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第11話「嵐は夜に来た」


---


 深夜。


 ライゼンの通りは、完全に眠っていた。


 桐嶋商会の一階、帳場の隅。エルザは背を壁に預けたまま、目を開いていた。


 眠くはない。【護衛頭】を得てから、夜の感覚が変わった。暗闇の中でも、商会の中の気配を体が自然に拾う。二階でリーナが寝ている。隣の部屋でマルコが眠っている。帳場の奥、源三がまだ帳簿に向かっている——蝋燭の光が揺れている。


 全部、分かる。


 だから——


(来た)


 エルザは音もなく立ち上がった。


---


 気配は四つ。


 裏の路地から二つ、表の扉に向かって一つ、そして——路地の角に動かずにいる一つ。


 裏の二つは速い。熟練した者の動きだ。表の一つは重い。体格がある。路地の角の一つは遠い——様子を見ている。


(殺し屋が二人。用心棒が一人。指示役が一人)


 エルザは帳場の奥に走った。声を出さず、しかし迷わず。


「旦那」


 源三が顔を上げた。


「来ます。四人。今すぐ二階に」


 源三は一瞬だけ、エルザを見た。それから静かに立ち上がり、蝋燭を手に取った。「マルコさんを起こしてください。表に出ないように」


「はい」


「エルザさん」


「はい」


「無理はしないでください」


 エルザは答えなかった。ただ、木刀の握りを確かめた。


---


 裏の勝手口が、静かに開いた。


 錠を外した音がした——技術のある開け方だった。ほとんど音がしない。


 男が二人、滑り込んできた。黒い装束。顔を隠している。一人が短剣を手に、もう一人が細い刃を構えた。


 暗闇の中で、二人は止まった。


 目が慣れていない。


 エルザの目は、慣れていた。


「こっちだ」


 エルザは言った。静かに、しかしはっきりと。


 二人が振り向いた瞬間——


 木刀が、最初の男の側頭部を薙いだ。


 音がした。鈍い、重い音。それだけだった。男が声を出す間もなく、崩れ落ちた。


 もう一人が反応した。細い刃がエルザに向かう——速い。だがエルザはすでに、その刃の軌道を一拍前から読んでいた。


 半歩だけ内側に入った。刃が肩口を掠める。同時に、木刀の柄が男の鳩尾に突き刺さった。


「か——」


 男が折れた。膝が落ちた瞬間、後頭部に追い打ちが入る。


 倒れた。


 二人とも、声一つ出なかった。


 エルザは息も乱さずに立っていた。


---


 表の扉が蹴り開けられた。


 入ってきた男は、一目で分かるほど大きかった。二メートル近い体躯。首が太い。腰の剣には手をかけていない——素手で十分だと思っているのだろう。


 男は室内を見渡した。倒れた二人を見た。エルザを見た。


「……お前がやったのか」


「そうだ」


「一人で?」


「ああ」


 男の目が細くなった。


「何者だ」


「桐嶋商会の護衛頭だ」エルザは木刀を床に置いた。「お前が相手なら、これはいらない」


 男が少しの間、黙った。それから——笑った。


「面白いことを言う」


 エルザは答えなかった。静かに、両手を下ろしたまま構えた。


---


 男が踏み込んできた。


 巨体に似合わない速さだった。右の拳が、エルザの顔に向かってくる。


 エルザは避けなかった。


 自分の右拳を、真正面から叩きつけた。


 音が、した。


 普通の打ち合いの音ではなかった。骨が砕けるような、固いものが弾けるような、そういう音だった。


 男が、叫んだ。


 右手を抱えて、後退した。指が、ありえない方向に曲がっていた。


「な——何を」


 エルザは自分の右手を、一度だけ開いて閉じた。


「……まだやるか」


 男が歯を食いしばった。左手で剣を抜こうとした。


 エルザの足が、先に動いた。


 膝の外側を、正確に狙って蹴った。靭帯を狙う蹴りだ。


 男の足がおかしな方向に曲がった。


 崩れる体に、肘が叩き込まれた。顎。


 大きな体が、音を立てて落ちた。床が揺れた。


---


 エルザは倒れた三人を確認してから、すぐに源三の方を向いた。


「旦那、路地の角に指示役がまだいます。取ってきます」


「気をつけて」


 外に出た。


 角までの道を、エルザは迷わず歩いた。気配はまだそこにある。動いていない。おそらく仲間が三人入って戻ってこないことを、離れた場所で待ちながら不審に思っている——そういう気配だった。


