第4話 港町の大騒動
港へ足を踏み入れると、そこは活気あふれる潮の香りと、人々の威勢の良い声で満ちあふれていた。
巨大な石造りの埠頭には、水揚げされたばかりの珍しい海産物や、深海から引き揚げられた鉱石、サンゴが所狭しと並べられている。
市場の熱気にエルネの好奇心が刺激され、その瞳がキラキラと輝き始めた。
「すごい……! アルディス様、あそこにある赤くて透き通った石は何でしょうか? 陸のルビーとは少し違った輝きをしています」
「あれは『潮血サンゴ(ちょうけつさんご)』だな」
案内役として先頭を歩いていたレオンが、立ち止まって胸を張った。
「水深五百メートルの高圧環境でしか育たない、我が国の名産品だ。表面に魔力を塗布することで、水属性の防護壁を張る魔導具の触媒になる。……フン、陸の人間には馴染みがないだろうがね」
「まあ……『潮血サンゴ』……! 素晴らしいです!」
エルネは吸い寄せられるように露店へ近づくと、店主の許可を得て、そのサンゴの表面にそっと指先を触れさせた。
次の瞬間——エルネの瞳が、蒼白く静かな光を放つ。
『鑑定眼』の発動である。
「表面に層を成して固まっているのは、高純度の水魔力と……微量の深海鉄。でも、この深海鉄分の混ざり方は……」
エルネは目を丸くし、じっとサンゴの構造を観察した。
そして、店先に飾られていた別の素材淡い緑色をした海藻の乾燥物『翡翠海苔』に視線を移す。
「レオン殿下……この『潮血サンゴ』は、単体で魔導具の触媒にするだけでは、持っているポテンシャルの三分の一も活かせていません!」
「……は?」
誇らしげに解説していたレオンが、拍子抜けしたような声を上げた。
「何言っているんだ、エルネ。潮血サンゴは古くから防護具の触媒として——」
「いいえ! このサンゴに含まれる『深海鉄分』は、あちらの『翡翠海苔』からとれる塩分と合わせることで、瞬時に常温で融解します! そして、それを陸の『琥珀草』の粉末と三対一の割合で調合すると……『傷口の組織を一瞬で接合し、出血を完全に止める万能止血軟膏』になります!」
「「「……えっ?」」」
周囲にいた露店の店主や、巡回中のアトランティクス技師たちが、一斉に動きを止めた。
「そ、そんな馬鹿な……!? サンゴは硬質な鉱物触媒だぞ!? それが海藻の成分で融解して止血剤になるなど……我が国の数百年の歴史でも、一度も聞いたことがない!!」
レオンが目を見開いて叫ぶ。
しかし、エルネの鑑定眼は止まらない。
彼女は隣の露店に並んでいた、黒くゴツゴツした鉱石の塊『深海水銀鉱』を指差し、言葉を続けた。
「こちらもです! この水銀鉱は、表面に微小な海水食性の『寄生菌』が付着しているため、そのまま精錬すると二十%以上の不純物が残ってしまいます。ですが、精錬する前に『陸海老草の乾燥葉』と一緒に燻煙処理をすれば、菌が完全に死滅して、純度九十九・九%の高魔導液体金属が抽出できます!」
「な……ッ!!??」
港に沈黙が訪れた。
アトランティクスが誇る最高級の素材たちの「真の価値」と「未知の調合可能性」。
長年、海の専門家たちが誰も気づかなかった微小な傷や不純物の処理法、さらには「陸の素材と組み合わせることで劇的な効果を生む新しい処方箋」を、エルネはたった数分の観察で次々と解き明かしてみせたのだ。
「……す、すごい……っ!!」
「今のでたらめか? 何を言っているんだ」
「あの子は何者だ?」
あたりにいた人々はそれぞれ声を上げる。
異国の娘がいきなり変なことを言い出すかと思えば、その近くにはこの国で一番有名な王子と王女の姿がある。
露店の店主が、震える手でメモを取り始めた。
「おい、今の聞いたか!? 潮血サンゴが止血剤になるだと!? すぐに工房の親方に知らせろ!」
「燻煙処理で精錬純度が跳ね上がる!? 商人から陸海老草を買い集めろーっ!!」
港の一角が、あっという間に蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
アトランティクスの技師や商人たちが、王子と歩くエルネをまるで神でも崇めるような眼差しで見つめている。
「あ、あの……私、何か変なことを言ってしまいましたでしょうか……?」
エルネがオロオロしながら口元に手をやると、隣で立ち尽くしていたレオンの肩が、激しく震え始めた。
「な……な……な……ッ!!」
レオンはガバッと顔を覆い、その場に膝をついた。
翡翠色の瞳は限界まで見開かれ、ショックのあまり呼吸が荒くなっている。
「陸の……陸の人間が……僕たちが何百年も研究してきた我が国の海の宝の隠された価値を……一瞬で把握して……新しい可能性まで提示したというのか……ッ!!?」
「お兄様、ださーい。ショックで膝をついちゃってますわ」
ルチアがクスリと笑うと、セシリアが扇子でパチリと顔を隠し、高らかにほほ笑んだ。
「ほほほ! だから言ったでしょう、タコ足王子! エルネの『超絶鑑定眼』を舐めてもらっては困りますわ! 陸も海も関係なく、素材の本質を見抜くのが、わたくしたちの自慢のエルネなのですから!」
「ぐ……っ!! 悔しい……悔しいが……言い返せない……ッ!!」
レオンは歯を食いしばり、ガバッと勢いよく立ち上がった。
そして、まっすぐにエルネの前まで歩み寄ると、その両手を勢いよく握りしめたのだ。
「えっ……!? レオン殿下……!?」
「エルネ殿……今の話真実かわかるまではなんとも言えないが、ぜひ他なものも鑑定してみてくれ! 全てが本当なら、私の婚約者にしてやろう! この国で発展に貢献してくれ!」
「婚約者?!?」
エルネが悲鳴のような声を上げた。
「今までの僕の無礼を許してほしい! 君のその眼は……ただの鑑定などではない! 素材への深い愛と、天性の真理を見抜く『神の領域』だ!! どうか……どうか我がアトランティクスに留まり、僕たちに海の素材の新たな可能性を指導してくれないだろうか!!」
第一王子からの、なりふり構わぬ情熱的なスカウト。
……しかし、次の瞬間。
ガチリッ!!!
