番外1 運命の歯車
二人はタコ公園のように同じ場所で同じ風景を見て育ってきた。
しかし、人とスズメが互いの領域に干渉しないように、二人が交錯することもなかった。
高校まではクラスが一緒になることもなく、互いに顔と名前が一致する程度であった。
幼少期の冨野くんは斉木などの友人らと毎日近所を走り回っていたが、中1で陰キャオタへと舵を切った。
就職して家を出た兄が残していった大量の遺物――漫画・ゲームにのめりこんだためである。
芹川さんのことは可愛い方の女子くらいの認識はあったが、二次元優先で特に関心を持つこともなかった。
転機が訪れるのは、今年4月高1でクラスが一緒になってからのことであった。
少し大人びてきた芹川さんを、冨野くんは異性として強く意識するようになった。
一方、友人が多く交流も活発で陽キャの王道を歩んできた芹川さんは、冨野くんを『オタクの人』と認識していた。
当時の芹川さんは陰キャオタに対して漠然とした偏見があるだけで、避けることもなければ、理解も関心もなかった。
冨野くんにとって芹川さんは恋愛ゲームのヒロインであった。
思春期以降の経験がそっち方面しかなかったためしかたない、と本人は言う。
アプローチしたところで適当にあしらわれているうちに、ズレた失敗で自滅するのが関の山であった。
芹川さんのグループには、偶然冨野くんの旧友斉木が混じっていた。
冨野くんは斉木に話しかけながら、芹川さんにも一言二言話を振り返答があるとそれを成果と考えていた。
芹川さんは誰とでも分け隔てなく接するので、話しかければ営業スマイルで相手をする。
陰キャ冨野周はそれを見るたびに、好感度パラメータが上がっていると考えた。
付き合うまでは基本減点方式なのに。
当時笑顔で会話に応じてくれる女子は彼女だけだった。
一方、芹川さんからすれば『最近、よく話しかけてくる陰キャオタク』でしかなかった。
陰キャ時代のブランクで声も通らず、コミュ力も低く話が続かない。
異性としての魅力を感じるどころか友達とすら認識していなかった。
自分の芹川さんに対する好感度だけ勝手に上昇させていた冨野くんは、芹川さんを何かと見つめるようになった。
芹川さんもその視線には気付いている。
恋愛どころではなく、このままいけばストーカーにもなりかねない……、という状況であった。
しかし、芹川さんに異変が起こる。
芹川さんは陽キャの付き合いについていくのが突然しんどくなった。
家でも外でも自分より周りに合わせることを優先するタイプだったが、コップに注ぎ続けた水があふれだすように限界を迎えた。
友人付き合いが嫌いなわけではない。
だからこそ自分に何が起きているのかわからず困惑した。
「少し付き合いの量を減らしたい」という言葉を飲み込む。
友人関係を全て失ってしまうかもしれないという恐怖にかられた。
幸い芹川さんの周囲にそのようなことを気にする者はいなかったのだが、それは当時の彼女が知るところではなかった。
彼女は誰にも相談できないことそれ自体を悩み始めた。
どこまでも転がり落ちていく下り坂で必死に掴まる場所を探していた。
最初にその異変に気付いたのが冨野くんだった。
その当時彼女を一番よく見ていたのは間違いなく彼だったのである。
「大丈夫?」
(え……、よりによってこいつ……?でも……)
「あんまり大丈夫じゃない……かな」
この時の彼の声掛けは純粋な善意によるものだった。
だからこそ本来警戒すべき(と彼女が思っている)ストーカー予備軍陰キャオタクに心を開いてしまったのである。
もし、冨野くんへの警戒感があと1週間蓄積していたら、芹川さんの心の叫びが漏れ出すことはなく、彼らの人生は交錯することはなかった。警察沙汰を除けば。
後に芹川さんは言った。
「あれは我が人生において最大の失敗であった」
「いや、声に出して言うなよ、隣にいるんだよ」
「冗談だよ」
冨野くんは、その後も純粋な善意で彼女のぼやき相手となり、漫画を貸し、一緒にゲームをやり元気付けた。
貸した漫画はかなりズレていたが、それが『コイツに気を遣う必要はない』と彼女に感じさせた。
空気が読めず特に仲がいいわけではないという絶妙な距離感が幸いした。
奇跡的に二人の歯車は上手く噛み合い、良い方向に働いた。話は嚙み合わないのに。
(なんで私、こんなのと一緒にいるんだろう)
芹川さんは最初こそそう思っていたが、陰キャというクリーチャーに対する理解を徐々に深めていく。
また、自分にもオタク趣味の一面があることに気付き始める。
この冨野周という生き物は、どう見ても自分のことが好きである。
時折必死に自己アピールしてくるが、いつも何かが少しズレている。
でも不思議と前のような不快感はない。ちょっと苛立ちはあるが。
以前のようなネバついたような感情ではなく、しかも、理想化された自分ではなく、等身大の自分を心配してくれている、安心させようとしてくれていることは理解できたためある。
ただ不器用なだけなのだと。
共に過ごす時間を積み重ねると『ちょっとかっこいいところもあるかも』などと1%ほど思うようになってくる。(この数字は、のちの本人による自己申告である)
芹川さんが言うには、冨野くんに好意を持ったのは付き合う直前である。
失敗しながらもかっこいい姿を見せようとしてくる努力に安心感と信頼を重ねていったのだという。
対して冨野くんは「大丈夫じゃない……」の時点で落ちてたと断言する。
どちらもかなり盛っており、今でもこの話題になると必ず口論になる。
立ち直りつつあった芹川さんは陽キャグループでもあっさり受け入れられた。
「美月って、最近ちょっと忙しかったりするの?」
「あ……えっとごめん」
「莉緒、誰でも底なしの陽キャってわけじゃないし、一人でいたいときだってあるんじゃね」
「あ、そーなの? あはは、ごめんごめん、全然悪く言うつもりじゃなかったから、遊びたいときだけ遊ぼうぜ」
「あ、うん……ありがとう」
「おい、それより斉木、今の底なしって私のこと言ってんの?」
「おぉ、そういやそうだな」
「コラお前~」
周りにいた陽キャ達は案外寛容だった。
これを皮切りに、他にもグループ内で力を抜き始める者もいた。
少し疲れを感じていた者は他にもいたのである。
みんなが少しだけ成長し、上手く付き合える関係が築かれた。
「そういや、美月って冨野くんと一緒にいること増えたよね」
「そうそう、前は適当にあしらってた感じだったけど、最近ほんと仲良くなったよな」
「あ、あはは……」




