤ずきんが頭を抱えてしゃがんだ瞬間、銃声が轟いた。
弾丸が背後にいた男の肩を撃ち抜く。
しかし、血は流れなかった。
破れた服の下にあったのは、人間の皮膚ではなく、黒く硬い獣の毛だった。
男の身体が音を立てて歪み始める。
背中が盛り上がり、服が内側から引き裂かれた。腕は太い前脚へ変わり、指先から鋭い爪が伸びる。
顎が前へ突き出し、裂けた口から白い牙が現れた。
猟師に化けていた巨大な狼が、赤ずきんを見下ろしていた。
「本当に……狼……」
母親が震える声を漏らす。
狼は何も答えない。
鼻をひくつかせ、部屋にいる人間たちの匂いを嗅いでいる。
やがて、その目が赤ずきんに止まった。
「来ないで……」
赤ずきんは斧を構えた。
だが、恐怖で足が動かない。
狼が床を蹴る。
「させるか!」
猟師が横から飛び込み、赤ずきんを突き飛ばした。
巨大な爪が猟師の胸を掠め、赤い血が飛び散る。
「二人を連れて逃げろ!」
猟師は傷口を押さえながら、狼の顔へ発砲した。
弾丸が頬を抉り、黒い血が壁に飛び散る。
狼は一瞬怯んだが、すぐに猟師へ飛びかかった。
猟師は腰からナイフを抜き、その首へ突き立てる。
狼の牙が猟師の左腕へ食い込んだ。
「ぐああああっ!」
それでも猟師はナイフを手放さない。
「早く逃げろ!」
猟師は狼の顔を蹴り、落ちた猟銃を拾った。
最後の弾を装填する。
銃声。
狼の肩から黒い血が噴き出した。
しかし、狼は止まらなかった。
猟師へ飛びかかり、その身体を床へ押し倒す。
巨大な顎が猟師の肩へ食らいついた。
鈍い音がした。
「猟師さん!」
狼は猟師の身体を持ち上げ、首を激しく振った。
猟師の身体が壁へ叩きつけられる。
それでも猟師は、震える手を猟銃へ伸ばした。
狼の前脚が、その背中へ振り下ろされる。
床板が砕けた。
猟師は動かなくなった。
「嘘……」
赤ずきんの手から斧が落ちる。
狼は倒れた猟師から顔を上げた。
口元を血で濡らしながら、今度は寝台へ近づいていく。
「おばあちゃん!」
赤ずきんが叫んだ。
祖母は毛布を退け、逃げようとした。
しかし、足がもつれて寝台から転げ落ちる。
「助けて……」
母親が祖母へ駆け寄ろうとする。
だが、その前に狼が祖母へ飛びかかった。
大きな前脚が、小さな身体を床へ押さえつける。
「お母さん!」
母親の悲鳴が響いた。
狼の牙が祖母へ向けられる。
「やめて!」
赤ずきんは斧を拾い、狼の背中へ振り下ろした。
刃は分厚い毛に阻まれ、浅く食い込んだだけだった。
狼が身体を捻り、赤ずきんを前脚で薙ぎ払う。
「きゃあっ!」
赤ずきんの身体が食卓へ激突した。
倒れた食卓が、棚の上にあった油のランプへぶつかる。
ランプは床へ落ち、音を立てて割れた。
燃えた油が床を這い、近くのカーテンへ引火する。
「火が!」
炎は瞬く間に壁へ燃え移った。
乾いた木で作られた古い家は、火を吸い込むように燃え始める。
祖母の短い悲鳴が聞こえた。
母親が炎の中へ飛び込もうとした。
「お母さん!」
しかし、崩れ落ちた梁が進路を塞ぐ。
「退いて! 助けないと!」
母親は燃える梁を動かそうとした。
素手が焼けても、手を離そうとしない。
「お母さん、駄目!」
赤ずきんが背後から必死にしがみついた。
「おばあちゃんは、もう……」
「そんなこと言わないで!」
狼の唸り声が、炎の向こうから聞こえる。
次の瞬間、燃えた棚が二人の近くへ倒れてきた。
赤ずきんは母親の腕を引き、間一髪で避ける。
「ここにいたら、お母さんも死んじゃう!」
その言葉に、母親の動きが止まった。
涙を流しながら炎の向こうを見つめる。
祖母の声は、もう聞こえなかった。
「……行くわよ」
母親は震える手で赤ずきんを抱き寄せた。
二人は互いに支え合いながら、裏口へ走る。
外へ飛び出した直後、炎に包まれた屋根が崩れ落ちた。
「おばあちゃん……」
赤ずきんはその場に座り込んだ。
母親も泣きながら、燃え盛る家へ手を伸ばしている。
だが、もう戻ることはできない。
家の中から、狼の咆哮が響いた。
赤ずきんは母親と手を繋ぎ、森の道を走り出す。
背後では、祖母と猟師を残した家が、赤い炎に包まれていた。




