33
「素晴らしい……奇跡だ」
「神が我らに巫女を遣わせたのだ」
それから約一年経った、ある日の検査のこと。
いつもみたいに大人しく検査を受けてたら、大人たちが騒ぎ出した。なんなんだろう、ちょっと怖かったけどあたしは動けなかった。大人がたくさん集まって、大きなモニターを指さしてあれこれ言っている。よくわからない数字の羅列やグラフを眺めて、大騒ぎする大人たちはちょっと怖かった。
その日は通常の検査よりも長い間拘束されて、やっと解放されたと部屋に戻ったら、おんなじ検査を受けていた雷くんは、先に部屋に帰って来ていて、大人たちよりももっと怖い顔をしてあたしを待っていた。
「雷くん? どうしたの? 何かされた?」
「ちとせ……適正がでたって、大人が騒いでた」
「適正?」
そういえばいつもより騒がしかったよ、一度も使ったことの無い機械にも繋がれたし、疲れちゃった。あたしは勉強をこっそりサボってもう寝ようかなと考えていたら、がっしり肩を掴まれてしまった。
「ちとせ……龍の適正が、お前、出たって」
「龍?」
「お前が……お前が……」
「雷くん?」
どうしたの。まるで怖い夢をみた朝の雷くんみたいだ。安心させるために、あたしは背中を優しく叩いた。雷くんは小さい時から突然不安に駆られて、夜泣き出すことが多かった。そんな時、あたしは優しく抱きしめてあげた。背中を叩いたり、手を握ったりしてあげると、雷くんは次第に呼吸を元のペースに戻していく。雷くんの不安があたしの中に吸い込まれて消えますように。そうやって祈っていたことがあった。
「ちとせ。俺たちがあれこれ検査されてたり、組織に必要とされてる理由って知ってるか?」
「あんまり分かってない、けど。学院を倒したい組織には必要なんでしょ」
「……学院は、動物に変化できる超能力者の集まりなのは知ってるよな」
「もちろん。学院の知識なんて嫌ってほど詰め込まれたのに」
「……俺たちは、そういうものになれる適正があるからここに連れてこられた。でも、組織は普通の動物みたいに変化させようとしたんじゃなくて、ポテンシャルのある俺たちを、架空の生き物に変化させて、暴力的な力を手に入れようとしたんだ」
「うん……?」
「薬や、電流の刺激をゆっくり与えて、いつか大きく変化するかどうか、組織は待ち侘びていた。そして今日、ちとせに適正が出た」
雷くんの言葉を、あたしはゆっくりじっくり聞いて、確かめて、噛み締めるように頭の中に流し込んだ。
「それで、つまりあたしは架空の生き物みたいになれるようになりましたよーってこと?」
「恐らく……ちとせは、学院の中に潜り込まされて、『龍』に変化して、混乱させて……多分、そういう役割をさせられるんだと思う」
「それをしたら、どうなるの?」
「人を、傷つけなきゃいけないかも」
「え!」
それは考えたこともない発想だった。そもそも、どうしてそんな破壊行動を起こさなくちゃいけないの? そんなテロみたいなことしたいなら、でもわざわざあたしたちを攫った意味ってなんなの? 大人たちが勝手にやればいいじゃん。
チップだって、あたしたちに埋め込まなきゃいいのに、どうしてあたしたちにやらせようとするの?
「組織の〝本当の目的〟は、何年いてもつかめない。所詮、閉じ込められっぱなしの俺たちじゃ無理だ」
「これからあたしたち、どうなるの……」
雷くんは黙り込んだ。
あたしも雷くんほどじゃないけど、必死に思考を巡らせた。人を傷つけるなんて嫌だ。そんなこと、到底耐えられない。けれどもしそれを断ったら、雷くんが痛めつけられたりする? そんなことも耐えられない。だって、あたしは。
「……もし、ちとせに何かがあって、ちとせが学院に進入できないなら。ミサゴの能力を持った俺が、偽装の戸籍を使って、一二歳になったら潜り込まされるだろうな」
「何かって、何」
「……ごめん」
嫌な予感がした。雷くんは何かを決意した。それは、とんでもないことに違いない。
おねがい、行かないで。あたしを一人にしないで。
違う、一人で戦うことを選ばないで!
