第五章:泥濘の祈祷 [第五十九話]名もなき盾
(視点:山口 一曹)
ガキィィィンッ!!
鈍器として渾身の力で振り抜いたアサルトライフルが、
狩人のぶ厚い腕に激突した。
だが、
その感触は、生身の肉体を殴ったものではなかった。
まるで、分厚い鋼鉄の塊を叩きつけたかのような、
絶望的な硬さ。
「……グルル……、アァァァッ!」
防毒マスクの隙間から高温の蒸気を吹き出しながら、
狩人が無造作に裏拳を放つ。
ゴガァッ、と。
私の胸部を覆う防弾用のセラミックプレートが、
凄まじい衝撃で粉々に砕け散り、
その下の肋骨が嫌な音を立てて折れた。
「ぐ、あ……ッ」
口の中に、生温かい鉄の味が広がる。
トラックに撥ねられたかのような衝撃に、
体が宙に浮きかけた。
だが、
私は歯を食いしばり、
血を吐きながらも強引に足を踏みとどまらせた。
背中には、
冷たく硬い、医療スペースの扉。
一歩でも退けば、あの少女たちが殺される。
『俺たちが行く。それが一番確実だ』
痛みに霞む視界の端で、
脳裏に蘇るのは、彼らの顔だった。
身勝手な権利ばかりを主張する、避難民の大人たち。
現場の地獄を見ようともせず、安全な地下壕から机上の空論を押し付ける上層部。
そんな狂った世界の中で。
誰よりも冷静に現実を理解し、
自分たちが成すべきことを分かっていたのは、
まだ中学生に過ぎない、彼らだった。
前線(現場)がどれほどの地獄か。
彼らはその真実を理解した上で、
怯えることなく、自ら前へ出たのだ。
「おおおおおッ!!」
私は空になったライフルを投げ捨て、
腰のタクティカルナイフを引き抜くと同時に、
二体目の狩人の懐へ飛び込んだ。
ザクッ!
分厚いタクティカルギアの隙間を縫い、
狩人の首筋に刃を突き立てる。
だが、
狩人は痛みによる怯みなど一切見せず、
私の首を、その丸太のような両腕で締め上げてきた。
メキ、メキメキッ……!
頸動脈が圧迫され、
首の骨が軋む。
顔のすぐ近くで、
狩人のマスクから噴き出す異常な高温の蒸気が、
私の皮膚を容赦なく焼き焦がしていく。
息をするだけで、気道が焼け爛れそうだった。
意識が、白く飛びかける。
それでも、私はナイフを握る手に全力を込め、
自らの肉体を重石にして、
扉の前から狩人を一歩も通さない。
『……必ず、戻ってきますよね』
無謀な食糧調達任務。
それを命じたのは、私の上官たちだ。
それに乗っかったのは、あの醜い民間人たちだ。
だが、
彼らは文句一つ言わず地獄の夜へ向かい、
血まみれになって、二十五トンもの糧を持ち帰ってきた。
あの小さな肩に、
どれほどの絶望と責任を背負って。
今、私が背中で守っているこの扉の向こうで眠る少女(沙耶)は、
自らの命と引き換えにして、
この避難所の人間たちを救ったのだ。
それに引き換え、私たち大人はどうだ。
彼らに理不尽な重荷を押し付け。
彼らが命懸けで持ち帰ったものを奪い合い。
挙げ句の果てに、銃を向けていた。
恥ずかしい。
大人として。
国民を守るべき、自衛官として。
こんな情けない姿を、
これ以上、あの子供たちに見せるわけにはいかない。
彼らこそが、この地獄における『希望』なのだから。
「……民間人を守るのが……自衛隊の、任務だァァァッ!!」
私は血の混じった咆哮を上げ、
折れかけた肋骨の激痛を無視して、
ナイフをさらに深く、狩人の首の奥へとねじ込んだ。
ブチブチッ、と、
狩人の人工的な筋肉と頸椎を断ち切る感触。
同時に、
狩人の巨大な拳が私の横っ腹を深く抉り、
内臓が破裂するような激痛が全身を駆け巡った。
「がはっ……!!」
大量の血を吐き出しながら、
私は、機能停止して異常な熱と死臭を放ち始めた狩人の巨体と共に、
血だまりの床へと崩れ落ちた。
「山口一曹ォォッ!!」
遠く、
廊下の入り口で死闘を続ける恭二たちの悲痛な叫びが聞こえる。
私の視界はすでに真っ暗で、
指先一つ動かすことはできなかった。
だが、その背中だけは、
医療スペースの扉の前に、しっかりと寄りかかっていた。
『肉の盾』。
それが、
不甲斐ない大人である私にできる、
唯一の任務だった。




