第13話:捕食階級の逆転
「拘束しろ! それが無理なら殺しても構わん!」
響の号令と共に、カフェの残骸から四人の『構成員』が飛び出した。彼らもまた、甲虫や蛾の因子を植え付けられた精鋭の改造人間だ。だが、彼らが間合いに踏み込むより早く、零奈の姿が消えた。
「――遅いね。羽虫の癖に」
背後。零奈は鎌を使わなかった。漆黒の外骨格に覆われたその素手で、蛾の改造人間の翅を根元から掴み、紙細工のように引き千切った。
「あ、がぁぁぁぁっ!?」
絶叫が響くよりも早く、彼女は流れるような動作で甲虫型の重装甲を殴り抜く。鋼鉄以上の硬度を誇るプロテクターが、果実の皮のようにひしゃげ、剥ぎ取られた。
それは戦闘ではなく、解体だった。
零奈は一言も発さず、かつての同僚たちの手足を、関節を、冷徹な効率性で破壊していく。鎌を使わないのは、それが彼女にとって『食事を邪魔された怒り』をぶつけるための、卑俗な暴力だからだ。
わずか数十秒。床に転がった改造人間たちは、二度と戦えない肉の塊へと成り果てていた。
「次は……あなただね、響司令」
零奈が、瓦礫の山を越えて響へ一歩踏み出す。
響は震える手で特殊拳銃を構えた。だが、発砲できない。零奈から放たれる、生物としての圧倒的な『捕食階級』の差――絶望的なプレッシャーに、彼の指は完全に硬直していた。
「ひ、響さん、逃げて……っ!」
悠真の叫びは、零奈の冷たい一言にかき消された。
「響司令。何か勘違いしちゃってたみたいだね。私が今まで世界を救ってあげていたのは、正義のためじゃない。……この世界が、悠真くんを安全に飼うための『飼育箱』だったからだよ」
零奈は響の眉間に、鋭利な鎌の先端を突き立てた。
「私の『餌』に、勝手に触らないで。……次、この子に指一本でも触れたら、組織の人間だけじゃなく、あなたたちの家族も全員食べ尽くしてあげる」
――餌。
その言葉が、悠真の脳裏を殴りつけた。彼女にとって、自分は愛するパートナーではなく、いつか食べるために囲っている『餌』に過ぎないのか。
恐怖で体がガタガタと震え出す。それを見た零奈は、鎌を収めると、戦場に似つかわしくない甘い溜息をついて悠真を抱き寄せた。
「……ふふ。冗談だよ、悠真くん。怖がらせちゃったね? あなたは私の、世界でたった一つの宝物だもん」
耳元で囁かれる、熱い吐息。恐怖を甘く塗り潰す、ナノマシンの香り。彼女の愛が嘘なのか、本能なのか。今の悠真にはもう判断がつかなかった。
零奈は動けない響の手から通信端末を奪い取ると、超高速で何らかのコマンドを打ち込み始めた。
「よし、書き換え完了。……いい、響司令? 明日から『G.A.R.D.E.N.』日本支部の最優先事項は『佐倉悠真の日常の防衛と生活環境の向上』に切り替わったから。怪人退治なんて、その次でいいよ」
「貴様、何を……っ! そんなことをして本部が黙っているとでも思うのか!」
「それが嫌なら私に従ってるフリをして寝首を搔く機会でも狙っていればいいでしょ。この場で皆殺しにされるのとどっちが賢いかなぁ」
響は苦々しい顔で零奈を睨む。だが、もはや自分に選択の余地がないことを彼は既に理解してしまっていた。
「……はい、交渉成立。これからは日本支部の全リソースを、彼の外堀を埋めるために使わせてもらうね」
零奈は満足げに微笑むと、放心状態の悠真を軽々と横抱きにした。背中の透明な四枚の羽が、力強く羽ばたきを始める。
「さあ。行こう、悠真くん。今日は帰ったらステーキを焼いてあげる。組織の経費も使い放題だから最高級の牛肉を買おうね。……美味しいものをいっぱい食べて、私好みの良い子になるんだよ」
夕焼けに染まる街を、死神は悠然と飛び立った。
眼下に見える街の灯りの全てが、今日から佐倉悠真という『餌』を飼育するための巨大なケージに変貌したことを、悠真は空の上で悟った。




