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はい。次の方どうぞ。
いつものようにいつもの手順でいつもの言葉を吐き出すだけの毎日。鼻で溜まっていた
空気を吐き出し、次の患者を待った。ゆっくりと扉が開き、現れたのは前回断固として口
を開こうとしなかった子供と、その親だった。また来たのかと心の中で吐き捨てながら、
具合の悪い個所はどこかを尋ねる。すると、今回もまた同じ内容だった。喉が痛いなら口
を開いてもらわないとわからない。
じゃあ、口を開いてもらえるかな。
優しくお願いしてみるも、やっぱりその子供は口を塞ぎながらいやいやと首を横に振っ
た。内心、いらっとしてしまったがここは我慢……。さて、どうしたら口を開いて貰える
か……少し考えた後、私はその子供に一つお願いをした。
君は喉が痛いんだったね。そうかそうか。それはね、ばい菌が君の喉で遊んでいるから
なんだ。僕はそのばい菌にあいさつをしたいんだ。いいかな?
すると、子供はこくんと頷いて口を開いてくれた。ふむ。やはりな。喉の奥が真っ赤に
腫れあがっていた。それは痛いと訴えるわけだ。私は症状をすぐに判断し、それを診療録
に記入し、助手に手渡す。
君の喉にはたくさんのばい菌が遊んでいたよ。そのばい菌とさよならする飲み物を渡す
から、きちんと飲んでくれるかな?そうしたら、きっと元気になれるよ。
すると子供はぱっと明るくなり、ちゃんと飲むと大きな声で返事をした。そしてそのま
ま子供は診療室を飛び出していった。保護者は飛び出した子供を叱りながら、私に頭を下
げて子供を捕まえにいった。きゃっきゃとはしゃぐ子供を捕まえた保護者は怒りながらも
どこか安心した表情をしていた。……まぁ、たまにはこういうのも悪くないだろうか。ど
うやらその子供が最後の患者だったらしい。待合室にはもう誰もいなかった。最後に日誌
を書き上げた助手は、少し不思議そうな顔をしながら出ていった。まぁ、いつもはあんな
対応をしないから不思議がるのも無理はない。助手から聞かれるまでは何も言わないでおこう。
……さて。今日の診療が終わった。では、続きを始めようか。
私は嬉々とし地下へと下り、昨日の続きに取り掛かった。本来であれば多少の疲労感を
感じながら実験をしているのだが、今日はなんだか調子がいい。ザガンも私の後ろで工程
を見守っている。なにか違うところがあればすぐに教えてくれるのだが、ここまで一度も
教わっていないところから、ここまで手順を間違えていないということだろうか。頭の片
隅でそんなことを考えながら試験管に薬液を加える。小刻みに試験管を振り、反応を見る。
やがて反応が現れ、小さくぷつぷつと音を出しながら泡は試験管の上へと走り出した。予
想では試験管の口で止まるはずなので、そこまで焦る必要はないが万が一に備えてコルク
栓を準備する。
その準備は無駄に終わった。予想通り試験管の口ぎりぎりで止まり、静かになった。安
堵した私はコルク栓を詰めた。次の段階へと準備は着々と進み、残すはあと一つのみ。調
薬が一番複雑かつ少しのミスも許されない位難易度が高い薬品の調薬だけ。材料は揃って
いるし、調子のいいうちに途中まで仕上げてしまおうと思い私はレシピを解読しつつ調薬
を進めた。レシピの解読も慣れたもので、今では一目通しただけで記されていることは大
体理解できる程度までになっていた。これもあの悪魔の影響なのか私の知識への欲求がそ
うさせているのかはわからない。ただ、今は純粋に楽しいという気持ちでいっぱいだった。
必要な機材や器具、材料に至るまですべてザガンが用意してくれる。私はレシピ通りに
調薬していけばいいだけだ。今まで自分で材料やその場しのぎで拵えた機材を使っていた
時間がばからしく思えてくるくらいに。
さて、あとは最後の工程をこなせばこの薬品は完成する。だが、今このまま進めてもい
いのか迷っている。しばらく悩んだ結果、今日はここで止めておくことにした。調子にの
って失敗なんてばからしい。使い終わった機材を洗い、私は休憩室へ向かった。白衣を脱
ぎ棄て、ベッドに体を預けた。全身の力が抜け、それと同時に眠気もやってきた。私はそ
の眠気に誘われるように瞼を落とした。
ぱっと目が覚め、そのまま実験室へと向かう私。なぜ起きてすぐに向かうのか自身でも
わからない。だが、さっきの薬品が気になっているのかもしれない。眼鏡を掛けないまま
だから視界が少しぼやけてしまっているが、その状態の視力でもはっきりとわかった。
なぜだ。この先の工程は行っていないはずなのに……。まさか、ザガンか?
