第四章:硝煙の糧 [第四十九話] 約束
巨大な鉄柱が、空気を切り裂く鋭い音と共に振り下ろされた。
正人はシールドの両端を握り締め、体全体の重みを前方へ預ける。
激突。
鼓膜を揺さぶる金属音が轟き、正人のブーツはコンクリートの床を激しく削りながら後退した。
シールドを伝わる猛烈な振動が腕の骨を軋ませ、彼は奥歯を噛み締めすぎて口内に鉄の味を広げた。
正人の額からは脂汗が噴き出し、彼は痺れる両腕を無理やり動かして、再び盾の影に身を潜めた。
「……っ、この、化け物……ッ!」
恭二は八九式小銃のストックを肩に食い込ませ、徴収官の分厚い胸板を狙い撃つ。
単発で放たれた五・五六ミリ弾は、
硬質化した筋肉に当たった瞬間、不気味な火花を散らして跳ね返された。
恭二は呼吸を止め、マズルフラッシュが網膜を焼くのも厭わずに引き金を引き続ける。
彼は空になった弾倉を地面へ叩き落とし、防弾ベストから引き抜いた新しいマガジンを、
震える指先で叩き込んだ。
恭二の瞳は、絶え間なく動き回る怪物の巨体を追い、一瞬の隙を求めて充血していた。
徴収官は唸り声を上げ、傍らに積み上げられたレヴァナントの残骸へ太い腕を伸ばした。
そいつは、かつての同族であった肉塊を無造作に掴み取り、熟した果実のように握り潰す。
グチャリ、という生々しい音が静寂に近い倉庫内に響き渡った。
そいつは引き裂いた肉を口へ放り込み、喉を鳴らして強引に嚥下した。
恭二たちが刻んだ数少ない弾痕が、熱を帯びたように赤く光り、
一瞬にして新しい筋肉に覆われていく。
「……あ、あいつ、僕たちが倒した数を……自分のガソリンにしてる……」
康二は眼鏡の縁を震える指で押し上げ、その場に膝をついた。
彼は手にした構造図を握り潰し、浅い呼吸を繰り返しながら、底なしの絶望を瞳に映し出した。
康二の足は、冷え切ったコンクリートの上で小刻みに震え、
彼は自分の体を支えることさえ困難になっていた。
稲美は康二の襟首を掴んで強引に引きずり起こし、背後のコンテナの角へと押しやった。
彼女は小銃のセレクターを切り替え、怪物の琥珀色に輝く目を正確に射抜こうと銃口を固定した。
ドォォォォォンッ!
徴収官が振り回した鉄柱が、天井付近を走る高圧配管を直撃した。
飴細工のように折れ曲がったパイプから、白いアンモニアガスが猛烈な勢いで噴出し始める。
一瞬にして視界が白く濁り、鼻を刺す強烈な刺激臭が一同の肺を焼いた。
さらに、破壊された非常用燃料タンクから黒い液体が溢れ出し、
剥き出しの電線から散った火花がそこへ引火した。
「……下がれ! 全員、一歩でも後ろへ!」
沙耶が鋭い気合と共に、闇の中から弾丸のような速さで飛び出した。
彼女はナイフを逆手に構え、徴収官の巨大な太腿を走り抜けざまに切り裂く。
沙耶の動きは重力を無視しているかのように滑らかであり、彼女の刃は怪物の腱を正確に断ち切った。
だが、徴収官は痛みを感じる様子もなく、巨大な鉄柱を横なぎに振り払った。
沙耶は空中で体をひねり、間一髪でその衝撃を回避したが、
着地の瞬間に脇腹を強く押さえて顔を歪めた。
「……沙耶ッ!」
恭二が駆け寄ろうとしたが、足元で燃料の火が爆発的に燃え上がり、二人の間を隔てた。
崩落した天井の瓦礫が炎を上げ、脱出路を一つ、また一つと物理的に封鎖していく。
アンモニアの白い霧と、重油の黒煙が混ざり合い、視界は最悪の濃度に達していた。
恭二は、肩を上下させて喘ぐ仲間たちの姿を視界の端に捉えた。
正人の盾は凹み、康二の腰は抜け、稲美の顔にも疲労が色濃く滲んでいる。
そして沙耶は、再び立ち上がった怪物の前に立ち、自分たちを庇うように刃を構え直した。
このままでは、全員がここで潰える。
恭二は、小銃を握る右手に、血が滲むほどの力を込めた。