「あたしはそんなの、望んでない!」
「ちとせ……」
雷くんが何をするかは聞いてない、けど、ここで止めなければ。あたしの気持ちを伝えなければ、きっと雷くんはあたしを置き去りにして、あたしを守ろうとする。頭のいい雷くんのことだ、組織も学院も出し抜いてやろうと目論んでいるんだろうけど、だってあたしたちはまだ子供なんだ。そんなにうまくことが運ぶわけがない。
かぶりを振って、断固拒否の構えを見せたけど、あたしはあたしが情けなかった。
じゃあどうすればいいのか、雷くんが考えたであろう無茶な作戦を止められる、代替案なんて頭の中にこれっぽっちも浮かんでなかった。
「――ちとせは、俺がここに来てから、ずっと自分のことより俺のことを優先してた」
「そんなことない」
けど、雷くんは追及するみたいに、あたしに畳み掛けてきた。
「ちとせ……俺が受ける分の検査、無理やり引き受けてただろ」
あたしは、頭の中が真っ白になった。いきなりそんなことを言われると思わなかった。
そして、雷くんが気付いてるとも思わなかった。
でも、当然のことだった。雷くんはあたしより頭がいい。あたしがどうにか誤魔化し続けるのも無理があったのかもしれない。
雷くんは、瞬きもせずにあたしを見つめた。
「組織に検査の反応を聞かれた時、どう反応すればいいのか。どう答えればいいのか。視線を動かせばいいのか……ちとせは、俺が検査を受ける時間を短くするために、どうすれば組織の連中が喜ぶのか、反応を伺ってた、だろ。結果、ちとせは俺の分まで引き受け続けて、そして……」
俺のせいで龍の適正が現れた。雷くんが断定する前に、あたしは必死になって遮った。
「違うよ、違う雷くん。雷くんのせいじゃない。あたし、あたしは……」
こんなことになるなんて思わなかった。あたしはがむしゃらになって雷くんに縋りつこうとしたけれど、雷くんはあたしのロケットペンダントを掴んだ。
「それ……!」
それを貰ったのは何年前だっただろう。雷くんは「組織の奴らがゴミ捨て場に捨ててるのを拾ったんだ」と誇らしげにそれを拾ってきた。金ピカで綺麗で、捨てるのなんてもったいないのに捨ててあったんだって。
ゴミで、ごめんな。でも、ちとせにどうしてもあげたくて。ちとせと俺が出会った今日にプレゼントしたかった。
照れながらそう言われて、あたしは喜びながらも焦った。それだったら雷くんも今日が誕生日みたいなものじゃん! ちとせからは何もいらないよ、なんて謙虚なことを言い出した雷くんを叱って、あたしも同じようにゴミ捨て場からいいものを拾おうとして、ようやく見つけた銀色のリングを雷くんの指に嵌めてあげた。
名前を付け合ったとき、あたしたちは針金でお互いにお互いの名前をアクセサリーに彫り合った。ロケットの内側と、指輪の内側。それぞれに。
「この暗示方法は、持ち主が長く付けていた所持品を使った方が、成功しやすいらしいから」
「暗示って……何するの、ねえ。何しようとしてるの」
あたしには何もわからなかった。けれど、一日一日、ただひたすら過ぎていった雷くんとの生活が、今日という日で終わりを告げようとしていることは、直感的に感じ取れた。何かこれから、あたしにとって最悪なことが起こりそうだということも。
「これから俺は、ちとせの記憶を消す」
「何言ってるの……」
雷くんはペンダントをギュッと握りしめて、あたしの目の前に突きつけた。それがよくないことだと思って、目をそらそうとしたのに、なぜか体が動かなかった。ああ、しまった。もうすでに、雷くんの暗示がかかり始めてる。あたしはワンテンポ遅かったのだ。
「大丈夫。いきなり龍の能力が発現したから、意識が混濁したって判断されると思う。あいつらにとってちとせは神様みたいなもんだから、絶対雑な扱いはされないはずだから」
「ま、待って、雷くん。待って!」
金色のペンダントの外側に狼狽えたあたしの顔がぼんやり写っている。その向こうに、無表情の雷くんがいた。
どうしてそんな平然としていられるの。そんな大事な決定を、今ここで、簡単に決めないでほしい。あたしの願いは聞き入れてもらえないの?
口の中がからっからで、でもここで止めないと、雷くんはあたしのために学院に潜り込んでしまう。
喉の奥から泣き叫ぶように、あたしは必死でもがこうとした。
「ねえ、記憶を消したら、雷くんのことも忘れちゃうんでしょ! 嫌だよ、あたしには雷くんだけなのに、雷くんは違うの!?」
「――俺だってそうだよ!」
雷くんは、低く、低く、けれどか細い声を絞り出すように吐いた。
「俺にだって、これまで生きてきて、ちとせしかいない。ちとせだけ居ればいい。でも、だからこそ俺のせいでちとせが苦しむのなんて嫌だ!」
「雷く」
あたしが名前を言い切る前に、雷くんはロケットを開いた。
そこから先は、まるでスローモーションの映像を見ているみたいだった。雷くんが、ペンダントにあらかじめはめられていた、真珠を外す。
あたしは凍りついたように体が動かせない。もう声も出せないし、瞬きもできない。
「ちとせ。お前は今から、お前に関する一切の記憶を失う」
その声が耳の中に届いた時、あたしの体はぐらっと傾いた。
それを、そっと受け止めてくれた雷くんの顔は、もう見えない。瞼が途端に重くなって、眠くて眠くてたまらない。
そっと、雷くんはあたしの耳元で優しく最後に囁いた。
「ちとせ、約束してほしい。……俺や他の誰かじゃなくて、まずは自分を幸せにすることを、何より優先してほしい」
雷くんの約束の言葉だけが、白い霞の中で響いていた。




