序章:優祈美菜の場合③
この人数では押し切れない。美菜は奥歯を噛みしめ、周囲を見回す。何かないか、逃げる術はないか。鎧を奪って逃げる。ムリヤリ壁を破壊して逃げる。
……だめだ。慌てた頭では、到底無理な手段しか思い浮かばない。
「おい、ミハエル様を呼べ! あの謎の光はやっかいだ、俺たちでは太刀打ちできまい!」
「ミ、ミハエル様まで!?」
どんどん状況が悪くなっていく。ミハエル様は創世教司教だ。ウジャムンガ様の力も十分に強いが、幹部クラスが来れば対抗できる確率は低くなる。
あぁもう、この窓から飛んで逃げるか。羽はないが、この服は袖が大きい、空気を詰めれば人くらいは浮かぶかも……! 末期的に思考を加速させた時。
見つけた。
窓の外、細いパイプ。垂れ下がったツタのように、景色を一直線に割っている。降りれるかとか重力とか、どこに繋がってるかとかはもうどうでもいい。重要なのは生き延びられるか、それだけが問題だ。
「とーうっ!」
窓枠に足をかけると、勢いよくジャンプ。小手を付けた右手でパイプを握ると、景色が真っ直ぐに滑り落ちていく。神兵の慌てた声が、上方へ吹き飛んでいく。
空気がごうごうと鳴る。頭がくらくらする。夜の町並みが、早回しのように通り過ぎていく。
「あちちちちっ!」
小手から桜色の光が散る。篭手に込められた力によって、熱や衝撃から守ってくれているが、まるで焚き火の中の肉を拾うが如く熱い。火傷しないだろうか。
しかし手放す勇気もない。ヘタすれば地上でミンチになる。熱くてもキツくても手放せない……!
◆
いったいどのくらい落ちただろうか。そもそもこのパイプに果てはあるのか。いきなり高い場所に放り投げられたりしないだろうか。
我ながら、この案に乗ったことを少しだけ後悔する。けれど、乗りかかった船だ、もうこれしかない。
やがて、永遠と思われた落下に終わりが来た。
「ぐわっぷ!」
唐突にパイプが途切れ、空中に投げ出される。一瞬の後、柔らかくてとげとげして湿っぽいものに激突した。
「いったたたぁ……」
とげとげした何かが痛い。頬に刺さる。その上、なにかすごい匂いがする。濁った水が溜まりきった果てのような。これは……。
「カビィ!?」
落ちた先は、カビの生えた水辺だった。石の上に、シダがびっしりと生えている。この上に落ちたから良かったものの、もうすこし外れていたら石組みの道に真っ逆さまだった。
冷や汗が頬を濡らす。
ともあれシダの中から、周囲を観察する。どうやら石造りの水路のようだ。シダの向こうに、用水路らしき入り口が見える。
空は、見たことがないほどどんよりと曇っていた。星すら見えない。空気はゴミ捨て場の如く澱んでいる。
「ここって、まさか……下層?」
噂に聞いたことがある。美菜達が住んでいる町の下には、下層と呼ばれる場所がある。
そこは地の下、罪を犯した者だけが住まうと語られる場所。人の喜びはなく、欲望のままに奪い与え略奪する……うんぬんかんぬん。
といっても、半ば伝説のようなものだった。
だが、今、ここにある。
「ひょっとして、とんでもない場所に来ちゃったんじゃ……」
驚いている暇も無く、頭上が騒がしくなる。誰かが走っている。たくさんの人が。
「上層から連絡だ! 巫女様が逃げ出したそうだ!」
「捕まえろ、捕まえた者は上層の神殿へ昇進とする!」
野太い歓声。どうやら彼らのやる気は最大限にアップしたようだ。
「や、やば……」
心臓が飛び出しそうな口元を押さえる。濡れた小手から口の中に水が入り、カビィ! と叫びそうになった。苦みとエグみを、必死の思いで耐える。ここで見つかっては元も子もない。
用水路は、人が一人入れるほどの広さがあった。ここなら隠れられる。
足音と水音を立てないように、衣の端を摘まみ、恐る恐る歩き出す。神兵はもちろん、薄闇の向こうは未知の世界だ。等間隔で電灯がついていたが、恐怖を払えるものではない。虫だって怖いし。
「テラっと光る虫とかやめてよね……!」
小さく細く息を吸い、闇を見つめる。息を呑み一つ気合いを入れると、そっと駆けだした。
新作始まりました!
次回はもう1人の主人公、敏明との出会い!
これからよろしくお願いします!