炎の爆ぜる音が、巨大な地下倉庫の静寂を無慈悲に引き裂いた。
噴き出すアンモニアの白い霧が、赤黒く燃え上がる炎に照らされ、
不気味な陽炎となって揺らめいている。
徴収官は、折れ曲がった鉄柱を杖のように突き立て、
喉の奥から地響きのような唸り声を絞り出した。
沙耶は、仲間たちの方を一度も振り返ることなく、ナイフの柄を掌の中で静かに転がした。
彼女の背中は、これまでになく小さく、そして岩のように強固な決意を湛えて立っている。
「……逃げろ。お前たちがいたら、私の計算が狂う」
沙耶の声は、驚くほど澄んでおり、戦場の喧騒を鮮やかに突き抜けて恭二たちの鼓膜を震わせた。
彼女は、撤退を拒んで叫ぼうとする康二の元へ歩み寄り、その細い肩をそっと、温かく抱き寄せた。
「……康二。お前は自分のことを、戦えない弱者だと思っているな。……だが、それは計算違いだ。
……お前の指先が叩き出すコードは、暗闇の中で私たちの『目』になった。……お前は誰よりも勇敢だ。
……震える指で、一度も逃げずに私たちの道を照らし続けた。……お前の『知恵』は、私の演算を超える、最高の魔法だったよ」
康二は眼鏡を落としそうになりながら、溢れ出した涙で視界を歪ませ、沙耶の腕を折れんばかりに強く握り返した。
沙耶は次に、重い盾を引きずりながら立ち上がろうとする正人の元へ視線を向けた。
「……正人。お前の盾は、重かっただろう。
……不器用で、いつも文句ばかり言っていたが、お前の背中が揺らいだことは一度もなかった。
……私が背後を気にせず、ただ前だけを見て刃を振るえたのは、お前という『絶対的な壁』が後ろにいてくれたからだ。
……正人、お前は最高の騎士だ。……胸を張れ」
正人は顔を歪め、嗚咽を噛み殺すように盾の縁を拳で強く叩いた。
最後に、沙耶は恭二の目の前に立ち、その頬に、血に汚れた指先を吸い付くように触れさせた。
「……最後に、恭二。
……お前が私を見つけてくれたあの日に、私の時計は動き出した。
……お前は甘い。非効率で、すぐ他人のために命を懸ける。
……でも、その『甘さ』が、凍りついていた私を温めたんだ。
……お前が私を道具ではなく『沙耶』と呼んでくれたから、私は今、自分の意志でここに立っている。
……恭二。お前がリーダーで、本当によかった。
……お前たちが作る『明日』に、私の席を一つだけ、残しておいてくれないか」
「……沙耶、俺は……俺はッ!」
恭二の言葉を遮るように、沙耶は彼の胸を突き飛ばした。
その掌からは、彼女がこれまで隠し続けてきた圧倒的な熱量が伝わり、恭二の心臓を激しく打ち据えた。
「……行け。
……トラックに食糧を積め。
……一粒も残さず、市役所へ運べ。
……これは命令ではない。
……私の『願い』だ」
「沙耶……必ず生きて帰ってこい!これはリーダーとして沙耶にする命令だ!」
沙耶は翻り、再び立ち上がった徴収官の前へと、踊るような足取りで進み出た。
彼女の周囲では、引火した燃料が爆発的な勢いで燃え広がり、崩落し始めた天井から火の粉が雪のように降り注いでいる。
「……行くぞッ! 沙耶を、信じろッ!」
恭二は喉を掻き切るような叫びを上げ、崩れ落ちる康二と正人の襟首を掴んで、
食糧トラックへと走り出した。
背後で、再び激しい金属音と、怪物の咆哮が響き渡る。
彼らは一度も振り返らず、涙で滲む視界を必死に拭いながら、
愛する家族に届けるための食糧を奪うべく、トラックの荷台へと飛び込んだ。
地下倉庫の奥底で。
炎に包まれた少女は、ただ一人の「人間」として、かつてないほど鋭い刃を閃かせた。
彼女の瞳には、もう迷いも計算もない。
ただ、去りゆく仲間たちの足音を背中で聞きながら、死の王を葬るための舞を踊り始めた。




