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逃げるは恥だが追えはしない②

 かさりと小さな音がする。敏明は立ち上がると、ナイフを手に取った。


「……ネミか」


「ネミ? ネミって?」


「こいつだ」


「うわぁさっきのムシィ!!!!」


 運悪く壁に走ってきたそいつを一突き。ネミは小さな叫び声を上げて捕獲された。掴むと、まだしんでいない生物は手の中でうにうにと暴れる。健気なものだ。


 ネミとは、ネズミと虫が合わさった生き物。巫女の叫びは間違ってはいない。


「し、新鮮だね」


「あぁ。今取ったからな」


「……この周りは全部水道だったはずよね……こんな場所で取れた、なにか……」


 隣の女が青ざめる中、敏明はネミをテーブルへと叩きつけると、ナイフを取り出した。振りかぶって脚を割り折る。


「きゃああああああさっきのうぎゃあああああ眼が痛いあいたたあああああ!」


「うるせぇ」


 脚と殻の間にナイフを入れ、剥がす。眼神経の後部は内臓に繋がっているため、切り落として捨てる。前方は湯に入れ、しばらく煮る。柔らかくなったところでなけなしの調味料。水洗いした方が苦みはなくなるが、水が少ない今は仕方が無い。


 潰し、原型がなくなったところで味を調える。


 えぐいが、微かに塩の風味がしないこともない。その上水道では貴重なカロリー源なのだ。不味くとも不平は言えない。自分もこいつも。


 適当に拭いた器に盛ると、巫女の前に置く。


「食え。味は保証しない」


 彼女は明らかに青い顔をしている。やはり上層の住民、こんな激マズグルメは受け付けないのだろう。微かに唇が動いている。この調子なら、恐る恐る一口食べるのが限界だろう。


「嫌なら、食わなくてい」


 いいんだぞ、と言う前に。巫女の呟きが明瞭を増した。


「……に感謝します。神の恵みに感謝します。神の恵みに感謝しよっしいけるぅ!」


 唱え終わる前に、ネミスープをかっこんだ。一皿、一気に。


 口をつける以上の大胆な行動に、敏明すら眼を丸くする。


 だが、だいぶ衝撃的な味だったようだ。彼女の頬が一気に膨らみ、汗が噴き出す。敏明は身構えた。これはカタストロフィの前触れに違いない。自分の皿に被害が及ぶ前に避難せねば。


 が。


「……ぶ、もっぐ、ごっく」


「……すげぇ」


 喉を鳴らして呑み込んだ。


 敏明の呆然もよそに、巫女はふぅ、と一息吐く。


「なんだか、トリみたいな味だったわね!」


 爽やかな笑顔で言い切った。


「言われたとおり美味しくなかったわ! ごちそうさま!」


「ど……どうも」


「不味かったろ、ネミ汁」


「独創的な味だったわ」


 それをマズいというんだ。


「よく吐かなかったな」


 言うと、彼女は顔をしかめた。


「全ての食べ物は神の恵みだもの。粗末にする訳にはいかないわ」


 相変わらずの言葉。強がりかと思ったが、表情は変わっていない。


「上層では何食ってた」


「薬酒!」


 知っとるわ。


 巫女は頬を上気させて続ける。


「それに、お汁粉に、ぜんざいに、そう、甘酒って知ってる!?」


 知らなくとも分かる気がする。


「お米……穀物を発酵させて作った甘いお酒なの!」


「酒ばっかじゃねぇか」


「甘酒は違うのよ。未成年でも飲むことが出来るの」


「……」


「も、もちろん私はお酒飲める年齢だけどね! みんなで楽しめるから最強なのよ!


 ……こいつ、本当に未成年じゃないよな。年齢詐称に付き合えるほど、敏明は暇ではない。暇だけど。


「美味い肉とか、キャビアとか。そんなんはねぇのかよ」


「めったに食べないわよ、そんなの。お父さんは柔道の師範代をしていたけど、普段はご飯にお味噌汁、シャケに……」


 そこまで言ったところで、彼女は眉を寄せた。


「うぅ、懐かしいよぅ……お兄さん、私をセンチメンタルにさせてばかりね」


「……悪い。振れる話は、これくらいしかないんだ」


 素直に謝ると、巫女はビール及び薬酒を取り出した。虚空から取り出した。……取り出しやがった。


「もう、仕方ないからビール飲むわ! 美味しい!」


「またそれかよ」


 しかし一杯飲むと、機嫌も良くなったらしい。徐々に饒舌になった。


「上層の主食はうどんなの。小麦から作った白くて太い麺よ。なんでも、昔移住してきた人たちのソウルフードらしいの。地上とは小麦の質が違うから、それに合ったレシピを考えて……先代の人たちはすごいわね!」


「ほう」


「ともかく、このスープのレシピを教えて! まずかったから今度作るわ!」


「今度かよ。切り替え早いな……というか、その菓子はなんだ。盗んだのか、さすが巫女だな」


 彼女が座っていた場所には、菓子袋が三袋あった。先ほど食べたスナックとは別のものだ。菓子も安いものではない。


「違うわよっ! これはちゃんと、善意で貰ったんですからね!」


「嘘吐け。そんなボロ着ている奴に施す奴がいるか」


「そうよね……私よりもボロを着ているひとが、ボランティアなんて斬新すぎる概念は知らないわよね……」


 ボランティアぐらいは知っている。というか今の状況が既にボランティアみたいなものだ。


「それにしても、ここまで来るのにだいぶかかったわ。どうしてこんな場所に住んで……いや、もう推測できたわ、ごめんなさい。カシュっとな」


 謝られても。そしてさりげなくビールを開けられても。


 巫女は、昨日の衣のままだった。あちこちが煤け、下層を走り回ったのだろう、白い衣は既に灰色に黒ずんでいる。足元も汚れている。


「……」


 ボランティアの報酬に、水は貰わなかったのだろうか。というか報酬なら菓子より食べ物を選ぶべきでは。


「ここにいるなら、足音には気をつけろよ。俺はしばらく出る」


「あれ? どこ行くの?」


「買い出しだ」

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