第12話:密会と捕食者の影
街外れにある、客の途絶えた喫茶店。琥珀色の照明が、テーブルに広げられた数々の資料を冷たく照らしていた。
「……これが、君たちの言う『聖女』の正体だ」
響が淡々と差し出したのは、切崎零奈の極秘個人ファイルだった。そこには、彼女の華奢な肉体に施された、おぞましいまでの機械化手術の記録。そして、悠真に近づいた人間たちの『その後』が記されていた。
「陽菜ちゃん……。それに、武田くんも……」
陽菜は隣県への強制転居と親の左遷。武田は精神操作による『人格再教育』。悠真が偶然だと思い込もうとしていた日常の綻びは、全て彼女の『鎌』によって刈り取られた結果だった。
「彼女にとって、君は愛する対象ではない。自分のテリトリーに迷い込んだ、管理すべき『餌』に過ぎないんだ」
響の言葉が、ナイフのように胸に突き刺さる。
「放っておけば、君の人間としての自由は完全に消失する。君は彼女の箱庭で、ただ生かされるだけの家畜になるんだ。……今ならまだ助けられる。我々の保護下に来るんだ、佐倉くん」
ショックで頭が真っ白になった。逃げなければいけない。怖い。そう思っているはずなのだが――。
(……でも、零奈さんは、僕を守ってくれた。僕のために、いつもあんなに尽くしてくれてる)
脳内で、彼女が毎日作ってくれる弁当の味が蘇る。ナノマシンの甘い毒が、彼の理性と恐怖を強引に上書きしていく。拒絶よりも先に、彼女を一人にしてはいけないという、歪んだ義務感が胸を支配した。
「違う。零奈さんは、そんな……」
悠真が響に反論しようと言葉を絞り出した、その時だった。
カフェの大きなガラス窓の外。歩道を歩いていた通行人たちが、まるで糸が切れたマリオネットのように、一斉に動きを止めた。
「……何だ?」
響が顔を顰める。
老人も、若者も、犬を連れた主婦も。全員がピタリと静止し、そして――首だけをゆっくりと、同じ方角へと向けた。
街全体が、一人の捕食者の接近を察知したかのように、呼吸を止めている。
悠真の右耳に取り付けられたピアス型の通信機が、キィィィンと耳を劈くような高周波を上げ始めた。
『……あ、あ……悠真くん……見ぃつ……けた……』
耳の奥で、零奈の、震えるほどに歓喜に満ちた声が響く。
強制メンテナンスを自力で、それも物理的に破壊して脱出した彼女が、超音速の衝撃波を伴ってこちらへ向かっている。
「全員、構えろ! 来るぞ!」
響の叫びと同時に、カフェの天井が凄まじい音を立ててひしゃげた。
――ドォォォォォォン!!
爆鳴と共に、コンクリートの塊がテーブルに降り注ぐ。崩落する瓦礫。巻き上がる土煙。その中心に、彼女は降り立った。
「――私の許可なく、その子に触れないでって……言ったよねぇ?」
屋上から突き破って現れたのは、既に制服の少女ではなかった。黒光りする外骨格。背中で震える四枚の羽。そして、両腕に展開された、血のように赤い超振動鎌。
彼女の足元には、屋上で警戒していたはずの響の護衛たちが、物言わぬ肉塊となって盾のように積み上げられていた。
「零奈……さん……」
悠真が声を漏らすと、彼女の複眼が、妖しくエメラルド色に輝いた。その瞳には、組織の人間に対する慈悲など微塵もない。そこにあるのは、自分の大切な『餌』を奪おうとする盗人への、絶対的な殺意だけだった。
「悠真くん、ごめんね。少し、お掃除に時間がかかっちゃった」
死神の如き姿のまま、彼女は悠真にだけ、いつもと変わらない『聖女』の微笑みを向けた。その鎌の先から、護衛の返り血が、ポタリと床に落ちる。
「……さあ。悠真くんに手を出そうとする悪い人たちは、私が全部食べてあげる」
彼女の鎌が、超音波の死の旋律を奏で始めた。




