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第17話:救済の誘いと、影の視線

 放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、ミエルが悠真ゆうまの席に飛び込んできた。


「ねえ、悠真くん。今日は一緒に帰らない? 伝えたいことがあるんだ。――君の『身体』のことについて」


 彼女の瞳は笑っていたが、その奥には真剣な、救済者のような光が宿っていた。


 反射的に隣の席に視線を向ける。零奈れいなは担任に進路相談の件で呼び出されてからまだ戻ってきていない。


 いいのだろうか。ミエルの誘いに応じてしまって。


 悠真は戸惑いながらも、なぜかミエルに抗えない感覚を覚え、わずかな葛藤の後に彼女と一緒に下校することにした。


 帰宅途中、一緒に並んで歩きながらミエルと話す。明るくて元気の良い彼女と言葉を交わしているとまるで心が洗われるようだった。最初のうちこそ零奈に対する後ろめたさがあったものの、その感情も徐々に薄れていく。


「悠真くんって優しくて話しやすいよね。私、悠真くんみたいな人、好きだな!」

「……そ、そう。ありがとう」


 悠真は照れ臭そうに笑う。


 ちょっと寄り道していこうと言われ、悠真は素直に夕暮れの公園へと足を運んだ。


 公園のベンチ。ミエルは悠真の隣に座ると、彼の顔のそばに自分の顔を近づけた。


 心臓がどきりと跳ねる。


 ごく目の前に彼女の端正な顔があった。大きな瞳。艶っぽい唇。あと少し顔を近づけられたらその唇が触れてしまいそうだ。そうでなくとも、彼女の吐息がごく間近で聞こえてくる。


「み、ミエルさん……?」

「……やっぱりそうだ」


 ミエルは手を伸ばし、悠真の耳に触れた。


「ごめんね、変なことをしたいわけじゃないんだ。こうしておかないと今からする私たちの会話も彼女に筒抜けになっちゃうから」


 ミエルは、悠真の耳に嵌められた通信機ピアスを指先で押さえると一時的にその機能を停止させた。


 そのままの姿勢で声を潜めて話し始める。


「単刀直入に言うね。君、切崎さんにハッキングされてるよ。あっ、人間に対してハッキングって言うのも変か。ハッキング、みたいなもの?」

「……え? どういうこと?」

「君がいつも食べてるお弁当、このピアス。全部にG.A.R.D.E.N.の最新型ナノマシンが入ってる。それが君の脳に直接作用することで、ストレスを消して代わりに彼女への『依存心』を植え付けてるんだよ。君が今感じている幸福感は、プログラムされた偽物なの」


 ミエルは悠真の手をそっと握った。彼女の肌は温かく、零奈のような冷たさがない。


「君は彼女に愛されてるんじゃない。家畜のように管理されてるだけ。……私が君を解放してあげる。組織は彼女を危険視してる。私と一緒に来れば、その支配を解いてあげられるよ」

「偽物の、幸福……」


 頭を殴られたような衝撃だった。悠真も最近の自分自身に対してどこか違和感を覚えてはいた。不自然なほど穏やかで、彼女の異常性を許容してしまっている。ミエルの言葉は、彼の中に残っていたわずかな理性の残火を激しく揺さぶった。


 その時、二人が座るベンチのすぐ後ろにある街路樹の葉が、カサリと不自然に揺れた。


 葉の裏側に付着した、肉眼では見えないほど微細な偵察用ナノマシン。それが捉える映像と音声は、リアルタイムで零奈の視界(HUD)へと転送されていた。


『バイタルチェック:佐倉悠真。迷い、及びミエルへの親近感の増幅を確認』

『音声解析:蜂野ミエル。機密事項の漏洩、及び被検体の連れ出しを提言』


「……あは。あはははは……っ!」


 離れた場所にいる零奈は、暗い自室で一人、狂ったような笑い声を漏らした。


 彼女の握りしめたタブレット端末の画面は、その握力によって蜘蛛の巣状にひび割れている。血管が浮き出たこめかみが、ピクピクと痙攣していた。


(学校で担任の教師を使って私を足止めしたのもこの女か。偽物の幸福? 解放? 笑わせないで。私の悠真くんに、その汚い手で触れただけじゃ飽き足らず、毒を吹き込むなんて……)


 零奈の怒りは、既に計測不能なレベルに達していた。今すぐあそこへ飛び込み、あの『蜂』の羽を一枚ずつむしり取り、その饒舌な舌を切り裂いてやりたいという衝動が彼女を突き動かそうとする。


 だが、彼女は耐えた。激情を抑え込み、今すぐにでも飛び出したくなるのを必死に堪える。


 代わりに、彼女の網膜には無数のトラップ回路が展開された。


「ああ、どうしてやろうかな。簡単に殺したんじゃあつまらないよね」


 零奈の瞳が、深淵のような黒に染まる。


「……そうだ。悠真くんがあなたを信じ切って、私から逃げようとする『最高の瞬間』に――二人まとめて絶望に叩き落としてあげるのがいいかな」


 夕闇が二人を包み込む。


 ミエルに引かれた悠真の手。そのすぐ後ろで、見えない死神の鎌が、音もなく獲物の喉元へと狙いを定めていた。

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