第16話:完璧な転校生と、止まった秒針
悠真の日常は、今や完全に最適化されていた。
毎朝、零奈が彼の家で朝食を作り、耳元の通信機からは彼女の穏やかな呼吸音が常に聞こえてくる。学校へ行けば、彼女が悠真の周囲十メートルを『無菌状態』に保ち、誰も彼に余計な干渉をしてこない。
それは、窒息しそうなほど甘く、静かな檻だった。
だが、その日のホームルーム前。
「……今日、転校生が来るんだってさ」
クラスの男子がボソリと呟いた。
そのノイズに、悠真の隣に座る零奈の眉が、ミリ単位で微かに動く。彼女の指先が、机の上でメトロノームのような正確さでリズムを刻んだ。
「転校生だって。この時期に珍しいね、悠真くん」
彼女は悠真にだけ見える、温度のない微笑みを向ける。彼女の瞳の奥では、既に組織のデータベースへ照会をかけるナノマシンの閃光が走っていた。
「はーい、みんな席について! 今日から新しい仲間が増えるわよ。蜂野さん、入ってきて!」
担任の声と共に、教室のドアが勢いよく開いた。
入ってきた少女を見た瞬間、クラスの空気が一変した。
「蜂野ミエルです! ずっと海外にいたから、日本の学校は初めてでドキドキしてます。みんな、仲良くしてね!」
眩しいほどの金髪をポニーテールにし、向日葵のような明るい笑顔を振りまく少女。
零奈が『冬の静寂』なら、彼女は『真夏の陽光』だった。
彼女が言葉を発するたびに、教室中の生徒たちが、まるで魔法にかけられたように彼女に釘付けになっていく。
(……何だろう。彼女がいるだけで、空気が軽くなった気がする)
零奈に看病をされて以来、彼の脳にこびりついていた重苦しい霧が、ミエルの放つ不思議な華によって、わずかに晴れていくような感覚。
クラスの生徒たちは誰も知りはしない。それは彼女の持つ『蜂』の因子の力――周囲を陶酔させ、統率する女王蜂のカリスマだった。
「佐倉悠真くん、だよね? よろしく!」
ミエルは一直線に彼の席まで歩いてくると、屈託のない笑顔でその顔を覗き込んだ。その瞬間、彼女の瞳に金色の光が宿る。
「……君、なんだかすごく『疲れ』が溜まってるみたい。私がお隣の席で、癒してあげるね」
『警告:未登録のフェロモン干渉を検知』
『警告:対象「蜂野ミエル」、指定保護対象「佐倉悠真」への過度な接近を確認』
『脅威レベル:B+……Aへ上昇中』
零奈の視界(HUD)は、今や真っ赤な警告文字で埋め尽くされていた。
目の前で交わされる悠真とミエルの会話。そのやり取りは、零奈の耳元のピアスからもリアルタイムで転送されてくる。
このピアスは少し前までは二人を繋ぎ合わせる幸福の象徴だった。それが、今は見知らぬ一匹の雌に侵されている。その事実が余計に彼女の神経を苛立たせた。
「……癒してあげる、って何?」
零奈は、手にしたシャープペンシルを、音もなく真っ二つに握り潰した。
彼女の網膜には、対怪人組織『G.A.R.D.E.N.』本部が、自分の暴走を抑え込むための調整役としてミエルを送り込んだというデータが表示されている。
(組織も、余計なことをしてくれる……)
日本支部司令の響も『G.A.R.D.E.N.』本部が黙っているはずがないと言っていたが、その動きは予想以上に早かったようだ。
零奈の背中で、隠された翅が不快な高周波を上げ始める。
ミエルが彼の肩に親しげに手を置いた、その瞬間。
教室の時計の秒針が、ガチリと音を立てて止まった。零奈の放つ殺気が、ナノマシンを通じて電子機器を狂わせたのだ。
「蜂野さん。……悠真くんは、少し体が弱いの。あまり……馴れ馴れしくしないでくれるかな?」
零奈が、席を立ってミエルの前に割って入った。
二人の少女が向かい合う。聖女の仮面を被った死神と、太陽を背負った支配者。
「あはっ、ごめんね! でも、彼を独り占めするのは不公平だよ、切崎さん? ……花の蜜は、みんなで分け合わなきゃ」
ミエルは挑発的に笑い、彼の方を振り返ってウインクした。
少年を巡る、カマキリとハチの縄張り争い。
止まった秒針が再び動き出した時、それは佐倉悠真という『餌』を奪い合う、凄惨な捕食合戦の合図だった。




