第一章:医師の日常
#犬神医師の解剖学的愛着律 #サイコパス外科医 #禁断の愛 #メディカルホラー#医療グロ
午前六時。
アラームが私を起こすのではない。私がアラームを起こすのだ。規律こそが精密さの基盤である。私は強化ガラスの向こうで眠り続ける朱里を見つめる。彼女の寝室は、陰圧管理された無菌観察ユニットだ。鎖骨下静脈から高カロリー輸液(TPN)を送り込むシリンジポンプが正常に稼働しているかを確認する。
「行ってくるよ、朱里」
インターホン越しに囁く。返事はない。酸素マスクの奥で、彼女の吐息がかすかな霧を作っているだけだ。
私はレクサスを駆り、奥多摩の霧を抜けて、静寂の森から喧騒の新宿へと向かう。聖命大学病院の自動ドアをくぐった瞬間、私は執着心の強い兄ではなくなる。心臓血管外科准教授、犬神江戸医師だ。
「おはようございます、犬神先生。本日の予定は九時から僧帽弁形成術です」
看護師の田中が頬を染めて挨拶してくる。
私は鏡の前で練習した通りの外側広筋スマイルを浮かべる。親しみやすさを演出しつつ、威厳を保つために適度な硬さを残した微笑だ。
「ありがとう、田中さん。経食道心エコーの準備を忘れないように」
手術室において、私は宇宙の中心だ。
今日の患者は、重度の僧帽弁逆流症を患った中年男性。胸骨切開を行い、振動鋸で胸骨を割る際、骨が擦れる音は私の脳にドーパミンの奔流を送り込む。焼けたカルシウムの臭いは、最高の香水だ。
「開胸器」
短く命じる。
心膜を切開し、不規則に脈打つ心臓を露出させる。助手の目には、これは病んだ臓器と映るだろう。だが、私の目には欠陥のある機械的なポンプに過ぎない。心筋保護液で心臓の鼓動を止める。一時的な死。絶対的なコントロールが私の手の中にある。
ポリプロピレン製の5-0縫合糸で人工弁輪を心臓の弁に縫い付けながら、私の思考は奥多摩へと飛ぶ。この患者の心筋の質感を、陶器のように白い朱里の首筋の皮膚と比較する。この患者は粗悪で、コレステロールのプラークにまみれ、内側から腐りかけている。私が完璧な無菌状態で管理している朱里とは正反対だ。
「先生、血圧低下! 静脈洞に活動性出血があります!」
隣のレジデントがパニックで声を震わせる。
私は瞬き一つしない。手元はロボットのように安定している。
「落ち着け。持針器と4-0糸を。脆弱な組織の微細な裂傷に過ぎない」
エレガントな結紮一つで、出血は止まる。私は一滴の汗も流さず、この男の命を救った。彼を慈しんでいるからではない。不規則な事態を嫌悪しているからだ。私のオペ台での死は、私の美学というカルテに残る汚点でしかない。
午後七時。
血にまみれたラテックス手袋を脱ぎ捨て、嫌悪感と共に医療廃棄物容器へ投じる。他人の血は嫌いだ。不潔で、不純に感じる。
帰路の途中、秋葉原にある裏の医療機器店に立ち寄り、特注品を受け取る。超極細のカニューレと、強力な筋弛緩剤であるクラーレのアンプル数本だ。
奥多摩の自宅に戻る頃には、夜の帳が下りていた。雪は激しさを増し、隔絶された私道のタイヤ痕を消していく。
私は直ちに地下室へ向かう。イソプロピルアルコールの臭いと、朱里特有の香りが私を迎える。白衣を脱ぎ、透明なプラスチック製のオペ用エプロンに着替える。
朱里のベッドに近づく。彼女は目を覚ましていた。大きな瞳が、恐怖と鋭い依存の入り混じった眼差しで私を見つめる。シルクの毛布の下で、彼女の身体がわずかに震える。
「江戸兄様……帰るのが、遅かったのね」
長期挿管の副作用で、彼女の声は嗄れている。
私はまだ冷たい手の甲で彼女の頬を撫でた。
「他人の心臓の欠陥を直さなければならなかったんだ、朱里。でも、もう大丈夫だ。君に新しい『プレゼント』を持ってきたよ」
新しいカニューレを取り出す。無影灯の光が、鋭利な金属の先端で反射する。
「足がよく痙攣ると言っていたね? 選択的除神経術についての最新の論文を読んだんだ。不要な知覚神経をいくつか切断してあげよう。そうすれば、もう痛みを感じることはない。君が感じていいのは……私だけだ」
注射器を準備する。私が彼女の手首をベッドのサイドレールに固定しても、朱里は抵抗しなかった。この世で、私が与える痛みだけがリアルであることを、彼女は知っているのだ。
「始めよう、朱里。瞬きをしてはいけないよ。私が君をどれほど愛しているか、細胞レベルで刻まれる瞬間を見届けてほしい」
局所麻酔なしで、坐骨神経の走行へ正確に針を突き刺す。その焼けるような感覚を彼女に味わわせたかった。彼女の人生が――神経を流れる一つひとつの電気信号が、犬神江戸の所有物であるという事実を思い出させるために。
その夜、吹雪の奥多摩で、私は肉体だけを解剖していたのではない。私は彼女の魂を解剖していたのだ。




