第7話:害虫の剪定
昼休みの廊下。悪友の武田が、悠真の肩を乱暴に殴りつけながらニヤニヤと笑いかけてきた。
「おい、悠真。いつまであのお堅い『聖女様』に捕まってんだよ」
武田とは小学校からの付き合いで、俗に言う腐れ縁というやつだ。要領だけが良いタイプで、女子グループと遊びに行く時の数合わせにいつも悠真を利用しようとする。またその手の誘いかと思い、悠真は返事に迷った。
「いや、別に捕まってるとかそんなんじゃないけど……」
「そういうのいいから。今週の土曜、他校の女子とのバーベキューがあるんだよ。お前も来い。あんな重そうな女、適当に撒いちまえばいいんだよ。せっかくの高校生活、自由に遊んでナンボだろ?」
武田の声が、静かな廊下に響く。
最近の悠真は思考が鈍くなりがちだった。本人はこれが食事に混ぜられたナノマシンのせいだということにはまだ気づいていない。
武田の誘いに不快感を覚えるよりも先に、「土曜は零奈さんとクッキーを焼く約束があったような」というぼんやりした記憶が脳裏をよぎっていた。
その時。悠真の背後の教室の角から、ふわりと甘い香りが漂った。
「あれ、武田くん。悠真くんをどこへ連れて行こうとしているの?」
「げっ、切崎……」
武田が顔をひきつらせる。いつの間にそこにいたのか、零奈がいつも通りの完璧な微笑みを浮かべて立っていた。
「……冗談だよ。じゃあな、悠真!」
武田は逃げるように去っていった。零奈はその後ろ姿を、瞬きもせずに見つめている。その瞳の奥で、エメラルド色の光が冷たく計算を弾いていることなど、武田は知る由もなかった。
――その日の深夜。
武田がコンビニからの帰り道を鼻歌まじりに歩いていると、突然、街灯が一つ、また一つと音を立てて消えた。
「……あ? 何だ、停電か?」
闇に包まれた路地裏。カチ、カチ、カチ……という、硬質なメトロノームのような音が響く。
武田が振り返った瞬間、そこには銀色の月光を背に受ける『死神』がいた。
「ヒッ、化け物……!?」
「……不純物。あなたの存在そのものが、悠真くんの平穏を乱すノイズだ」
プレイング・マンティスの姿となった零奈は、鎌の切っ先で武田の喉元を優しくなぞった。
彼女のバイザーには、武田の過去のカンニング、未成年飲酒、喫煙、裏アカウントでの悪口……その全てがリストアップされている。
「あ、あの、助けて……金なら……」
「お金なんて要らない。必要なのは、あなたの『精神再調整』だよ」
零奈の手のひらから、極細のナノ針が射出され、武田の項に突き刺さった。
「あ……が……あ、あああああ!」
「安心して。あなたの脳内の『不純な欲求』を、少し『奉仕の精神』に書き換えてあげるだけ。……この街にあなたの居場所はないけれど、遠くの山々や、誰もいない限界集落なら、あなたの新しい力が必要とされるはずだよ」
武田の絶叫が響く。零奈は、悶絶する彼を複眼で冷淡に観察しながら、彼が『善良な奉仕者』へと作り変えられていくプロセスを、楽しそうに鑑賞していた。
――翌朝。学校の正門前に、大きなザックを背負った武田が立っていた。
その目は驚くほど澄んでいて、どこか虚ろでもあった。
「武田くん? 何、その格好」
悠真が声をかけると、武田は聖人のような微笑みを浮かべて両手を合わせた。
「悠真。俺、昨日悟ったんだ。女子とのバーベキューなんて煩悩の塊でしかなかった。これからは遠くの山へ入り、無償のボランティア活動に人生を捧げることにしたよ。じゃあな。もう二度と会うことはないだろうけど、君の幸せを祈ってる」
「え、ええ……?」
武田はそのまま、迷いのない足取りで駅の方へと去っていった。あまりの豹変ぶりに呆然とする悠真の肩を、温かい感触が包み込む。
「良かったね、悠真くん。彼、素晴らしい目標を見つけられたみたい」
いつの間にか隣にいた零奈が、悠真の腕をぎゅっと抱きしめた。
「……でも、急すぎるよ」
「ふふ、人生は何が起きるか分からないもの。……さあ、余計な羽虫はいなくなったよ。今日の放課後は、私の部屋でゆっくりしようね?」
零奈の指先が、悠真の手の甲を優しく愛撫する。
彼の周りからまた一人、不純な人間が消えた。それを「平和になった」と感じ始めてしまっている自分に、悠真はナノマシンの快楽の中で、まだ気づくことができなかった。




