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「はいはい、アカウント作るところからね」
ベッドに寝転んだままスマホを持ち上げ、詩乃はダウンロードしたばかりの配信アプリを起動した。
利用規約だの注意事項だの、読む気にもならない文字列を指先で雑に流していく。
とりあえず、登録さえ終わればいい。
そんな気持ちで進めた先に、ニックネーム入力欄が現れた。
少しだけ考えて、適当に文字を打ち込む。
――星読みの歌。
前世で≪星詠みの魔女≫と呼ばれていたので、安直にそのまま再利用しただけだった。
「まあ、誰も気にしないでしょ」
詩乃は自分で付けた名前に興味もなさそうに呟く。
配信開始ボタンをタップすると、細かい設定がずらりと並んだ。
公開範囲、ギフト、エフェクト、タグ、サムネイル等々。
見てるだけでやる気がなくなる。
「……わかんない」
数秒眺めた末に、詩乃は理解を諦めた。
面倒なものは後回し。
それが彼女の基本方針である。
とりあえず、タイトルだけ入力する。
「明日の運勢占います、っと……あー、顔出しはしたくないから画面はなに映そ」
詩乃は部屋を見回す。
コンビニ袋。空き缶。
映せる場所がどこにもない。
「終わってるな、この部屋」
他人事のように呟き、おもむろにスマホのカメラを起動し、天井へ向けた。
――カシャ。
天井を捉えているはずのレンズ。
だが、そこに映っているのは満天の夜空だった。
星々が静かに瞬き、深い群青の空が画面いっぱいに広がっている。
「うん、ニックネームとも合うし、これでいこ。魔法って便利」
詩乃はそれを配信画面に設定し、配信開始ボタンをタップした。
数秒の読み込みのあと、画面の向こうに知らない世界が開く。
今この瞬間から、自分の声を知らない誰かが聞いている。
「あー、こんばんは……はじめまして」
自分でも驚くほど覇気のない第一声だった。
無音。
コメント欄も動かない。
それでも、来場者数だけは数人いた。
どうやら配信開始した直後は、新着配信として人の目に触れる仕組みらしい。
なるほど、初心者救済システムというやつかもしれない。
「なんか、占いします……」
喋るだけで金になると思っていた。
だが、何も起こらない空間で一人語りを続けるのは、想像以上に難しい。
誰も返事をしない空間に向けて何を話しかければいいのか、詩乃は戸惑った。
「だれもいない……」
もう終わろうかな、配信終了ボタンに指を伸ばしかけたそのとき。
かなと【本当に当たるの?】
一つ目のコメントが流れた。
たった一行。
それだけなのに、初めてのコメントに詩乃の胸は少し弾んだ。
「ん、当たる。見る?」
声までも、少しだけ明るくなる。
かなと【ま、見るだけ見て】
「……ん」
詩乃は半目のまま、画面の向こうにいるであろうかなとに意識を向けた。
名前も姿も何も知らない。
それでも覗こうと思えば、明日くらい簡単に見える。
「明日は電車遅延、会議延期、上司不機嫌の三本立て」
見えないのに思わず指を三本立ててしまう。
かなと【なんで明日会議って知ってんの】
彩【え?本当に会議あんの?】
かなと【マジである】
彩【どうせ仕込みでしょ?私も占ってよ笑】
二人の様子を見ていた視聴者もコメントに参加して、コメント欄が少しだけ賑やかになる。
その流れを見て、詩乃は内心ほっとした。
「……ん」
詩乃は気の抜けた声で返し、もう一人の明日を覗いた。
寝癖のついた頭。
時計を見て青ざめる顔。
慌てて飛び起きる朝。
実に平和な未来だった。
「明日は、寝坊する。他は……特になし」
彩【え?しょうもな】
かなと【リアルすぎてわらう】
彩【もっと事故るとか、宝くじが当たるとかないの?】
「人生、平穏が一番……」
詩乃は小さくあくびを噛み殺した。
「普通の人に、毎日そんなイベント起きないし……」
大半の人間の明日なんて、劇的でも運命的でもない。
日常がそこにあるだけだ。
少し眠くて、少し面倒で、少し嫌な事や嬉しいことがあって、気づけば終わっている。
それが普通で、それが案外悪いものでもない。
「……明日の運勢占います、ってタイトル、失敗だったかな」
かなと【急に反省しだした笑】
彩【とりあえず明日答え合わせしてあげるから、配信してね】
その一文に、詩乃は少しだけ姿勢を起こした。
「……明日も、同じ時間」
かなと【まじで上司の機嫌悪かったら文句言いに来るわ】
「わたしのせい?」
彩【寝坊しても主のせい】
「え?なんで……」
かなと【そんな占いしたから?笑】
コメント欄に笑いが流れ、来場者数が少し増え、また減っていく。
やがて静けさが戻った。
「……もう今日は疲れた。おわり」
かなと【はやっ】
彩【おつかれ~】
――配信終了。
自分の声が消えた部屋に、静寂が戻る。
さっきまで画面の向こうに誰かがいたのが嘘みたいに、狭いワンルームはいつもの空気を取り戻していた。
詩乃はスマホを胸の上に置いたまま、ベッドへ沈み込む。
「……配信方法、もう少し工夫した方がいいのかな」
サムネイル。話し方。盛り上げ方。ギフト。
知らない単語ばかりで頭が痛くなる。
「……でも」
コミュ障の自分が誰かと話した。
知らない誰かが、自分の言葉に笑って、返して、また来ると言った。
それだけのことなのに、胸の奥が少しだけあたたかい。
「明日も、やろう」
そう呟いて、詩乃は目を閉じた。
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