大気が一瞬で凍りつき、港の海水がバリバリと音を立てて氷結した。
「……レオン王子。誰の手を握っているのかな?」
絶対零度の冷気を全身から放ちながら、アルディスが静かに歩み出た。
その金色の瞳には、一切の容赦のない、恐ろしいほどの極寒の殺気が宿っている。
「ひっ……!? こ、氷結男……ッ!?」
「俺の目の前で、俺の婚約者手を握り、あろうことか連れ去ろうとするなど……いい度胸だな。貴殿のその不躾な両手、肘から先を永久凍土にして差し上げようか?」
「ま、待て! いや、 暴力は反対だぞ!! 僕は純粋に調合師としての敬意を示しただけで——ッ!!」
ひきつった顔で後退りするレオン王子と、殺気を全開にして迫る過保護な公爵。
「もう……アルディス様、レオン殿下を脅かさないでくださいっ。レオン殿下も、私は王国に大切な居場所がありますから、アトランティクスへのお引越しはできません」
エルネがアルディスの袖をキュッと引っ張ると、アルディスの恐ろしい殺気は一瞬で嘘のように霧散し、甘い表情へと変わった。
「そうか。君がそう言うなら、今回は見逃してあげよう」
「あ、助かった……」
胸を撫で下ろすレオンを見て、セシリアとルチア、そして後ろで見守っていたシリルとギルバートは楽しそうに笑っていた。
エルネの『超絶鑑定眼』がもたらした驚きと爽快感によって、陸と海の使節団の間の壁は、少しずつに打ち砕かれていった。
◇◇◇
港での賑やかな騒動を終え、使節団一行はレオンたちの案内のもと、市街地の中央にそびえ立つ『セイレーン宮』へと移動した。
海の底の魔導結界から差し込む幻想的な光に包まれた王宮の応接間で、一行はアトランティクス特製の深海サンゴ茶と、ルチアが用意させた真珠粉入りの甘い焼き菓子を楽しんでいた。
「ふう……相変わらず、アトランティクスの甘味は上品で美味しいですわね」
セシリアが満足そうにカップを置く。
「気に入っていただけて光栄ですわ、セシリア。……ですが、エルネ様」
ルチアが少し表情を陰らせ、エルネを見つめた。
「港でのエルネ様の素晴らしい鑑定……本当にお見事でしたわ。でも……だからこそ、私は恐ろしくなってしまいましたの」
「ルチア様……?」
「今、我が国の『深海の大穴』で起きている異変……あの黒く汚れた異形植物たちも、エルネ様の眼なら……その恐ろしい真実を見抜いてしまわれるのではないかと」
部屋の空気が、ふっと引き締まった。
レオンもカップを置き、真剣な面持ちで頷く。
「ああ。港で分かった通り、陸と海の素材は、正しく組み合わされば奇跡の薬となる。……だが、もし『悪意』を持って、禁忌の毒素材同士を異常融合させたとしたら……どれほど恐ろしい惨劇を生むか」
ガルドは黙ったままお茶を飲んだ。
「そんなこと……絶対に許せません」
エルネはぎゅっと拳を握りしめた。
左手の指輪に埋め込まれた藍色の魔石が、彼女の強い意志に応えるように、優しく蒼い光を放つ。
「大切な素材を……人々の命を救うための調合を、誰かを傷つける兵器にするなんて……私、絶対に止めます!」
「エルネ……」
アルディスがエルネの手に自分の手を重ね、力強く包み込んだ。
「ああ。君の想いは俺が守る。どんな深い海の底であろうと、君の行く道を遮る敵は、俺の氷ですべて打ち砕こう」
「アルディス様……ありがとうございます!」
ふたりがしっかりと視線を交わし合う姿を見て、レオンは感心したように息を吐き、ルチアはうっとりと胸の前で手を組んだ。
「まったく……過保護な公爵様だが、頼もしいことこの上ないな。……良し! 明朝、我が国の最新鋭の潜水艇を出し、『深海の大穴』の調査に向かう! 力を貸してくれ!」
「はい、レオン殿下!」
こうして、一行はアトランティクスの平和を取り戻すため、そして迫り来る『悪の組織』の陰謀を打ち砕くため、明かされる真実が待つ大穴へのカウントダウンを開始したのだった。




