第二章:招かれざる客
#残酷な描写あり#犬神医師の解剖学的愛着律 #サイコパス外科医 #禁断の愛 #メディカルホラー#医療グロ
ドアベルの音は、私が最も忌み嫌う周波数だ。その音は、朱里の左大腿部の筋膜を辿っていた私のメスの集中力を切り裂いた。
「しっ、朱里。声を出してはいけないよ」
私は囁く。
朱里は、たとえ望んでも声を出すことはできない。私は先ほど、高用量のベクロニウム臭化物を投与したばかりだ。強力な筋弛緩剤。彼女の意識は完全に鮮明であり、中枢神経系は痛みのすべてを寸分違わず記録しているが、筋肉は完全に麻痺している。乾き始めた瞼を閉じることさえ、彼女には叶わない。これこそが、医師と患者の間にのみ存在する純粋なコミュニケーションの形だ。
私は血性分泌液にまみれた手袋を脱ぎ、ポビドンヨードで指先まで洗浄すると、「親愛なる兄」という名の仮面を被った。
扉の前に立っていたのは、犬神蓮。私たちの従兄弟であり、不快なほど鼻が利く、血気盛んな若手刑事だ。
「江戸さん! 夜分遅くにすみません」
蓮はコートの肩に雪を乗せたまま言った。
「近くの青梅で仕事があって、ふと立ち寄ろうと思ったんです。あのご両親の葬儀以来、朱里ちゃんに会えていなかったので」
「蓮か。朱里はまだひどい心的外傷の回復期にいるんだ」
私は廊下への視線を遮るように立ち、淡々と答える。
「健康状態は極めて不安定んだよ」
蓮は空気を嗅ぐように鼻を鳴らした。その顔が微かに歪む。
「……何の匂いです、江戸さん? 鼻を突くような……ホルマリンと、腐った肉が混ざったような匂いがしますが」
私は静かに微笑んだ。制御された生理的反応だ。
「病院レベルの消毒剤だよ。私は毎日欠かさず滅菌を行っている。知っての通り、私は少し潔癖症なんだ」
「少しだけ、顔を見るだけでもいいですか?」
蓮は強引に踏み込んできた。返事も待たず、彼は家の中へ足を踏み入れる。
木の床を叩く彼の足音は、まるで裁判官が振るう木槌のように響いた。彼は居間の方へ向かったが、その視線は絶えず地階へと続く鋼鉄の扉を盗み見ている。アドレナリンの奔流を感じるが、私の心拍数は70bpmを維持したままだ。私は捕食者であって、獲物ではない。
「この家、静かすぎますよ、江戸さん。それに……なぜこんなに寒いんですか?」
蓮が壁に触れる。
「暖房をつけていないんですか?」
「低温は細菌の増殖を抑えるんだ」
私は彼を出口へと促しながら言った。
「朱里は寝ている。起こさないでくれ。もし起きてしまったら追加の鎮静剤を投与しなければならない。それは彼女の神経伝達物質にとって良くないことだ」
来週東京で食事をするという約束を取り付け、ようやく蓮を追い払うと、私は即座に鍵を閉めた。忌々しい。鼻が利きすぎる男だ。今夜の「処置」を急がねばならない。
地下室に戻ると、朱里はまだそこにいた。瞬きのできない瞳の端から、一筋の涙が零れ落ちる。美しい自律反応だ。
「邪魔が入って済まなかったね、朱里。腱の再建を続けよう」
私はランゲンベック氏開創器を手に取り、彼女の脚の切開部を大きく広げた。坐骨神経を露出させる。四倍率の外科用ルーペを覗き込み、結節組織から神経を剥離していく。
「蓮が何かを嗅ぎつけたよ、朱里。きっと、濃縮され始めた『愛』の匂いを嗅いだんだろうね」
私は電気メス(コウテリー)を手にした。熱せられた金属の先端が露出した筋肉組織に触れると、ジュッという音と共に、甘く、そして吐き気を催すような焼ける肉の煙が立ち昇る。止血は完璧でなければならない。君の白い筋膜の美学を、血溜まりで汚したくはないから。
突然、酸素飽和度モニターが激しくアラームを鳴らした。頻脈。痛みの強度が閾値を超え、朱里は神経原性ショックを起こしかけていた。蝋人形のように固まった肉体の中で、悲鳴だけが加速している。
「おや、心臓がひどく高鳴っているね? 蓮が来たのが嬉しかったのかい? それとも、私がさらに深く切り刻むのが怖いのか?」
私はエピネフリンを満たしたシリンジを取り、彼女の中央静脈ラインへ直接注入した。
「まだ死んではいけないよ、愛しい人。最も芸術的な部分は、これから始まるのだから」
私は小さな骨鋸を手に取った。今夜は、彼女の大腿骨の一部を少しだけ貰い受けるつもりだ。病院で働いている間も、常に私の首から下げておけるペンダントにするために。そうすれば、たとえ距離が離れていても、彼女の一部は常に私の肌に触れていることになる。
ギィ……ギィ……
骨のカルシウムを削り取る鋸の音が、防音の部屋に響き渡る。外では奥多摩の雪がさらに深く降り積もり、この家を完璧な白い沈黙の中に埋めていく。誰にも聞こえない。誰も助けに来ない。
ここにあるのは私と、朱里と、陶酔を誘う金属の香りだけだ。