この先の工程はミリ単位でミスをすればすべてが無駄になってしまう程、重要かつ最難
関だ。それを私が休んでいる間にザガンは行ったとでも? いや、それはない。しかし、
今私の目の前の試験管には最終段階まで進んだ試験管が静かに立てられていた。
人間ニハコノ作業ガ一番難シイラシイナ。私ニカカレバコノ程度、造作モナイ。
ザガンはまるで息をするように容易いと言わんばかりの口調だった。しかし、この薬品
は私の手で完成させたかった旨を伝えると、ザガンは少し黙ったあとに小さく言った。
実ハマダ完成シテイナイ。コレハ私デハ絶対ニデキナイ。オ前ニシカデキナイ工程ダ。
ザガンは少しだけ悔しそうに表情を崩すと、私の耳元で必要な素材を囁いた。それを聞
いた私の背筋は凍った。それが必要だなんて……いやしかし、ここまできてそれを手に入
れればまた次の段階へと行ける……このまま人としているかそれともそれを踏み外すかの
瀬戸際だった。
オ前ハ不老不死ガ望ミダロウ。アトハソレダケ入手デキレバ、完成マデ間モナクダ。
ザガンの囁きが私の思考をかき乱す。くそっ……こうなったらやってやろうじゃないか。
私は白衣を取りに休憩室へと戻り、そのまま地上の診療室へと向かった。落ち着け私と何
度も言い聞かせ、今日の診察に取り掛かった。
はい。次の患者さんどうぞ。
診療録に記録をつけ、助手に渡す。渡すと同時に次の患者の診療録を受け取り既往症の
確認をする。とりあえず目立ったものはないので通常の診察で大丈夫だろうと思った。そ
こへ少し気弱そうな女性がゆっくりと入ってきた。それと、今日は少し汗ばむ陽気だとい
うのに長袖を着ていた。もしかして、何か目立ってはいけないなにかがあるのだろうか。
せ、先生。お願いします。
はい。今日はどうされましたか。
とりあえずいつも通りに接しよう。診療録を片手にしていると、患者は袖をまくった。
……これ、なにかのアレルギーですか?
まくり上げた腕には小さな赤いものが点在していた。その可能性は非常に高いかもしれ
ない。私は患者に口にしたものや触れたものを尋ねた。しかし、患者には心当たりがない
という。というのも、ここ最近、体調が優れなかったために自室で休んでいたとのこと。
いままでこんなこと一度もなかったのに……こわくて……調べてもらえませんか?
わかりました。では、発疹が多い方の腕を出して待っていてください。
そういって私はアレルギーを調べるための器具を取りに行った。準備をすすめている最
中、ふとザガンの言葉が過った。そしてそれに続いくかのようにこう思った。この機を逃したら次はいつできるかわからない……もう一人の自分がそう囁ているような気がした。
小さく息を吐き、患者の前へと戻る。
お待たせしました。では、腕を出してください。
患者は発疹が密集している左腕をまくり、採決の準備をした。指で血管が太いところを
探し、見つけるとそこへアルコールを湿らせた脱脂綿で丁寧に除菌。狙いを定めて注射の
針を差し込みハンドルを引っ張る。まるで赤ワインのような血液が満たされていき、注射
器目いっぱいまでになったら、ゆっくりと針を抜き、再度清潔な脱脂綿でおさえる。
先生。採血の量……多くないですか?