 角を曲がった。


 中年の男が、商会の方をじっと見ていた。黒いマントを羽織っている。


 男がエルザに気づいたのは、エルザの手が衿に届いた瞬間だった。


「——っ」


「ギルドに用がある」エルザは静かに言った。「来い」


「放せ、俺は何も——」


 腕が、背中側にひねり上げられた。静かに、しかし容赦なく。


「雇い主の名前と今夜の依頼を話せ」エルザは続けた。「ここで話すか、中でか。どっちがいい」


「わ、分かった——話す! 話すから!」


 エルザは男を引き連れて、商会の中に戻った。


---


 源三が二階から下りてきたのは、それから少し経ってからだった。


 蝋燭を持ったまま、室内を見渡した。倒れた男が三人。捕まった男が一人、帳場の柱に縛られている。傷はない。壊れたものも、ない。


 エルザが正面に立っていた。手を下ろして。息が整っていた。


「……終わりました。四人とも確保しました」


「怪我は」


「ありません」


「指示役も」


「はい。依頼の内容を話しています。クロード商会からの仕事だと」


 源三は男を見た。それからエルザを見た。


「一人で、全部」


「護衛頭の仕事です」エルザはごく真剣な顔で言った。


 源三は少しの間、黙っていた。


「……よくやりました」


「役に立ちましたか」


「立ちました。大いに」


 エルザは頷いた。それだけだった。しかし——目が、少し潤んでいた。


---


 マルコが二階から下りてきた。


 室内を見渡して、固まった。


「……何があったんですか」


「少し、来客がありました」源三が答えた。


「これが来客ですか」マルコは男たちを見た。それからエルザを見た。「エルザさん、これを一人で?」


「四人いました」


「四人を一人で——」マルコはしばらく絶句していた。「護衛頭ってそういうものなんですか」


「そういうものだと思います」


 リーナが階段の途中から、そっと室内を覗いていた。全員の無事を確認してから、静かに下りてきた。


 エルザの方に歩いた。


 何も言わずに——エルザの前に立った。


「……ありがとうございました」


「リーナたん——」


「怪我は、ありませんか」


「ありません」


「そうですか」リーナは視線を少し下げた。「……良かった」


 短い言葉だった。それだけだった。


 しかしエルザは、その言葉を聞いて——今夜初めて、少しだけ、笑った。


「リーナたんが心配してくれたんですか」


「心配というより——確認です」


「顔が心配してます」


「していません」


「してます」


「……少し、していました」リーナは前を向いたまま、小さく言った。「少しだけ」


---


 夜明けまで、源三は男たちをギルドへの引き渡しのために縛り、記録を取った。エルザが補佐した。マルコがお茶を作った。リーナが書状の下書きを始めた。


 四人がそれぞれの仕事をしながら、夜明けを待った。


 空が白み始めたころ、ドガンが来た。


 夜中に商会の周辺で騒ぎがあったと、誰かが知らせたらしかった。仏頂面のまま入ってきて、室内を見渡して、縛られた男たちを見て、エルザを見た。


「……お前がやったのか」


「うん」


「何人だ」


「四人。全員確保した。一人はクロード商会の指示役で、依頼の内容も話した」


 ドガンは長い間、エルザを見ていた。


 それから指示役の顔を確認した。眉を動かした。


「……こいつは知っている。クロード商会が使う雇われ者だ。証拠になるな」


「ドガンさん、ギルドへの引き渡しをお願いできますか」源三が言った。


「やる」ドガンは立ち上がった。「書状はあるか」


「今、用意しています」リーナが答えた。「三分で仕上げます」


「急げ」


 三分後、書状ができた。


---


 ドガンが男たちを連れて出ていくとき、一度だけエルザの方を振り返った。


 何も言わなかった。


 ただ、その目が——少しだけ、細くなった。


 エルザには、それで十分だった。


---


 朝、桐嶋商会は普通に開いた。


 マルコが料理を作った。エルザが入り口に立った。リーナが帳場に座った。源三が帳簿を開いた。


 客が来た。食事をした。帰った。


 何事もなかったように、一日が始まった。


 ただ——商会の入り口に立つエルザの右手が、昨日より少しだけ——赤かった。


 拳と拳でぶつかった、その跡だった。


---


**【本日の進捗 桐嶋商会 王暦四百二十三年 初夏 夜明け前に星が消えた朝】**


**深夜来襲:クロード商会雇い、計四名(殺し屋二・用心棒一・指示役一)**

**対処:護衛頭エルザ、単独で全員制圧・確保**

**被害:なし**

**証拠:指示役の証言・身元、ギルドへ引き渡し**

**翌朝:通常営業**


 嵐は来た。そして、止んだ。


 桐嶋商会は、揺れなかった。


---


*次回「嵐が去った」*


続けて読んでくださり本当に嬉しいです!ありがとうございます!

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