序章:優祈美菜の場合②
「すごいわ、さすがウジャムンガ神の力……ほんとうに逃げ出せちゃった……」
驚きと興奮に響く胸を、そっと押さえる。どきどきしていた。静かな通路に、聞こえてしまいそうなくらい激しく鳴っている。
生きている実感が、体を包む。
しかし、安心はできない。儀式場からは抜け出したが、まだ敵の手のひらの中なのだ。
物陰に隠れ、そっと周囲を伺う。長い髪が影を作り、思わず手で押さえた。
ウジャムンガ神の力は、昨日手に入れた。
時間にして24時間前。
儀式に絶望する美菜の前に現れた、白い装束の女性。彼女はウジャムンガ神の使いと名乗った。
そんな神なんて聞いたことがないし、装束だって創世教のものとは違う。信用するには遠すぎたが、もはや救ってくれるならなんでも良かった。
噛みつく勢いで話を聞き、特別製だと言う篭手を貰った。
肘を覆う、プロテクターのような篭手。ウジャムンガの力を引き出すと言う。なんでも、ウジャムンガは創世教よりも長く、この塔に、この地に息づく神。美菜もその力を引き出せるという。
使いの女性は神酒をすり替え、より力を引き出せるものに変えてくれた。実際、口にした神酒はハーブのような、でも甘くて、不思議な味がした。
あの神酒を飲んで、美菜は力を手に入れ……いや、今は逃げる事に専念しよう。
通路の端に、小さなメモが貼ってあった。青い、神殿には不釣り合いなメモ。
貼られている壁は、不自然な切り込みがあった。はめ込まれていた石が抜けると、中には大きく膨らんだポシェットが。
「ありがと、由香ちゃん」
礼を言うと、素早くポシェットを取り出す。中にはチューブタイプの食べ物と飲み物を詰められるだけ詰めてあるはずだ。お金は入っていないが、これから逃げることを考えれば店には入らない方が良い。
ずっしりとした重さが、生きていることを実感させる。
覚えている限りの人気のない場所へ。
月明かりを避け、足音を潜め、影に隠れ。
足を止めたのは、渡り廊下の端。あらゆる場所が塵一つなく磨かれているが、ここは寒くて冷たい。まず人の通らない場所だ。
「……誰もいないよね」
壁にもたれる。月明かりが、通路を照らしている。
満月。雲のない夜。呪術には絶好の天気だ。
深呼吸。ひんやりした空気が、体の中を流れていく。
眉を寄せる。深呼吸すると、喉が渇く。改めて辺りを見回すと、ポシェットから水筒を取り出す。静かに傾けると、琥珀色の液体が流れ出る。柔らかい香りをいっぱいに吸うと、また元気が湧いてくる気がした。
「余裕を持たないと、ね。ちょっとだけ」
広がる甘い香りに息を吐いた途端、どやどやと足音が響いてくる。美菜は顔を歪ませた。
「はやっ! でもちょうどいいわ、私にはウジャムンガ様の紋章があるもの!」
液体を一気飲みする。
全身を鎧で覆った、重装備の神兵が、紙切れのように吹き飛ばされていく。
「その技は……!? 我ら創世教には存在しない技……!」
「当然! だって昨日知ったんだもの!」
「なんすかソレ!?」
「具体的に言うと、儀式に行く直前! それっ、ウジャムンガビーム!」
美菜が拳を振り上げると、肘の少し上についた紋章から桜色の光が溢れ出し、廊下を覆っていく。円形に丸をいくつも重なったような、シンプルな模様。
光に触れた神兵が、勢いよく吹き飛ばされていく。「ぐえー!」という声と共に、廊下には次々と甲冑が転がっていく。
光が止んだ後に動くものは、月の光と僅かな埃だけ。倒れた神兵に近づくと、そっと顔の前で手をかざしてみる。怪我もないが、反応もない。狙い通り、目を回しているだけのようだ。
「よしっ」
彼女は駆け出す。外へ。
だが、追っ手は多かった。
「巫女様!」
「美菜様!」
狭い廊下いっぱいに、神兵どころか神官までが大挙して押し寄せてくる。あまりの質量に、鋼鉄の意志を持つ美菜すらも一歩引いた。
「うわわわわ! ちょ、人多すぎない!?」
「巫女様、何をされているのですか! とにかく儀式場へお戻り下さい!」
「ぐ、ぐぬぅ……!」