検査にはこれくらい必要なので。ところで、痺れたりふらついたりしていないですか?
患者の発言に少し驚いたが、何とか対処することができた。実際、このくらいは必要な
のだが……。試験管に注射器を差し込み、赤ワインを注いた。静かに確実に満たす様は一
言で表すなら美しかった。まるで砂時計のようにゆっくりと滴る雫は芸術品として申し分
なかった。そんな芸術品を見ていたいのを堪え、患者に結果が出たらまた連絡すると伝え、
今日の診察は終わった。患者は小さく頭を下げながら診察室を出て、会計を済ませた。私
は砂時計を落とさないよう準備室へと運び、試験紙に垂らした。それから反応が出るのに
数時間かかるので、ケースに入れて棚にしまった。数時間待つのは少し苦かもしれないと
一瞬思ったのだが、実際はそうでもないことに気づいてしまった。そう、砂時計の中の砂
はまだ残っているのだ。
一度、診察室や待合室を確認すると、そこはもう既に誰もいなかった。助手も自分の仕
事が終わったらすぐに出ていってしまったようだ。いや、今はそれは好都合だ。私は内側
から鍵をかけ、残った砂を大事に地下へと運んだ。
中へ入るとザガンが退屈そうにこちらを見ていた。しかし、私が持っているものを見る
と一変。目を大きく見開き私の後についてきた。まずは砂をスポイトで少量吸い込み、試
験管の中へと落とす。砂は解けるように混ざり消えていった。しばらく、待っていたのだ
がなんの反応もなかった。おかしいと思いもう少し垂らそうとしたのだが、ザガンはそれ
を制した。
焦ルコトハナイ。モウシバラクスレバ反応ハ現レル。
本当はもう少し入れてみたかったのが……仕方ない。私はスポイトを元に戻し様子を見
ることにした。反応が出るまで私はほかの素材の準備や機材の手入れをすることにした。
使い終わってそのままにしていたフラスコが山のようにあり、何度も洗うのを躊躇ってい
たが……やらないとたまる一方だ。私は意を決し、袖をまくり大量のフラスコと対峙した。
あと数本で洗浄が終わるとき、ザガンが声を発した。突然のことに私は危うくフラスコ
を落としてしまいそうになるが、なんとかそれは免れた。洗浄を後にまわし、ザガンの元
へと急ぐ。一点を凝視しているザガンの目は暗くてもわかるくらいに輝いていた。いや、暗いからこそそれが際立っているのか。私もザガンの視線の先へと目をやると、試験管の
中で小さな渦が発生していた。
こ……これは……
見たことのない反応だった。試験管の中で小さな渦ができるなんて聞いたことがない。
それはゆっくりではあるが、確かに回っていることが確認できる。しばらく渦に集中して
いると、次第に渦は小さくなりしまいには消えてなくなってしまった。するとザガンは試
験管をコツコツとノックをした。
……フム。完成シタヨウダ。
私は促されるまま試験管を手に取る。さっきまでは無色透明だったものが、先ほどの患
者のもの同じ濃厚なワイン色へと変化した。これは大成功と言って間違いない。私は嬉し
さのあまり柄にもなく大声で叫んだ。ようやく……ようやくここまで辿り着いたのだと実
感し、体中に充実感と達成感が駆け巡っている。鼻歌交じりにレシピのページをめくった
先に記されている内容に私の思考は急ブレーキがかかった。まさかと思い何度も読み返し
てみるも、結果は変わらなかった。あぁ、なんということだ。私はついにここまできてし
まったのかという深い絶望感に支配されていた。この工程を完成させることに対して後悔
はない。そして覚悟したはず……だった。
ドウシタ。ナニヲソンナニ怯エテイルノダ。自分ノ目標ニ近ヅイタデハナイカ。
確かに近くなった。もう少しで永遠の命が手に入るとなればとても喜ばしいことだ。だ
が、その目標を達成にするにはどうやらまた山を越えないといけないらしい……。
アマリ時間ハナイゾ。ソノ薬品ハ長クテモ五日。ソレマデニ移ラナケレバマタ最初カラ
