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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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第五章:泥濘の祈祷 [第五十五話]向けられた銃口

(視点:宮増 康二)


 僕は、

 自分の無力が心底憎かった。


 深夜の冷え切った道を走る車の後部座席で、

 僕はただ祈るように両手を握りしめていた。


 ハンドルを握る小林先生の横顔は岩のように硬く、

 助手席の山口一曹も沈痛な面持ちで前を見据え、

 一言も発さない。


 車内に充満する血と汗の匂いが、

 僕たちがどれほどの地獄をくぐり抜けてきたかを、

 物語っていた。


 亀裂骨折を起こした右拳を抱えて、

 うめき声を上げる恭二。


 両腕の筋肉が限界を超え、

 気絶するように眠る正人。


 彼らを生かして撤退させるため。


 大量の食糧を取りに行った沙耶が、

 あの絶望的な数の群れを前に、

 たった一人で闇の中に残ったのだ。


「……必ず、戻ってきますよね」


 僕が震える声で絞り出すと、

 バックミラー越しに小林先生と目が合った。


「ああ。あいつは、絶対に死なない」


 短い肯定。


 その言葉にすがりつくように、

 僕は幾度も沙耶の無事を祈った。


 情報処理や分析でいくら力になれても、

 前線において僕は無力だ。


 彼女を置いて逃げるしかなかった自分の不甲斐なさが、

 胸を掻き毟るように痛かった。


 やがて車が藤沢市役所に到着し、

 エントランスをくぐった僕たちを待っていたのは、

 安堵や労いの言葉ではなかった。


「おい、どういうことだ! 手ぶらじゃないか!」


 暗がりのロビーから、

 血走った目をした男が一人、

 ずかずかと歩み寄ってきた。


 それを皮切りに、

 ロビーに詰めかけていた避難民たちが、

 僕たちの血まみれの姿を見るなり、

 一斉に群がり、

 容赦ない罵声を浴びせてきた。


「約束が違うぞ! 食い物はどうしたんだ!」

「あんたらのせいで、外の化け物が興奮してるんじゃないのか!」


 彼らの目に映っているのは、

 満身創痍の僕たちの命ではなく、

「自分たちの胃袋を満たすはずだった食糧」だけだ。


「なんだよ、お前ら。偉そうに飛び出していったくせに、

 結局なんの役にも立たない『役立たず』かよ!」

「ガキどもがヒーロー気取りで出て行くからだ!」

「暴力的で野蛮な学生集団が、ただ外で暴れ回って事態を悪化させただけじゃないの!」

「最初から自衛隊に行かせればよかったんだよ!」


 唾を飛ばして叫ぶ大人たちの言葉が、

 鋭い刃となって突き刺さる。


 誰かが投げつけた空のペットボトルが、

 恭二の肩に当たって乾いた音を立てた。


 恭二が虚ろな目でそちらを睨み、

 折れた右拳を震わせたが、

 反論する気力すら残っていなかった。


「……そこを退きなさい! 彼らは怪我をしているんです!」


 血走った群衆の波を割るように、

 凛とした声がロビーに響き渡った。


 真っ先に駆けつけてくれたのは、

 白衣を翻した稲美先生だった。


「あなたたち、恥ずかしくないんですか!

 彼らは命懸けで外へ出て、こんなに傷ついて……!」


 彼女が毅然とした態度で大人たちを睨みつけると、

 最前列にいた男たちが、

 気圧されたように一歩後ずさる。


 稲美先生の後ろから、

 奈々と桜も必死に大人たちを押し退けて飛び出してきた。


 奈々の視線が、僕たちを通り越し、

 後ろの暗闇を必死に探している。


「……え? 沙耶ちゃんは……?」


 奈々の声が、かすれていた。


「沙耶ちゃんはどこ!? ねぇ、康二くん!」


 僕が唇を噛んでうつむくと、

 小林先生が静かに首を振った。


「すまない。彼女は一人で、敵の足止めに残った」


「そんな……嘘……っ」


 奈々がその場に崩れ落ちそうになる。


 だが、彼女は両手で自分の顔を強く叩き、

 こぼれ落ちそうな涙を必死に堪えて、

 僕の背中を力強く支えてくれた。


「……っ、桜ちゃん! 早く奥の救護スペースへ!」

「うん! 今、温かいおしぼり持ってくるね!」


 桜が駆け出し、

 稲美先生に促されるようにして、

 僕たちは避難民たちの冷たい視線と舌打ちの中を歩いた。


 仮設の救護スペースへたどり着くと、

 稲美先生はすぐに振り返り、

 待機していた栞さんに血相を変えて指示を飛ばす。


「ひどい傷……! すぐに応急処置をします! 栞さん、第一級の止血帯と消毒液、それに鎮痛剤を!」

「はい、稲美先生! すぐに準備します!」


 栞さんの手際の良いサポートを受けながら、

 稲美先生が恭二の右拳に触れる。


「……痛みますね。でも、大丈夫。命に関わる傷じゃありません」


 その穏やかで、

 どこまでもプロフェッショナルな声色に、

 張り詰めていた僕たちの神経が少しだけ緩む。


「無茶をしましたね。……でも、よく生きて帰ってきてくれました」


 稲美先生の優しい手つきによって、

 恭二と正人の傷がしっかりと固定されていく。


 極度の緊張の糸が切れたように、

 恭二たちもベッドに倒れ込んだ。


「ほら、康二くん。脳が糖分不足で焼き切れるよ」

 

