第四章:硝煙の糧 [第五十話] 孤高の戦い
重いシャッターが、火花を散らしながら完全に閉ざされた。
恭二たちの足音が遠ざかり、広大な倉庫には、炎が爆ぜる音と怪物の荒い呼吸だけが残された。
沙耶は、仲間を逃がした扉を一瞬だけ見つめ、それからゆっくりと徴収官へと向き直る。
彼女の瞳からは、先ほどまでの慈愛に満ちた色は消え失せ、底知れない冷徹な殺意が溢れ出していた。
「……さて。お前たちのせいで、随分と温まってしまったな」
沙耶は逆手に持ったナイフを、指先で軽やかに一回転させた。
彼女は、自身の脳内でリミッターを解除し、生存確率の演算を「ゼロ」に設定する。
これまでは恭二たちを守るために抑えていた筋力と反応速度が、
彼女の意志によって極限まで引き出された。
沙耶の皮膚の下で細い血管が浮き上がり、彼女の心臓は、命を削るような高速の鼓動を刻み始める。
徴収官が、咆哮と共に巨大な鉄柱を横なぎに振り払った。
沙耶はその一撃を、垂直に跳躍することで紙一重で回避する。
彼女は空中で体を丸め、着地と同時に弾丸のような速さで怪物の足元へ滑り込んだ。
沙耶の刃が、徴収官の足首の腱を正確に、かつ深く抉り取る。
「……あ、ガッ……ッ!」
怪物が体勢を崩した瞬間、沙耶は止まることなくその背中を駆け上がった。
彼女は宙を舞いながら、もう一本のナイフを抜き放ち、怪物の琥珀色の瞳へ向けて突き立てる。
徴収官は悲鳴を上げ、巨大な腕を振り回して沙耶を叩き落とそうとした。
沙耶は怪物の腕を足場にして再び跳躍し、炎が渦巻く天井の配管へと器用にぶら下がった。
一方、シャッターの向こう側では、恭二たちが血眼になって食糧をトラックへ積み込んでいた。
正人は、涙を拭う余裕もなく、山積みの米袋を担いでは荷台へと投げ入れる。
彼は自分の腕が悲鳴を上げていることにも気づかず、
ただ沙耶の「願い」を果たすために、機械のように体を動かし続けた。
正人の口からは、嗚咽と共に「くそったれ」という呪詛が何度も漏れ出した。
康二は、震える手でフォークリフトを操作し、巨大なパレットをトラックの奥へと押し込む。
彼は眼鏡が汗でずり落ちるのも構わず、レバーを強く引き絞り、
コンテナの中身を一秒でも早く回収し ようと試みた。
康二の歯の根は激しく震え、彼は自分がここで倒れることを、何よりも恐れながら作業を続けた。
恭二は、小銃を傍らに置き、段ボールの山をトラックへと運び込む。
彼の背中は既に限界を迎えていたが、彼は自分の筋肉が千切れるほどの力を込め、
重い荷物を次々と積み上げていく。
恭二の瞳には、炎に包まれた沙耶の姿が焼き付いて離れず、
彼はその痛みを燃料にして動きを加速させた。
ズゥゥゥゥォォォォンッ!
倉庫の奥で、一際大きな爆発音が響いた。
徴収官が放った狂乱の一撃が、ついに高圧アンモニアの主幹パイプと、
非常用燃料の貯蔵タンクを同時に破壊した。
炎が液体燃料に引火し、猛烈な爆発が倉庫の床を突き上げた。
崩落し始めた天井から、数トンものコンクリート片が雪崩のように降り注ぐ。
沙耶は、炎の壁の中に立ち尽くし、目の前の怪物を冷徹に見据えた。
爆発の衝撃で彼女の肩口からは鮮血が噴き出していたが、彼女はそれを、
熱で乾かすようにして再びナイフを構え直す。
徴収官は、逃げ場を失った恐怖からか、手近にあるレヴァナントの残骸を狂ったように貪り食い、
無理やり肉体を再生させようとしていた。
「……無駄だ。……お前の食事時間は、もう終わった」
沙耶は地を蹴り、炎の海の中を滑るように加速した。
彼女の姿は、赤く燃え盛る陽炎の中に溶け込み、
怪物の目にも捉えられないほどの超高速移動を可能にしていた。
沙耶の刃が、徴収官の喉元を、心臓を、そして関節の隙間を、
一秒間に数回という驚異的な頻度で斬り裂いていく。
「……恭二。……急げ」
沙耶は、戦いの中で一度だけ、仲間たちがいるはずのシャッターの方へと意識を向けた。
彼女の視界は、流れ落ちる血と煤で赤く染まっていたが、
その心は、不思議なほどの静寂に包まれていた。
彼女は、自分がここで朽ち果てることを受け入れながらも、
ただ「糧」が届くことだけを願い、最後の舞を完遂させようとしていた。
爆発のタイマーは、刻一刻とゼロへと近づいていく。
炎と硝煙の渦巻く深淵で、少女の魂は、かつてないほど激しく、美しく燃え上がっていた。