ダ。
嫌だ嫌だ嫌だ。また最初からこれを作成するなんて嫌だ。でも、次の工程はもっと嫌だ。
すまないが少しの間、一人にしてくれないか。
私はザガンにお願いをすると、ザガンは何も言わずにその場から消え去った。ふらふら
とソファに向かい力なく腰を落とすと、さっきよりも強い絶望感に襲われた。やがてそれ
は私の耳元でけたけたと笑い、足元から何者かが這いあがり引きずりこもうとしている。
私は何もいないのに見えない腕を振り払い、耳を塞いで大きな声で叫んだ。叫んでいれば
不愉快な笑い声も聞こえなくなるだろうとおもったのだが、笑い声は私の声を掻き消して
更に大きく笑う。
アハハハハハ アハハハ アハハハハ キャハハハハ
コッチニイラッシャイヨ ネェ ネェッテバ イラッシャイヨ
コワクナイヨ ソンナコトモデキナイノ? アハハハハ
ニンゲンノクセニ ネェ コワレテミル? ソウシタララクダヨ
コワレチャエ コワレチャエ コワレチャエ
う……う……うわあああああぁぁぁぁっ
私の何かが崩壊し、ただひたすら叫んだ。叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫んで叫ん
だ。声が掠れていてもただひたすら叫んだ。もうどうにでもなってしまえ。狂ったように
叫んだあと、私は無抵抗のまま床に倒れた。
翌日。頭に鈍痛を抱えながら診察室へ向かい、何事もなかったかのように過ごす。いつ
の間にか患者も増え、待合室はとても賑やかだった。どうも前回の子供が影響したらしい。
その親が近所に行って良かったことを言いふらし、それなら行ってみようかという流れら
しい。まぁ、私としてもあれは単なる演技に過ぎないのだが……。それが功を奏したとい
うのであればいいだろう。
いつもなら休憩を摂る時間なのだが、中々休憩が摂れずひと段落したのは空がオレンジ
色になる時だった。さすがに私も助手も疲れてしまい、二人とも机に突っ伏していた。い
いことなのだが……経験のない疲労感が体を動かすことを拒絶している。そんな中、自力
でペンを動かしさっさと帰る助手。小さな声で労う言葉が聞こえたような気もするが……
それよりも体を動かすことができないため、私はそのまま仮眠をすることにした。
体にまとわりつくような冷たい風で目が覚めた。暖かかった日差しはもうどこかへ行っ
てしまったのかと思うくらいの温度差に、体はぶるぶると震えだした。地下の研究室の方
が寒いのだが、今は一人で落ち着く空間が恋しかった。両手で体を擦りながら階段を下り、
研究室の扉を開ける。いつもの空間を見た瞬間、なんとなく気持ちが落ち着いた。白衣を
脱ぎ捨て、昨日作成した薬品の様子を見に行った。少し心配していたが、昨日となんら変
わっていなくて胸を撫で下ろした。
安心シテハイケナイ。コウシテイル間ニモ、劣化ハ進ンデイルコトヲ忘レルナ
背後からザガンの声がした。もちろん、気にしていないわけではない。一刻も早く完成
させないといけないのもわかっている。頭では。頭ではわかっていのだが、それを行動に
移すのがとても恐ろしかった。
オ前ガ永遠ノ命ヲ諦メルノデアレバ回避デキル。諦メレバ全テカラ開放サレル。サテ、オ前ノ覚悟ハソノ程度ノモノナノカ。モシ、ソウダトシタラ失望シタ。今マデオ前ニ費ヤ
シタ時間ヲ返シテ貰オウカ。ソウ……オ前ノ魂デナ。
わ……わかった。必ずやり遂げてみせる。
ザガンに屈したわけではない。ザガンの挑発にのったわけでもない。これは、私なりの
小さな意地……なのだろうか。それとも、本当に屈しているのかわからなかった。だけど、
ここまできてしまったのなら……やるしかない。明日になれば……その時になれば……私
は。
人でなくなってしまうのだろうな。
小さく呟き、ソファに体を預けて眠った。
