第5話:逃げ場のない愛の告白
幼馴染の陽菜が消えてから三日。悠真の日常は、恐ろしいほど清浄だった。
スマホに届くのは零奈からの愛のメッセージだけ。学校では彼女以外の人間が悠真を避けるように道を開け、家に戻れば彼女が完璧な食事を用意して待っている。
不純物が一切ない、彼女と悠真だけの世界。
だが、その純白の静寂が、悠真には鋭利な刃物のように感じられてならない。
張り詰めきった平和に晒される悠真の精神は、徐々に限界へと近づきつつあった。
「……ねえ、零奈さん」
夕食後。隣に座って悠真の髪を愛おしそうに撫でていた彼女の手が、ぴたりと止まった。
「なあに、悠真くん?」
「陽菜ちゃんのことだけじゃない。急に隣に引っ越してきたのも、お母さんが夜勤に行くことになったのも……全部、君が仕組んだことなんでしょ?」
悠真は震える声を必死に抑え、彼女の瞳を真っ向から見据えた。
「君は一体、何をしてるの? ……君は、一体何者なの!?」
部屋の空気が一瞬で、絶対零度まで凍りついた。零奈は瞬き一つせず、悠真を見つめている。
「……本当に知りたいの? 後悔しない?」
悠真は小さく頷く。だが、零奈の声は変わらず冷たいままだ。
「するよぉ。悠真くん、絶対に後悔する」
「し、しない。後悔なんてしないよ。だから……」
「……ふーん。そう」
その表情から『聖女』の仮面が剥がれ落ちる。代わりに現れたのは、深淵のような無感情だった。
「……ふふ。あはははっ!」
沈黙を破ったのは、彼女の鈴の鳴るような、けれどどこか壊れた笑い声だ。
彼女は立ち上がると、悠真の目の前にある壁にそっと右手を添えた。
――カシンッ。
硬質な駆動音と共に、彼女の袖口から黒光りする鋭い刃が数センチだけ突き出した。
そのまま、彼女が撫でるように手を動かす。
厚い石膏ボードの壁が、まるでバターか何かのように音もなく裂け、深い斬り跡が刻まれた。
「……っ!!」
「私はね、悠真くん。対怪人組織『G.A.R.D.E.N.』が造り上げた最高傑作。カマキリの因子を組み込まれた、人ならざる兵器なの」
零奈は裂けた壁の破片を愛おしそうに指先で弄びながら、ゆっくりと悠真に歩み寄る。
「知ってる? カマキリのメスって、愛するオスを食べるんだって。……私も、あなたの全てが欲しくてたまらないんだ。肉も、骨も、精液も、その魂さえも、私の一部にしてしまいたい」
囁くような声。彼女の瞳が、捕食者のそれに変わる。エメラルド色の光が怪しく明滅し、逃げ場のない圧迫感が悠真を押し潰す。
「もしかしたらいつか本能を抑えられなくなって、本当にあなたを食べちゃうかもしれない。……でもね、悠真くん。他の誰かにあなたを奪われて、汚されるくらいなら――いっそ今ここで、私の一部にしてあげてもいい。そうすれば、あなたは永遠に私のものになるよね?」
彼女の腕から突き出した鎌の切っ先が、悠真の喉元に冷たく触れた。
死の予感と、それ以上に濃厚な、狂気じみた『愛』の重圧。
悠真は指先一つ動かせず、ただ彼女の言葉に縛り付けられていた。
彼女がなぜこんなにも自分を好いているのかまるで分からない。だが、この状況で聞けるはずもなかった。どんな言葉が彼女の機嫌を損ねるかも分からないのだ。
少女は、悠真を見つめたまま首を傾げた。
「……悠真くん、不思議そうにしてるね。私がなんでこんなに悠真くんのことが好きなのか分からないんだ」
「えっ、いや……」
「酷いなぁ。私にあんなに優しくしてくれたのに忘れちゃったの?」
悠真の喉から掠れた声が漏れる。
「そ、それは……いつのこと……?」
「やっぱり忘れてる。いいよ、ゆっくり思い出してくれればそれで。それまでたくさん愛してあげるから」
鋭い鎌の切っ先が悠真の頬を撫でた。少年の透き通った白い肌に薄っすらと血が滲む。
「……ひっ……」
恐怖に震え、涙を浮かべる悠真を見て、零奈の瞳に再び至福の光が灯った。
彼女は鎌を収めると、彼の細い体を壊れ物を扱うような手つきで――けれど逃がさないほど強く抱きしめた。
「怖がらないで。大丈夫だよ、悠真くん」
耳元で、彼女の熱い吐息が響く。
「あなたを物理的に食べるのは、最後の一口まで取っておいてあげる。……その代わり、あなたの人生を、時間を、居場所を、一つずつ丁寧に完食べ尽くしてあげるから」
彼女の腕の中で、悠真は理解してしまった。自分の周囲を埋め尽くしていた外堀は、もう完成している。
友人、社会、自由。悠真を繋ぎ止めていた全ての糸は、彼女の鎌によって一本残らず切り落とされてしまったのだ。
「安心して。一生かけて、優しく、大切に食べてあげるから……ね?」
彼女の腕は、何よりも温かく、何よりも冷酷な檻だった。
悠真は彼女の温もりに顔を埋め、ただ絶望的な幸福感の中に沈んでいくことしかできなかった。




