第4話:害虫駆除のやり方
放課後の住宅街。街灯がまばたきを始める薄暗い路地裏を、陽菜は急ぎ足で歩いていた。
朝、零奈に肩を掴まれた時の、あの皮膚を刺すような不快な振動がまだ残っている気がして、何度も自分の肩をさすった。
「悠真、本当に大丈夫なのかな……」
陽菜にとって彼は実に良い友人だった。幼馴染だからという理由で今まで頻繁に昼食代やカラオケ代を奢ってもらっていたのだ。
少し嫌そうな素振りを見せても「友達を辞める」と脅せば一発だった。
だというのに、零奈が彼のそばに張り付くようになってからはそれも難しくなってしまった。なんともありがたくない話だ。
「何なのよ、あの子。腹立つなぁ。お小遣いがピンチだから悠真をあてにしてたのにさ……」
その時、背後の空気が凍りついた。
生物的な本能が、生存の危機を告げる。陽菜が振り返るより早く、頭上から一条の緑の影が舞い降りた。
――キィン、と。
コンクリートの壁に、巨大な黒い鎌が突き刺さる。陽菜の首筋からわずか数ミリの場所だ。
「ひっ……!」
悲鳴すら凍りついた。目の前にいたのは、緑の強化外装に身を包み、腕に死神の如き鎌を宿した、異形のヒーローだった。
「個体名:柿崎陽菜。ターゲットの精神状態、パニック。交渉の成功率、98%」
零奈の声は、合成音声のように冷たく平坦だった。彼女のバイザーの奥では、陽菜の全個人情報がスクロールされている。家族の職場、銀行の口座残高、そして――決して人には言えないような過去の過ちまでも。
「な、何なのよ貴女……怪人……っ!?」
「失礼だなぁ。私は世界を守る『正義の味方』だよ。……ただ、私の悠真くんを汚す害虫には、相応の処置が必要なだけ」
零奈は鎌を引き抜くと、その切っ先を陽菜の瞳の前に突きつけた。
「あなたの父親が勤める会社、我が組織『G.A.R.D.E.N.日本支部』の傘下なの。……明日の朝までにこの街を去ると約束するなら、お父様の解雇通知と、あなたの『これ』は破棄してあげる」
零奈が空中に投影したホログラムには、陽菜が隠し続けていた不都合な真実が映し出されていた。彼女が中学生の時に何度も繰り返した万引きの記録だ。
陽菜の顔が絶望に染まる。零奈は怪人をバラバラにする時と全く同じ、無感動な手つきで陽菜の頬を撫でた。
「大丈夫。悠真くんのことは、私が美味しく面倒を見てあげるから。……あなたは別の場所で、新しい、何の関係もない人生を歩みなさい。分かった?」
震える陽菜の頬を、涙が伝う。
「……む、無理です。明日までに転校するなんて……現実的に考えて不可能です……。な、何か別の方法で、お願いできないでしょうか……」
陽菜は必死に頭を下げた。だが、返ってきたのはどこまでも冷たい声だ。
「あなた、何か勘違いしてない?」
「あっ、どっ、土下座! 土下座します……!」
地面に這いつくばろうとする陽菜を見て、零奈はおかしそうに笑う。
「そうじゃないって、陽菜さん。……私が言ってるのは命令じゃない。あなたへの慈悲なんだよ。ほら、そんなに泣かないで。可愛い顔が台無し」
零奈は異形の手で陽菜の涙を拭った。
「……で。返事は?」
――翌日。悠真が学校へ行くと、陽菜の机は空になっていた。
「……家庭の事情で急遽転校? そんな、昨日まで普通に話してたのに」
悠真は呆然としていた。スマホで何度も陽菜に連絡を取ろうとしたが、電話は繋がらず、SNSのアカウントさえ消滅していた。まるで、この世界から彼女という存在が最初からいなかったかのような、不気味な消え方だ。
(まさか、昨日の零奈さんの……いや、そんなわけないよね。彼女は……)
疑念と不安で吐き気がする。そんな悠真の肩を、柔らかい温もりが包み込んだ。
「どうしたの、悠真くん? 顔色が悪いよ」
「……零奈さん。あの、陽菜ちゃんが……陽菜ちゃんが急に転校しちゃって」
零奈は悲しそうに眉を下げ、悠真の背中を優しくさすった。
「そう。寂しいね……。でも、きっと彼女にも事情があったんだよ。お別れも言えないくらい、大変な事情が」
その瞳には、一欠片の罪悪感も宿っていない。彼女にとって、障害物を排除するのは呼吸と同じ、正しい行為なのだ。
その日の夜、悠真の部屋は甘い香りに満たされていた。
キッチンでは零奈が鼻歌を歌いながら、悠真の好物である特製煮込みハンバーグを盛り付けている。
「さあ、できたよ。悠真くんの大好物。……今日は元気がないみたいだから、特別にチーズもたくさん入れておいたからね」
テーブルに並んだ料理は、プロのシェフも顔負けの出来栄えだった。
悠真は箸を持ったまま、ぽつりと呟いた。
「……僕、陽菜ちゃんに冷たくしすぎたのかな。もっと話を聞いてあげてれば……」
零奈の動きが止まる。
彼女はゆっくりと悠真の隣に座ると、彼の頬を両手で包み込み、強制的に自分の方を向かせた。
「……ねえ、悠真くん。彼女のこと、もう考えなくていいの。だって、今ここにいるのは私でしょう?」
彼女の瞳の奥で、エメラルド色の光が妖しく明滅する。
「友達がいなくなっても、家族がどこかへ行っても、私がいる。私があなたの望むもの全てを作ってあげる。あなたが食べたいもの、見たい景色、欲しい愛……全部、私一人で足りるはずだよ」
零奈は一口大に切ったハンバーグを、箸で悠真の唇に押し当てた。
「ほら、食べて?」
悠真がたじろいでいると彼女はただ同じ言葉を繰り返した。
「食べて?」
悠真は、そのハンバーグを口にするしかなかった。
「美味しいでしょう? ……世界で一番、あなたを愛している私の味だよ」
濃厚な肉の旨みと、とろけるチーズ。あまりの美味しさに、脳内の不安が麻痺していく感覚。
「……うん。美味しい」
「ふふ、嬉しい。……もっと食べて、悠真くん。そうして、私なしでは生きていけない体になってね」
陽菜が消えた悲しみさえ、彼女の差し出す至高の『餌』の中に溶けて消えていく。
悠真は、自分が着実に、逃げ場のない温かな檻の奥深くへと引きずり込まれていることを、認めざるを得なかった。