次の日。薬品に異常がないか確認を行ったあと、私はいつも通り診察を行った。今日は
昨日よりは忙しくなかったとはいえ、待合室はとても賑やかだった。まるで交流の場と化
した待合室に向かって、次の患者を呼んだ。
今日はどうされましたか。
私の質問に、その患者は素直に鼻がムズムズすると答えた。アレルギー性の鼻炎の可能
性も考慮して、数日分の薬を処方して経過をみるよう伝えると、小さくお辞儀をして出て
いった。診療録をつけて診察が完了した診療録の上に重ねていく。助手も受付が忙しくな
っているため、診察が終わるたびに診療録が回収できないと思いあとでまとめて受付に持
っていくことにした。
次の診療録に手を伸ばそうとするも、どうやら最後の患者だったらしく、私の手は空を
切っていた。今日の診療録を受付に持っていくと、助手はそれを受け取り次々に棚へと戻
していく。会計の処理も完了していたためか、それが終わると自分の荷物を担ぎ、帰って
いった。
診察室で一息入れていると、誰かが入り口の扉を叩いていた。助手かと思い私は乱暴に
扉をあけ放つと、そこには先日採血をした患者が立っていた。今日も変わらずきっちりと
長袖を身に着けていた。
あ……ああ。ごめんなさい。知人かと思いまして……。
い……いえ。採血の結果……出てますか?
ああ。はい。では、中へどうぞ。
私は診察室に案内し、結果を取りに行ってくるので待つようお願いする。準備室で資料
と呼吸を整え、患者と向き合う。率直にアレルギーによる発疹であることとを告げると、
患者は何が原因かを探るように辺りを見回した。それでも何も発しないのは本当に思い当
たる節がないということだろうか。しまいには諦めたように深くため息をついた。
……もしかしたら、もう少し検査をしたら原因がわかるかもしれませんね。
私は思い付きでこう発した。すると、患者はぜひともお願いしますと私の目を真っすぐ
見ながら言った。私は食い気味にきた患者に少し戸惑いながらこう付け加えた。
ただですね、ここでは非常に申し上げ難いことなので場所を移してもいいですか?
え?誰もいないのに言いにくいことなのですか?
はい。誰かに聞かれている可能性もございます。それに、変えた先ですぐに検査も可能
でございますので……いかがでしょう。
最初は私を疑っていた様子でみていた患者は、間を開けてから移動することに同意をし
た。それを確認した私は患者を地下へと案内した。
ここまできたのなら、もう失敗は許されない……。加速していく鼓動で体が緊張してい
るのがわかる。わざと呼吸を大きくし気持ちを落ち着かせる。
私の研究室に足を踏み入れた患者は大きくむせ返った。患者が落ち着くのを待ち、足元
が暗いので気を付けるよう促す。診察室に入り私は血液検査の結果が記されている資料を
軽く読み上げた。
確かに……患者さんにはアレルギーがあるようです。それが主な発疹の原因かと。
な……なんのアレルギーですか?
主にハウスダストやほこり……です。鼻炎からくるストレスでそうなってしまった可能
性も考えられます。
どうしたら……よくなりますか?
それは簡単です。
私は白衣の中に隠しておいたメスを患者の喉にめがけて突き出した。まるで固めのゼリ
ーにフォークを刺したような感触だった。張りつめていた皮膚に穴が開き、そこから溢れ
出る新鮮なワインが私を更に狂わせる。患者は一瞬何が起こったのかわからず、空を仰ぐ。
じわりとやってきた痛覚と、その原因が理解できたころにはうがいをするような声を発し
ていた。
患者の発する声に心酔しながら、私は極上のワインを容器に詰めた。多少皮膚が入って
しまっているが、まぁ問題はないだろう。喉元を抑える患者が何かを言っているが、私に
はもうどうでもいい。最初はとてつもなく緊張をしていたのだが、なぜあそこまで怯えて
いたのかわからなかった。
あああぁぁぁっ! ああ! あああああぁぁぁっ!