 ポン、と頭に冷たい手を置かれた。


 見上げると、

 白衣姿の暦がいつものようにチュッパチャプスを転がしながら、

 僕の口に無理やり角砂糖を放り込んできた。


「……暦」


「大丈夫。

 沙耶ちゃんは、人間わたしたちの生物学的な限界なんてとうに超えてる。

 信じて、今は脳を休ませなさい。……あとは、私が起きてるから」


 マイペースな彼女なりの、

 最大限の慰めだった。


 奈々たちの温かい手当てと、

 口の中に広がる甘さに安堵した瞬間、

 僕の意識は泥のように重く沈んでいった――。


 (視点:藤森 暦)


 冷え切ったパイプ椅子の上で、

 私は何杯目かわからないブラックコーヒーを喉に流し込んだ。


 時計の針は、

 康二くんたちが泥のように眠りに落ちてから、

 すでに十時間が経過していたことを示している。


 薄暗い情報分析用のスペースで、

 パソコンモニターの青白い光だけが、

 私の顔を照らしていた。


 康二くんが構築したセキュリティ網と、

 私が独自に拾い上げている周辺の防犯カメラ映像。


「……遅いわね、沙耶ちゃん」


 ポツリとこぼした声は、

 静寂に吸い込まれて消えた。


 歴史上の疫病や、

 遊行寺の古文書に残る『異形の厄災』。


 それらとRSVの関連性を証明するためにも、

 あの規格外の生存能力を持つ彼女のデータは、

 絶対に失うわけにはいかない。


 もちろん、

 純粋な仲間としても。


 ガリッ、と。


 口の中で、

 キャンディを噛み砕いた。


 その時だった。


「……え?」


 モニターの一つ、

 市役所周辺の道路をハッキングして映し出していた防犯カメラの映像が、

 わずかに乱れた。


 ノイズが走った直後、

 暗闇の中を『何か』が横切った。


 私はすぐにキーボードを叩き、

 映像を巻き戻して再生速度を極限まで落とす。


「……嘘でしょ」


 背筋に、

 氷を押し当てられたような悪寒が走った。


 そこに映っていたのは、

 完全武装した複数の人影だった。


 だが、

 SDF(自衛隊)の動きじゃない。


 音もなく移動する、その異常な速度。


 障害物を乗り越える際の、

 骨格の構造を無視したような跳躍力と反射速度。


 生物学をかじっている私から見れば、

 一目でわかった。


「どう計算しても、人間のリミッターを超えてる……っ」


 薬物か、

 あるいはもっと別の『何か』で、

 肉体を強制的に変異させられた人間たち。


 いや、

 人間を模した恐るべき『狩人』だ。


 そして何より絶望的なのは、

 その異常な集団が、

 迷いのない足取りで一直線に、

 この藤沢市役所を目指していることだった。


 これは救援なんかじゃない。

 生存者の探索でもない。


 最強の盾である沙耶ちゃんが不在のこの場所に、

 人間の皮を被ったバケモノの精鋭部隊が、

 音もなく迫っているのだ。


「康二くん! 起きて!!」


 私は椅子を蹴り倒し、

 隣の簡易ベッドで眠る康二くんの肩を激しく揺さぶった。


「……う、ん……暦……?」


「起きて! とんでもないものが来てる!」


 私のただならぬ声色に、

 康二くんが跳ね起きる。


 私はモニターを指差し、

 早口でまくし立てた。


「SDFじゃないわ。肉体を強制強化された『狩人』よ!

 見て、この異常な跳躍と速度。絶対に普通の人間じゃない。

 それが今、一直線にここへ向かってきてる……!」


 画面を見た康二くんの顔から、

 一瞬で血の気が引くのがわかった。


「みんなに知らせなきゃ……!」


 康二くんは靴も半分しか履かずに、

 救護スペースを飛び出していった。


 私も急いで後を追おうとした、

 まさにその瞬間だった。


 夜明けの冷たい空気を切り裂くように、

 重々しいディーゼルエンジンの駆動音が、

 藤沢市役所の敷地に響き渡った。

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