こうすればアレルギーで悩む心配はありませんよね。大丈夫です。楽になりますから。
私はメスを逆手に持ち、喉からワインをぼたぼたと零しながら近寄る患者を目掛けて振
り下ろした。患者は更に大きなうがいをしながら暴れ、床に大きな水たまりを作った。ワ
インを零しすぎたのか、患者は次第に動かなくなり診察室に静寂が訪れた。
……なんだ。実際はこんなにも呆気ないものなのか。
医者である私が命を冒涜するのもなんだが……。なんでもっと早く行動しなかったのか、
こんなにも簡単にできてしまうことをしなかったのか。ワインに塗れたメスを適当に置き、
ただの抜け殻となった患者を引きずり奥にある手術室へと運ぶ。
運び終わる頃、私は肩で大きく呼吸をしていた。まさかこんなに重たいものだとは……
張っていた気持ちを徐々に緩め、呼吸を整える。そして、背後にザガンの気配を感じた。
ヤット揃ッタノカ。遅スギルクライダ。
心外だな。これでも私なりに早めたつもりだ。
手術用の薄い手袋を装着し、鋭く光る新しいメスを手に取り完成に必要な部位を取り出
した。さっきまでの勢いはないにしても、ワインはごぼごぼと溢れてくる。もうそろそろ
取り出せると思い、ゆっくりとしたから持ち上げるとそれは私の目の前に現れてくれた。
フム。キレイナモノダ。
これが……心臓。まだ脈打っている……。
生命の活動はとっくに終わっているはずなのにも関わらず、まだ脈打つそれは私にとっ
て純度の高いルビーのようだった。ワインに濡れたルビーにうっとりとする私に、ザガン
が後ろから突いて急かす。ワインを零しながら作業台へと移し、試験管に入るサイズまで
小さく刻む作業へと移行。中々時間がかかる作業だが、これも私の夢への土台だと思い無
心で行った。刻み終えたらそれらを零さないように試験管の中へと入れる。
刻んだルビーを加えて数分。ワイン色だった試験管が、無色透明へと変化した。ザガン
に聞いてみたところ、それで成功だという。遂に……遂に完成した。
これが……不老不死の薬なのか?
アア。非人道的ナ行為ヲ諦メタ人間ニハオ目ニカカレナイ秘薬ダ。ソレヲ服用スレバ、オ前ノ欲望ハ実現スル。
そうかそうか……やっと願いが叶うのか……。
タダシ、ドンナ薬ニモ副作用ガアル。ドンナ副作用ハ私デモワカラナイ。モシカシタラ、
ソノ場デ死ンデシマウ可能性ダッテアル。ソレデモ服用スルカ?
ああ。その為に私はここまで辿り着いたのだ。副作用が怖くて飲めないということはな
い。
ソウカ。ソレナラバ飲ムガイイ。ソレヨリモモット高度ナ薬ヲ教エヨウ。
私は無色透明の薬品を口に含んだ。ああ、なんという甘美。なんという恍惚感。なんと
いう背徳感。なんという虚無感。今は感じているすべてが心地いい。医者という立場にい
ながら命を冒涜する罪深さも今は快感物質に変換されて頭が幸せを感じている。いや、頭
だけでなく心も体も快感を欲しているのがわかる。私はついに悪魔の囁きに耳を傾けてし
まった。それが自身を滅ぼすことになっても、元の生活には戻れないことも、自分の意志
で動けなくなっても……。
ザガンは私の耳元で甘い言葉を囁き、私を闇へと引きずり込む。強引な力ではなく、少
しずつ少しずつ、ゆっくりと沈んでいく沼のような感覚に私は逃げることができるはずな
のに、ただ身を委ねている。もう私は知的探求心に抗うことができなかった……。




